新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は江別市「らーめん しょう」の味噌ラーメン。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2015/03

自宅でバナナの木を育てるという夢♪ゴットシャルク/バナナの木

GottschalkPiano  ご家庭での栽培はできません。でっかいんだからぁ~
 観葉植物や多肉植物を育てることが好きな人にとって、バナナを育ててみたいという思いが多少なりともあるのではないだろうか?

 私はある。

 先日、ブログをリンクさせていただいているLimeGreenさんの記事にバナナの花と実の写真が載っていて、その思いがよみがえった。

 むかし、北大植物園だったか円山動物園の温室で初めてバナナの木を見、熱帯オーラをプンプン放っている大きな葉、ちょいとやらしっぽい色の花、まだ全然食べられないだろうけど妙に園芸心をそそる濃い緑色の実に、「あぁ、こんな木が家にあったらなぁ。サル年生まれの父さんも喜ぶかも」と思ったものだ。あのときの衝撃は忘れられない(そのくせ見た場所の記憶があいまいだけど)。

 そのころの私は夢あふれる少年だったのだ。学校の体育館のように広い部屋がある家を建て、そこには鉄道模型のレールを張り巡らす。庭にはバナナの木が育つに十分な広さと高さのある温室も建てる。
 そういったアホなことを考えていたのだった。

 当然のことながらそういう妄想はことごとく実現しなかった。
 鉄道模型はNゲージの車両1つ買うにもこづかいが不足した。
 バナナは店で買うものであり(それも私が買うのではない)、鑑賞用植物ではないことを理解した。
 だいいち、“観葉植物の育て方”という類の本にはバナナの木なんて出てこない。

 そんなわけで、その後-ずっとずっとあとになって-の私は那覇空港の売店で買ったミニパイナップルを育てることで満足していた。が、そのミニパイナップルにしたって育ててから5年以上たつというのに元気なのは葉っぱばっかり。一度も実がついたことがない。

  小さいことはいいことだ!
 と、ここまで書いてきて、あまり記憶にないが果たして“サカタのタネ”のカタログにもバナナは載っていなかっただろうかという疑問がわいてきた。
 折悪しく、マンションに今春号のカタログがあった。

SakataBanana すると、何ということでしょう!
 いままで見落としていたのだろうか?それとも魔法のように突如このページが出現したのか、とにかくバナナがあるではないか!
 しかも“小ぶりなサイズで結実する極わい性バナナ”とある。樹高60~80cmで実がつく。写真の男の子も「甘くてとってもおいし~」と言っている。目が少々悲しげだが……
 もちろん鉢植えで育てられるし、1本で結実するという。

 まいった。
 私の性格上、これを放っておけるわけがない。矮性種のバナナとは、まさに私の青春時代の夢を結実させるためにあるような品種ではないか!

 即注文(折悪しく、と書いたのはそういう意味だ。予期せぬ出費)。

 LimeGreenさんは罪な人……、いや、夢をかなえてくださってありがとうございます。

  悲しげな黒人の歌
 ゴットシャルク(Louis Moreau Gottschalk 1829-69 アメリカ)の「バナナの木(Le bananier)」Op.5(1845-46)。「黒人の歌(Chanson negra)」という副題をもつピアノ曲である。

 私の今のやや過剰と言えるほどの気持ちの高ぶりとは反対に、ほの暗い哀愁に満ちた音楽だ。

 ペナリオのピアノで。

 1992年頃の録音。EMI。

良く考えれば定食づくりが面倒になっただけ?♪ベルリオーズ/SF(by 小澤/BSO)

BerliozOzawa  店主は「いいとも」の後番組のファンになったのか?
 このところ“荒涼庵”が変だ。

 変だという言い方が悪ければ、誰の発想もしくは思いつきか知らないが、大きな変化が起こっている。
 日替わりメニューが、この10日間ほどずっと“バイキング”なのである。

 バイキングが日替わりメニューとして登場することはこれまでもあった。その出現頻度は幕の内弁当と同程度だったが、それは“味噌ラーメン、ライス食べ放題”の頻度より少なく、“唐揚げ定食”よりは多かった。それがどのくらいのことだか読者の方はさっぱりわからないだろうが、わかったところでどうにもならないのだから説明不足だという文句は受け付けない。

