新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2015/04

牛はどのようにしてやっとこを握るのか?♪バッハ/ブランデンブルク

BrandenburugMenuhin  私なら古い扇風機と交換しない 
 昨日、今ではあまり耳にしないかもしれない“やっとこ”という道具の名前を書いた。

 やっとこ……

 村上春樹のファンなら、いやファンとまでいかなくてもその箇所の記憶が残っている人もいるだろう。
 氏の「羊をめぐる冒険」(講談社文庫)の上巻に、意表を突いてやっとこが登場するくだりだ(119p)。

 “僕”が“先生”の家に、迎えに来た車で向かう途中のことだ。バッハの無伴奏チェロ・ソナタが流れる車中で“僕”は眠り、夢をみた。

 夢の中には乳牛が出てきた。わりにこざっぱりとしているが、それなりに苦労もしてきたといったタイプの乳牛である。我々は広い橋の上ですれちがった。気持の良い春の昼さがりだった。乳牛は片手に古い扇風機をさげていて、僕にそれを安く買い取ってくれませんかと言った。金はない、と僕は言った。本当になかったのだ。
 それじゃやっとこと交換でもいいですが、と乳牛は言った。悪くない話だった。僕は乳牛と一緒に家に帰り一所懸命やっとこを探した。しかしやっとこはみつからなかった。
 「おかしいなあ」と僕は言った。「本当に昨日まではあったんだよ」

 この乳牛、それなりの苦労がまた1つ積み重なったようだ。かわいそうに……

  あの弁当を配っているのがバロック野郎か?
 28日火曜日は札幌で会議だった。
 会場はよく利用するホテル。
 前回のときはヴィヴァルディのリュート協奏曲がBGMで流れていた。

 この日会議会場のフロアに行ったときに流れていたのは、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)のブランデンブルク協奏曲第4番ト長調BWV.1049の第1楽章だった。

 前回といい今回といい、バロック音楽なのは偶然なのだろうか?
 第4番の第1楽章の次に流れたのはブランデンブルク協奏曲第2番の第1楽章だった。
 その次は……と気になるところだが、会議が始まったので確認できなかった。

 4番の全曲ではなく第1楽章のみ、そして次は第2番の第1楽章と、選択基準はわからないがこのように意図的にセレクトされているということは、ホテルのBGM用にこういったCDとか有線放送とかがあるのだろうか?
 それともホテルにこういう音楽が好きな“バロック野郎”がいて、自主制作しているのかもしれない。

  思い出は強すぎて……
 ブランデンブルク協奏曲(Brandenburgisches Konzert)はバッハの数ある作品の中でも最も私が愛好する作品だ。

 これまでもいろいろな演奏を聴いてきた。モダン演奏の伸びやかな演奏に心が踊らされ、やがて攻撃ともいえる活発なピリオド演奏に心が奪われた。村上春樹の小説に出てくる“正統的とは言えないにしてもなかなかの凄みがあるカザルスの演奏も聴いてきた。

 しかし私のこの曲の原点はメニューイン指揮バース音楽祭管弦楽団による演奏だ。もちろんモダン演奏。

 今ではもっぱらピリオド演奏の方を好む私だが、たまに無性にメニューインのものを聴きたくなる。もはや演奏スタイルが古臭いだけでなく録音もソートウに古いのだが、理屈では説明できない瑞々さがある。
 そして、なんというか心の緊張がほぐされる演奏なのだ。古き良き時代みたいな……

 第4番のブロックフレーテ演奏はクリストファー・テイラーとリチャード・テイラー。

 1959年録音。EMI。

  今日はまだ乗れません!
 さて、会議が終わったあとはそのままサツエキへ。
 当初は翌29日の午後に戻る予定だったのだが、28日の夜にこちらで急な用事ができたので1日早く戻ることにした。
 JRのチケットは27日の昼のうちに変更しておいた。

 さっそうと改札を通ろうとした私だが、バタンと扉が閉まった。
 ったく、このアタシを通せんぼする気か?お前の読み取りエラーだよ(と機械に悪態をつく。心のなかで)。

 隣の改札に切符を入れる。
 が、またバタン。
 私が悪いことをしているような気になってきた。

 駅員の所に行くと、一瞬その駅員もなんでかなぁという顔をしたが、すぐに扉が閉まる原因が明らかとなった。

 乗車する列車の指定券を1日早めたはいいが、乗車券の方も修正しなければならないのを窓口の係員が失念していたのだ。
 つまり指定券は28日の列車のもの。ところが乗車券は29日から有効となっていた。
 
 もう、みどりのおじさん、いや、みどりの窓口のおじさんったらしっかりしてよぉ。
 けどサツエキの人が自分が犯したミスのように謝ってくれたので笑顔で許すことにしよう。

