新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

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2015/10

ステージ上は異次元世界だったのでは?♪チャイコ/pトリオ

TchaikovskyPtrioArgerich  ろくでもないことに対する危機管理
 昨日の朝は、ちょっと具合が悪く、朝食は仏壇に供える程度のご飯しか食べなかった。

 おかずは冷蔵庫の中にあった皿に盛られラップをかけられていた露わな姿の、要するに別の料理に使って中途半端に残ったシーチキンだった。

 なぜそのような“ありがたや~”なご飯の量にしたかというと、だから具合が悪かったと言っただろう、になわけだが、それでも食事が喉を通らないってほど食欲がないわけではなかった。

 で、その具合の悪さの原因はまたまた飲みすぎと寝不足である。
 こんな状態でたくさん食べて飛行機に乗ると、機内でろくなことが起きないような気がして自制したのだ。

 
 飛行機は向かい風に懸命に立ち向かい(と機長が言っていた)、ほぼ定刻に羽田に着いた。私のトイレも1度通っただけで済んだ。

  今日はシンプルにします
 ときは11時。
 到着口から出た正面にあるカレー店でポークカレーを食べた。
 さすがに空腹になったのだ。

 しかしそこに入る前に、横に隣接するレストラン(厨房は共通だと思う)のメニューをチェックしたのだが、ビフテキカレーやカツカレー、オムカレーにはまったく食指をそそられなかった。で、ただの(無料という意味ではない)カレーはないのだ、このレストランには。

 食指をそそられないということは、やはり本調子ではなかったのだ。

 そのあとは、朝の気温がマイナス1℃だったゆえに着てきたコートによる暑さと戦いながら(手に持つのも邪魔だし)、でも予定したことは着実に遂行し、夕方には久々に山野楽器に寄って、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲のスコアを立ち読みした。
 実はこの曲について、スコアで確認しておかなければならないことがあったのだ。立ち読みなんてみみっちいことをしないで買うつもりで山野楽器にのりこんだのだが、輸入譜しかなく、室内楽曲に2500円出すのはなぁっていうのと、それが印刷がきれいとはいえない楽譜だったので、みみっちい方を選択したのだった。

  記憶はAllegroで消え去った
 山野楽器を出て、晴海通りを築地方向に歩いていたら、昭和通りとの交差点で信号待ちをしていたタクシーの中に東京支社のメンバー3名が乗っていて、開けた窓越しに「あらあら、こんにちは。東京って狭いねぇ」と言葉を交わしたのであった。
 が、それで頭の中でうろ覚え状態だったスコアの速度指示が頭からぶっちぎりで吹っ飛んでしまった。

 チャイコフスキー(Pyotr Ilych Tchaikovsky 1840-93 ロシア)のピアノ三重奏曲イ短調Op.50「偉大な芸術の思い出のために(A la memoire d'un grand artiste)」(1881-82)。


 1881年3月、ロシアの偉大なピアニスト(作曲と指揮も行なった)ニコライ・ルビンシテインが腸結核のために亡くなった。


 1866年にモスクワ音楽院を創設し初代院長を務めたルビンシテイン。
 彼は、チャイコフスキーをこの音楽院に招き教鞭をとってもらっていたが、ピアノ協奏曲の作曲も依頼。しかしチャイコフスキーが作った作品を否定し、書き直さなければ初演しないとチャイコフスキーに言った。
 いまや超人気曲であり傑作である、あのピアノ協奏曲第1番のことである(現在の版とまったく同一ではないようだが)。


 ひどいヤツである。
 繊細なチャイコフスキーは傷ついた。メソメソのしたに違いない。シクシクと涙したかもしれない。

 しかし2人の関係は一時的に悪化したものの、のちにルビンシテインがこのコンチェルトへの評価を改めたこともあって、チャイコフスキーとルビンシテインは終生親友の関係を保った。

 チャイコフスキーがパリで急死したこの友を追悼するために書いたのが「偉大な芸術家の思い出のために」で、ルビンシテインの死の1年後の命日に初演された。


 曲は2楽章の変則的な構成だが、第2楽章が2つの部分からなっており、全体では3楽章のような形をとるように考えられなくもない。


 第1楽章は「悲劇的小品」と書かれている。友の死を嘆き悲しむような暗い美しさをもった、しかし激しい音楽である。ソナタ形式で書かれている。


 第2楽章は「主題と変奏」と「最終変奏とコーダ」の2つの部分からなり、第2の部分が第3楽章の役割を

果たしているとも考えられるそうだ。
 「主題と変奏」では、優しげな主題が示されたあと、ときに優美に、ときに躍動的に11の変奏曲が進んでいく。
 第2部の「最終変奏とコーダ」では、最終変奏で唐突に短調に転じ、コーダ(結尾)で第1楽章冒頭のメロディーがよみがえる。そして、葬送するように、実に暗く重々しく終わる。