 「バイキングだったらいいんじゃない?」と思ったあなたは思慮深くない。
 バイキングという言葉に固定的なイメージを持っているのだ。幻想交響曲の固定楽想のように。

  食べ放題なのには違いないが……
 荒涼庵のバイキングは、赤坂エクセル東急インの朝食バイキングに勝るとも劣らないとは言えないが、惨敗であるとは言える。赤子が見ても明らかなくらいに。

 というのも、メインのおかずは実質1品、あとは野菜サラダ(ちぎった葉っぱというほうが本質を突いている)、漬物、味噌汁、焼きそば系、そして玉子焼きのような副菜が(幸運なら)あって、他にはきんぴらごぼう系といったものが1つ。
 どうです。悩みながら皿に盛る喜びがひしひしと感じられることでしょう?

 先日やむなく行ったときのバイキングのメインはシーフード・フライ。が、わかりやすく端的に言ってしまえばイカフライであった。いや、シーフードという看板に偽りはないが……

 私はカレーを頼んだが、一般的な日替わり定食メニューと違いバイキングなら一度出せば調理人の手はあくはずだ(次々補充しなければならないほど混んではいない)。なのに私が頼んだカレーはいつもよりもずっとずっと遅く出てきた。いったいどういうことなんだろう?(ぼーっとしている店主に対し、おばちゃんは遅くなったことを深く詫びてくれた)。

 私だけではない。ほぼ同時間に入店した人は天ぷらそばの食券を買っていたが、私のカレーよりもさらに遅く出てきた。

 この店のバイキングに私は魅力を感じないが(カツやら肉じゃがやら唐揚げやら鮭の切り身などが並んでいるなら魅力度は増すだろうが、メインは1品なのだから。いや、1品でも唐揚げとかならチョイスするかも)、どうやら常連客にはけっこう好評なようだ。
 それは、待たずに済むのと、文字通り好きなだけ食べられるからだ。
 確かにそうだが、私としてはもっと定食らしいメニューを出して欲しいと思うところだ。メンチカツ定食とか鶏のから揚げ定食はなかなか美味しいのだし……

 〇〇楼(以後、珍宝楼ということにする。実際には過去記事で実名を出したことがあるんだけど……)には近ごろ昼は行っていない。が、先日は夜に電撃訪問した。
 珍宝楼の料理はやはり美味い。この日の仕上げは麺もの。ただし担担麺ではなくあっさりした“ねぎメン”を総勢4人でシェアした。
 いや、それだけのことである。いえ、自慢でもなんでもありません。だいいち、こんなこと自慢になりっこないし……

  噛むと奥歯が痛くなるのはなぜ?
 そんなわけで(って、どんなわけかアタシもわからないけど)先週の昼食を振り返ってみると、月曜日はすでに触れたとおりキオスク(キヨスク)で売っていた季節商品“ハムカツエッグサンド”(札幌パリ製)。

 翌火曜日は外勤した帰り道にスーパーで買ったハンバーグ弁当。昔ならハンバーグ弁当といったら500円は超えていたと思うが、今回のは税込で400円を切る価格。そういう味ではあったが、そこそこでもあった。

 水曜日は関係者の送別会を兼ねた昼食会。ご飯は3分の1残した。美味しくなかったのではなく、奥歯の痛みがこのとき強くなったため。トホホ……

 木曜日は天とじそば。周囲が大盛りを頼む中、必死に我慢して普通盛りに。味はそこそこ。汁がややぬるめで食べやすかった!変なとこほめるようだけど。

 金曜日は上に書いたようにカレーライス。ご飯を3分の1残す。

 このように炭水化物の量は気持ち程度に減らし続けることを続けている。おかげで1年前70kgに到達しそうな勢いだった体重はずっと64~65kgを維持。ただ、水風船のようにぽにゃぽにゃしたおなかはまったく引き締まらない。困ったものだ。
 あと1週間で人間ドックである。

  固定楽想という画期的手法
 ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz 1803-69 フランス)の幻想交響曲(Symphonie fantastique)Op.14(1830/改訂'31)。
 ご存知のようにこの曲には“恋人”(といっても、実は片思いの相手)の主題が固定楽想として全曲通じて現れる。