 列車は新夕張と占冠の間で1度、警笛とともに急とまではいかないが強いブレーキをかけた。
 そのあと車窓から、走り去って行く遠目ではこざっぱりとした鹿が見えた。
 危ない、危ない。
 鹿をひいて遅れでもしたら大変なところだった。

“お得”の代償は大きかった♪チャイコ/組曲「くるみ割り人形」

NabeTsukami  クルミを甘く見ていた私
 先週の土曜日にヌップクガーデンに行ったこと、その帰りに薄暗いレストランでカツ丼を食べたことを報告したが、そのときに農産物直売所にも立ち寄った。

 そもそもまだ青物野菜の最盛期ではないし、訪れた時間も昼過ぎだったこともあり、野菜類は完売。
 根菜類はあったが、私が買ったのは木の実、クルミであった。

 クルミは健康に良い。近ごろの私は、そのいろいろな効能を体に取り込むべく、リスのように日々とは言わないまでも、たまに食べているのである。

 殻を剥いてあるクルミは手間がかかっているので当然のごとく割高。
 そこでたっぷり袋に入った殻のままのものを買った。粒はやや小ぶりで固そうだが、こんなもん手で割れるに決まってると思ったのだ。

 というのも、私が育った家 -それはもともとは祖父母が住んでいた場所だった- には大きなクルミの木があり、毎年落ちたクルミを拾い、集め、乾燥させ、それを日々、私は食べはしなかったが、誰かは食べていたようだ。
 その実(種)は今回買ったものより大きめで、2個を手のなかでカリカリ擦り合わせると、徐々に艶が出てくる。たぶん握力もついてくる。じいさんはときどきそうやって戯れていた。
 そしてまた、ぐっと力を入れて手を握り締めると2個のうち1つは案外とたやすく殻が壊れたものだった。
 だから今回も2個を握ることでどちらか1個は簡単に割れると思った。

P4280098  近ごろのクルミは小ぶりだが強固?
 しかし帰宅後、その判断は間違っていたことを思い知らされた。
 中心まで殻なのではないかと思うほど固いのだ。

 しょうがない。殻割りの器具を買おう。
 そう思って夕暮れの街をとぼとぼ歩き100円ショップに行った。

 あった!
 さすが100均!

 と思ったら、銀杏など比較的柔らかい殻の種のためのもので、ご丁寧に“クルミなどの硬い殻には使用できません”という注意書きがある。ここで初めて一般的にはクルミの殻というのは硬いものなんだということを知る。

 じゃあ、実家にあったクルミはなんだったんだ?殻が薄い品種だったのだろうか?それとも根性のない木だったのだろうか?あるいは、あのころの私やじいさんは、電話帳を裂くことができるくらい握力があったのだろうか?

 100円ショップの中をぐるぐる回り、代用品を探す。

 ペンチ。

 これなら家にあるし、だいたい最大に開いてもクルミをはさめるまでにはいかない。こんなのを使って無理に殻をつぶそうとしたら、絶対間違って指か何かをはさんでしまいそうだ。

 ハンマー、あるいは肉叩き。

 これなら割れるのは間違いない。が、トントンやるのは近所迷惑だ。

 こうして私が選んだのは石焼ビビンバなどの熱い鍋をつかむためのヤットコ状の器具だった。その名も“鍋つかみ”。円状のところにクルミをはさめばうまく割れそうだ。熱い鍋をつかむには心もとない道具ではあるが、クルミを割るのには使えるだろう。

 家で試す。
 全然ダメだった。熱い鍋をつかむには心もとないが、クルミを割るにはおととい来やがれ!ってほど無力だった。ゴジラにフォークリフトで立ち向かうようなものだ。
 クルミの殻はミシッどころか何の音も出さず、変形もせず、グリップを持つ私の手の骨がミシッと鳴りそうだった。あれ以上力を加えたら、クルミは無傷ながら私の指か道具の方が崩壊しただろう。108円損したと同時に、もともと極小だった妻に対する威厳がミクロ化した。

TchaikovskyNutFedotov  お高いのはあまり売れる物じゃないから?
 次にインターネットでクルミ割りを探した。

 そういえばどこかに出張したときに、どこかのみやげ店でいろんなクルミ割り人形が並んでいたのを思い出した。左に載せたDVDのと同じような人形だった。

 でもあれはどこだったのだろう?あまり海外出張の経験はないから国内だと思うが、でもどこだったか場所がまったく思い出せない。指宿温泉の売店や東京タワーのショップでクルミ割りの人形が売ってたとは思えないし……。やはりヨーロッパに行ったときのことだったのだろうか?