 今日はアルゲリッチのピアノ、クレーメルのヴァイオリン、マイスキーのチェロによる1998年の東京ライヴを。


 いやぁ、すごい演奏だ。
 この3人がステージで演奏している姿を想像するだけで、何か怖いものがある。
 で、実際何かが憑依されたような壮絶かつ見事な演奏だ。クレーメルはよだれをたらしたかもしれない。


 が、すばらしすぎて、すごすぎて、聴き疲れるチャイコフスキーでもある。


 グラモフォン。


 なんでもこの演奏、1996年に急逝したマネージャーのポールセンへ捧げるためのものだったそうである。


記録、つけ始めました!♪WAM/p協14&15

MozartPconComp  直前に掘り出し物が? 
今日はアサイチの飛行機で東京に向かう。

 言っておくが(という言い方もないが)、戻りは日曜日である。そのことは読者の方々のこの間の暮らしになんら影響を与えるものではないので心配はしていないだろうから安心してほしい。

 近ごろの東京のホテルは高い。背丈ではなく料金のことである。

 で、料金の関係から今日はふだん使うことのないホテルをだいぶ前に予約した。しかし、おとといにもう一度調べてみると、いつも使っているホテルで、安くはないがそこそこ納得できる料金の空き室が出ていた。
 もちろんそちらに予約変更したが、直前になるとこういうことがあるので、世の中ウカウカしてられない。


 ただ、土曜日の夜はやはりどこも高く、京橋のこれまた初めて利用するホテルに泊まることになっている。


 そんなボヤキはさておき、村上春樹の「職業としての小説家」(スイッチパブリッシング)の話。

 このなかで、氏が小説を書きあげ世に出すまでの流れを書いている。


MurakamiShokugyo 第1稿が出来上がったら一週間置いておくのだそうだ。そのあと1回目の書き直し。また一週間置いたあとに2回目の書き直し。2週間から1ヵ月放っておき、今度は細かい部分の書き直しをし、奥さんに読んでもらう。奥さんからチェックが入ったところを書き直す。奥さんのOKがでるまでこれが繰り返される。これが終わってようやく編集者に読んでもらうそうだ。


 そりゃあれだけ完成された小説を世に出すのだから、このくらいのことはしなきゃならないのかもしれないが、一般的なイメージとして書き上げたそばから待機している編集者に原稿を渡すというイメージが作家にはつきまとうので(ノリスケさんのように)、ずいぶんと細かな作業をするんだなぁと意外に思った。ということは、完成された作品には時制などの誤りがまずないということだろう。


 村上春樹と比較するつもりはまったくないが(それは冒瀆ってもんである)、毎日ブログ投稿している私の場合は書くだけでかなり精一杯で読み返す時間もあまりなく、まったくもって読んで下さっている方々に申し訳なく思ってしまう。

 しかし言い訳以外のなにものでもないが、私には日々書きたいことが起こってしまうのだ。
 だから、毎日駄文を吐き出すことをお許し願いたい。

  出だしのパターンが違う2曲について
 ところで、少し前にモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の“ツータータッター”シリーズのピアノ・コンチェルトを紹介したが、その間に位置する第14番と第15番(ともに1784年の作)はツータータッターでは始まらない。


 ピアノ協奏曲第14番変ホ長調K.449の冒頭は、


MozartPcon14Score


であり、ピアノ協奏曲第15番変ロ長調K.450の冒頭は、


MozartPconScore


である(譜例は「作曲家別名曲解説ライブラリー モーツァルト 1」(音楽之友社)に載っているものを使わせてもらった)。この2曲は1784年の作。


 ところで前にも書いたことがあるが、モーツァルトはこの1784年から自分の書いた作品を記録し始めた。つまり“自作品目録”を作るようになったのだった。
 “職業としての作曲家”を自覚した、あるいは意識したのであった。


 そしてまた、目録の2番目の作品がピアノ協奏曲第15番。

 このコンチェルトはそれまでのサロン的なものから発展して管弦楽の響きが充実。特に管楽器が重用されている。

 礒山雅氏は「モーツァルト=翼を得た時間」(講談社学術文庫)のなかで、こう書いている。

 そして何より、K.450の協奏曲から管楽器のオブリガート的な使用が始まり、それが音楽に、著しい多彩さと深みを与えるようになったことである。従来のコンチェルトのオーケストラ・パートが弦合奏を主体に編成され、管楽器は任意に加えられるか、若干の補強的なパートを演奏するにすぎなかったのに対して、K.450、およびこの年のうちに書かれた4つの協奏曲、それ以降の20番台の協奏曲においては、管楽器が大きな個性と独自の発言権をもって、音楽に関与するようになっている。言いかえれば、ピアノとオーケストラの間だけではなく、オーケストラの各楽器間にも、協奏的な競い合いと歌いかわしが始まったわけで、これによってモーツァルトの協奏曲の世界は、以前とは比較にならぬほど多彩で奥行きの深いものとなった。(157-158p)

