昨日、今ではあまり耳にしないかもしれない“やっとこ”という道具の名前を書いた。
やっとこ……
村上春樹のファンなら、いやファンとまでいかなくてもその箇所の記憶が残っている人もいるだろう。
氏の「羊をめぐる冒険」(講談社文庫)の上巻に、意表を突いてやっとこが登場するくだりだ(119p)。
“僕”が“先生”の家に、迎えに来た車で向かう途中のことだ。バッハの無伴奏チェロ・ソナタが流れる車中で“僕”は眠り、夢をみた。
夢の中には乳牛が出てきた。わりにこざっぱりとしているが、それなりに苦労もしてきたといったタイプの乳牛である。我々は広い橋の上ですれちがった。気持の良い春の昼さがりだった。乳牛は片手に古い扇風機をさげていて、僕にそれを安く買い取ってくれませんかと言った。金はない、と僕は言った。本当になかったのだ。
それじゃやっとこと交換でもいいですが、と乳牛は言った。悪くない話だった。僕は乳牛と一緒に家に帰り一所懸命やっとこを探した。しかしやっとこはみつからなかった。
「おかしいなあ」と僕は言った。「本当に昨日まではあったんだよ」
この乳牛、それなりの苦労がまた1つ積み重なったようだ。かわいそうに……
あの弁当を配っているのがバロック野郎か?
28日火曜日は札幌で会議だった。
会場はよく利用するホテル。
前回のときはヴィヴァルディのリュート協奏曲がBGMで流れていた。
この日会議会場のフロアに行ったときに流れていたのは、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)のブランデンブルク協奏曲第4番ト長調BWV.1049の第1楽章だった。
前回といい今回といい、バロック音楽なのは偶然なのだろうか?
第4番の第1楽章の次に流れたのはブランデンブルク協奏曲第2番の第1楽章だった。
その次は……と気になるところだが、会議が始まったので確認できなかった。
4番の全曲ではなく第1楽章のみ、そして次は第2番の第1楽章と、選択基準はわからないがこのように意図的にセレクトされているということは、ホテルのBGM用にこういったCDとか有線放送とかがあるのだろうか?
それともホテルにこういう音楽が好きな“バロック野郎”がいて、自主制作しているのかもしれない。
思い出は強すぎて……
ブランデンブルク協奏曲(Brandenburgisches Konzert)はバッハの数ある作品の中でも最も私が愛好する作品だ。
これまでもいろいろな演奏を聴いてきた。モダン演奏の伸びやかな演奏に心が踊らされ、やがて攻撃ともいえる活発なピリオド演奏に心が奪われた。村上春樹の小説に出てくる“正統的とは言えないにしてもなかなかの凄みがある”カザルスの演奏も聴いてきた。
しかし私のこの曲の原点はメニューイン指揮バース音楽祭管弦楽団による演奏だ。もちろんモダン演奏。
今ではもっぱらピリオド演奏の方を好む私だが、たまに無性にメニューインのものを聴きたくなる。もはや演奏スタイルが古臭いだけでなく録音もソートウに古いのだが、理屈では説明できない瑞々さがある。
そして、なんというか心の緊張がほぐされる演奏なのだ。古き良き時代みたいな……
第4番のブロックフレーテ演奏はクリストファー・テイラーとリチャード・テイラー。
1959年録音。EMI。
今日はまだ乗れません!
さて、会議が終わったあとはそのままサツエキへ。
当初は翌29日の午後に戻る予定だったのだが、28日の夜にこちらで急な用事ができたので1日早く戻ることにした。
JRのチケットは27日の昼のうちに変更しておいた。
さっそうと改札を通ろうとした私だが、バタンと扉が閉まった。
ったく、このアタシを通せんぼする気か?お前の読み取りエラーだよ(と機械に悪態をつく。心のなかで)。
隣の改札に切符を入れる。
が、またバタン。
私が悪いことをしているような気になってきた。
駅員の所に行くと、一瞬その駅員もなんでかなぁという顔をしたが、すぐに扉が閉まる原因が明らかとなった。
乗車する列車の指定券を1日早めたはいいが、乗車券の方も修正しなければならないのを窓口の係員が失念していたのだ。
つまり指定券は28日の列車のもの。ところが乗車券は29日から有効となっていた。
もう、みどりのおじさん、いや、みどりの窓口のおじさんったらしっかりしてよぉ。
けどサツエキの人が自分が犯したミスのように謝ってくれたので笑顔で許すことにしよう。
列車は新夕張と占冠の間で1度、警笛とともに急とまではいかないが強いブレーキをかけた。
そのあと車窓から、走り去って行く遠目ではこざっぱりとした鹿が見えた。
危ない、危ない。
鹿をひいて遅れでもしたら大変なところだった。