新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

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2015/09

ギターの協奏曲と言えば……♪ロドリーゴ/アランフェス協奏曲

RodrigoYamashita  私の推測、間違ってます?
 先日の伊福部昭の「交響的エグログ」の記事のなかで、この曲を書くにあたっての作曲者の「インドに於けるシタール、スペインのギター等のコンチェルトを思う時、日本の筝に対して、何か責務のようなものさえ感じたのでした」という言葉を紹介した。


 私は、このスペインのギターのコンチェルトっていうのは「アランフェス協奏曲」なんじゃないかなと、勝手に思い込んでいる。それもかなり強く。


 スペインの盲目の作曲家ロドリーゴ(Joaquin Rodrigo 1901-99)の「アランフェスの協奏曲(Concierto de Aranjuez)」(1939)。


 ギターを独奏楽器とする協奏曲としては、間違いなくいちばん有名な作品。

 そしてまた、このころの年代に書かれたにしては、とっても毒されていないピュアな音楽だ。
 別な見方をすれば、時代背景に流されない感じ(その点では、伊福部昭も同じだ)。


  民族主義ではなく新古典主義らしい
 ロバート.P.モーガン(長木誠司監訳)の「西洋の音楽と社会11 現代Ⅱ 世界音楽の時代」(音楽之友社)にある「1918-1945年におこった世界各地の流れ」という章。

 モーガンはここで、スペインについて、第一次世界大戦の終わり頃にスペインで最も活動的、あるいは知名度の高かった作曲家として、アルベニス(Isaac Albeniz 1860-1909)やグラナドス(Enrique Granados 1867-1916)、ファリャ(Manuel de Falla 1876-1946)の名を挙げている。


 そしてスペインでは“反ロマン主義や反ドイツ的な態度から、しだいに1920年代の新古典主義的な潮流が勢いをもつようになった”。しかし、“スペインの新古典主義は、18世紀スペインの民俗音楽を部分的にとり入れた点で独特な表現形式があったため、うわべは民族主義にみえることも多い”と指摘。


 ロドリーゴはこれらの作曲家の後に続く世代だが、1936年に起こった内戦紛争のあと、スペイン国家は音楽の発展に力を入れなかったという。

 その結果、音楽国家委員会会長だったホアキン・トゥリーナは努力したものの、“新しい国家が音楽に払ったごくささいな注目は、民族主義的イデオロギーの表現への方向付けを被らざるを得なかった”のであり(ムズカシイ日本語だ)、“これがホアキン・ロドリーゴの時代に錯誤的な様式 ― とりわけ《アランフェス協奏曲》は有名である ― が広められた原因である”としている。


 うん。スペイン内戦中に書かれたこの曲の純粋さは錯誤的だというワケだ。

 ロドリーゴはパリでデュカスに師事しており、フランス的な香りがこの曲に洗練された美として反映されているのが魅力。


 アランフェスはスペインの中央部にある地名。16世紀王朝時代の離宮と庭園がある。この地に秘められた幻想を音楽化しようと試みたという。


  フランスと日本人でこのスペイン音楽を
 「アランフェス」の録音ではイエペスの独奏、アルヘンタ/スペイン国立管弦楽団(1958年録音)のスペイン・メンバーによるものが決定盤とされているが、録音ももう古いし、個人的には正直食傷気味。

 そこでここでは、ロドリーゴが学んだフランスの地の指揮者パイヤールのタクトのもと、山下和仁が独奏を務めた演奏をご紹介。
 オーケストラはもちろんパイヤール室内管弦楽団。


 ギターの音が粒立つ活発なアランフェスで、それをオケが爽やかな響きで支える。

 第2楽章でもっと深い情感が欲しい?
 でも、あんまり暗くならないこれぐらいが妥当ではないかと……

 1981年録音。RCA。

 私の記憶に間違いがなければ、むかしTVの映画劇場のエンディングでこの曲の第2楽章が使われていた。
 子どもなのに、なんでそんな遅くまで起きていたのかわからないが、たぶん怪獣映画とかもたまにはやっていたのかもしれない。


 別な映画放送枠(もちろん定番枠)では、ホルストの「ジュピター」(組曲「惑星」の第4曲)の有名な中間部がエンディングに使われていた。


 〇曜ロードショーとか〇曜洋画劇場とか、あのころは毎日のように映画放送枠があった気がする。
 家庭にビデオが普及する前のことだ。
 荻昌弘とか淀川長治、水野晴郎なんかは、ちょうど良い時代にいたと言えるのではないか?

 

“夜”に鳴ったノックは空耳ではなかった♪GM7(by マゼール)

  これまた、なかなか遅い
 マゼール/フィルハーモニア管弦楽団によるマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第7番ホ短調「夜の歌(Lied der Nacht)」(1904-06/その後もたびたび管弦楽配置を変更)。

 2011年のライヴ録音で、レーベルはsignam。

 遅いテンポ設定の演奏だ。

Mahler07Maazel 遅いことで有名な(けど超名演)クレンペラーの演奏、そして進めや進め的なショルティの演奏の対極的な2つと、加えて標準的というわけではないがなんとなくベルティーニの演奏のタイムとを比べると、次のようになる。

 マゼール盤
 26'22"+16'07"+10'39"+14'30"+20'02"
 クレンペラー盤
 27'43"+22'06"+10'27"+15'41"+24'15"
 ショルティ盤
  21'35"+15'44"+9'14"+14'28"+16'27"
 ベルティーニ盤
 21'34"+15'55"+9'46"+13'31"+18'02"


 あら、ベルティーニの演奏も、こうやってみるとショルティ並みに速めなのね……

 クレンペラーの演奏は、その遅さが際立つ。

 一方、マゼールのは遅いなぁって感じるだけで、クレンペラーのような異次元の世界に迷い込んだ感じはしない。
 そして、クレンペラーの“夜”が闇を思わせるのに対し、マゼールのはもっと色彩的な響きがある。しかし、高密度、高断熱って造りだ。

Mahler7-1bar210 にしても、マゼールってスケベ野郎から、晩年にはこんなに深みのある演奏をするすっごい変態になったんだぁと、いまさらながら亡くなったことを惜しむ私。

  謎のノックの音が……
 ところでこの演奏、第1楽章の9'41"あたりの箇所、スコアでは210~211小節の箇所で第2ヴァイオリンの四分音符に合わせて、何かが鳴る。
 楽譜にはない音だ。

 掲載したスコアは音楽之友社のフィルハーモニア版のものだが、矢印を入れた音符に合わせて、本来楽譜にない(少なくともこの版にはない)コンコンコンとノックのような音がする。

 マゼールが指揮棒を譜面台に叩きつけたのか?