 では、当時の響きに近いと思われるソフロニツキのフォルテピアノを使った演奏を。
 指揮はカロラク、管弦楽はムジケ・アンティケ・コレギウム・ヴァルソヴィエンセ。

 2005-06年録音。PRO MUSICA CAMERATA.。

 では、シモのことを気にしつつ飛行機に乗ってきます。

リゾート地でくしゃみ連発ってはめになる人も?♪チャイコ/Sym4(by Muti)

PA200280  朝の気分はヘ短調だった
 昨日の記事の内容とは全然関係ないが、“歌”といえば、おとといの晩はmasaさんたちと飲んだ。

 masaさん一派はカラオケ好き。二次会では採点機能をフル稼働させてカラオケ大会が始まり、私が高得点を出したことで羨望ではなくどちらかというと妬みを買ってしまった。

 しかも、昨日の朝はさすがに起きるのがつらかった。寝不足と軽い二日酔いである。

 で、「樹の組曲」には「白樺」という曲があるが、今日はその白樺の木に関連した曲を。

 チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第4番ヘ短調Op.36(1877-78)。

 チャイコフスキーにとっての「運命交響曲」とも位置づけられる作品である(次の第5交響曲もだが)。


TchaikoSym4Shirakaba  実は統一を図っていたんです
 曲については2行上のリンク先に詳細に書いてあるが、メック夫人がパトロンになってくれたため、チャイコフスキーが経済的なことを心配すせずに作曲活動に取り組めるようになったころの作品である。

 そしてまた第4楽章の第1主題にはロシア民謡の「野に白樺は立っていた」のメロディーが用いられている。

 掲載した楽譜の部分だが(傾いているのは強風のせいでも、私の性格のせいでもない。単に傾いてしまったのだ)、これは第4楽章のお祭り騒ぎ的開始のすぐあとに現れる。

 これは全音スコアだが、巻頭の解説で園部四郎氏は以下のように書いている。


 チャイコフスキーは、ここで有名なロシア民謡を用いているが、この旋律は、この交響曲全体の主題と有機的なつながりをもっていることに注目しなければならない。つまり、たんなるロシア民謡の機械的な利用ではなくて、内面的な関連性をもってこの民謡の旋律がでてくるのである。すなわり、そのイントネーションは、第1楽章の第1主題、第2楽章とスケルツォの主題などに似ていることに気づくであろう。


TchaikovskyMuti そうなのである。
 たとえ気づいてしまっていなくとも、この民謡の“イントネーション”によって曲全体に統一感を私たちは感じるようである。

 ムーティ指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏を今日はご紹介。


 この演奏、ネットのレビューを見ると、好き嫌い、賛否が分かれているようだ。

 私はよく歌いあげられた良い演奏だと思う。でも臭くはない。いや、だから、ロシア臭という面では。

 ただ、Mutiって名前にふさわしくムチムチと肥えた、じゃなかった、ビシバシ鞭打つような激しさが、第1楽章ではもう少し欲しいところ。
 でも、第4楽章はとってもすごいよ!(←って、ハブとマングースショーかっ?)

 1979年録音。ワーナー。


 写真はトマム駅に停車中の列車から撮ったもの。
 白樺である。
 シラカバの花粉症を持っている人が、その時期にホームに降り立ったら、さぞ悲惨なことだろう。


 ところで今日は歯科医院に行く日である。
 もちろん目的は治療である。用もないのにお姉さんたちに挨拶に行くわけではない。

風の歌はうるさかったが、樹の曲に癒される♪シベリウス/Op.75

SibeliusPf  歌どころじゃないが……
 月曜日も風が強く落葉が翻弄され、私も行く手を阻まれそうになった。

 とても「あら、風が歌ってるわ!耳を澄まして聴かなきゃ」って甘いもんじゃない。甘くてもそんなことしないけど。

 しかしながら、「風が強いので前進しにくいし、涙目になるので仕事をお休みします」なんていう理由ではリユウとして認められない。そんなことは想像するまでもないほどのことなわけで、泣きながらもちゃんと出社したことはいうまでもない。