 クルミ割りの器具は予想以上に高かった。
 巨大なペンチみたいなものなのに、直売所で買ったクルミ1袋の価格よりも、安いものでも10倍近くする。
 そりゃそうか。外国ならいざ知らず、日本ならこの道具がたくさん売れているとは思えない。国産のクルミ割り器があること自体、ちょっとした驚きだ。

 ということは、それが人形に仕立てられたものならもっと高いはずだ。それをクリスマス・プレゼントでもらって喜ぶ少女がいるということに初めて納得がいった。
 クララのことだ。ハイジの友だちのクララじゃなくて、マーシャと呼ばれることもあるホフマンの童話に出てくる少女だ。

TchaikovskyAbbado  スリッパ攻撃の方が有効とは……
 チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の組曲「くるみ割り人形(The Nutcracker)」Op.71a(1892)。

 バレエ「くるみ割り人形」Op.71(1891-92。2幕3場)から、小序曲、行進曲、こんぺい糖の踊り、トレパーク、アラビアの踊り、中国の踊り、あし笛の踊り、花のワルツの8曲を組曲にしたものである。

 E.T.A.ホフマンの童話のタイトルは「くるみ割り人形と二十日鼠の物語」。A.デュマがこの童話をフランス語に訳したものをもとに、M.プティパがバレエの台本を書いた。

 バレエについてはここここなど、以前にも何度か記事で取り上げているが、その筋は、クリスマス・イヴにクララがプレゼントでもらったくるみ割り人形が、夜中に二十日鼠の大軍と対戦。クララが二十日鼠の大将にスリッパを投げつけて、ねずみたちを撃退する。するとくるみ割り人形が王子にになり、命を助けてくれたお礼にとクララをお菓子の国へ招待する。しかし、それはクララがクリスマス・イヴの夜にみた夢だった。そこで幕。

 アバド指揮シカゴ交響楽団の演奏で。
 この手の曲はメロディーラインを強調してはいるものの、どこか安っぽくなる傾向の演奏が少なくない。
 しかし、さすがアバド。引き締まった貫録ある仕上がりになっている。もちろん、チャイコフスキーの優美さは失われていない。

 1991年録音。ソニークラシカル。

 ということで、「いちばん安いクルミ割りを買ったとしても、剥きクルミが何袋も買える。という妻の冷静な忠告を私は受け入れた。
 出来心で買ってしまった50個はあるクルミは自宅に持ち帰って、水道栓用のプライヤーで割ってみようと思う。
 あれなら強い力をかけることができそうだ。
 そして、クルミの殻がスタッドレスタイヤにまで採用されている理由も、ほんの少しだけわかった気がした。

私が楽器は吹けないが、ホラは吹けるようだ♪リュリ/時代

Lully Ballet NXS  裏切ってしまった私
 私は秋吉課長や阿古屋係長に謝らなければならない。
 いや、読者の皆さまの一部にもお詫び申し上げなければならない。一部というのは“その記事”を記憶している人のことである。

 私は宣言した

 ゴールデンウィーク明けまでタイヤ交換しないと。

 市街地はもう夏タイヤでいいが、峠越えのことを考えるとまだスタッドレスの方がいいと書いた。その書き方には、GWに遠出する人はその前に夏タイヤにするのは無謀だと、タイヤ評論家でもないのに偉ぶったトーンがあった。
 「そりゃ高速道路はもう夏タイヤで大丈夫だろう。でも万が一、事故なんかで高速が通行止めになったとき、迂回して峠を走らなければならないかもしれない。そのとき、夏タイヤで大丈夫という保証はない」とまで言い放った。

 そのことは秋吉課長や阿古屋係長にも言った。
 そして2人とも私の言葉に洗脳されたかのように、納得してくれた。

 が、ゴメン。
 日曜日に交換してしまった。スタッドレスタイヤを夏タイヤに。
 ブリヂストンのICE PARTNERをヨコハマのECOSに換えてしまった。
 ついでにワイパーも夏用に交換した。去年の忌まわしい失敗を繰り返さないよう、きちんとフロントガラスにタオルを置いて……

 だって、ここ数日あまりに暖かなんですもの。
 桜だって咲いてきてるんですもの……
 4シーズン目になる次の冬もまだこのスタッドレスを使いたいから、ちょっとでも摩耗する機会を避けたいんですもの。ええ、摩耗よりも経年による弾力劣化の方が重要なのは知ってはいるんですけど……

  地味に自転車用空気入れで
 日曜日の7時から作業開始。
 交換は約40分で終了。しかし、そのあとスタッドレスの溝に食い込んだ多数の小石を取り除くのにけっこう時間がかかった。
 ワイパー交換も慎重に行なった。