 久しぶりに小澤征爾指揮ボストン交響楽団の演奏を聴いてみた(1973録音)。
 小澤が初の世界指揮者として脚光を浴び、この録音もずいぶんと話題になった。
 私も高価なLPを購入し、けっこう興奮しながら繰り返し聴いた。
 が、いま聴くと、悪くはないが、なんであんなにみんな熱狂してたんだろうって感じ。
 ボストン響のポストに就いたいうニッポン人・小澤の偉業に国民(のなかの音楽ファン)もおだっていたのかも……

 私はけっこうな「幻想」マニアで、いつも白日夢を見ている、いやいや、1つの作品としては所有しているCDの数がいちばん多いかもしれないのだが、久しぶりに聴いたと書いたように、今となってはこの小澤の録音を聴こうという気にはほとんどならない、スイマセンが……。こざっぱりまとめあげられているせいかなぁ……

 私が持っているCDはBELARTレーベルというポリグラム製造、ポリメディアというところの発売による廉価盤。イトーヨーカドーの某店舗に入っていたミニミニCDショップでたまたま見かけて買った。

増えるシカ、眠らないクマ♪ハイドン/Sym82(by ドラティ)

HaydnSymsDorati  エサがあるから冬籠りの必要なし
 この冬は人がヒグマに襲われるという事故がいくつか起こった。

 新聞によると冬眠しないクマが増えてきてるんだそうだ。
 冬の間は木の実など食べるものがない。だから冬眠する。子どものころそのように習った気がするが、最近は冬の間はエゾシカを襲って食べるクマがいるらしい。
 そんなことを知らずに人が近づくと、パッチリお目目でお目覚め中のクマが襲ってくるのだ。


 ♪ 出てきた出てきた山親爺ぃ~

 出てくるとびっくりするが、ありうることだ。


 ♪ 笹の葉かついでシャケしょってぇ~

 この部分に最近は変化の兆しが……。いや、実際には太古の時代からありえない行為だけど。


 ♪ スキーに乗った山親爺ぃ~

 このフレーズはハナから嘘だ。


 ♪ 千秋庵の山親爺っ!

 これは真実。


 ♪ 今日のおやつは山親爺ぃ~

 こういうご家庭は激減していると思う。


 ♪ 千秋庵の山親爺ッ!

 2度繰り返すところがCMの王道をいってる。


 ということで、これは札幌の老舗・千秋庵のロングセラー煎餅山親爺”のコマーシャル・ソングである。
 私も子どものころはちょいと贅沢なお菓子として食べるのがうれしかった(ような気がする)。
 そしてまた、“山親爺”というのはヒグマのことである。


 増え続けるエゾシカは農業や林業に大きな被害を与える。そういう意味では自然界の掟としてクマがシカを食べるというのもおかしくないかなとも思うが、肉の味を知ったクマが増えたらそれはそれで怖い。


  若き貴族のおかげで誕生
 ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第82番ハ長調Hob.Ⅰ-82「熊(L'ours)」(1786)。
 4楽章構成で終楽章のヴーン、ヴーンという音がクマっぽいのでこのような愛称がついてしまった。

 私にとっては数多いハイドンの交響曲の中でもかなり好きな作品。


 ハイドンの交響曲第82番から第87番までの6曲は「パリ交響曲」と総称されるが、それはパリの有名なオーケストラ“ル・コンセール・ドゥ・ラ・ロージュ・オランピック”の依頼で作曲されたことによる。 

 このオーケストラの後援者の1人で、まだ20歳代と若かったフランスのドニィ伯爵クロード=フランソワ=マリー=リゴレー(1757-1790)が、すでにフランスでも人気が高かったハイドンに交響曲を委嘱したのだった。