  読み直しているのに新鮮な感覚
 いま、また「風の歌を聴け」(講談社文庫)を読み始めている。
 村上春樹のデビュー作品である。


 まだぐずぐずして読み終えてはいないが、氏の「職業としての小説家」(スイッチパブリッシング)はおもしろい。

 この場合の「おもしろい」は滑稽であるということではなく、心惹かれるとか興味深いという意味である。

 ここにはいろいろ納得、説得させられることが記されていてお得、両得である。
Kazenouta というのは冗談として、ここまで村上春樹の個人的な考え方や思いが飾り気なく語られているのは初めてのことだろう。

 本書のなかには村上春樹が小説家となることになった「風の歌を聴け」の話が、当然多く出てくる。と、けっこう感化されやすいい私はまた読み直したくなったのだった。


 本棚から取り出して読み始めると(その前に「職業としての小説家」を読み終えろというあなたの不満と忠告は痛いほど伝わってくる)、氏の小説に、あらためて奥行きのようなものを感じる。
 再び読んでも新鮮さがある。発見がある。


 一時期とても好きで著書を立て続けに読んだ宮部みゆき。

 ジャンルの違いということはあるものの、もう一度読み返したいという彼女の小説はほとんどない。あんなに感心させられたのに不思議なことだ。

 先日はこちらのマンションから、宮部みゆきの本はすべて自宅に運んだ。
 そのうち「ここはボツコニアン」だけはもう絶対に読み返さないという確信があったので、ブックオフに持って行き買い取ってもらった。5円だった。


 そしてまた、ここ最近出た宮部作品は、結局買う気にならないままである(「ペテロの葬列」が最後となっている)。
 私の嗜好が変化したのか、それとも彼女が新たに生み出す作品には輝きが失われているのか、そこはわからないが……


  樹にちなんで
 シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957 フィンランド)の「5つの小品(5 Pieces。樹の組曲)」Op.75(1914)。

 その名のとおり5曲からなるピアノ曲で、各曲には樹にまつわる、あるいは樹木そのもののタイトルがついている。


 1. ピヒラヤの花咲くとき(When the mountainash is in flower)
 2. さびしい樅の木(The lonely fir)
 3. ポプラ(The aspen)
 4. 白樺(The birch)
 5. 樅の木(The fir)


 私が持っている音源はラウリアラのピアノによるもの。


 1995年録音。ナクソス。


20151027Doshin シベリウスのピアノ曲は日本ではポピュラーとは言えないが、抒情的でしっとりとしたなかにもぬくもりが感じられる。
 なお第1曲のピヒラヤとはナナカマドのことである。

  樹が燃えた
 おとといの早朝の、消防車のけたたましいサイレン。
 帯広駅南側の樹、つまり植込みが燃えた火災だった。
 北海道新聞朝刊(地方版)によると、それなりに燃えたらしい。
 やっぱ放火か?
 早朝の歩きたばこ投げ捨てか?
 

晩秋の日の現実♪チャイコフスキー/Sym1(by ムーティ)

NEC_0199  往路は秋
 土曜日に札幌へ向かう車中では、橘皮課長と「いっきに紅葉が進みましたなぁ」「まったくもっていかにも。美しいもんじゃあありませんか」などと話がちょっと弾んだ。
 しかしその日の夕方は冷たい雨になり、風も強くなり、雷も轟き、雨は雪に変わった。


 翌日の日曜日は、橘皮課長は巧みなドライビング・テクで平気で一方通行を逆走してきたオヤジの車をかわし、1時間半ほど離れた地へと向かった。

 曇天だったが雨が降ったかと思うと晴れ、天気は快方に向かうかと期待したが、それは今度はみぞれが降るという天の意地悪で裏切られた。車の“OUT TEMP”の表示は3℃とか2℃という、心も体も萎えるような表示のままだった。


 途中そば屋に入る。
 有名なそば屋である。私はせいろそばの大盛りを頼んだが、思った以上に大盛りで運ばれた瞬間に心も胃袋も萎えたが完食した。
 食べている間じゅう714という数字が頭に浮かんでは消え、消えては浮かんだ。
 ちなみに橘皮課長はカツ丼・そばセットであった。


 今回の出張の目的地は風はゴーゴー、あられだかみぞれだかかき氷だかの混合ワクチンのような水滴は強い風に乗って、ビシバシと私たちの顔を叩いた。
 業務内容の関係上、けっこう外にいる時間が長かったため、その地をあとにするころには、服は風雨でビチョビチョ、身体は寒さでガタガタの状態だった。


NEC_0202  復路は冬
 高速に入ると、占冠~十勝清水の区間は冬タイヤ装着せよという情報が看板に表示されていた。


 ホントだった。

 車中から撮ったのがこの2枚の写真だ。

 占冠を過ぎると、マジで冬景色になった。
 まあ、トマムはスキー・リゾートの地だから、寒くて雪が多いところなのはわかるが、「モミジちゃんが赤いね」などとクレナイ会話をした翌日にこうなるとは。
 トマムのタワーも雪にかすんでようやっと見える状態だった。