 いや、これは事故ではなく故意に入れたものだ。

 その音は、交響曲第5番の第3楽章で使われている、骸骨の踊りを思わせるホルツクラッパーに似ている。

 どう思い返しても、私が第7交響曲でこのような音を耳にするのは、これが初めてであった。
 
Shintoku  masaさん、遅刻?
 さて、新得のそば祭りの報告である。

 駐車場のことを考え少し早めに行くと、そこでmasaさんの上司に会った。
 10時から祭りが開会するというのに、9時過ぎにはすでにそば待ちの行列が発生していた。そのとき撮ったのが、この写真。
 特に“みなとや”という店のテントの列が長い。

 雨の中、水を差すような言い方で悪いが、みなとやはいつも営業しているそば屋である。
 間違いなく美味しい店だ。
 だが、この日限定で出展している店やそば打ちの人もいる。そういうレアな店ではなくて、通常営業している(定休日以外は)そば屋さんのテントにまず最初に行列ができるのが、私には不思議である。

 masaさんの会社の人たちが各テントに並んでくれて、何店かのそばを(申し訳ないが並ぶ苦労もせずに)食べることができた。

 が、肝心のmasaさんは?というと10時になっても姿がない。

 10時半ぐらいになって、そろそろ排尿タイムだわいとトイレが開放されている役場に向かっていたとき、向かいからやってきたのがmasaさんだった。

 ということで、masaさんが何かをしている姿を見ることはできなかったが、、お世話になりありがとうございました。

“白銀週間”を終えて~感動完結・昼食難民編♪ハイドン/Sym69

20150913Hongkong  謝辞
 予告したとおり、昨日は“新得そば祭り”に行ってきた。


 実はmasaさんは新得の人で、祭り会場で会った。偶然に会ったのではない。前々日に「お祭りに来てネ?」とお誘いメールをくれたのだった。

 そして会場ではろいろと親切にしてもらった。
 この場を借りてmasaさん、というよりはmasaさんのお仲間の方々にお礼申し上げる次第である。

 この件に関しては、あらためて取り上げたいと思っている。


  肥育
 ところで、私はシルバーウィーク中に体重が増えてしまった。
 由々しき事態である。

 木曜日の朝に久しぶりに体重計に乗ったところ、ミシミシといいながら崩壊、ではなく、65.5kgもあった。

 休み中そんなに食べすぎただろうか?
 いや、そんなことはない。いつもよりは食べたけど。

 休み中そんなに動かない生活をしただろうか?
 いや、熱中症になりかねない状況下で汗だくになってガーデニングや車のワックスがけをした。
 私としては十分な運動量を確保した。


 この体重に衝撃を受けたものの、この日の私は、昼には豚丼を食べたい強烈なモードになぜか入っていた。

 車で移動する途中、占冠PAで清水町にある某豚丼店に電話をかけてみた。
 もしかすると木曜日が定休日だったような気がしたので、念のためにであった。

  連休明け休暇
 オジサン風の男の人がすぐに電話に出たが、答えは「今日は定休日」というものだった。
 いわば、念のためが功を奏した結果だ。喜ばしくはないが……
 しかし、「またぜひお願いします」という言い方が実に好印象だった。

 代償行為として、清水インターで高速を降り、市街地に向かう途中にあるレストランに向かった。
 が、“CLOSE”の看板が。
 定休日ではないはずなのに連休明けで気が抜けたのか?


 そこで気持ちを切り替え、芽室町の某焼肉店に向かった。
 が、ここも臨時休業だった。
 連休の疲れを癒すために休んでいるとしか思えない。


 やるせない思いで帯広市内まで走る。
 3軒も入店がかなわないと、人間けっこうやけのやんぱちになるものだ。しかも腹ペコだ。

  高炭水化物食
 結局、伊予製麺に入った。

 この日、昼食にうどんというのは全くの候補外、想定外、圏外だったが、世のなか何が起こるかわからない。
 そかし店のドアを開けたとき、もう私のテンションは「ラララ、ウドンくん!」ってなものだった。


 かけうどんの並盛りを頼む。ここまではいい。自制できていた。
 しかし飢餓状態にあった私はレジに向かうほんの十数歩の道のりの間に油の香りにつられ、気がつくとえび天にかしわ天、おまけにチクワ天を皿に取っていた。ここで気がつかなかったら、イカ天とウインナー天も取っていたかもしれない。

 さらにその隣にあるいなりずしとおにぎりを1個ずつ皿にのせてしまった。

 お会計……910円。
 なんで伊予製麺で900円にも……。
 飢えたときに自由トッピングは実に危険だ。


 また食べすぎた。実際夕食時間になっても空腹感はあまりなかった。そこで、ご飯(つまりお米)は食べないことにした。

HaydnSymsDorati  青のりは美味しいままだったが
 ご飯の代わりに、つまみもかねてS&Bのホンコンやきそばを作った。たぶん北海道限定の商品だ。


 が、ある程度予想はしていたが、ホンコンやきそばは作りたては美味しいものの冷めると相当いただけない食べ物だ。
 水分はすっかり麺に吸収され、可食性輪ゴムみたいになってしまう。
 作りたてでないホンコンやきそばは、とっても美味しくなかった。

 
 ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第69番ハ長調Hob.Ⅰ-69「ラウドン将軍(Laudon)」(1776)。

 題名はオーストリアの陸軍元帥G.E.v.ラウドン男爵に献呈されたことに由来する。
 ラウドン男爵は1756年に起った七年戦争で頭角を表わしたという。

 4楽章構成で、編成は2ob,2fg,2hrn,2trp,timp,弦5部である。
 特に勇壮で華やかな第1楽章が印象に残る。

 私が聴いているCDはドラティ/フィルハーモニア・フンガリカの演奏のもの(1969年録音。ロンドン(デッカ))。

 ところで、自宅で過ごした休み中、薬が足りなくなった。
 いつも飲んでいる血圧と中性脂肪と尿酸の3種類である。

 出かける前に3回確認したのに足りなくなる……。これはいったいどういうことなんだろう?
 私にとってはソートウ謎めいた出来事だが、誰かが隠すわけもなく、数え間違えたとしか考えられない。
 きちんと数を数えられる効き目のある薬も処方してもらわなきゃならんのか?