 6曲のうち第83番、85番、87番の3曲は依頼されたときにすでに完成されていた(1785年)と考えられている。残りの3曲は翌86年に作曲された。


 第82番の編成は、フルート 1,オーボエ 2,ファゴット 2,ホルン(またはトランペット) 2,ティンパニ,弦楽。

 ドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカの演奏を。


 “山親爺”のコマーシャルに出てくるアニメキャラのクマのように、この演奏も正確が温厚。
 モダンオーケストラのふくよかな響きが、表情まで豊かにしている。


 1971年録音。デッカ。

 ここ1週間ほどものを噛むと左の奥歯が痛む。
 歯科に行くべきか?自然治癒するものなのか?……

わが家のキッチンにはみりん風調味料があります♪V=ロボス/バキアーナス…

VillaLob  キリン風ドッグは無理だったが 
 テレビを観ていたら上野樹里が映っていた。
 彼女、いろんな悪い評判もあるようだが、少なくとも見た目はかわいい。不思議な魅力がある。

 で、テレビに映っていたのは番宣。「ウロボロス」というドラマである。
 どんな内容か知らないし、ドラマそのものを観る気はまったくないが、タイトルの意味が気になって調べてみた。


 ウロボロスとは自分の尾っぽを噛んでリング状になっている蛇の絵だった。
 うん、どこかで見たことがある。

 そーいえば、むかし犬を飼っていたとき、ヤツは自分の尻尾が気になって噛もうとしてグルグル回るということをしばしばやっていた。もしキリン並みに首が長いか牛のように尾が長かったら容易にウロボロス化できたのにと、いまになって手助けしてやれなかったことを悔やむ。
 例えば当時同居していたばあちゃんの古くなったミンクの襟巻きで延長用イミテーション尻尾を作ってやって、尻尾を長くしてやったらどうなったんだろう?

  で、カイピラって何?  

 そしてまた、ウロボロスという言葉は私にヴィラ=ロボスを、ごく自然に思い浮かばせた。

 ヴィラ=ロボス(Heitor Villa-Lobos 1887-1959 ブラジル)の「バキアーナス・ブラジレイラス(Bachianas Brasileiras)」。


 この作品は「ブラジル風バッハ」という邦題があるが、バッハ的な音楽をブラジル音楽風にしたというよりはブラジルの民族音楽を素材としてバッハの組曲のように仕上げたことから、近年では原題で呼ばれることが多いようである。

 全部で9曲あるが、作曲年は第1番の1930年から最後の第9番は1945年と長期間に及んでおり、編成も管弦楽によるものもあればフルートとファゴットのデュオのものもあるなど、以下のように曲によってかなり異なる。そのため通しで演奏される機会はほとんどない。


 第1番(1930)   8台のチェロ
 第2番(1930)   管弦楽
 第3番(1938)   ピアノと管弦楽
 第4番(1930-36) ピアノ独奏。のちに管弦楽化(1941)
 第5番(1938/45) ソプラノ独唱と8台のチェロ(のちにソプラノ独唱とギター用にも編曲)
 第6番(1938)   フルートとファゴット
 第7番(1942)   管弦楽
 第8番(1944)   管弦楽
 第9番(1945)   無伴奏合唱または弦楽合奏


Tomita  「バキアーナス・ブラジレイラス」はヴィラ=ロボスの代表作であり、新古典主義的なものや民族主義的なものが混在しているが、そのなかでも私が特に好んでいるのは第2番の第4楽章「トッカータ(カイピラの小さな汽車)」(Toccata(O Trenzinho do Caipira))。

 ここに書いているように、この曲を初めて聴いたのは冨田勲編曲のシンセサイザーによる演奏。その後にオリジナルを知った。
 ワイルドさと優しさ、美しさと土臭さの独特な対比が魅力だ。

 バティス指揮ロイヤル・フィルの演奏で。

 1986-87年録音。EMI(現在はワーナー)。


 月曜日にサツエキのキオスク(キヨスク)で買ったハムカツ・エッグサンドイッチ。
 季節限定商品のシールが貼られていたので、この時期のみの販売なんだろう。なぜハムカツとエッグが春と関係するのかわからないけど……。
 この手の商品ではハムカツ風コロモである場合が多く失望させられることが多いが、これはちゃんとしたハムカツが挟まれていた。

