亡霊と幽霊の違いは
昨日の記事で、亡霊について触れたが、幽霊と亡霊ってどう違うのかしらん?
三省堂の“霊界”、じゃなかった、“例解 新国語辞典”によると、
【亡霊】 ①死んだ人のたましい ②幽霊のこと
【幽霊】 ①死んだ人が、この世にあらわれたもの。〔類〕亡霊。お化け。
ということだが、亡霊の項で「幽霊のこと」と書いておきながら、幽霊の項では類似語として亡霊と書かれているところがちょっとプンプン。
和英辞典(小学館プログレッシヴ和英辞典)で調べると、死者の霊魂の意味としては the spirit of a deceased person とか a departed soul とあるが、幽霊という意味では a ghost とか an apparition となっている。
で、幽霊はというと ghost。
結論。
亡霊と幽霊は等しい。
でも人形だし……
ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)のバレエ「ペトルーシュカ(Petrouchka)」(1910-11/改訂'46)。
ストラヴィンスキーがディアギレフのロシア・バレエ団から委嘱を受けて作曲した「火の鳥」に続く第2弾。
4場からなる。
ここで紹介しているように、男女関係(でも人形)のもつれからムーア人に斬り殺されるペトルーシュカ。そのペトルーシュカの亡霊が芝居小屋の上に現れ、このバレエは終わる。
1911年版と1947年版があり、前者は4管編成で後者は3管編成。
1911年版は47年版に比べ野暮ったく荒々しい面があるが、47年版では希薄になっているストラヴィンスキーのバーバリズムが強く現われている。
今日はインバル指揮フィルハーモニア管弦楽団による1911年版を。
この演奏、すっごく良い演奏なのに、なぜずっとたいして話題にならないまま葬られているのか、まったくもって不思議。録音も非常に良い。
1990年録音。テルデック。
インバルって、このころがいちばん良かったように思う。ちょっとやんちゃで、なんつーか挑戦的で。
最近のマーラーの演奏なんてすっごく立派で完成された感じがするけど、どうも血が沸騰しない(その傾向はすでにマーラーの旧盤でもそうだったけど)。
1980年ころにFMで放送されたマーラーのライヴ録音を耳にしたときには、将来すっごい指揮者になりそうな人が現れたと思った。
で、実際すっごい指揮者になったんだけど、今の彼はアタシをあんまりときめかせてくれなくなった。
2015/07
話題の人らしき女性を登場させる時事的テク?
スパムメール作成者も、そのときそのときの話題の人の名を利用して関心をひくよう、それなりに工夫はしているようだ。
今回は、こんなのが2通来た。
週刊誌にすっぱ抜かれた人の名のようだ。
【第1弾】
-★新着メッセージ★-
〇川ゆ〇子様からメールが届いています。
┏★《タイトル》━━
私の肉体を一度見ていただきたいです。
続きは下記URLよりご確認下さい☆
【第2弾】
-★新着メッセージ★-
〇川ゆ〇子様からメールが届いています。
┏★《タイトル》━━
孤独の私は待っています。
続きは下記URLよりご確認下さい☆
孤独なのかな?
1人でいろいろと想いをめぐらせているのかな?
“孤独の私は”よりも“孤独な私”の方がいいような気がするな。
空想にふけったり、神秘的だったり、さまよったり
クープラン(Francois Couperin 1668-1733 フランス)の「第25組曲(Ordre No.25)」。
「クラヴサン曲集第4巻(Pieces de clavecin quatrieme livre)」(1730刊)に収められている。
「第25組曲」は次の5曲からなる。
1. 空想にふける女(La visionnaire)
2. 神秘的な女(La misterieuse)
3. モンフランベール夫人(La Monflambert)
4. 勝利したミューズ(La Muse victorieuse)
5. さまよう亡霊たち(Les ombres errantes)
で、問題の「空想にふける女」だが(何が問題だかわからないが)、この曲の楽想、ヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759 ドイツ→イギリス)のオルガン協奏曲ヘ長調Op.4-4,HWV.292(1735-36頃)の第1楽章に出てくるものに似ている。
偶然だろうけど。
ちなみに、このオルガン協奏曲Op.4-4、私にはヘンデルの作品の中で、たぶんいちばん好きな曲である。
クープランはボーモンの演奏で。
1991年録音。ワーナー。
なお、モンフランベール夫人というのは、……私は知らない。
しかし、夏真っ盛りであるからにして、亡霊には気をつけましょう。
写真のバラ?