 あっ、そば祭りの話から始まったのにうどんの話に至ったのはボケてるせいではありません。

“白銀週間”を終えて~その4♪伊福部/エグログ(by 本名)

Ifukube_Eglogue  秋の田園詩の風情
 まずは今日のタイトルの“本名”は“ほんみょう”ではなくて“ホンナ”であることをお断りしておく。
 
 さて、今日でいよいよもってシルバーウィークに終止符を打つという、非常にブルーな気分に陥っている方も少なからずいることだろう。
 私はといえば、金曜日はきちんと出勤した。周囲の期待に応えたちゃんとした仕事をこなしたかどうかは別として。
 
 すでに中途半端に、しかしくどくどとご報告したとおり、連休中は伊逹やむかわや平取、長沼や由仁のあたりを走ったが、このあたりは場所によっては水田が広がる。
 一面が黄金色になった田んぼをみると、これまた初夏とは趣きが異なる田園風景だなぁと思う。

 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「二十絃筝とオーケストラのための『交響的エグログ』(‘Eglogue Symphonique’ pour Koto a vingt cordes et Orchestre)」(1982)。

 エグログというのは“対話形式をとった田園詩”という意味の語。

 作曲者は、「この作品では、二十絃筝と近代管弦楽との対話によって、私達の伝統感性に、より近い音響世界を創ってみたいと考えました。歴史と機能を全く異にする楽器を組み合わせることには、多くの問題がありますが、インドに於けるシタール、スペインのギター等のコンチェルトを思う時、日本の筝に対して、何か責務のようなものさえ感じたのでした」と述べている。

 この曲に関しては、私は井上道義指揮東京交響楽団による1983年の再演時のライヴを聴くことが多い(初演は1982年3月位小林研一郎指揮東京交響楽団によって行なわれた)。
 ライヴゆえの傷はあるが(中間部で盛り上がる箇所でのミス)、初夏の田園風景らしい雰囲気が醸し出されていてとても良い演奏である。
 しかし先日、久しぶりに本名徹次/日本フィルハーモニー交響楽団によるCDを聴いてみた(独奏はいずれも野坂恵子)。

 ライブよりも当然のことながら録音が良いが、それだけじゃなく、あらためて二十絃筝の美しい響きに“うっとりポン!”としてしまった。
 そして、本名のゆったりとしたテンポのとり方は、まるで冬へ向かう前のいまの季節をじっくりと味わっているかのようだし、この曲の持つもの悲しさが切々と伝わってくる。

 井上盤がワクワクと暖かくなるのを心待ちにする新緑の季節の田園詩なら、こちらは雪のない季節が終わってしまうのを惜しみながら黄金の実りに感謝する田園詩である。

 2003年録音。キング。


201509SOUJIKI  お掃除が楽しくなっちゃう!?
 で、今日は新得町で行なわれる“そば祭り”に行って来る(雨降りなのが残念)。
 昨年はこのイベントに行けなかった。悲しいが仕事がぶつかってしまったからである。おかげでその仕事があまり手につかなかったほどだ。


 一方、去る23日には“大正メークイン祭り”があったが、こちらは昨年は行ったものの今年は行けなかった。
 というのも、申し訳ないが自宅近くの店に掃除機を買いに行き、駐車場で無謀な運転をする車を回避していたためである。

 この掃除機、アイリスオーヤマの充電式の製品(IC-S7L-S)で、ハンディタイプにもなる。車の掃除にも重宝しそうだ。

 スイッチを入れたときに、何とも言えないヒュインという電子音とも気合とも雑音ともとれる音が鳴るのが気に入っている。
 電車が発進するときに、変速する上昇音がギュギギュギギーと鳴るが、それを思い起こさせるような音が一瞬鳴る。
 それが、いかにも“動作スタート!”っていう意気込みに感じられるのだ。

 充電式だから大した吸引力がないかと思ったがなかなかの優れもので、何を隠そう価格も、いまウチにある電気掃除機よりも高い。買ったばかりなのに、リチウム電池が経年劣化したらどうしようかと、早くも不安におびえている。


 この商品、Amazonでも見つけたが、レヴューを見るとなかなかの高評価。良い買い物をしてしまったわい。
 ただし、今のところ安い出店者でもイチキュッパの正価。信じられないことにそれより高い出店者もいる。
 私はたまたまセール品となっていたので14,000円ほどで買うことができた。

 ただ、アイリスオーヤマのネットショップを見ると、すでにこの型番の商品はない。廃番になったのだろう。
 ということは、店によっては在庫処分ならぬ希少価値あるプレミアム商品と位置づけている可能性もある。あまり説得力はないけど……

  こすり続けた代償……
 経年劣化といえば、洗濯機の下から水漏れしていることが見つかった。
 こちらのマンションで使っているやつだ。
 私の前に住んでいた人(つまり支社での私の前任者である)がご厚意でそのまま置いていってくれたので文句をつけるなにものもないし、むしろ新たに洗濯機を買わずに済んだので感謝しているくらいだが、それがおもらしするようになったのだ。

 韓国かどこかのメーカーのもので、洗濯終了のチャイムというかブザーの音が著しく貧乏くさい。さぁ、これから干すぞ!っていうボールト的喜びがまったく湧いてこない。なにもしていないときでも、プラグをコンセントに挿すと、グリュウ~ビキビキギュルギュルギィンギィンというような微かな唸り声も聞こえる。ニッポン人のことが嫌いなのかもしれない。

 機械本体のどこかに穴が開いているとしたら買い換えねばならない。が、わかる人はわかってくれるだろうが、いま新しい洗濯機を買うのはタイミング的に極めて微妙である。

 妻はコインランドリーを利用するしかないというが、それは毎回手洗いでこなすというくらい非現実的だ。
 そもそもコインランドリーがどこにあるかわからない。いや、駅前の某ホテルにはあった。が、宿泊者でも洗濯屋ケンちゃんでもない私がフロントの前を正々堂々と横切った上でそれを使う勇気など、これっぽちも湧いてこない。2,3分で済むようなことじゃないわけだし……

201509Bousui 水漏れは思った以上に本格的にひどく、しっかりと水たまりができていた。しかし、幸い洗濯機は防水パンの上に置かれていたので階下への影響は免れた。これが食パンなら悲惨極まりないことになるところだった。

 私は洗濯機を横に倒し(けっこう重い)、見やすいように90度回転させ(狭いスペースで難儀した)、取り組み前の力士のように洗濯機の底面と正対した(ちっとも楽しい眺めではなかった)。

 と、じゃばら状の排水ホースの凸部分で連続して3か所、マッチの先(いまの子どもたちはマッチって知ってるんだろうか?いや、近藤真彦のことは絶対知らないだろうが、手動式火付け剤のマッチのことも知らないかもしれない)ほどの穴が開いていた。

 この穴は留守中に誰かが侵入し悪意を持って開けたものでも、得体の知れない小動物が噛んだわけでもない。摩擦ですり減って開いたのだ。同じ現象に直面した経験がある。

 穴の周辺はヌメヌメしていた。洗濯機があった場所の防水パンもかなりヌルヌルしていた。そのヌルヌルの上にカビも生えていた。マルドロール的にバクテリアとカビの防水パンの上での不思議な出会いが起こり、意気投合して共同生活が始まっていたのだ。