新しい掃除機が欲しい今日この頃♪ゴットシャルク/Sym1 & 2

GottschalkSym  陽気すぎる!
 映画音楽のようでもあり、また運動会のBGMに使えそうでもある。


 ゴットシャルク(ゴトチョーク。Louis Moreau Gottschalk 1829-69 アメリカ)の交響曲第2番「モンテビデオ(A Montevideo)」RO.257(1868/69)。

 2楽章構成で、すっごく短い第1楽章は牧歌的で、どこかドリーブの「コッペリア」の開始部分を思い起こさせる。
 すっごくはないがやっぱり短い第2楽章は聴いたことがあるメロディーが挿入されながら進む。そして、やっぱり出てくるのは「アルプス一万尺」のフレーズ。

 交響曲と称されてはいるものの、狂詩曲って感じだ。

 この曲、ナクソスから出ている「ゴットシャルク 交響曲・管弦楽曲集」に収められている。


 このCDの帯には、“心浮き立つリズムの応酬と思わず口ずさみたくなる美しい旋律。まるでおもちゃ箱のようなゴットシャルクの陽気な音楽”と書かれているが、実際楽しい。


 収録されているのは、収録順に次の作品。


 ・ 交響曲第2番「モンテビデオ」
 ・ ピアノと管弦楽のための「大タランテラ」
 ・ オペラ「キューバの田園劇」~第1幕
 ・ ポルトガル王ルイ1世賛歌による演奏会用変奏曲
 ・ アヴェ・マリア
 ・ メユールの「若きエンリケの狩り」への大序曲
   (3台ピアノ10手連弾を伴う)
 ・ 交響曲第1番「熱帯の一夜」


  やっぱりHITACHIがいいかなぁ
 私が最も楽しめたのは交響曲第2番だが、やっぱり2楽章構成の交響曲第1番「熱帯の一夜(La nuit des tropiques)」RO.255(1859)も第2楽章のエネルギッシュな舞曲も印象的。
 様式としてはマンボだかルンバだかダイソンだか知らないが、「う~ん、トロピカルぅ~」である。

 さらに、ガートのピアノ独奏が加わった「大タランテラ(Grande Tarentelle/Celebre Tarentelle)」Op.67, RO.259(1868)も、タランチュラに噛まれた人魚姫みたいにフニャラフニャラとした不思議な美しさと活気があるが、それだけではなくかなり技巧的。その半音階的メロディーが女の子にふられた思い出のように心に残る。
 なお、タランテラとはナポリ地方の速度の速い舞踊のことである。

 いずれも親しみやすくノリノリになれるが、反対にじっくり腰を据えて聴くのには向かないかも。

 ローゼンバーグ指揮ホットスプリングズ・フェスティバル交響楽団による演奏。

 第1番は1999年、第2番は2005年、「大タランテラ」は2006年の録音。ナクソス。


  ところで現在使っている掃除機は、今から10年以上前、初めての単身赴任で大阪に行く際にホーマックで買った名もなきメーカーの(いや、実際には名はあるが)掃除機。
 すぐにホースはグニャラグニャラ変な風に巻きつくは、たまにスイッチが故障するはで、年数的にも実態としても限界である。
 だからなんだって?

 いや、独白です。

いや、単に気がたるんでるだけです♪WAM/Sym34(by ガーディナー)

Mozart31Gardiner  朝ション,じゃなくて……
 おとといの朝、また失態を犯してしまった。失禁よりは比べ物にならないくらいマシではあるが、悔しいミスだ。なぜ悔しいかというと、年寄りくさい、つまりボケてんじゃねっ?的な過ちだからだ。

 このとき、その日のブログの記事を投稿したあと、翌日の記事を書いた。ドラフト状態である。
 が、それも投稿してしまったのである。
 “出血サービス、奥様Wチャンス”ではない。心の隙が起こした事故だ。

 このあいだも同じミスをしている。つまり2回目。
 このようなミスは人生で2回しか経験していない。つまり、ここにきて集中して発生してしまっているということだ。


 2度目の、つまり手直し後に水曜日にアップする予定だった記事は、すぐに非公開の設定にした。そのときの私の焦りを想像して、ぜひ手に汗握っていただきたい。
 が、即座にトラックバック送信されてしまったブログランキングのサイトでは、宿命的にそのタイトルが残ってしまった。それをクリックしても「すでに削除されてます」といったメッセージが表示されたわけで、幻の記事となった。
 みなさんには大変おもしろくない思いをさせたことを真剣に、申し訳なく思っている。


 なぜこのようなミスが起こったのか?