“オールド・ブラッシュ”といいます。
チャイナ・ローズの一種です。
唐突でしたでしょうか?
でも、このCDの写真も見飽きたことでもあるでしょうし……
先々週の土曜日の朝のことだが、AIR-G(FM北海道)を聴きながら車を運転していると、パーソナリティーがこんなことを言っていた。
ドヴォルザークは大の鉄道マニアでした。交響曲第9番「新世界」の第1楽章には、列車のリズムのようなのが出てきます。ちょっと聴いていただきましょう。
そういって流された楽曲は、スコアを載せた部分(掲載スコアは全音楽譜出版社のもの)。
今まであまり意識していなかったが、アンダーラインをひいた箇所は確かに列車の走行音に似ている。ガッタン・ゴトン、ガッタン・ゴトン……
ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 チェコ)の鉄道好きは有名な話だ。
たとえば、ハロルド.C.ショーンバーグは「大作曲家の生涯(中)」(共同通信社)のなかでこう書いている。
音楽以外に彼がただ一つ熱中したのは、汽車だった。蒸気機関車は人間精神の最高の所産の一つと彼は考え、自分がこれを発明したかった、としばしば漏らした。彼はプラハのフランツ=ヨゼフ駅に日参し、列車時間表を全部暗記し、機関士と友達になれた時が最高に幸福だった。彼は弟子たちを駅に行かせては、どの機関車がどの列車を引っ張っていたかを調べ、弟子が旅行から帰ると、どんな種類の列車に乗ったか、機関車の名称と形式番号はどうだったか、を知りたがった(フロイト派学者は、蒸気機関車とピストンの象徴的意味について、ある意見を述べている)。
ピストンの象徴的意味はともかくとして、なんとも微笑ましいといえば微笑ましい。が、弟子たちにとってはけっこういい迷惑だったろう。よく覚えていなかったりしたら、ドヴォ先生は激高したりもしたそうだし。
ちなみにドヴォルザーク先生。
先日私が乗った列車のディーゼル機関車の形式と車両番号はDE101660で、客車はオハ510-1でした。
さて、このパーソナリティだが、このあと災難に遭うことになる。
しばらく経ってから、番組内で謝罪したのだ。
そんなに目くじらを立てることじゃ……
さきほど交響曲第9番「新世界」と申し上げましたが、正しくは「新世界より」でした。お詫びして訂正します。
ちっちぇー問題じゃん。
きっとご指摘のお電話をかけてよこしたリスナーがいたのだろう。
交響曲第9番ホ短調Op.95,B.178「新世界より(From the New World)」(1893)は、ドヴォルザークがニューヨークのナショナル音楽院に院長として招かれたときに作曲したもの。つまりアメリカから祖国チェコへの音の便り。
だから「新世界より」とか「新世界から」が正しい名称。
でもね、あのときの話の流れからして、パーソナリティーが「新世界」と体言止めしたって、怒ることないと思うんだけど。
「新世界」(←文句あっか?)のCDでは、エリシュカ/札響の演奏をお薦めしたい。
ブラームスと走行音の意外な効果
ところで、私が現在入居しているマンションは線路のすぐ横に建っている。
私は鉄道が好きだからそれほど気にならないが、そうじゃない人にとって、この暑い時期はその音が鬱陶しいかもしれない。
先日部屋でブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)の交響曲第4番ホ短調Op.98(1884-85)を聴いていたときに、開けた窓から ― つまりこの住居に文明の利器・エアコンはない ― 列車の走る音が聞こえてきた。
そのとき音楽は第2楽章。
線路の音とこの哀愁を帯びた第2楽章が混じり合って、得も言われぬ郷愁を感じた。
偶然ながら起こった競演、悪くなかった。
レヴァイン/シカゴ響の、あんまりしんみりしていない演奏だから「悪くなかった」わけで、これがわびさびの効いた演奏だったら、過郷愁で悲しい気分になったかもしれない。
レヴァインの健康的なブラヨンは1976年録音。ソニークラシカル(RCA)
イモムシパンとホルンの関係は?
子どものころ、チョココロネ(コルネ)というパンを見るたびに、モスラの幼虫みたいだなぁと思ったものだ。
で、大人になったいま、ベーカリーでコロネを見かけるたびに、やっぱりモスラの幼虫に似てるなぁと思う。
ところでスコアを眺めていると、Cornoっていう楽器名が書かれていることがある。イタリア語でホルンのことだ。
ここに掲げたスコアはショスタコーヴィチの「祝典序曲」の冒頭部分(全音楽譜出版社)。“4 Corni”と書かれている。
で、チョココロネやクリームコロネのコロネの語源は、ホルンや角笛を意味するのCornoが語源なんだそうだ。
イモムシパンとホルンが同じだなんて、世の中不思議なもんですね。
そうそう、コルネットも同じ語源である。
モスラと高校球児の関係は?