 しかし、ホースの穴なら応急処置ができる。
 私はそれらしいものがないかと、長崎屋というかドンキに行った。

 ビニールテープで何とかしようかと思ったが、恐るべし長崎屋。ちゃんと水漏れ補修用のゴムテープみたいなのが売っているではないか!
 こういうマニアックな商品が、それも文具売り場に並んでいるのだからこの店は侮れない。肝心なものが置いてなかったりするケースも多いのだが……

 まず穴をボンドで塞ぐ。あの黄色いタイプのやつだ。これには水を防ぐパワーはないだろうが気休めだ。

 ボンドが乾くのを待って、買ってきた防水テープを巻く。このテープには粘着ノリがついていない。ただのゴムバンドだ。それをのばして使う。
 このノビがミソで、柔軟性があるのでデコボコしたじゃばらホースにもぴったりと巻きつく。なかなかの優れものだ。
 これを巻いたあと、その上からさらにビニールテープを巻いて処置終了。
 触りたくもないヌルヌルを掃除して洗濯機を元の位置に戻し、作業終了。

 あれから数回洗濯をしているが、いまのところ漏らさずに頑張ってくれているようだ。

“白銀週間”を終えて~その3♪ゴードン/ディストピア

GordonDystopia  どうしようもないくらい「好きです!」
 すでに土曜日を迎えてしまい、暦の上では赤字の日の連続は3日前で終わっているが、私のシルバーウィークにおける数奇ではない日々を引き続き書く。

 読者の方々は話が何曜日まで話が進んだのかわからなくなっているかもしれないが、今日書くのは23日・水曜日のこと。連休最終日の“秋分の日”のことである。

 とはいえ、この日の私は目立った行動をしていない。

 そして、連休最終日となれば気持ちがシルバーからグレーへと光沢を失う。しかも急速に。
 少なくとも息子はそう嘆いていた。

 ゴードン(Michael Gordon 1956-  アメリカ)の「ディストピア(Dystopia)」(2007)。

 ゴードンの作品はつい先ごろ「ベートーヴェンの交響曲第7番の再構築」なるキワモノ作品(でも、一度聴くと忘れ難い、すばらしい着眼点の曲)を紹介したが、「ディストピア」もこれまで私が体験したことのない音の洪水というべき作品。

 好きです!
 とても好きです!
 私、この曲、ものすごく好きになっちゃいました。

 「ディストピア」はロスアンジェルス・フィルの委嘱によって書かれた、大都市・ロスアンジェルスの未来を描いた作品。
 ディストピア(ダイストピア)というのはユートピアとは反対の社会を指し、日本語では地獄郷などと言われる。

 ゴードンは「調和と不調和の間の灰色の領域を探索する」のがテーマと語っているようだが、調和と不調和は、協和音と不協和音とも受け取れる。

  この興奮をあなたにも!
 って、1980年代のアダルトビデオのタイトルみたいな小見出しだが、この曲、歪んだ快楽をもたらす。

 私には灰色どころかすごく色とりどりの混沌世界に感じる。
 凶暴だが、見方を変えると活き活きとしたエネルギーがみなぎっているし、反体制派(不協和)は伝統的なもの(協和)によってコントロールされ、ヘンテコなところは多々あるが秩序は保たれているのだ。
 うん、混沌としているが住み心地は悪くない都市のようだ。

 多国籍料理の満漢全席、飲めや歌えややっちゃえやみたいな酒池肉林の世界。
 おでんとボルシチとシチューとホルジンのごった煮。
 ピロリ菌と胃酸の果てしなき闘い。
 そんなノリだ。

 クラシック名曲メドレー集が小音量でBGMとして流れている部屋に、50人の園児を入れて好き勝手に騒がせている感じでもある。ワイワイガヤガヤ、ドッタンバッタンの背景に、どこかで聴いたことがある音楽が聞こえたような聞こえないような、である。

 そう、どこかで聴いたことがあるようなないようなメロディーが絶えず現われては消える。が、これが凶暴都市の良心であり秩序である。
 その秩序が西洋的であったり東洋的であったり、おやおや南半球からも参加だったりで、これまた変幻自在。 

 また、吉松隆の「カムイチカプ交響曲」第1楽章や石井歓の「シンフォニア・アイヌ」の第1楽章を思い浮かばせるようなフレーズも出てきたりする。

 いやぁ、好きだ!
 はっきりと捉えきれないところがあるが、そこがまた魅力だ。
 だって、聴くたびに新たな魅力発見!なんだから。
 秘密めいた女性に惚れた感じに似ている。秘密めいた女性に惚れたことがないから断言はできないが……

 ロバートソン指揮ロスアンジェルス・フィルによる初演時ライヴ。
 お客さんも「ここはどこ?いまはいつ?私が誰?これで終わったの?」と困惑した、でも興奮の喝采だ。

 2008年ライヴ録音。Cantaloupe

 ところで、このCDジャケットの絵、最初はな~んも考えずに見てたけど、よく見ると高層ビルの谷間から空を見上げた景色なのかなぁと……

  謎めいてない迷惑な女
 さて、そんわけで灰色気分ではないものの、私も連休最終日はやや重い気分で過ごした。

 腹いせにホーマックでハンディ掃除機を買ったが、帰りに空きが目立つ駐車場内でラインや一方通行を無視しわがもの顔で走ってきた軽自動車があった。運転していたのはいかにも自分勝手そうな顔つきの目がつり上がった女だった。

 左横からやってきたこのキツネ号。相手側が一旦停止でこちらの進路が優先だったが、相手のスピードが落ちそうもないため私は自己防衛のため一時停止した。

 危険予知大当たり。

 軽自動車はアスファルトに書かれた“とまれ”の文字の上を無視し、私の車の前を横切った(ニホン語読めないヒトだったあるか?)。
 こっちの方が「ディストピア」よりずっと凶暴で無秩序で非常識でブスだ。
 にしても、いくらすいているとはいえ、駐車場をあんなスピードで走るなよな。

 こうしてシルバーウィークは終わった。

 って、ごめん。実は私、24日・木曜日も休みだったんです……

 そうそう、この期間中に撮った庭のバラの写真を。
 上から、“メニー・ハッピー・リターンズ”、“凛”、“ゴールデン・ウィングス”、“スウィート・ジュリエット”、“コンパッション”である(このカメラ、やっぱり画像がシャキッとしない。レンズの解像度が低いということか?)。

 なお、観に行く前にバナーをクリックすることは、いわば通過儀礼のようなものだとご認識いただきたい。誤認識でもいいけど……
 

20150923MHR

20150921Rin


20150921GoldenW


20150921SweetJ


20150923Compa

“白銀週間”を終えて~その2♪スカルラッティ/昔いちどは燃やした情熱

20150922Aft  もはやあらゆる競争が激化中?
 丸1年もの間、修行のために山奥に潜んでいた三十路女の髪の毛のようになった芝草を刈ったわけだが、そのAFTERの写真がこれである。