 履き替えた夏タイヤの空気圧を測り、減っている分を自転車用の空気入れで補充。間違ったこと、人さまに指をさされるようなことではないが、車のタイヤに自転車の空気入れでエアを入れている姿は、なんとなく他人に見られたくない。そして幸い見られずに済んだ。ちなみに20回ヒコヒコやると0.1分空気が入る。
 例えば今回、左フロントのタイヤは指定が2.2なのにゲージで測ると1.9までになっていた。空気入れ相手に60回ピストン運動をした。そして2.2にした。

  エールを送る立場にないし、そもそもエール違いだが……
 にしても、申し訳なかった。
 あのときはウソじゃなかったのだ。本気でそのように考えていた。
 が、抜け駆けするような結果になってしまった。
 課長も係長も、私に続いていただきたい。

 リュリ(Jean-Baptiste Lully 1632-87 イタリア→フランス)の「夏とそれに続く者たちのためのエール(Air pour l'Este et ses suivants)」。宮廷バレエ「時代(Le temps)」LWV.1(1654初演)のなかの1曲である(器楽のみによる)。

 リュリについてはここで詳しく書いているが、イタリアからフランスに“連れて来られた”のだった。

 前回も紹介したナクソス盤を再度ご紹介。

 マロン指揮アラディーア・バロック・アンサンブルの演奏。

 1996年録音。

 今日は出張である。
 出張中にこの記事を読んだ秋吉課長や阿古屋係長が、留守中の私の机の引き出しに罰として干からびた鯛焼きを入れるなんてことをしませんように……

 んっ、待てよ。
 私の言うゴールデンウィークってのは、19日の週のことだったと開き直る手があるな……
 問題はその週は何もゴールデンな出来事がなかったことだが……

レストランで頼んだカツ丼にはミニそばまでついていた♪ドビュッシー/映像1・2

20150425Nuppuku  魚は金色でなかった
 土曜日は天気が良かったので、どこか花でも咲いてないかなと、郊外まで出かけてみた。

 行ったのは帯広市大正のヌップクガーデン。
 去年紹介したように、立派な庭園を無料で見ることができる。

 サクラが咲いているかなと期待したが、確かに私の背丈ほどの高さの細いサクラの木が1本、花をつけていたが、そもそもここには他にサクラの木がなかった。
 フクジュソウは終わり、園内で花を見つけることはほとんどできなかった。まだ早いのだ。
 それでも野草も含め、いろいろな植物の芽があちこちで新緑を誇っていたのは、モウロクした私の目を楽しませてくれた。

 それと、池のなかで金魚や錦鯉ではなく、黒っぽい魚がうようよしていた。すっごく元気だった。
 これはただの鯉だったのだろうか?それとも同じ敷地内にあるニジマスの釣り堀からやってきたものなのだろうか?
 サカナのことはよくわからないワタシ……

  こちらの魚は金色
 ドビュッシー(Claude-Achille Debussy 1862-1918 フランス)の「映像(Images)」。

 ドビュッシーは「映像」というタイトルの曲を第3集まで書いている。それぞれはいずれも3曲からなる。
 第1集と第2集はピアノ独奏のための作品(作曲年は第1集が1905。第2集が1907)。第3集は管弦楽のための作品である(1909-12/1905-08/1905-09)。
 ただしもう1曲「映像」という作品がある。1894年に作曲されたピアノ曲で、出版されずに他に流用された。

 ご存知のようにドビュッシーは印象主義音楽(impressionism)の開拓者。その彼が「Images」という名の曲集を3つも残しているのは、印象主義を象徴しているように思える。
 ただしドビュッシー自身は自分の音楽を「印象主義」と呼ばれることを気に入ってなかったという。

 ハロルド・C・ショーンバーグは「大作曲家の生涯」(共同通信社)のなかで、こう書いている。

DebussyImagesAimard 彼は「印象主義」という言葉に対して腹を立てていた。それは、彼より三世代前のシューマンが「ロマン主義」という言葉に対して腹を立てたのと同じであった。『映像』を作曲したとき、彼は自分の理論を説明しようと試みた。 - 「私が作り出そうとしているものは、何か違ったもの - 実在から受ける感銘である。それなのに、一部の愚か者は、これを印象主義と呼んでいる。この言葉は通常、間違って使われている。特に批評家の誤りは甚だしく、彼らは美術の世界で最大の神秘的効果を作り上げたターナーに、これを平気で適用する」
 だが、結局のところは意味論上の問題に帰着する。印象主義、超現実主義など、どのように呼ばれようと、ドビュッシーは偉大な詩人や画家がそうしたように、音による新しい世界像を描いて実在を高めたのだった。