 もちろん、われわれが乗った車はすでに冬タイヤに交換してあったのだが、まだ10月だというに地吹雪っぽい中を走る羽目になるとは想定外だった。

 運転していた橘皮課長には、声を大にして「お疲れさん!」と感謝の意を表したい。


 チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93)の交響曲第1番ト短調Op.13「冬の日の幻想(Winter Daydreams)」(1866/改訂(第3稿)1874)。


 作品についての詳細はこちらを参照していただきたいが、 今日はムーティ/ニューフィルハーモニア管弦楽団による録音を。

TchaikovskyMuti 土臭さとか大爆発する演奏ではないが、良い意味でオーソドックスな好感を持てる演奏だ。


 1975年録音。ワーナー。
 ムーティによるチャイコ交響曲全集のなかの1枚。

 

 昨日の早朝の消防車。

 朝の通勤時にそのあたりを通ると、駅南側の駐車場の横にある生垣一帯に道警“立入禁止”のテープがめぐらされていた。

 誰かが火をつけたのか?

 

無事届いた I からの手紙♪コープランド/家からの手紙

CoplandBox  3通目の手紙、来る!
 先週、自動車税の払い戻しの“払出証明証書”が無事届いた。

 ほっとした。
 もしあと1~2週間経っても届かなかったら、I振興局に「どないなってるんでございますやん!」と使い慣れない関西弁で問いただしの電話をしなきゃならないところだった。

 私の日々は、こういう不安を1つ1つ潰していくもののように感じる。

 同じIはアイでも、今日は家のI。

 コープランド(Aaron Copland 1900-90 アメリカ)の「家からの手紙(Letter from Home)」(1944/改訂'62)。

 コープランドは印象主義、ロマン主義の影響をうけて作曲を始めたが、やがて新アメリカ楽派の開祖となった。

 ハロルド・C・ショーンバーグによれば、“彼はアメリカ音楽を、マクダウェルの色あせた田舎訛りから、力強く、モダンで、極めて個性的な音楽言語へと変貌させる突破口を切り開いた”のであった(「大作曲家の生涯・下巻」(共同通信社))。

 この作品についての詳しい情報を私は持ち合わせていないが、曲がもつ味わいは、家から届いた手紙に心が癒されるような、そんな感じである。

 作曲家自身の指揮によるロンドン交響楽団の演奏で。

 1968年録音。ソニークラシカル。
 
  ウーウーウ~、カンカンカン
 昨日の出張についての報告は、明日。
 先ほどけたたましい複数の消防車のサイレンの音が聞こえてきた。
 ベランダに出てみると、すぐ近くに集結している。
 火事があったらしい。
 炎は見えないのでボヤ程度だと思うが……

 そんなわけで、それが気になるので凍えそうになった昨日の報告は明日。

トンネルを抜けるとトンネルの外だったし晴れていた♪山本直純/風と雲と……

PA200282


 《前回のあらすじ》
 翌火曜日。朝から雨。スーパーとかちも曇天の中を走行。


 《今回の言い訳》
 この記事に掲載されている写真はどれも“恐怖の心霊写真集”のような写りである。
 が、それは私の写真の腕が他者に比べ著しく劣るとか、私には霊感があるとか、日中は手が震えるという理由からではない。
 列車内から撮影したことと、窓がけっこう汚れていたことによる。
 そこをしっかりと認識しておいていただけると幸いである。

PA200274  空の玄関への入口は意外と貧相
 “スーとか”に乗り込む前にKIOSKで弁当を買った。

 今回私が棚の前で品定めした結果選んだのは、北海道の製パン大手“日糧”(なんてたって“日々の糧”なのだ)の俵おにぎり3個とおかずが入った、すごくコスト・パフォーマンスが高いと思われる弁当である。