東宝の特撮映画「モスラ」が公開されたのは1961年。
このときに音楽を担当したのは古関裕而(Koseki,Yuji 1909-89 福島)。
古関が作曲した作品のなかでもとりわけポピュラーなのは全国高校野球の大会歌である「栄冠は君に輝く」だろう。
伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)がモスラ物で曲を書くのは「モスラ対ゴジラ」(1964)から。
つまり「♪モスラ~ヤ、モスラー」の「モスラの歌」は、映画「モスラ」の際に生まれた古関の作によるのである。
「伊福部昭百年紀 Vol.3」のなかの「モスラ対ゴジラ(Mothra vs. Godzilla)」組曲。
以下の8曲からなる(No.は映画(サウンドトラック)のミュージック・ナンバー)。
No.1 「メインタイトル」
No.4 「巨卵漂着」
No.5 「小美人のテーマ」
No.6 「小美人の回想」
P.S. No.3 「聖なる泉」
No.25 「幼虫モスラ対ゴジラ」
No.18 「モスラの旅立ち」
No.1,2,7 「マハラ・モスラ」
販売元は、“聖なる泉はもちろん、マハラモスラの大合唱を味わえる”とアピールしており、それはもちろんウソではない。
しかし、「キングコング対ゴジラ」で私が褒めた声楽陣は、この曲では(特に女声が)ちょっとねぇ、、、というところがある。
しかしそのようなウィークポイントがあるものの、この「モスラ対ゴジラ」、すばらしい伊福部ワールドを堪能することができる。
齊藤一郎指揮オーケストラ・トリプティーク、伊福部昭百年紀合唱団。
2014年ライヴ録音。スリーシェルズ。
林繭とモスラの繭の関係は?
モスラは東京タワーに寄りかかるように繭を作った。
モノレールの車窓から東京タワーを眺めながらそのことを思い出した。
このCDの演奏者メンバーのなかに、ピアノで林繭って名前がある。
本名?
どうも狙ってるっぽく感じちゃうんだけど……
そういえば、ウルトラQで「カネゴンの繭」ってのもあったなぁ。
このCDには他にもいくつか“組曲”が収録されているが、「百年紀Vol.1」にも収められていた「ゴジラ」組曲が改訂版の形で再び演奏されている。
組曲を構成するのは以下の11曲(Mはミュージックのこと)。
M-1 「メインタイトル」
M-6 「大戸島の神楽」
M-9 「大戸島のテーマ」
M-7 「嵐の大戸島」
M-11 「フリゲートマーチ」
M-C 「ゴジラ東京湾へ」
M-A 「ゴジラの猛威」
M-B 「決死の放送」
M-16 「ゴジラ迎撃せよ」
M-19 「帝都の惨状」
- 「平和への祈り」
M-23 「エンディング」
この改訂版は、最初の版に「平和への祈り」を加えたものである。
「平和への祈り」……このところの日本にふさわしい音楽に思える。
さて、今日は札幌でお仕事だ。
にしても、昨日の東京も暑かった。干物になるところだった。
昨日の記事でシューベルト(Franz Schubert 1797-1828 オーストリア)の名を出したので、今日はシューベルトにしよう。
ハロルド.C.ショーンバーグの「大作曲家の生涯(上)」(共同通信社)にはこう書かれている。
彼の生活は全く不規則だった。二日酔いでない限り、朝九時から午後二時まで作曲に従事した。それから町へ出る。夕食やパーティーの約束がない日は、カフェーに居続けた。お気に入りのカフェーは「アンカー(錨)」と「ボグナー」。そのどちらかで真夜中まで、仲間と連れ立ってタバコを吸い、コーヒーやワインを飲み、新聞を読んだ。概して彼は無口だった。女性との付き合いもあったが、すべてを自分の胸に秘め、友人でさえ相手の婦人の名を知ることがなかった。
いかんですねぇ~。こういう生活は。
私は二日酔いであっても朝から夕方まで仕事に従事してますよ。
それからときどき町に出て、そのときどきのうちときおり居酒屋に居続けて、でも真夜中までは飲まず、そこで新聞を読むこともない。
そしてまた、シューベルトの友人の1人であるケンナーの言葉も紹介されている。
シューベルトを知る者は誰でも、彼が全く相い容れぬ二重の性格の持ち主であることを知っている。快楽の欲求が、彼の魂をどれほど強く、道徳的退廃のぬかるみの中を引き回していたことか
道徳的退廃のぬかるみ……
どこかで使えそうな言葉だ。
三十路男の切ない恋心