 ショーンバーグはまた、ドビュッシーのことを、“印象派音楽家の最大の人物であるが、象徴派と呼ぶ方がもっと当を得ているかもしれない”とも書いている。

 今日は第1集と第2集を。

 第1集は、

 1. 水に映る影(Reflets dans l'eau)
 2. ラモーをたたえて(Hommage a Rameau)
 3. 運動(Mouvement)

 第2集は、

 1. 葉末を渡る鐘の音(Cloches a travers les feuilles)
 2. そして月は荒れた寺院に落ちる(Et la lune descend sur le temple qui fut)
 3. 金色の魚(Poissons d'or)

 第2集の第1曲はA.シャルパンティエ、第2曲はL.ラロワ、第3曲はR.ヴィニェスに献呈されている。

 なお、「金色の魚」は、祭りのときでもなかなかすくうことができないいわゆる“金魚”のことではなく、錦鯉を金粉で描いた日本の絵に霊感を得て書かれたという。

 「練習曲」でも取り上げたエマールの演奏を
 知的で技巧的。なのに鋭い感受性で聴いていて夢心地にさせられる。すばらしい演奏だ。

 2002年録音。ワーナークラシックス。

  やばいところに足を踏み入れた感はあったものの……
 帰りはやはり市郊外のレストランで昼食を食べた。
 建物は古く、中は薄暗く、あまり掃除が行き届いていない、そしてメニューにはラーメンもある自称“レストラン”である。
 私はカツ丼を食べた。が、予想以上に美味しかった。

 そういえば金色に輝く人面魚はその後どうしているのだろう?

管弦楽にふさわしくない墓が2つ♪ラヴェル/クープランの墓

Ravel Martinon  クープランは偉大なり!
 ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)の組曲「クープランの墓(Le tombeau de Couperin)」(1919?)。

 今日この曲を取り上げたのは、先日のドビュッシーの「練習曲」の記事でクープランの名が出てきたため。

 ドビュッシーと同じ時代、同じ国、同じ印象主義のラヴェルもクープラン(Francois Couperin 1668-1733 フランス)を尊敬していた。
 となると、その件でドビュッシーにだけ触れ、ラヴェルを放っておくなんてことは私としてはできないことだ。
 だって、やっぱり私はドビュッシーよりはラヴェルに魅かれるんですもの。

 「クープランの墓」についてはこちらで詳しく書いているのでご覧いただければと思うが、最初に書かれたのはピアノ独奏のためのもの。1914~17年に作曲された。作曲に時間を要したのは第1次世界大戦のために作業が中断したためである。

 次の6つの曲からなる。

 1. 前奏曲(Prelude)
 2. フーガ(Fugue)
 3. フォルラーヌ(Forlane)
 4. リゴードン(Rigaudon)
 5. メヌエット(Menuet)
 6. トッカータ(Toccata)

  入れ替えた意図はわかりません
 ラヴェルは1919年ごろにこの中の4曲を管弦楽に編曲、その際に以下のように曲順も入れ替えている。

 1. 前奏曲
 2. フォルラーヌ
 3. メヌエット
 4. リゴードン

 なお、日本楽譜出版社刊のスコアの解説で溝部国光氏は、“2曲を除いた理由については、この2曲は管弦楽として表現するには適さないということらしい”と書いている。

 今日は管弦楽版を、マルティノン指揮パリ管弦楽団による演奏で。

 マルティノンの場合はクリュイタンスとは逆に、ラヴェルよりもドビュッシーの演奏の方の評価が高い傾向にあるようだが、この「クープランの墓」はやや冷たいながらもラヴェルの巧みなオーケストレーションを精密画のように示してくれる。録音のせいで音質もやや鋭角的だが……

 1974年録音。EMI。

 墓といえば、来月は父の七回忌だ。

アルミニウムは燃えないゴミですが……♪WAM/変奏曲K.352

20150423Kanban  大変乱れてるのは誰だ?
 土曜日だ。
 今日もお仕事の方にはすまないけど、私は休みだ。


 ところで木曜日のこと。
 私は朝から日向山課長とお出かけした。もちろん陽気に誘われてのピクニックではない。仕事である。

 昼ちょっと前に用件が終わり、私たちは吉田美和で知られ、ワインでもっと有名な池田町で昼食をとることにした。
 国道沿いのラーメン屋である。何の予備知識もなく飛び込みである。

 店の従業員はすべておじさん。それも3人か4人もいた。
 そして飛び込みで入ったのを後悔しないくらい、なかなか美味しいラーメンだった。少々こってり系ではあったが……


 私たちが店に入ったのは11:45頃。他に誰も客はいなかった。しかしそのあと12:05頃になると続々と来店者が。
 ちょいと早くに店に入ったのが正解だった。というのも、課長も私もその次の用事までそんなに時間がなかったからだ。