 南千歳を出る。
 みなさんは南千歳駅から新千歳空港駅への向かう地下への入り口を見たことがあるだろうか?
 見せてあげよう。

 私の乗った列車はこの入口の横をかすめ、石勝線へと入った。

 ときどき思い出したように陽が差すが、基本的には雨の中の旅である。

PA200279 いつも走っている道東自動車道も路面が濡れていた。
 あっ、左側は一般道。右側が高速道路である。

 しかし新狩勝トンネルを抜けると晴れ。
 masaさんの住む新得の町の上あたりには形の整った虹が。
 
 ここで私は昼食タイムとすることにした。
 けど、節制のためにみみっちい弁当を食べていた私の心は虹色にならなかった。

 いや、弁当が悪いのではない。これ、すごくコスト・パフォーマンスが高いと思う。
 ただ、私には少ないのだ。ほんとはいつもこれくらいの量にすべきなのだが……

PA200278 山本直純(Yamamoto,Naozumi 1932-2002 東京)の「風と雲と虹と」。

 1976年に放送されたNHK大河ドラマのテーマ音楽で、山本自身の指揮によるNHK交響楽団と東京混声合唱団が演奏していた。


 山本直純といえば亡くなった指揮者の岩城宏之と芸大時代からの親友であり、岩城は山本のことを天才と絶賛していた。
 しかし、山本の活動は音楽の普及の方に力点が置かれ、純音楽作品はあまり残していない。

 逆に、交響曲第45番「宿命」とかピアノ狂騒曲「エンペラー」、ヴァイオリン協奏曲「迷混」といったパロディー作品を残してもいる。いずれの曲も私は耳にしたことがないが、「運命」や「エンペラー」「メンコン」をもじっているのだろう。


 また、テレビや映画のための音楽は数多い。
 映画「男はつらいよ」シリーズや、テレビでは「8時だョ!全員集合」「3時のあなた」など多数。「怪奇大作戦」や「新・オバケのQ太郎」もそう。ラジオでは「小沢昭一の小沢昭一的こころ」などがある。


Dokuganryu CMでは御幸毛織の「ミユキの歌」や「森永エールチョコレート」「火の用心のうた」などが有名だ。
 童謡「一年生になったら」も山本氏の作品である。


 「オーケストラがやってきた」の司会などで音楽の普及に努めたのは事実だが、私には「特ダネ登場」に出ていた上品とはいえないオヤジのイメージが強い。

 また、無免許運転によるスキャンダルもあり、クラシック音楽界では最後まで異端児的存在だったように思う。


 「風と雲と虹と」で私が持っているCDはとっくの昔に廃盤。

 ところで、3種のおにぎりのうち、玉子ふりかけのを食べていたときのこと。
 ふりかけの黄色い1粒がズボンにこぼれ落ち、瞬時に油染みが付いてしまった。

 にしても、玉子ふりかけで油染みが付くなんて、初めて知った。
 動いている乗り物の中で物を食べるのは、私にとっては実に危険だ。
 なんせ、飲み物でも粗相するくらいだし……

分解・変容・透明化、間に合わず?ヒンデミット/ウェーバーVar.

HindemithGotoh  まだ、あなたのことよく知らないから……
 今日は橘皮課長たちと札幌へ向かう。
 
 実は昨日、釧路から戻って来た後も橘皮課長と行動を共にした。

 《スーパーおおぞら4号は定刻通りに帯広駅に着いた。昨日のことだ。
 定刻とは時計屋の壁に整列している壁掛け時計と同じ10時10分である。

 駅には橘皮課長がいた。私が着くのを待ち伏せしていたのだ。
 嫌がる私を強引に引き連れ、車に押し込み、服は脱がされなかったが、そのまま北の町へと向かった》

 と書きたいところだったが、事情がまったくもって変わり、私はスーぞらに乗らずに朝のうちに車で帰って来た。

 が、支社に戻ったあとは予定通り橘皮課長と一緒に行動。
 その町に着くと昼ご飯を食べ、お取引さまと打ち合わせをし、市内に戻ってきたときにはあたりは薄暗くなっていた。

 そして今日は午後から札幌へ出張なのである。
 この状況を見るかぎり、私と橘皮課長の2人はお友だちだと短絡的に考える人もいるかもしれない。
 が、違う。仲は良いが友だちではない。だって彼のお誕生日会にお呼ばれしたことないもの。
 
HbA1c  血に脂の球が……
 話は月曜日に遡る。

 この日は札幌で会議があったわけだが、その際に病院に行ったこと、そして血糖値もヘモグロビンA1cの値も改善していることはすでに報告した

 採血した結果でこの日にすぐにわかったのはこの2項目。
 他の項目は2か月前、8月末に行なった血液検査の結果を知らされたのだが、驚くべきことに中性脂肪の値が700を超えているではないか!(基準範囲は50-149mg/dL)。
 これは過去最悪の事態に匹敵する値である。しかも成績書の片隅に“乳ビ(+)”と言うメモ書きがある。

血糖値 このメモが、私の乳が美しいという賞賛を意味していないのは明らかだ。


 乳びというのは採った血液の上澄み、つまり血清が白濁することを言うらしい。
 高カロリーの食事をしたあとなどに血中に分解されない脂肪が残るために起こるらしく、検査結果も正しくないことがある(中性脂肪値が高めに出る)という。つまり脂肪から脂肪酸へ姿かたちが変わりきらなかったというわけだ。

 そっか!