そのシューベルトの「幻想曲(Fantasie)」ヘ短調Op.103,D.940(1828)。
ピアノ連弾曲で、切れ目のない4楽章構成をとる。
シューベルトは多くのピアノ連弾曲を作曲したが(その中には非常に有名な「軍隊行進曲」もある)、その背景にはピアノが一般に普及しはじめ、上流階級の子女を始めとしてアマチュアでもピアノを弾く人が増えたため、そのニーズに応えたためだという。その人たちが弾くには、比較的易しい連弾曲が適していたのである。
そしてまた、シューベルトは2台のピアノのための作品は1曲も残していない。
「幻想曲ヘ短調」はシューベルトの死の年の作品。
エステルハージ伯爵夫人カロリーネに献呈されているが、シューベルトは音楽教師としてピアノを教えていたこの家のマリーとカロリーネの姉妹のうち、当時18歳だった妹のカロリーネに強い恋心を抱いたのだった。
この曲がもつはかない美しさは、かなわぬ恋の気持ちの反映に聴こえる。
ショーンバーグが同書のなかに書いてある言葉が、とりわけぴったりに思える作品だ。
シューベルトの作品にはすべて、人を引きつけてやまぬ何かがある。作品は常に色濃くメロディックで、時には心に突き刺さるほどである。旋律にはしばしば「シューベルト的」としか言いようのない、ある種のメランコリーがしみついている。
ピリスとセルメットのピアノ演奏で。
1987年録音。エラート。
昨日永田町のあたりを通った。
ところで、みなさんはすでに「ヒゲの隊長に教えてあげてみた」をご覧になっただろうか?
いやいや、自民党が発信している「教えて!ヒゲの隊長」ではなく、そのパロディである。
よくできている。実にわかりやすく今の政権の訴えの矛盾を突いている。
パロディというよりも、わかりやすい反論だと感じた。
私は今日の夕方、羽田空港から新千歳空港へと移動。札幌に向かう。
にしても、昨日の東京は暑かった……
500トンという端数の根拠は?
今日は午後から東京に出張。
明日は朝から国会議事堂近くのビルの会議場でお仕事である。
国会議事堂といえば、その昔、キングコングにまたがられ、そのまま居眠りまでされてしまった。
よく体長45mのサルの化け物(ファロ島の人びとは“巨大なる魔神”と崇めるが)の重さに耐えうることがきたものだ。だって体重2万500トンですよ。
にしても、「おくさん、おまけだ!2万トンでいいよ!」ってまけるという発想はなかったのだろうか?
いや、この方がリアル感がある。
そういう今朝の私の体重は64.8kg(トランクスとTシャツを着用した状態で)。
ところで、そのときキングコングの手に握られていたのは若き女性の“ふみ子”。
仮に彼女の身長を150cmとすると、キングコングはその30倍の大きさ。
身長175cmの私が6cm弱のナマコを手にしているのと同じにことになるが、映画で握られていた“ふみ子”はもっと小さく扱われていたように思うのは記憶違いか?
1962年に公開された東宝の「キングコング対ゴジラ」は、ゴジラシリーズでは最高の観客動員数を記録した映画。
1962年ならどう考えても私がリアルタイムで観れるわけがないのに、私は確かに浦河の大黒座でこれを観ている。
変だ。
と思ったら、1970年と1977年の東宝チャンピオンまつりでリバイバル上映されたという。
きっとそのときに観たのだろう。
キモは音楽だったんです。気づかなかったけど……
ただ、「キングコング対ゴジラ」に限らず、幼い私は、怪獣同士の戦いの場面はともかく、それ以外の場面で怪獣映画を楽しんだとは言えない。この手の映画のストーリーは幼児や学童にはけっこう難しいものがあるのだ。怪獣映画はむしろ大人向けだったといえる。
が、それでも私が魅かれたのは、そのときは気づかなかったが、やはり音楽によるところが非常に大きいのだろう。
もちろん伊福部昭(Ifukube,Akira 1614-2006 北海道)の音楽だ。
その証拠に、伊福部が音楽を担当していない「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」はほとんど印象に残っていない(佐藤勝が音楽を担当)。
この映画を、私は遊びに行っていた親戚宅のある渡島福島町の映画館で観た。
が、この映画の公開年は1966年。やはりどーしても計算が合わない。
リバイバル上映だったのだろうか?
