私の推測、間違ってます?
先日の伊福部昭の「交響的エグログ」の記事のなかで、この曲を書くにあたっての作曲者の「インドに於けるシタール、スペインのギター等のコンチェルトを思う時、日本の筝に対して、何か責務のようなものさえ感じたのでした」という言葉を紹介した。
私は、このスペインのギターのコンチェルトっていうのは「アランフェス協奏曲」なんじゃないかなと、勝手に思い込んでいる。それもかなり強く。
スペインの盲目の作曲家ロドリーゴ(Joaquin Rodrigo 1901-99)の「アランフェスの協奏曲(Concierto de Aranjuez)」(1939)。
ギターを独奏楽器とする協奏曲としては、間違いなくいちばん有名な作品。
そしてまた、このころの年代に書かれたにしては、とっても毒されていないピュアな音楽だ。
別な見方をすれば、時代背景に流されない感じ(その点では、伊福部昭も同じだ)。
民族主義ではなく新古典主義らしい
ロバート.P.モーガン(長木誠司監訳)の「西洋の音楽と社会11 現代Ⅱ 世界音楽の時代」(音楽之友社)にある「1918-1945年におこった世界各地の流れ」という章。
モーガンはここで、スペインについて、第一次世界大戦の終わり頃にスペインで最も活動的、あるいは知名度の高かった作曲家として、アルベニス(Isaac Albeniz 1860-1909)やグラナドス(Enrique Granados 1867-1916)、ファリャ(Manuel de Falla 1876-1946)の名を挙げている。
そしてスペインでは“反ロマン主義や反ドイツ的な態度から、しだいに1920年代の新古典主義的な潮流が勢いをもつようになった”。しかし、“スペインの新古典主義は、18世紀スペインの民俗音楽を部分的にとり入れた点で独特な表現形式があったため、うわべは民族主義にみえることも多い”と指摘。
ロドリーゴはこれらの作曲家の後に続く世代だが、1936年に起こった内戦紛争のあと、スペイン国家は音楽の発展に力を入れなかったという。
その結果、音楽国家委員会会長だったホアキン・トゥリーナは努力したものの、“新しい国家が音楽に払ったごくささいな注目は、民族主義的イデオロギーの表現への方向付けを被らざるを得なかった”のであり(ムズカシイ日本語だ)、“これがホアキン・ロドリーゴの時代に錯誤的な様式 ― とりわけ《アランフェス協奏曲》は有名である ― が広められた原因である”としている。
うん。スペイン内戦中に書かれたこの曲の純粋さは錯誤的だというワケだ。
ロドリーゴはパリでデュカスに師事しており、フランス的な香りがこの曲に洗練された美として反映されているのが魅力。
アランフェスはスペインの中央部にある地名。16世紀王朝時代の離宮と庭園がある。この地に秘められた幻想を音楽化しようと試みたという。
フランスと日本人でこのスペイン音楽を
「アランフェス」の録音ではイエペスの独奏、アルヘンタ/スペイン国立管弦楽団(1958年録音)のスペイン・メンバーによるものが決定盤とされているが、録音ももう古いし、個人的には正直食傷気味。
そこでここでは、ロドリーゴが学んだフランスの地の指揮者パイヤールのタクトのもと、山下和仁が独奏を務めた演奏をご紹介。
オーケストラはもちろんパイヤール室内管弦楽団。
ギターの音が粒立つ活発なアランフェスで、それをオケが爽やかな響きで支える。
第2楽章でもっと深い情感が欲しい?
でも、あんまり暗くならないこれぐらいが妥当ではないかと……
1981年録音。RCA。
私の記憶に間違いがなければ、むかしTVの映画劇場のエンディングでこの曲の第2楽章が使われていた。
子どもなのに、なんでそんな遅くまで起きていたのかわからないが、たぶん怪獣映画とかもたまにはやっていたのかもしれない。
別な映画放送枠(もちろん定番枠)では、ホルストの「ジュピター」(組曲「惑星」の第4曲)の有名な中間部がエンディングに使われていた。
〇曜ロードショーとか〇曜洋画劇場とか、あのころは毎日のように映画放送枠があった気がする。
家庭にビデオが普及する前のことだ。
荻昌弘とか淀川長治、水野晴郎なんかは、ちょうど良い時代にいたと言えるのではないか?