ろくでもないことに対する危機管理
昨日の朝は、ちょっと具合が悪く、朝食は仏壇に供える程度のご飯しか食べなかった。
おかずは冷蔵庫の中にあった皿に盛られラップをかけられていた露わな姿の、要するに別の料理に使って中途半端に残ったシーチキンだった。
なぜそのような“ありがたや~”なご飯の量にしたかというと、だから具合が悪かったと言っただろう、になわけだが、それでも食事が喉を通らないってほど食欲がないわけではなかった。
で、その具合の悪さの原因はまたまた飲みすぎと寝不足である。
こんな状態でたくさん食べて飛行機に乗ると、機内でろくなことが起きないような気がして自制したのだ。
飛行機は向かい風に懸命に立ち向かい(と機長が言っていた)、ほぼ定刻に羽田に着いた。私のトイレも1度通っただけで済んだ。
今日はシンプルにします
ときは11時。
到着口から出た正面にあるカレー店でポークカレーを食べた。
さすがに空腹になったのだ。
しかしそこに入る前に、横に隣接するレストラン(厨房は共通だと思う)のメニューをチェックしたのだが、ビフテキカレーやカツカレー、オムカレーにはまったく食指をそそられなかった。で、ただの(無料という意味ではない)カレーはないのだ、このレストランには。
食指をそそられないということは、やはり本調子ではなかったのだ。
そのあとは、朝の気温がマイナス1℃だったゆえに着てきたコートによる暑さと戦いながら(手に持つのも邪魔だし)、でも予定したことは着実に遂行し、夕方には久々に山野楽器に寄って、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲のスコアを立ち読みした。
実はこの曲について、スコアで確認しておかなければならないことがあったのだ。立ち読みなんてみみっちいことをしないで買うつもりで山野楽器にのりこんだのだが、輸入譜しかなく、室内楽曲に2500円出すのはなぁっていうのと、それが印刷がきれいとはいえない楽譜だったので、みみっちい方を選択したのだった。
記憶はAllegroで消え去った
山野楽器を出て、晴海通りを築地方向に歩いていたら、昭和通りとの交差点で信号待ちをしていたタクシーの中に東京支社のメンバー3名が乗っていて、開けた窓越しに「あらあら、こんにちは。東京って狭いねぇ」と言葉を交わしたのであった。
が、それで頭の中でうろ覚え状態だったスコアの速度指示が頭からぶっちぎりで吹っ飛んでしまった。
チャイコフスキー(Pyotr Ilych Tchaikovsky 1840-93 ロシア)のピアノ三重奏曲イ短調Op.50「偉大な芸術の思い出のために(A la memoire d'un grand artiste)」(1881-82)。
1881年3月、ロシアの偉大なピアニスト(作曲と指揮も行なった)ニコライ・ルビンシテインが腸結核のために亡くなった。
1866年にモスクワ音楽院を創設し初代院長を務めたルビンシテイン。
彼は、チャイコフスキーをこの音楽院に招き教鞭をとってもらっていたが、ピアノ協奏曲の作曲も依頼。しかしチャイコフスキーが作った作品を否定し、書き直さなければ初演しないとチャイコフスキーに言った。
いまや超人気曲であり傑作である、あのピアノ協奏曲第1番のことである(現在の版とまったく同一ではないようだが)。
ひどいヤツである。
繊細なチャイコフスキーは傷ついた。メソメソのしたに違いない。シクシクと涙したかもしれない。
しかし2人の関係は一時的に悪化したものの、のちにルビンシテインがこのコンチェルトへの評価を改めたこともあって、チャイコフスキーとルビンシテインは終生親友の関係を保った。
チャイコフスキーがパリで急死したこの友を追悼するために書いたのが「偉大な芸術家の思い出のために」で、ルビンシテインの死の1年後の命日に初演された。
曲は2楽章の変則的な構成だが、第2楽章が2つの部分からなっており、全体では3楽章のような形をとるように考えられなくもない。
第1楽章は「悲劇的小品」と書かれている。友の死を嘆き悲しむような暗い美しさをもった、しかし激しい音楽である。ソナタ形式で書かれている。
第2楽章は「主題と変奏」と「最終変奏とコーダ」の2つの部分からなり、第2の部分が第3楽章の役割を
果たしているとも考えられるそうだ。
「主題と変奏」では、優しげな主題が示されたあと、ときに優美に、ときに躍動的に11の変奏曲が進んでいく。
第2部の「最終変奏とコーダ」では、最終変奏で唐突に短調に転じ、コーダ(結尾)で第1楽章冒頭のメロディーがよみがえる。そして、葬送するように、実に暗く重々しく終わる。
今日はアルゲリッチのピアノ、クレーメルのヴァイオリン、マイスキーのチェロによる1998年の東京ライヴを。
いやぁ、すごい演奏だ。
この3人がステージで演奏している姿を想像するだけで、何か怖いものがある。
で、実際何かが憑依されたような壮絶かつ見事な演奏だ。クレーメルはよだれをたらしたかもしれない。
が、すばらしすぎて、すごすぎて、聴き疲れるチャイコフスキーでもある。
グラモフォン。
なんでもこの演奏、1996年に急逝したマネージャーのポールセンへ捧げるためのものだったそうである。