「伊福部昭 百年紀Vol.3」には「キングコング対ゴジラ(King Kong vs. Dodzilla)」の組曲が収められている。
齊藤一郎/オーケストラ・トリプティークの演奏は、Vol.1からVol.2、そしてこのVol.3と順にこなれ、上手くなっている印象を受ける。
そのなかでも、この「キングコング対ゴジラ」は、シリーズ中最高の出来ではないか?
合唱も現地っぽさ満点
「北海道讃歌」では、痛たたたたぁ~と嘆かされた合唱団も、このファロ島の原住民の祈りの歌では、その整然としていないアンサンブルが功を奏し、まさに原住民の必死かつ心がこもった叫びとなっている。
それとも、最初っからこの曲に向くような練習を重ねた反動で、「北海道讃歌」はうまく歌えなかったのか?
組曲は次の15曲からなる(No.は映画(サウンドトラック)におけるミュージックナンバー)。
No.1 「メインタイトル」(合唱(ファロ島民の歌)入り)
No.2 「世界驚異シリーズ」(パシフィック製薬提供の同名のTV番組のオープニング音楽)
No.6 「ファロ島」(神秘的かつ素朴な音楽)
No.14 「大ダコ対キングコング」(夜中に海から現われた大ダコとキングコングとの戦い)
No.18 「埋没作戦準備」
No.20 「100万V作戦準備」(No.18の変型)
No.10 「ゴジラの恐怖」(ゴジラのテーマ)
No.27 「キングコング輸送作戦」(リトミカ・オスティナータにも現れるメロディー)
No.19 「キングコング対ゴジラ」
P.S. No.4 「ふみ子救出作戦I」(合唱入り)
No.15 「眠れる魔神(前半)」(合唱入り)
No.26 「ふみ子救出作戦II」(合唱入り。打楽器のリズムが大きく乱れながら進む)
No.12 「眠れる魔神(後半)」(合唱が入るが、変形されている。混乱した叫び)
No.1 「メインタイトル(リフレイン)」
No.30 「エンディング」
またCDの最後のトラックには、No.1を基にするアンコール曲が収められているが、販売元によると“ド迫力の爆音オーケストラと観客1000人の大合唱を含む”演奏だという。
“999人の第九”とか“1万人の第九”というキワモノ企画があるが、このコンサートではアンコールで聴衆もファロ島民になったつもりキングコングに対する祈りの歌をでったようだ(でも、1000人しかお客さんが入ってなかったのか?歌詞は配られていたのか?とすれば、アンコールはあらかじめ行なうことが決まっていたということか?)。
また、上に“No.1を基にする”と書いたが、組曲のNo.1は1'56"の演奏時間なのに対し、会場大合唱アンコール編は2'46"。繰り返しが行なわれているのだろう。
このアンコール、みんなコーフンして浮足立っているのがわかる。「ア、ア、アタシ、どーしたらいいのかしら」って感じ。
始まってすぐピッコロは間違って(黙ってられなくて)吹いてるし。
パガニーニのコンサートを聴いて感激したシューベルトが、そのあと夢遊病者のように街を歩き回ったっていう話をどこかで読んだことがあるが、みなさんそれに似たトランス状態って感じ。
そういう私も初めて「ラウダ・コンチェルタータ」を札響定期で聴いた後、興奮のあまり帰り道の記憶がほとんどないという経験がある。
なお、拍手はこのアンコールのあとにのみ入っている。
2014年ライヴ録音。スリーシェルズ。
ソリストもオケもよく飽きなかったものだ
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のフルート協奏曲第2番ニ長調K.314(K6.285d)。
この曲は、札響に通い始めたころ何度か立て続けに聴いた。
というのも、当時鳴り物入りで入団したフルート奏者・細川順三をソリストとして、札響が演目で取り上げていたからだ。ただし、定期演奏会ではなかった。
当時の札響としては、新進の有望フルート奏者が入団ということで、本人に腕前を披露する場を設けるのと同時に、細川効果による観客増も狙ったのだろう。
ステージ上の細川は感じの良い人だった。
まだ若いというか、未熟な私には細川氏腕前のほどはよくわからなかったが、札響のなかでも看板奏者になったのは確かだ(その後N響で吹いていたくらいだから、やっぱりすごい人なのだ)。
が、このころ細川がソリストを務めたコンチェルトで私が聴いたのは、このモーツァルトの2番しか記憶にない。
この曲しかやってなかったのか、たまたま私が他の曲を聴かなかったのかはわからないが、あのころの札響といえば、この2番のコンチェルトとブラームスの第1交響曲の印象がとても強い。
冷たい奴だと言わないで……
私にとってもクラシック音楽を聴きはじめた、いわば有史初期に親しんだ曲の1つなのに、自分の過去記事を見てみると不思議なことにこの曲をほとんど取り上げていない。
なしてでしょうね?