 目の玉が飛び出るほど高い数字なのに、今回医師がそのことについて不自然なくらい触れなかったのは(このころ飲み会が多かったかい?とだけ聞かれた)、結果の数値に信頼性がなかったことを知っていたからだろう。

 ヒンデミット(Paul Hindemith 1895-1963 ドイツ→アメリカ)の「ウェーバーの主題による交響的変容(Symphonic Metamorphoses on themes of C.M.v.Weber)」(1943)。

中性脂肪 この作品は、ヒンデミットの作風の過激度が後退し、かどが取れ、穏やかになったアメリカ時代の作品(⇒こちらもどうぞ)。ジャズの影響やらシャープなリズムが私の心を躍らせるのだが、どういうわけかこんなにいい曲なのに録音が多いとは言えない。

 で、今回エッシャンバッハ/NDR北ドイツ放送交響楽団の録音があることを知り購入。
 う~ん、思わずニンマリとしちゃう、良い演奏だ。

 2012年録音。ONDINE。

 
  前日は、実は中華三昧だった
 手帳で確認すると、血清が乳濁した日の前日の夜は中華料理店に行っていた
 3人でシェアしたものの、麻婆豆腐も担担麺も炒飯も食べた。これだけで終わるはずもなく、淡い記憶をたどれば油淋鶏なんかも食べた。どう考えても低カロリー食ではない。このときの記事では控えめに食べたと書いているが、控え方が足りなかったのだろう。

尿酸値 翌朝、つまり検査当日の朝食も野菜は不足していた課もしれないがそこそこの粗食だった。実際、血糖系の値は良かった。
 なのに……なのに……

 ちなみにその2か月前、6月の検査結果は私としては悪くない、いや褒められるべきものだが、これは採血した時刻が午後だったせいかもしれない。
 昼食の影響はもちろんあるはずだが、会議で出た弁当は豪華だと自慢できるような内容ではなかったので大丈夫だったんだろうと推測される。


 ところでずっと正常範囲(7.0以下)内だった尿酸値が異常エリアに入った。
 実はずっと朝夕1錠ずつ飲んでいた尿酸の薬を、安定しているという医師の判断で朝1錠のみに変更した。お褒めの言葉を頂戴してそう切り替えたのが6月末のこと。それが反映したものが8月の血液検査ということになるが、あらあら昔の西友のマークみたい。


 私はお医者様に言葉を選びつつ尋ねた。
 「薬を減らしたせいでしょうか?」
 「いや、この2カ月だけじゃ何とも判断できない」
 ということで、ちょっと心配だが次の検査まで1錠路線を貫く。

 なお、全項目とも午前中の採血だと午後には結果が判明する。しかし、その次の診察まで結果を聞かないのは、私が再度午後に病院に行く時間がとれないことにほかならない。病院のせいではないことをお断りしておく。


 午後の会議で私の横に座り、私から頼むから観てくれと拝まれ、いやいやながら成績表を見た東雲課長は「ニンゲンノアタイデスカ?」と言った。あぁ、優しい言葉が欲しかったのに……。

 翌火曜日。

 朝から雨。
 スーパーとかちも曇天の中を走行。

 おっとまた長くなってしまった。
 失礼しました。
 けど、この話もう少し続く。

潜在的に持っているM心をあなたは抑えられるか?♪ピゴヴァート/夜明けの詩

PigovatReqyuim  やむなく文章減量作戦 
 私の書く記事は長くて読みにくいという声がなくもない。

 よーくわかります、その気持ちとふてくされた態度。
 書いている私が読み直すのも正直、いやんなるくらいだもの。


 そんなあなたに朗報!

 当面、記事がコンパクトに!


 昨日から11月半ばまでの私は、出張や会議が次から次へと執拗に続く。生身で原野に迷い込んだときのウシアブの攻撃のように。

 もっとも日中の会議は関係ない。しかし、出張が続くとなると記事を書く時間のやりくりがなかなかつかなくなる。

 しかもご存知のとおり、私が出張に持ち歩いているネットブックはただでさえ反応が鈍いうえに、ときどき癇癪を起して使用中のプログラムが突然落ちたりするのだ。つまりパニクってしまってすべてを投げ出しちゃうわけだ。
 加えてキーのストロークが深くて打ちにくいし、反応も接触不良かと疑いたくなるくらいで、非常に効率が悪い。つまりかっこいい言葉で言うと、“非効率”なのだ。

 おもしろいもので出張するとその移動時間に音楽を聴けるが、逆に日中はもちろんのこと夜は外に出る機会も多く文を書く時間がとれなくなる(別におもしろくもないか……)。こういうのを二律背反と言うんだと思う。