 私の気持ちがたるんでいるから?……それもある。

 が、このところ何かと仕事が忙しく、バタバタしながら記事を書いている状況。誰からもそんなに求められていないと言われればそれまでだが、とにかく余裕のなさがミスにつながったということだろう。
 夜に書けばいいじゃないかって?……だって夜はハイボールを飲みたいんだもん。
 
MozartGardinerBox  ミスと言っては失礼か……
 そう、ミスではない。仮説が間違っていたわけだ。
 音楽学者にだってそういうこともある。

 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第34番ハ長調K.338(1780)。

 この作品はモーツァルトがザルツブルクで宮廷音楽家を務めていた時期に作曲した最後の交響曲で3つの楽章からなる。


 音楽学者のアインシュタインはこの曲について、1782年の第1回アウガルラン音楽祭の際に「ハ長調交響曲のためのメヌエット」K.409(K6.383f。1782)を加えた4楽章の形で演奏されたという説を唱えた(詳しくはこちらを)。


 ちなみに交響曲の3つの楽章の編成は、2ob,2fg,2hrn,2trp,ティンパニ,弦楽。一方、K.409のメヌエットは、これに2本のフルートが加わる。


 その後の調べ、いや研究で、交響曲第34番はザルツブルクの趣味にそって意図的にメヌエットを欠く3楽章構成の形に仕上げられたということになり、アインシュタインの説は否定されることになった。


 今日はK.409のメヌエット付きのガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏を。


 1987年録音。デッカ(原盤フィリップス)。
 TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLEVTION +plus


  サンニー列車はロクニィヨン入線
 そんなこんなで忙しいなんて言い訳にはならないのだが、最近記事が短めなのもそのせい(短い方がくどくなくて良いという意見も多数あろう)。

 最近仕事が忙しい→夜早く寝る(これはこれまでと変わらない)→朝の目覚めも遅い→記事内容がこれまでにも増して充実していない、ってわけで、こんなんだったらブログタイトルも「読後充実度 83ppm のお話」にしなきゃならなくなる。

 ついこないだまでは、自然に毎朝4時過ぎにシャキッと目覚めていたのに(ある意味病的か?)、そして一度目が覚めると二度寝できなかったのに、5時すぎまで寝坊しちゃうなんて(これでも十分早起きだけど)、寝続ける体力がついたとも言える。としたら、アタシ若返ったのかしら?

 これは一時的な現象に違いない。私も人並みに春眠暁を覚えずってやつになっているようだ。
 もう少し時間をくれたら暁を覚えるはずだ。そしてお約束する。必ずやくどい文に戻すことを。

 ところで、アクセス解析でこのブログへの検索キーワードを調べたら、“読後充実度48ppm”ってのがあった。
 トホホ……(これでも検索できたということか?)

 また、検索キーワードの中に、“スーパーとかち2号は何時に乗り込めるか?”っていうのもあった。
 私のどの記事がヒットしたかわからないが、そんなこと書かれてなかったでしょう?

 お答えしましょう。

 帯広駅6:46発のスーパーとかち2号は、6:24に帯広駅に入線する。パジャマ姿でマンションの廊下の窓から昨日再度確認したので間違いない。確かな情報のためにここまでやる私って、けっこう誠実だと思わない?
 

脱がすのは好きです。男ですもの♪ローズ/できるだけ……

20150321Bossa  網タイ、いや、ネットをはずすと……
 春です。
 雪どけです!

 先週末に自宅に帰ったのだが、相変わらず庭には大量の雪が残っていた。
 というわけで、まだまだガーデニング作業ができる状態では全然なかった。むしろ雪割りをしたらどうでしょう?ってもんだったが、そこはほれ、ようやく腰の痛みが治まってきた私なので、無理は禁物だし、無理をする気力もない。

 そんなわけで、庭の端の唯一周囲の雪解けが完了しているバラの冬囲いを取り除いてみた。
 縛りつけているロープをはずし、ネットを脱がす。
 ワクワク、ドキドキする瞬間だ。

BossaN111015c そして姿を現した“ボッサノヴァ(ボサノヴァ)”。
 あ、あ、赤い、し、し、新芽が、へへへ、かわいい!