でも、そんなこと聞かれても困りますでしょ?
でも、決して冷たい態度をとってきたのではない。
曲が書かれたいきさつはここの記事にちょこっと書いてあるが、フルート愛好家のオランダの金持ち商人F.ド・ジャンの依頼で作曲された。しかし前年に作曲したオーボエ協奏曲ハ長調K.314(K6.285d)を編曲したものだったので、報酬は約束した額の半分しかもらえなかったという。
なお、“順三さんと2番と私”についてはこの記事に書いてある。
曲はモーツァルトらしく健康的。軽快な両端楽章と、伸びやかにフルートが歌う第2楽章の、3つの楽章からなる。
今日はあまり知られていない ― ということは、名演の誉れが全然高くない ― タルマチウのフルート独奏、グレース指揮ヨーロッパ・シンフォニーによる演奏を。
だるまがチューしちゃったような名のこのフルーティストは1963年ルーマニア生まれ。今日紹介する録音は初のソロ・アルバムとなったものである。
フルートの演奏そのものは悪くない。伸びやかでおっさんくさくない。
管弦楽もこじんまりしており、残響の多さがサロン的な雰囲気を感じさせるが、響きすぎのような気もしないではない。
音楽誌では推薦マークがつく演奏ではないだろうが、初々しいともいえる愛らしさがある。
1995年録音。アルテノヴァ・クラシックス。
見渡せば水田ばかりなれど、ここは酪農の町らしい
先週の月曜火曜は東京に出張していたが、水曜日は東北新幹線に乗って那須塩原まで出向いた。
私用ではない。ましてや何とか鼻を探しにいったわけでもない。これもまた仕事である。
私たち一行は総勢7名。この街で行なわなければならない重要な任務があったのだ。
那須塩原を訪れるのは私は初めて。
すっごく田舎かと思いきや、さすがに新幹線が停まるだけあって、ほどほどの田舎だった。
まあ、新幹線が停まるといっても停車する便は1時間に1本程度。だから駅の周りに商業施設がほとんどないのは無理もない。が、街にはカゴメの大きな工場があるようだ。
写真には写っていないが、駅前に「本州でいちばん牛乳生産量の多い町」という看板が立っていた。
へぇ~。
酪農といえば北海道だが、本州では那須塩原が一等賞のようだ。
周りを見渡しても水田ばかりで、乳しぼりの歴史があるような雰囲気は感じなかったけど。
ただのカレーは出来ます。玉子丼?それはちょっと……
で、用務を終えて駅近くの食堂で昼ご飯を食べようとしたが、“本日定休”の掛け札が堂々とぶら下がっていた。すっかり気持ちは低級に。
駅の中にレストランあるいはそば屋、もしくはラーメン屋があるだろうと思ったが、あったのは“マイ フレンド”というセミセルフの店。食券を買って料理を頼む形態だ(駅前にレストランっぽい店があったが、駅舎から再び極暑の外へ出る気力はなかった)。
カツ丼やカレー、ラーメンにうどんというラインナップ。ということは、レストランとそば屋(うどん屋か)、そしてラーメン屋の機能は満たしている。
私たちがカツ丼の食券を買っていると5人目で売り切れ。
用意されたカツは5枚しかなかったようだ。いや、実際なかったのだ。お店の人がそういうのだから間違いない。
残りの2人はカレー+うどん、カレー単品を頼んだ。
私たちのあとから来た2人の若いお兄ちゃんたち。カツカレーを買おうとして売り切れと言われていたが、ごめんなさい。在庫していたカツはすべて私たちのおなかに収まりました。
あの2人、午後は幸せに過ごせたかしら?