 そしてまた日向山課長は立派だった。ラーメン単品の注文にとどめたからだ。しかし、私は罪びとだ。小ライスを頼んでしまったからだ。それでも店の人の「ミニ豚丼とのセットもありますよ」という悪魔の囁きに誘惑されなかったのは褒めてほしい。
 さらに、小ライスを頼まず少しだけダイエットに取り組んでいる日向山課長の方が、未だに私よりも体重が少なくないという事実も知っておいてほしい。

 あれだけ客が集中するなら、おじさんが3人や4人いても暇する人は発生しないだろう。入ったときにはずいぶん従業員が多い店だと思ったが、納得した。

 店といえば、市内の飲食店街のゴミステーションで見かけた看板。
 日本語がやや乱れているような気がしないでもないが、マナーが大変乱れている方がいるのは確かに迷惑である。

MozartVar1Brill  玉子を甘く見ていた私
 その前日の水曜日の昼も時間に追われた。

 次の用まであまり時間がないなか天とじそばを頼んだのだが(メンバーのなかに天とじそばファンがいたので敬意を表し合わせたのだ)、老夫婦2人でやっている店。しかも私たちとほぼ同時に続々と来店者が。

 このオーダー集中によってそばがなかなか出てこなく、やっと出てきたときには欠食児童のようにズルズルすすった。あらためて言うが空腹のせいではなく、時間があまりなかったせいだ。
 ここのそばは絶妙なつゆのぬるさで(褒めているのだ)、こういうときも、こういうときでないときも、実に食べやすい。

 しかし油断していた。
 とじた玉子をずるっと口に入れた瞬間、灼熱地獄だった。密かに男泣きしてしまった。


 そんな話とは一切関係なく、今日はモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のピアノのための作品、「グレトリの『歌劇《サムニウム人の結婚》の合唱曲《愛の神》』による8つの変奏曲(8 Variationen uber den Chor ‘Dieu d'amour’(Marsch) aus der Oper ‘Les mariages Samnites’ von Gretry)」ヘ長調K.352(K6.374c)(1781)。

 グレトリ(Andre-Ernest-Modeste Gretry 1741-1813)はベルギー生まれのフランスの作曲家で、古典派様式によるオペラ・コミックの確立者。60曲を超える歌劇を作曲し、美しい旋律などで存命中は高い人気を得たという。


  歌劇「サムニウム人の結婚(Les Mariages samnites)」は1768年の作。当時人気者だったグレトリのメロディーでモーツァルトは変奏曲を書いたのだった。
 耳触りの良いメロディーに装飾がどんどん施されていく、サロン風音楽だ。

 私が持っている録音はオールトのフォルテピアノの演奏のもの。
 2001年録音。ブリリアントクラシックス。

 なお、サムニウム人というのはサムニウム地方に住んでいた部族。古代ローマ時代、イタリア半島のアペニン山脈の南部をサムニウムと呼んだ。
 南進してきたローマ人との間で戦争が起きたが負けてしまい、その後サムニウム人はローマ人に取り込まれる形でいなくなったという。

ベターなフィンガー・テクを教えていてだけないでしょうか?♪ドビュッシー/練習曲

  英語なら“For”が12連発
 ドビュッシー(Claude-Achille Debussy 1862-1918 フランス)のピアノ曲、「12の練習曲(12 Etudes)」L.136(1913-15)。

 全12曲からなり、第1~6曲が第1集、第7~12曲が第2集と分かれている。

 各曲は、

DebussyImagesAimard 1. 5本の指のための(チェルニー氏による) Pour les cinq doigts, d'apres M.Czerny
 2. 3度音程のための Pour les tierces
 3. 4度音程のための Poue les quartes
 4. 6度音程のための Pour les sixtes
 5. 8度音程のための Pour les octaves
 6. 8本の指のための Pour les huit doigts
 7. 半音階のための Pour les degres chromatiques
 8. 装飾音のための Pour les agrements
 9. 反復する音符のための Pour les notes repetees
 10. 対比的な響きのための Pour les sonorites opposees
 11. 組み合わされたアルッペッジョのための Pour les arpeges composes
 12. 和音のための Pour les accords

 ドビュッシーのピアノ独奏曲としては最後の大作となる。

  ピアノを学ぶ者よ、放置にくじけるな!
 出版にあたりドビュッシーは“ショパンの思い出に捧げる”としたが、実のところは尊敬するショパンにするか、それとも同じくらい尊敬するクープランに献呈するか迷ったという。

 練習曲なのに、この曲集には運指法の指示がない。ドビュッシーは初版の序文に「指使いは自分で見つけること」と、意地悪とも愛の鞭ともとれることを書いている。

 もし私がこの曲集に取り組もうとしたなら。、途方に暮れるだろう。ただし、この曲に取り組めるほどのピアノの腕前があったならの話。幸いピアノを拭くことはできても弾くことはまったくできない私にとっては、ドビュッシー様の放置プレイに孤独感を味わうことはない。譜面を見たことすらないし……

 美しい音でテクもあっぱれ。しかし、ちょっぴりユーモアも感じられ、無機的になっていないエマールの演奏を。

 2002年録音。ワーナークラシックス。

楽章が3つの交響曲♪ストラヴィンスキーのそのまんまのタイトルの作品

StravinskySrtBoulez  というのはひどく珍しいものではない
 何のことかって?