 かなりさっぱりしたことがわかるだろう。いや、そう思っている私にぜひとも「ごもっとも、ごもっとも」と同調していただきたい。

 芝というのはしょっちゅう刈っていないと、個体間競争によってボコボコになってくる。常に切り詰めていると個体間の成長度合いの強弱が強制的に押さえつけられて優劣が現れにくいのだが、放っておくと競争に強い株は巨大化し、成長の遅い弱い株は強い株の日陰になりがちで成長が遅くなる。結果、芝は競争に強い株がブッシュ化して均一でなくなるのである。

 このような知識を持っていながら、諸般の事情により芝刈りが頻繁に施されないわが庭は、ややブッシュ化してしまっている。
 むかしはきれいな芝を保たせることに情熱を燃やしたというのに……

 また写真を見て、「刈ったわりにはあまりきれいでない」と感じた人もいるだろう。刈った本人もそう思っているのだから間違いない。
 が、芝刈り機を用いないとどうしてもこうなる。鋏だけできれいにするには理容師数名に業務委託するしかないだろう。
 なお、私の行きつけの床屋の主人は芝刈りよりもアリの巣退治の方が好きだと言っていた。いや、彼はかなりアリ退治に情熱を燃やしている。

ScarlattiAMagnificatSleeve スカルラッティ(Alesandro Scarlatti 1660-1725 イタリア)の無伴奏5声のマドリガル、「昔いちどは燃やした情熱(Arsi un tempo e l'ardore)」。
 まあ、かなり強引ですが……

 アレッサンドリーニ指揮コンチェルト・イタリアーノの演奏で。
 2000年録音。Naive。

  黒光りとシルバーの輝き
 芝刈りのあとは車のワックスがけをした(途中、昼食は10分ですませた)。

 私が初めて買った車はパルサーだった。結婚した時に退職した妻の、決して多いとは全然言えない額の退職金で中古を買ったのだが、濃いブルーメタリックと淡いブルーメタリックのツートンカラーで、そのころは見栄えがすると思ったが、いまそんな色の車が走っていたらダッセーぇと思うだろう。しかもこの車、ボディはヘコヘコでたいした重くないようなのにやったら力がなく、中山峠で都市間バスや大型トレーラーにビュンビュン抜かされた情けないやつだった。

 2台目はレガシィの白のセダン。3台目はドルフィングレーメタリック(簡単に言えばガンメタ系で、中古ゆえに選択肢はなかったものの家族には非常に評判がよろしくなかった)のレガシィワゴン、4台目は先月まで乗っていた白のレガシィワゴン(とても愛着があった)で、今回初めて黒い車に乗ることになった。
 で、それでわかったことは、黒って細かい傷や汚れがたいそう目立つなぁってこと。
 微粒子コンパウンド入りのワックスを丹念にかけたが、うたい文句の“鏡面仕上げ”ってほどまでにはならなかった。このワックス、拭き取り不要って書いてあるが、拭き取らなきゃ閉店後に文字を消したイタ飯屋の黒板のような状態になる。どういうつもりでこんなことを書いているんだろう。正々堂々と拭き取れって書けばいいのに(しかもプラスティックのふたを開けると現われる缶のふたには“拭き取れ”って書いてあるし)。

 自分の車のワックスがけのあと、ご親切にも息子の車にもワックスがけをしてやった。というのも、前の車のときに使っていた、“ホワイト&メタリック車”用のワックスが残っていたからだ。息子の車はシルバーなのである。

 暑い中、汗だくで2台の車のワックスがけを終えた。
 あとで息子に「ピカピカにしておいたぞ」と言ったが、「ふ~ん」という無感動な返事1つで終わった。悲しいがしょうがない。頼まれてもいないんだから。

  まさに“買いだし”の姿
 3時近くになりスーパーにビールを買いに行くことにした。
 その前に、とても喉が渇いていて、水は飲んだが珍しく甘い飲料が飲みたくて、冷蔵庫にあったコアップガラナを飲んだ。ホント、数年ぶりだ。500mlのペットボトルから3分の1ほどグラスに注いで飲んだ。

 美味い!が、甘い。
 もう少し甘みを抑えたアダルト向けガラナを作ってはもらえぬか?なんといってもアマゾン原産の植物であるガラナの実は強壮剤として利用されているようだし。

 北海道で売られているコアップガラナは(株)小原で製造されている。
 あの“超炭酸水”を作っているところである。
 で、ガラナと超炭酸水の共通点は、ペットボトルのラベルをはがすミシン目がないことである。

20150917Bossa2 で、ビールを買いに行こうとしたら妻が米を買って来てというので、エコバッグではなくリュックを持って行くことにした。

 500mlのビール2缶と米(5kg)とミネラルウォーター(2リットル)1本をリュックに入れると臨月の妊婦のおなかのようになった。それを腹にではなく背中にしょっうと、なんだかそれこそ老人の買い物帰りの姿見たいだわいと、心の中でよっこらせよっこらせと唱えながら帰って来た。

 そのあと昼寝。

 あっという間に夕方になった。
 こうして私の“国民の休日”は終わり、残すは“秋分の日”のみとなった。

 そうそう、一時は原因不明の病気(葉の委縮)で枯死も心配された“ボサノヴァだが、ご覧のようにほぼ復活した。
 うれしいったらありゃしない。


“白銀週間”を終えて~その1♪伊福部/銀心中……未遂

20150920Kurobeko  平取で不本意ながら牛を食う
  オプショナル特典を使う妬ましい人たちを除き、昨日でシルバーウィークの終焉を迎えた人は多いだろう。

 それにしても、シルバーウィークという言葉は“敬老週間”あるいは“老人週間”もしくは“養老週間”というイメージがある。言うまでもなく“ゴールデンウィーク”、つまり“黄金週間”に対する言葉なわけだが……

 いまふと気づいたが、黄金バットってすべて英語にするとゴールデンバットだ。気持ちの悪い正義の味方の正体はタバコだったのか……、って面白くないですね。はいはい、すいませんです。

 黄金に対して白銀という言葉はあまり使われない。せいぜい一面の雪景色を白銀の世界というくらいか?
 けど、シロガネだったら温泉地もある。って、だからなんなんだよ!って話ですね。はいはい、よく存じてますよぉ。

 私の連休を振り返ってみる。あらかじめ言っておくが、振り返るが反省はしない。基本的に。

 連休に入り、いったん自宅に戻り、ワンタッチで洞爺湖町へ。
 洞爺湖温泉があるところだが、温泉宿に泊まったわけでも、温泉につかったわけでもない。
 翌日の日曜日はそのまま自宅へ戻る予定を急きょ変更。苫小牧から少しえりも寄りのむかわ町へ行った。