 って、わけで春だ、スプリングだ、プランタンだ、プリマヴェーラだ(一応説明すると、日→英→仏→伊)。

 “ボッサノヴァ”の花はこのようなもの。もちろんこれは過去に撮った写真である。

  ピューリタン革命で戦死!
 ローズ、いや、roseではなくLawes(William Lawes 1602洗礼-45 イギリス)の3声の声楽曲「できるだけばらのつぼみを集めなさい(Gather ye rosebuds while ye may)」。

 ローズは兄のヘンリーとともにチャールズ1世の宮廷音楽家を務めた人。しかしピューリタン革命で王党派に加わって戦死した。

 ピューリタン革命ですよ!
 なんかすごいですね。
 音楽史的にはルネサンス音楽の末期(もしくはバロック期の初期)ということになる。

Primavera ちなみに歌詞は以下のとおり。

 Gather ye rosebuds while you may,
 Old Time is still a-flying;
 And that same flow'r that smiles today,
 Tomorrow will be dying.

 The glorious lamp of heav'n,the Sun,
 The higher he's a-getting;
 The sooner will his race be run,
 And nearer he's to setting.

 The age is best that is the first,
 While youth and blood are warmer;
 But being first,the worse,and worst
 Times still succeed the former.

 Then be not coy,but use your time;
 And while you may,go marry:
 For having once but lost your prime,
 You may forever tarry.

 にしても、歌詞の内容はともかくとして、現実問題としてはせっかく育てたバラのつぼみを摘み取られるなんて、わが庭では許しがたいこと。
 摘み取りはしないが、むしゃむしゃ食い荒らすコガネムシと今夏も闘わねばならないと思うと、早くも戦士気分だ。

 ルブランのソプラノ、テイラーのカウンターテノール、レ・ヴォア・ユメーヌの演奏で。

 2002年録音。ATMA。

6楽章目ともなると狂うから調弦し直さなきゃ♪ハイドン/Sym60

Haydn60-65Goberman  ケダモノだって滅入ることがある 
 「なにぃ?つわ者を逃しただと?このうつけ者がぁっっっ!」てなセリフって、時代劇にありがち。 

 “うつけ”とは、ぼんやりというような意味で、つまり“うつけ者”イコール“馬鹿者” or “愚か者”ということだ。
 TV時代劇「暴れん坊将軍」では「うつけ者!余の顔を見忘れたか!」が決めぜりふだったそう。
 にしても、時代劇ってほとんど滅亡状態ですね。

 “うつけ者”を現代的かつやんわりと言い換えると、“うっかり者”とか“うかつ者”になるのだが、馬鹿だ、愚かだ、という点では何ら変わらない。
 余談だが、“うつけもの”と入力して変換すると“鬱獣”となった。気の毒なケダモノもいるものだ。早く治るといいね。

  元祖・冗談音楽?
 ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第60番ハ長調Hob.Ⅰ-60「うかつ者(Il distratto)」(1774)。

 6つの楽章という変則的な構成で、編成はオーボエ 2,ホルン 2,(トランペット2本),ティンパニ,弦楽。

 タイトルの「うかつ者」(あるいは、うつけ者、うっかり者、愚か者。不思議と「馬鹿者」という邦題はないみたい)は、この交響曲が付随音楽「うかつ者(Der Zerstreute)」(1774)から転用されたものであることに由来するが、その付随音楽はJ.F.ルニャールによる、J.B.ベルゴプゾーマーの劇のための間奏曲である。

 モーツァルトに「音楽の冗談」というまさに冗談めいた作品があるが、この「うかつ者」はいわばハイドンの“音楽の冗談”。
 ベルゴブゾーマーの劇がどんなストーリーなのかはさっぱりわからないが、うかつ者が高尚な音楽をぶち壊すような感じである。
 つまり、ヘンテコなフレーズの介入や、ときに場違いに荒々しくなったり、突然ファンファーレが鳴るは、チューニングが始まるは、ってものなのだ。
 ハイドンのユーモア・センスがギンギンに光っている、感心させられる曲だ。

 ゴバーマン/ウィーン国立歌劇場管弦楽団の演奏で。
 1960-62年録音。ソニークラシカル。

スイスの別荘にて♪バルトーク/弦チェレ(by ペスコ)

BartokPf3  ネズミが入れるほどの穴ってのは大げさなような……
 おとといグリエールの作品を紹介したが、一般的にグリエールと言われて頭に思い浮かぶのはグリエール(グリュイエール)チーズの方じゃないだろうか?
 