そんなわけで、行動範囲がせまかったせいか、乳らしさもトマトらしさも感じることがないまま帰って来た私たち。
小さな乳……
クープラン(Francois Couperin 1668-1733 フランス)の「第17組曲(Ordre No.17)」。
「第13組曲」から「第19組曲」を収めた1722年刊の「クラヴサン曲集第3巻(Pieces de Clavecin troisieme livre)」に含まれる。
以下の5曲からなる。
1. 傲慢な女,またはフォルクレ夫人(La superbe,ou La Forqueray)
2. 小さな風車(Les petits moulins a vent)
3. 鈴(Les timbres)
4. クラント(Courante)
5. バニョレの小さな乳しぼりの女たち(Les petites chremieres de Bagnolet)
解釈するに、つまりはフォルクレ夫人は傲慢な女で、バニョレの女たちは乳が小さいのではなく体が小さいのだろう。
ボーモンのチェンバロ演奏で。
1992年録音。ワーナー。
那須塩原に行く前夜は、同じメンバーで都内でちゃんこ鍋を食べた。
以前、四つ足を嫌って(手をつく=相撲で負ける)、ちゃんこには牛肉や豚肉を使わないと聞いたが、今はそんなこともないらしい。でも、鶏肉が美味しかったけど。
そうそう、このあいだバラエティー番組に“地鶏の神”という若い女性が出ていた。
なんでこの子が地鶏?しかも神?とおもったが、字幕が出て理解した。
“自撮りの神”なんだとさ。
やれやれ……
筋はわからんので笑えない。が、ひどく引き込まれる
P.M.デイヴィス(Peter Maxwell Davies 1934- イギリス)の歌劇「復活(Resurrection)」Op.129(1987)。
“彼の作品は人を食ったものが多く、中でもオペラ「復活」が超笑えます。ほんと。ぜひオタメシください。”
これは私が「石の連禱」について書いた記事に、“ぶっちさん”が寄せてくれたコメントの一部である。
ここまで書かれると、試さないまま済ませることなどできない人情味の厚い私である。
で、聴いてみた。
すごい!おもしろい!衝撃的!
クラシック以外の音楽について疎いのでうまく言えないが、ドラムセットがズンズン鳴り響くなか、ロックってものなのだろうか?、とにかく非クラシカルな歌が歌われる。それはしばしば絶叫的。
しかし、どの歌も、あるいは前衛的な箇所も、さらには抒情的なところも、メロディーや響きが非常に魅力的で印象的。
「ウエスト・サイド」を初めて耳にしたとき、これがクラシックの作曲家が書いた曲かと驚いたが、そのときの驚きなんて吹き飛ぶほど衝撃的。
そして、もう何度も通しで聴き返してしまっている。
人間の頭が爆発して、それを手術して、アレが暴発して、これがああなって…これ以上は説明不可能です
プロローグと1幕からなる作品で、内容はCDの帯の見出しによると上のようなものらしい。
編成も特殊で、このCDではオーケストラ以外にロックバンドやエレクトロニック・ヴォーカル・カルテットというものまで動員されている。
とにかくあなたもオタメシあれ!
CDの帯には、もっと詳しいことが書かれている。
作品はさすがに彼らしく、様々な要素が内包されていて、とても一言では言い尽くせません。まさに「暴力的な多様性」を秘めた作品です。登場人物だけを取り上げてみても異様です。何しろ、テレビ広告の声や、ロック・バンドまで登場するのですから。手術台に載せられ脳の手術を受けた英雄は、その痛みや不快感をナンセンスな歌で外科医に伝え、救世主の復活はテレビコマーシャルで伝えられます。英雄は等身大の人形で、家族の中の母の役割はカウンターテナーが受け持ちます。随所に猫の歌が挿入され、様々な楽器は調子はずれの曲を流し続けます。雑多なものが詰め込まれている風を装いながら、実は社会への痛烈な批判が込められているあたりが、この作曲家のすごいところでしょう。
プロローグに続く各曲は、
Man/Dad/Sister/Brother/Headmaster/Vicar/Doctor/Chorale/Transition and Surgeous' Introduction to The Act/Abbot,Minister,Croesus,Comrade Serbsky/Political Rally/Revivalist Rally/Sex History/Hymn of Satisfaction/Song of the New Resurrection
長木誠司監修の「作曲の20世紀 Ⅱ」(音楽之友社:1993)には、デイヴィスについて次のように書かれている。
また、デイヴィスの作品には、1965年以来、演劇的な傾向が強まってきた。その作品群には、舞台上に歌手や俳優だけでなく楽器奏者も見えるという点と、ストーリー性が希薄だという点で、形態的にも内容的にも革新的だと考えられた「ミュージック・シアター」から、大規模なオペラまで含まれる。
たぶん「復活」も従来の歌劇の概念には収まらないものなのだろう。
作曲者自身の指揮BBCフィルハーモニック他の演奏。
1994年録音。ナクソス(Collins Classicsからの移行盤)。
これ、聴かなきゃ損ソン!です。
いいもの教えてくれてありがとう!