 札幌の何とかサファリパークから逃避ならぬ逃飛したペリカンを探しに行ったわけではない。ちょっとした事情があって行ったのだ(事情や用がないのに行くわけがないか……)

 昼どきだったので、少し足を延ばし平取町の“くろべこ”というレストランに行く。記憶している人はほとんどいないだろうが、夏に平取に来たときはすずらん群生地へ行ったが、骨折り損のくたびれ儲けだった。

 “くろべこ”はびらとり和牛専門店。
 この店のことを私はまったく知らなかったが、とても混んでいた。

 いよいよ私たちの名が呼ばれ席に着く。
 私は黒豚の生姜焼きセットを頼もうと思ったが、他の2人に「はぁっ?」って顔をされたので(当然か……)、牛ステーキ(90g)とボロニアソーセージのセットにする。妻は牛ステーキ(90g)とハンバーグ(90g)のセット。この2つはバラエティーセットのなかのメニューだ。息子は人気No.1という“くろべこスペシャルステーキ”セットにした。
 息子が頼んだ肉は300g。食欲がないと言っていたわりには大胆な注文であり、しかも完食していた。

 言い訳だが、私が最初に豚の生姜焼きにしようとしたのには個人的消化管生化学反応を考慮した理由がある。和牛の肉だと胸やけ&胃もたれ必至なのである。それを思うと心中穏やかではない。だから、牛は食べたいが回避すべきと判断したのだった。

 しかし家族が「ここにきてアホかいな」という反応をするのもよくわかる(でも、黒豚メニューもここには豊富だったんふだけど)。しかも、つい最近、池田でもそのような行動をしてしまっているのだ。

 ところがそれは稀有に終わった。
 お得なセットメニューのステーキはA5やA4といった(言っておくが紙のサイズではない)霜降り肉ではなく、赤身。おかげさまで美味しくいただき、その後のシルバーウィークの間も胃を気にしてしょっちゅう手を当てることもなく過ごせた。

 そのあと自宅へ戻ったが、翌月曜日もわけあってむかわ往復。

 土曜日から敬老の日までで車の走行距離は650km。
 距離はともかくとして、一時期より安くなったとはいえガソリン代が痛い。

Ivanovich  誰だ?ギンシンチューと読んだのは?
 今日の記事にふさわしいのは、もちろんレハール(Franz Lehar 1870-1948 オーストラリア)の有名なワルツ「金と銀(Gold und Silber)」(1899)。
 ウィーンのメッテルニヒ家の令嬢のパウリーネが催した謝肉祭の舞踏会場が、金と銀で装飾されていたことにちなんで書かれた曲。う~ん、豪華ぁ~っ!セレブぅ~ッ!悪趣味ぃ~っ?。
 もちろん、「100歳、100歳」という双子のおばあさんとは関係ない(古~っ!)。

 が、ここでは伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「銀心中」(1956)もあげておこう。

 日活の映画のための音楽で、監督は新藤兼人。

 戦争で夫を亡くした妻が若い男と結ばれるが、なんとそこに夫が帰って来る。
 復員した夫から逃れ、2人は銀(しろがね)温泉で心中を図る、というストーリー。

 原作は田宮虎彦。主演は乙羽信子と長門裕之だそう。

 おやおや、かつてサウンドトラックのLPで聴くことができたが、現時点では聴くすべはなさそう。
 余計なことを紹介してしまんかった。紹介未遂だ。

 じゃあ、やっぱり「金と銀」でがまんして。

 フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団の演奏。

 1960年録音。RCA。

20150922Before  鋏で地味に芝を刈る
 さて、好天となった22日は、まずは伸びきって完璧に“原っぱ”状態になってしまった芝刈り作業。

 増え続けるバラをさらに欲深く増やすために、その場所確保として何年か前に芝生のあちこちをはがした。

 だから手押しの芝刈り機はなかなか使えない状態。いや、そもそもここまで伸びると芝刈り機を押しても進まない。
 25cmほどの長さの芝刈り鋏で地味に刈る。

 刈る前の状態の写真をご覧いただけると同調していただけると思うが、朝露で濡れていることもあり、すっごく前向きにならない作業である。でもこれ以上放置はできない。

 刈りはじめると陽が強く照り始め、おいおい熱中症にならんかいなと心配しながら作業を続けた。
 もう芝生よりも侵入したタンポポやらカタバミやら得体の知れぬイネ科植物やらで、まさに原っぱである。

 約1時間で作業終了。
 あぁ、いっそのこと全部はがしてしまいたい気持ちだ。

 

尿路とか呼吸器とか口腔の健康について♪PMD/リングァ・イグニス

MaxwellDavisNAXOS  やっぱりオカの上は落ちつくぜ
 担担麺を食べてすっかり安心したせいで、ではなく、地上に舞い降りたことで、私の異常な頻尿というか頻尿意は消失した。
 昨日の記事で、続きを書くのを忘れ別な話を書いたのは、超安心しきったせいである。すまない。

 その後は横浜方面に行きいくつかの用事をたして東京へ戻ったのだが、その間、午前中の病的な尿意はたちの悪い冗談だったんじゃないかというくらい、私はフツウの人に戻った。

 夜は丸ビルの“グリル満天星”で食べた。
 東京勤務時代は、オフィスがこのビルにあったので、しばしばここを利用した。プライベートではなく社用で。
 久しぶりに食べたメンチカツは美味しかった。

  10分の違いがもたらす余裕?
 翌朝は第1便で戻ったが、トイレは離陸後1時間に、それも念のために行っただけだった。

 東京に向かう便は1時間45分かかるが、帰りの便は風の影響か機長の気合のせいかわからないが、10分短い1時間35分で着く。その10分というのも精神的にかなり大きな余裕を与えてくれる。
 このときの私も、トイレに行ったあとの残り35分は心穏やかに過ごした。

 飛行機から降りたあと、これまた念のためにトイレに寄り、そのあとバスで市内へ。
 支社に出頭、いや出勤したのは10時。東京から帰って来たというのに、まだ歯医者によって遅刻する程度の時刻である。

 そのあとは関係する者の人をわが社の某施設へ案内。
 お礼に昼はそばをごちそうになる。伊福部昭が幼少期に育った町の役場のそばのそば屋。私は冷たいそばを頼んだが、温かい親子そばにすべきだったとプチ後悔。

P9220219  説得力に欠けるタバコの害について
 夜は取引先の方々との懇親会。
 向かいに座ったその会社の役員さんが私に言う。

 「おっ、MUU~。おまえまだたばこ吸ってんのか?そんな体に悪いもの止めなきゃ。肺気腫になったら2度と治らないっていうぞ。なる直前なら治るけど、いったん肺気腫になってしまったらもうダメだぞ。アハハ!」と、楽しそうにタバコの煙を吐きながら言う。笑顔で抜けた歯の間から煙が出てくるさまは、なんともお茶目である。
 自分の身体よりも私の身体を心配してくれるとは、なんて優しい人だろう。