 上のタイトルのこと、つまりは楽章が3つしかない交響曲のことである。


 交響曲の発展過程では3楽章構成の交響曲はむしろ当たり前。ハイドンやモーツァルトの交響曲にも多くみられる。

 ベートーヴェンになると当然のごとく4楽章構成となり(例外は逆に5楽章構成の第6番「田園」)、マーラーになると2番や5番、7番が5楽章構成、3番は6楽章まである。

 20世紀の作品では、伝統的な形の交響曲ではないが、メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」の楽章数は10である。

 一方、同じ20世紀の交響曲作品でも、たとえばショスタコーヴィチの交響曲第4番の楽章は3つしかない。

  交響曲と名乗ってはいるものの…… 
 だがストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)の作品は、その名称がわかりやすすぎるというか、潔すぎるというか、何も考えてないというか、である。

 その名もズバリ、「3楽章の交響曲(Symphony in 3 movements)」(1942-45)なんだから。


 ストラヴィンスキーがアメリカに渡ってからの作品で、彼の作風のカメレオン的変化からすると新古典主義の時代-ストラヴィンスキーは1928年に新古典主義の宣言をした-のものとなる。ただし、新古典主義時代でもその末期にあたり、彼にとってそのあと1952年に本格的に始まる12音音楽時代への移行期の作品とも言える。
 ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団に献呈された。

 ストラヴィンスキーの新古典主義について、ハロルド・C・ショーンバーグは「大作曲家の生涯」(共同通信社)のなかで以下のように書いている。


 (新古典主義は)歴史的様式を現代の言葉で表現する手法である。バロックと古典主義の明確な形式が、ストラヴィンスキーの論理的思考に合致し、次の数年間に、古い形式がストラヴィンスキー工房の錬金術で再生され変身させられた一連の作品が生まれた。……形式は古くても、形式の処理と修正法がウルトラ・モダンであった。

 ここでショーンバーグがあげている作品は、

 ピアノ協奏曲(1924)
 エディプス王(1927)
 ピアノとオーケストラのための奇想曲(1929)
 詩編交響曲(1930)
 ヴァイオリン協奏曲(1931)
 協奏的二重奏曲(1932)
 交響曲ハ長調(1940)
 3楽章の交響曲(1945)


である。
  
 そしてまたショーンバーグは、ストラヴィンスキーの自叙伝の中で「管楽器のための交響曲」について述べている次のくだりは、ストラヴィンスキーの「春の祭典」以後のすべてのすべての音楽の意味を要約したものとしている。

 この曲は間違いなく一般聴衆に受ける要素や、聴衆がなれ親しんでいる要素を全く欠いている。情熱的な衝動や、ダイナミックな輝きをこの曲のなかに求めようとしても無益である。……この音楽は聴衆を“喜ばせ”たり、聴衆の情熱をかき立てる意図のもとで書いたものではない。にもかかわらず、感傷的な願望を満足させたいという欲求よりも、純粋に音楽を受け入れたいという願いの方が大きい人たちは、この音楽が気に入るだろうと私は期待した。


 「3楽章の交響曲」ははじめコンチェルトとする構想があったためか、ピアノとハープが独奏楽器のように扱われている。
 また“交響曲”とはなっているが、ソナタ形式の楽章はない。


 はっきり言って愛想っ気のない曲だ。が、このなかに純粋な音楽美を見出すことができる(人もいるのだろう)。

 前にラトル盤を取り上げたが、今日は愛想っ気のない顔が写っているブーレーズの演奏を。オーケストラはベルリン・フィル。

 1996年録音。グラモフォン。


 なお、第1楽章にはショスタコーヴィチの交響曲第4番に似たメロディーが現われる。
 ショスタコの第4交響曲は1935~36年に作曲された。ストラヴィンスキーの「3楽章の交響曲」が書かれる10年前だ。

 では、この曲にショスタコの影響があったのか?