 早朝に書くということはふだんと同じだが、著しく進まないのである。
 あぁ、サーフェスが欲しい。

 そんなわけで当面はあなたをあまりネチネチと攻めない。
 でも、もしかするときっとそんなあなたは物足りなく感じるかもしれない。「えっ?もう終わり?もっとネチネチいたぶってぇ~」って。


  そのころは豊頃と池田の間あたり
 さりげなく昨日の記事の文末で触れたように、今の私は釧路にいる。
 トレンデーに言えば、“釧路なう”である。

 東の地にいるにもかかわらず、“日の出なう”に至っていない。なうはまだ早すぎるってことだ、やっぱし。
 で、今日はこのあと朝のうちに釧路を出て(スーぞら4号に乗ろうと思っている)、帯広に着く as soon as そのまま外勤に出る。駅に到着後、拉致される予定になっているのだ。

 釧路の街では、あちこちに“946”と書かれた看板なんかがある。

 “キューヨンムー”とわざと読んではいけない。“クシロ”である。
 で、あまり関係ないが予定通りなら、このあと(といっても4時間以上あるが)9:46には私は「まもなく池田に停まります」って車内アナウンスを耳にしていることだろう。

 ピゴヴァート(Bris Pigovat 1953-  ソヴィエト→イスラエル)の「夜明けの詩(Poem of Dawn)」(2010)。


 ピゴヴァートはウクライナ生まれで現在はイスラエルを拠点に活躍している作曲家だという。
 
 「夜明けの詩」は独奏ヴィオラとオーケストラのための音楽。
 バリバリのゲンダイオンガクかというと、全然違う。そういう覚悟で聴くと完璧肩すかし。
 「さぁ、日の出だ。今日も一日がんばるぞ!」というような音楽。うん、前向きだ。

 作曲するに至ったきっかけや経緯はわからないが、難しいこと考えずに楽しみましょうというロマン主義風音楽だ。いや、この曲を聴きながら難しいことを考えようがないか……


 セローヴァのヴィオラ、グエリーニ指揮クロアチア放送交響楽団の演奏による録音を聴くことができる。


 2013年録音。ナクソス。


 関係ないけど、月曜日に来年の手帳を買った。
 例年通り博文館新社の“サジェス”である。

 サツエキの文教堂で買ったが、文具用品のポイントカードを出すと「こちらは書籍扱いです」と言われた。
 そこで書籍用のポイントカードを出したが、考えてみれば去年も同じ間違いを犯した気がする。でも、カード、統一して欲しいなぁ。
 

軽めだがしっかりとした形のブラ♪ワコー、いや、ヤンソンスのブラ1

Brahms1&4Jansons  この方の場合はブラではなくパンツ派のようで
 週刊誌によると高木毅復興相は下着泥棒なんだそうだ。
 新潮も文春も記事にしている。2つ同時なんだから事実なんだろう。
 文春の新聞広告では「『パンツ泥棒』の常習犯!高木毅復興大臣『いきなり家に押し入り二階のタンスを開けて……」と書かれている。

 やれやれ……

 でも、新潮の書くように、これが安倍内閣の踏んだ大型地雷だとしたら、果たしてその結果が大いに気になるところだ。森山裕農水省は過去に暴力団事務所に出入りしていたことがある株成金だっていうし……

  誕生の歓び!
 ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団によるブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)の交響曲第1番ハ短調Op.68(1855-62,'68,'74-76)。

 温かく幸福感のある演奏だ。ブラームスの肖像画のような赤子を怯えさせるような厳しい、ある意味権威的なところがなく、肩にサロンパスを貼る準備は要らない。

 しかし軽い演奏ではない。そこはレヴァインとはまったく異なるところ。良い意味で変なクセがないのだ。
 がっしりした安定感もあり、バイエルン放送響の響きはまったくもって、モロ、(抽象的な表現だが)ドイツ的だ。
 
 この曲はベートーヴェンの交響曲に匹敵するものをと、ブラームスが苦しみぬいて世に出した作品。
 しかしヤンソンスの演奏は産みの苦しみではなく、誕生の歓びを歌いあげているかのようだ。


 ヤンソンスとブラームスって、私にはなんとなく結びつかないイメージもあったのだが、実はブラームスを得意としているらしい。なるほど、この演奏を聴くとそれが納得できる。


 疲れない、そして聴き飽きのこない名演だ。
 ということは、ブラームスと戦うような聴き方をしたい方、ブラームスで緊張し疲れ果てたい人には不向きである。


 2007年ライヴ録音。ライヴだが録音も優秀。BR Klassik。

 
 今日は釧路に出張である。
 

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