 こうしてこの日は終わったが、翌日私は9時から歯医者だった。
 今回は「楽にしてください」というインターバルがほとんどなく、連続ドリル攻撃。

 前夜の酒のせいもあったが、バキュームのパイプで舌を押さえつけられたために何度かオエッとなった。
 医者はかわいい顔をしながらも、厳しく「鼻で深呼吸してください」と何度も私に言ったが、鼻も詰まり気味だったので窒息死するかと思った。にしても、「舌の力抜いて下さい」って言われても、入れたつもりはなくて、舌をどうしたらよいものかオエッとしながらも悩んだ。下の力はいつも抜けっぱなしなんだが……

 涙なみだの歯科医院での攻撃を終え、出社したのは10時だった。

  舌関連で
 デイヴィス(Peter Maxwell Davies 1934-  イギリス)の「独奏チェロとアンサンブルのための『リングァ・イグニス(Linguae Ignis)』」(2002)。タイトルは「炎の舌」。

 この作品について私はなんの知識も持ち合わせていないが、打楽器の響きがなかなか良い。

 V.チェカンティのチェロ、M.チェカンティ指揮コンテンポアルト・アンサンブルの演奏。

 2004年録音。ナクソス(原盤:Collins)。

  一歩先ゆくTKD!
 ところで、TKDさんこと自称masaさんが、このところしばしばメッセージを寄せてくれる。コメントではなくメッセージなので返事はしていないが、masaさん、ちゃんと読んでます。それからweb拍手に寄せられたmasaさんをはじめとする方々の一言メッセージもちゃんと読んでいる。

 そのmasaさんだが、常に時代を一歩リードしているようで、前立腺の薬をすでに飲んでいるそうだ。

 なーんだ。けっこう普遍的なんじゃないの、シモの悩みって。
 ということで、変な場面でmasaさんに勇気づけられたのであった。

 masaさんはブログを書いているようなことを言っていた気がしないでもないが、もし書いているならURLを教えて欲しいと、ちょっとばかり思っている。

 

“強”から“超”。あなたは違いがわかる?♪リスト/マゼッパ

ChoTAnsan  製造所固有記号も同じSO
 サツドラ(サッポロドラッグストアー)のPB商品で、ハイボールには超ぴったりの“強炭酸水”が終売となった。

 しかし心配しなさるな。“強炭酸水”は“超炭酸水”としてさらなる進化を成し遂げたのである。
 なんてたって“SATSUDORA SUPER SPARKLING WATER”なのである。

 ここに書いているように、最初は(株)小原のNB商品“北海道の強炭酸水”として売られていた。
 それが、サツドラのPB商品となったのだが、ラベルの後ろ側には「この商品は株式会社サッポロドラッグストアーと株式会社 小原の共同開発商品です」と書かれていた。

 その“サツドラの強炭酸水”はこのたび“超炭酸水”となったのである。
 小原との共同開発商品であることはきちんと明記されているが、前よりもさらに文字が小さくなっている。まっ、いいんだけど。

 なお、株式会社 小原はコアップガラナを作っていることで、北海道ではけっこう有名な会社である。ガラナを作っているのだから、炭酸には精通しているのだ。きっと。

 で、強炭酸水から超炭酸水になったことでどのように変わったのか?

 強炭酸のすばらしいパンチを超えた、口中が痛いぐらいの泡の力!、と言いたいところだが、いつものようにハイボールを作ったところ、私には違いがわからなかった。
 気のせいだとは思うが、“超”の方が“強”のときよりも弱くなったようにも感じる。
 そのようなことを考え合わせると、きっと前と炭酸の強さは同じなのだろうと、妥当な判断で自分を納得させたが、実際のところはどうなんだろう?

 強炭酸水の中にメダカを入れても平気だが、超炭酸水だと酸欠で死ぬとか、そういう実験をしたら違いがわかるのかもしれないが、死んだら気持ち悪いし、だいいち残酷だし、そもそもなんで私がそこまでしなきゃならないのかという疑問が残る。

 果たして実際のところ、炭酸の強さは“強”と“超”で違うのだろうか?と、ハイボールを飲みながら考え続け、やがて酔っ払ってどうでもよくなる夜が続いている。

Liszt Masur  こちらもどう変わってきたのかよくわからないけど……
 リスト(Liszt,Franz 1811-86 ハンガリー)の交響詩「マゼッパ(Mazeppa)」S.100(1851/'54以前に改訂)。
 交響詩の通し番号では第6番にあたる(あまり知られていないが、リストは13曲もの交響詩を残している)。

 リストは1851年にピアノのための12曲からなる「超絶技巧練習曲集(Etudes d'execution transcendante)」S.139を作曲したが、その第4曲が「マゼッパ」。

 「マゼッパ」はユゴーの詩「マゼッパ」によるが、その内容はコサックの首領マゼッパが、ウクライナの解放のために戦う物語。
 リストの「超絶技巧練習曲集」のなかの「マゼッパ」は、1840年に書いた「マゼッパ」の改作だという(さらにいうと、これは「24の大練習曲(24 Grandes etudes)」(1837)の第4番の改作だという。つまり「マゼッパ」は、24の大練習曲の第4曲→単独曲のマゼッパ→超絶技巧練習曲集の第4曲という変遷をたどっている)。

 その「超絶技巧練習曲集」の「マゼッパ」を、またまた改作。
 今度はピアノ独奏曲ではなく、交響詩としてオーケストラ作品に仕立てたのであった。
 ということで、話がチョーしちめんどくさくてすまないが、そういうわけだ。

 こんだけいじくりまわしているということは、リストはこの曲を気に入っていたんだろうけど、少なくとも交響詩としての人気はイマイチである。

 マズア/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏を。
 リストの管弦楽作品集(ピアノと管弦楽のための作品を含む)のなかの1枚。

 録音は1977~1980年の間(楽曲ごとの録音データの記載なし)。EMI。

 にしても、「超絶」という曲名はピアノを習う人にとってはひっどくプレッシャーを感じるものだろう。
 私としては、「超絶技巧」だけでなく「悶絶技巧」とかなんかも書いて欲しかったが……

2度あることは3度ある@エア度ぅ♪ラフマニノフ/p協2(by モンテーロ)

RachmaninovPcon2Montero 前回のあらすじ

 飛行機に乗った私は、聞き分けの良い幼児のように乗る前にトイレに行き、そのおかげで快適なフライトかと思いきや念のために行って出したことが刺激となって、なんともチンチンムラムラチンムララの状況になり、矢のような視線の中、憔悴しながら2度目の小水排出を決行した。そのあとは、やれやれと読書することにした。