ぶっちさんにぶっちぎりの感謝である。
復活といえば、チリチリしたへんてこな葉しか出ていなかったわが家の庭のバラの“ボサノヴァ”。
今回帰宅して見たところ、少し回復の兆しが……
このまま無事元気な姿に復活してくれるといいが……
厚岸に行ったときにもらった“ガイドマップ”(のコピー)。
これを見ると、“あやめヶ原”から“チンベノ鼻”(ガイドマップでは“チンベの鼻”)までは、私が実際に訪れた“愛冠岬”とその手前の駐車場の間よりも近いように思えなくもない。
まぁ、こういう地図なのでデフォルメされてはいるのだろうが、にしても国土地理院の2万5000分の1の地図が醸し出しているような、道なき道を進み秘境をさまようようなイメージはない。
私の地図の見方が根本的に間違っているのかもしれない。
高校生のとき、社会では世界史と日本史というわざわざ苦労を買って出るような選択をし、地理は学ばなかったのだ(ほかは政経と倫社)。
そしてまた、等高線のことはよくわからないが、92.5mの山は、すでにその一帯全体がその標高にあり、山があるわけじゃないのかもしれない。
私はけっこう物事を引きずるタイプで、そんなことをモヤモヤネチネチ思いながら2日ほど過ごしていたのだが、おとといスーパーおおぞらに乗ったときに見た車内誌の地図で、これまたワケがわからなくなった。
というのも、“アヤメヶ原”(こちらはカタカナ表記)へは“主なバス路線”が通っているのだ。
確かに道立公園のなかにあるが、主な路線がある地だとは……
もしかして、このあたりは行きやすい場所なのか。仮に“あやめヶ原”が行きやすいとしても、その先の“チンベノ鼻”はどうなのか???
有力情報、寄せられる
悩みを抱えたままマンションに帰り、パソコンで自分のブログページにログインすると、LimeGreenさんからコメントが。しかも、チンベノ鼻に実際に行った人の記事を紹介してくれた。
これでほぼ全貌が明らかになった。ありがたや~っ。感謝感謝である。
この記事によると、“あやめヶ原”はバス停のある道道から800mほどのところにあり、そこには駐車場と観光案内所とペプシコーラが売っている。つまり何にもない場所ではないということだ。
このシチュエーションを読む限り、“愛冠岬”の駐車場に感じが似ている。そこにも案内所があり自販機もあったのだ。ラジオ放送が屋外に向けガンガン鳴らされてもいた。ガソリンスタンドのように。
また、チンベノ鼻はそこからさらに10数分歩いた場所にある。
ちゃんと案内板も立っている。
つまりうっそうとした森を通ったり、山道を登ったりしなくても良い。写真を観ると、明るい開放的な場所だ。
“愛冠岬”にあった博物館の受付のおばさんが「自然が好きなら……」と言った意味は正しかった。彼女は「そんな軽装じゃ無理だ」とは言わなかったから。自然が好きならハイキング気分で行けるわけだ。
ちなみにバスはくしろバス。
も一度、トライしたいものだ(車で)。機会があれば……
ちゃんと練習したの?
伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「北海道讃歌(Hokkaido Hymn)」(1961)。
この曲については金子美香のメゾソプラノ、川上敦子のピアノによる録音があるが、もともとは混声合唱と管弦楽(2管)のための作品。1968年(?)に作曲者の指揮でHBC交響楽団が初演している。
齊藤一郎指揮オーケストラ・トリプティークによる「伊福部昭 百年紀 Vol.3」には、もともとの編成による演奏が収められている。
が、この合唱、もう少しなんとかならなかったのか?
歌っているのは伊福部昭百年合唱団なるものだが、少なくともこの曲での歌唱はやれやれものである。
2014年ライヴ録音。スリーシェルズ。
なお、このCDでの演奏時間は4'26"。
一方、金子盤は7'53"。
この差は、金子盤が“今までの収録は2番と3番の歌詞を省略したり、高めに移調された形の演奏であったりで、簡略形の演奏が残されていた。しかしあえて今回はオリジナルの調に基づき、全歌詞での録音を試みた”ためである。
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