 う~ん、でも、ショスタコの4番は初演寸前になってお蔵入り。初演されたのは1961年になってからだ。
 ということは、つまんないけど、単なる偶然ってことか……

ここにもオーデンが♪ブリテンによるブリテンの「春の交響曲」

SpringSymBr  辛辣な政治批判
 昨日取り上げたバーンスタインの交響曲第2番はW.H.オーデンの詩「不安の時代」に基づいているが、ブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「春の交響曲(Spring symphony)」Op.44(1949)にもオーデンの詩が歌詞に使われている。

 「春の交響曲」は私の大好きな作品で、たとえばここのように何度か取り上げているが、ちょうど季節も春なことだしまたまたしつこく取り上げてしまうことにする。

 それにしても今年の北海道は桜の開花が早そうだ。
 仕事の関係先で親しくしていただいている人が、連休明けに夫婦で松前に桜を見に行くと言っていたが、きっともう葉桜状態だろう。
 そう推測すると胸が痛む。

 「春の交響曲」は4つの部分、全12楽章からなる作品で、大きな編成のオーケストラにソプラノ、アルト、テノールの独唱、混声合唱と少年合唱が加わる。
 クーセヴィツキー財団からの委嘱によって書かれた。

 各楽章は、

 第1部
  第1楽章 序奏
  第2楽章 陽気なカッコウ
  第3楽章 春よ、やさしい春よ
  第4楽章 馬車に乗る少年
  第5楽章 朝の星
 第2部
  第6楽章 きたれ、誉れの娘たち
  第7楽章 天の水よ
  第8楽章 芝生に出て寝ていると
 第3部
  第9楽章  わが5月はいつくるのか
  第10楽章 きれいできれい
  第11楽章 笛を吹け
 第4部
  第12楽章 フィナーレ

  桜の下で宴会ができるのは……
 オーデンの詩は第8楽章。強烈な皮肉が込められた政治的メッセージだ。

 ……そして、皆さん、あえて知ろうとはしなさるな、
 ポーランドが東の弓をどこに引くのかとか、
 また、こう聞いてもいけないのだ、
 どんないかがわしい行為で、
 イギリスの家庭に自由が与えられ、
 太陽の下でピクニックができるのかと。

 詞は14世紀~20世紀の英語詩からとられており、20世紀の詩はオーデンのものだけである。

 今日は原点に戻って(?)、作曲者自身、つまりブリテン指揮コヴェントガーデン・ロイヤル・オペラハウス管弦楽団、同合唱団、ワンズワース少年合唱団、ヴィヴィアン(S)、プロクター(A)、ピアーズ(T)の演奏を。

 1961年録音。ロンドン(デッカ)。

この巨泉の言葉には共感する♪バーンスタイン/不安の時代

BernsteinSym  知らない人が増え、危険な方向に?
 4月18日付け北海道新聞朝刊に「愛川欽也さんを悼む」という囲み記事が載っていた。大橋巨泉が共同通信に寄稿したものだ。


 私は大橋巨泉がどうも好きになれない。氏の話や文ににじみ出ている高慢さというか自慢げな態度が生理的に合わないのだ。

 しかしこの寄稿文の次の一節には共感した。


 …… 昨年菅原文太ちゃんが亡くなったとき、同じ悔しさを味わったものだ。身をもって戦争の悲惨さを体験した世代は、日に日に少なくなってゆく。それをいいことに、日本を戦前に戻したいような動きが、日々強くなっている。
 文ちゃんにしても、キンキンこと愛川欽也さんにしても、ボクにしても、左翼でも何でもない。ただ今後の世代に、われわれの少年時代の悲惨さを味わわせたくないだけなのである。そういう意味でも惜しい男をなくした。
……


  ピアノとオケで詩の内容を描写
 バーンスタイン(Leonard Bernstein 1918-90 アメリカ)の交響曲第2番不安の時代(The age of anxiety)」(1947-49/改訂1965)。W.H.オーデンの同名の詩に触発されて書かれた、2部6楽章からなるピアノとオーケストラのための作品。

 オーデンの詩は第2次大戦も終わろうとしている時代にニューヨークで暮している4人の人間の孤独を描いたもので、バーンスタインの交響曲の各楽章は詩の内容を描いている。

 第1~3楽章が第1部、第4~6楽章が第2部で、各部の楽章は切れ目なく演奏される。

 第1楽章 プロローグ
 第2楽章 7つの時代
 第3楽章 7つの段階
 第4楽章 挽歌
 第5楽章 仮面舞踏会
 第6楽章 エピローグ

 この曲に出会ったいきさつなどについてはここに詳しく書いているが(それ以上に余計な話を詳しく書いている)、そのときにも紹介したフォスのピアノ、バーンスタイン指揮イスラエル・フィルの演奏を。

 1977年録音。グラモフォン。

 なんか変な世の中になってるよなぁ……

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