  有名作家だって失することが……
 このとき読んでいたのは浅田次郎の「勇気凛凛ルリの色」(講談社文庫)。


 氏が自衛隊に勤めていたときのこと。
 国賓待遇のある国の大統領の儀仗隊のメンバーに選ばれたときの「NGについて」で、私は珍しくも笑いをこらえて涙をためた。
 思わずグフフとマンガのセリフ的な笑い声を出してしまいそうになったほどだが、ペリカンでもないのにうち頬ないでとどめた。この苦しみは、いわば愉悦のなかの苦しみであった。


 ところが「奇習について」という章を読んでいたときである。
 年末に部屋に閉じこもって執筆しているときの話だが、そこには、


 ちなみに、同業の中には机の下にシビンを置いているツワモノもいるそうだが、私はそこまでハードボイルドではないので、トイレだけには行く。ただし、もうダメというところまで我慢するから、折り悪しくクライマックスシーンにさしかかっていたりすると、本当にダメになるころもある。


と書かれていた。

 そのときである。
 あれから、つまり第2次化粧直しから20分しか経っていないのに、またしたくなったのである。お小水を。


 涙をためているのと同時に、尿もたまってしまったのか?
 それともシビンの話を読んだから刺激を受けてしまったのか?
 感心している場合じゃないが、驚くべきわが腎臓の作業量だ 


  迷惑だった経験が、私に勇気を……
 着陸まであと20分。機内はもはやすっかり落ち着き、キャビンアテンダントの動きもない。ベルト着用サインが間もなく点灯するだろう。
 あとたった20分。今回のフライトもクライマックスってところだ。
 トイレに行かなくても間違いなく大丈夫だろう。が、不安でもある。急に尿意が強くなり我慢ができないほどになる恐れがあるからだ。

 実際、そういう経験が数度ある。過活動膀胱というらしいが(でも自分がそうだとは思っていない)、あのときのトイレに駆け込んだ焦りと恐怖を思いだす。思いだすと、ますます股間がうずく。

 行かないのは賭けだ。行くか行かないか、あなたに私の葛藤がわかるだろうか?


 そのとき10年ほど前のことを思い出した。千歳から福岡に飛んだとき、私は通路側席だったが(トイレに行きやすいよう、私は通路側席でなきゃ飛行機には乗らない。通路側席がとれないときは1便遅らせることもあるくらいだ)、窓側のおっさん(といっても私よりは若そうだった)がとにかく落ち着かないやつで、トイレにも何度も行った。10回は行った。

 そのたびに私はいやな顔ひとつせずに席を立って出入りさせたわけだが、第6回目の彼の個室籠城のとき、客室乗務員が私のところにやってきて、「申し訳ございません。あのお客様はお身体の具合が悪いわけではないようなんですが、ちょっとお立ちになられる回数が多くてご迷惑をおかけします」と私の耳元でささやいた。

 お立ちになられる回数が多いというのは、たぶん勃起しやすいという意味ではなく、見てのとおり席にじっと座っていないということだろうが、わかるようなわからないような説明だ。
 が、少なくともいきなり私に襲いかかるような調子の悪さじゃないってことを伝えたかったのだろう。


 あのときのことを考えれば、千歳→福岡と帯広→羽田では飛行時間は違うものの、私が3回行ったとしても、立ちやすい体質なんだ、落ち着かないやつと思われるだけで済むかもしれない(それでも十分イヤだが)。
 だいいち私は通路側に座っていて、誰にも迷惑はかけてはいないのだ。

 10年前のおっさんに勇気をもらいトイレに立った。“二度あることは三度ある”ということわざが脳内でエコーした。

 一応は両手の手のひらを見ながら、なんとなく手を洗いに行きたいのだという演技をしたが、私は小学校のとき、学芸会の劇には端役でさえ回避してきたほど演技ができないタチだ。

 今度はあまりでなかった。尿検査なら量が足りませんと看護師にいやみの1つも言われそうなほどだ。まさに精神的なものだ。


  小出しは石をはぐくむ?
 前に結石で入院したときに医者に言われたが、こういう排尿の仕方は石ができやすいらしい。
 そこそこ我慢してたまったものを勢いよく出すのがいいと言う。
 流れが強くないと、石の元になるものが残り、それが外に出ないまま成長しやすいのだそうだ。


 が、乗り物、とくにどうなろうと席を立つことができなくなる飛行機の中となれば、できるうちにしなくてはならない。でも、3回は異常だ。私にとっても初体験だった。


 飛行機は定刻よりも5分早く到着した。

 私よりあとのJAL便組の4名の到着を待ち、空港内の“赤坂離宮”に行き、担担麺を食べた。


  巧い!凄い!浅い!
 モンテーロの独奏によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943 ロシア)のピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18(1900-01)。


 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は彼のコンチェルトの中でももっともよく知られているものであり、またピアノ協奏曲というジャンルの中でもきわめて高い人気を誇っている。


 交響曲第1番の失敗によってノイローゼになってしまったラフマニノフが、精神科医N.V.ダールの治療によって回復して書いたのがこの曲である。


 モンテーロはアルゲリッチも称賛するピアニストだというが、私にとってはこのアルバムが初モンテーロ。
 たしかにアルゲリッチばりの力強いタッチが「おっ!」と思わせる。テクニックももちろんすごい。……が、このラフマニノフ。私にはどこかピンとこない。

 すごいのだが、ラフマニノフ独特のねちっこさというか女々しさが吹っ飛んでしまっている。わかるようなわからないような言い方をするなら、ロシア情緒に欠けるのだ。
 「ナヨナヨしてんじゃねぇよ!」というタイプの人には、好感が持てるアプローチかもしれない。

 このあたりはこれから先、彼女に備わっていく過程なのかもしれない。偉そうに言って悪いけど……
 あるいは、ここで共演している指揮者やオーケストラの影響もあるのだろう。
 ピアニストとしては大物の予感がビシバシ伝わってくる。

 指揮はプリエート。オーケストラはユース・オーケストラ・オブ・ジ・アメリカ。このオーケストラのことは知らなかったが、アメリカの若手が集まったオーケストラのようである(←そのまんまじゃん)。


 2013年ライヴ録音。Orchid Classics。


 ピンと来なかったと言えば、赤坂離宮の担担麺もそうだった。
 これはこれで美味しいのだが、私が抱き固定化している担担麺とは違う。

 細麺であるのはまあいいとしても(私は細すぎる麺は好みではない。だから素麺も好きではない)、ごまの風味が希薄なのだ。担担麺=ごま辛子スープそばと思っている私には(そして、それは間違いないだろう)、ここの担担麺は芝麻醤(チーマージャン=練りゴマ)の味が希薄すぎる。
 酸辣湯麺(スーラータンメン)寄りの味って感じだった。


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