 グリュイエールチーズはスイスのグリュイエール地方が原産のチーズで、スイスではエメンタールチーズ(「トムとジャリー」に出てくる大きな孔があるやつ)に次いで輸出量が多いという。

 エメンタールに似た特徴を持ち、チーズフォンデュやラクレットなどに使われるが、そのまま食べるとエメンタールよりもクリーミィーでナッツのような甘味がある。ガス孔もある場合もあるが、かなり小さい。


 そのグリュイエール地方で書かれた作品がある。

 バルトーク(Bartok Bela 1881-1945 ハンガリー)の「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽(Musik fur Saiteninstrumente, Schlagzeuge und Celesta)」Sz.106,BB.114(1936)だ。


  滞在中、彼はチーズを食べたのだろうか?
 ここでも触れているように、この曲は指揮者のパウル・ザッハーの委嘱で作曲したが、ザッハーはグリュイエールにある自分の別荘を創作の場として提供。バルトークはそこで着手し、ブタペストに戻って完成させた。

 バルトーク円熟期の作であり、「管弦楽のための協奏曲」と並び彼のオーケストラ作品の傑作かつ有名曲の1つである。


 今日はあまり知られていない佳演を。

 ペスコ指揮南西ドイツ放送交響楽団によるもの。

 全体的にややコンパクトだが透明度が高く、またこの曲が持つ精緻さもきちんと表現されている。
 あまり知られていない指揮者だが、なかなかなのだ。


 でも、実は私もこれ、ギーレン指揮だと思って買ったもの。が、ギーレンが振っているのはカップリング収録のピアノ協奏曲第3番で、「弦チェレ」はペスコの指揮だった。が、上に書いたように悪くないどころか良い。けがの功名ってやつだ(ちと、違うか……)。
 
 1988年録音。アルテノヴァ。


 なお、バルトークの作品につけられた番号ではセールレーシ(スールーシー)によるSz.が一般的。
 BB.というのはラースローによる番号で、現在整理が進行中。つまりing状態である。

コーチョーセンセイ、朝からウンコに怒り心頭♪ハイドン/Sym55(by ゴバーマン)

Haydn52-55Goberman  こんなに大勢でミスは生じないのだろうか?
 今日の北海道新聞朝刊に“小中学校長・教頭の人事”が掲載されていた。
 見開き2ページ、けっこうな数だ。
 高校時代の同級生もけっこうセンセイになったのだが、こんなに多いと知った名前を探す気にもなれない。目も弱って来てるし、もし見つけたとしてもだからどうしたってもんだし……

  校長はなぜああ断定したのだろう?
 ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第55番変ホ長調Hob.Ⅰ-55「校長先生(Der Schulmeister)」(1774)。

 タイトルの由来は第2楽章の雰囲気からだという。
 まったくやれやれではある。

 4つの楽章からなり、編成はオーボエ 2,ファゴット 1,ホルン 2,弦楽。

 第1楽章はなかなか激情型な音楽。やる気満々の新米体育教師って感じがしないでもない。展開部の途中でニセモノの再現部が現れる。

 第2楽章は変奏曲になっており、人の良いおじさんを思わせるもの。この雰囲気、そして規則正しいリズムが校長先生(もしくは「学校の先生」)っぽいということだ。
 私が通ってた小学校の校長はこの雰囲気とは正反対だったけど……
 この校長、ある日全校朝礼で、「校庭に大きなウンコがあった。こんなことをする大人になるな」とたいそう憤慨していた。私はヒトの、大人の糞とどうして言い切れるのか不思議に思った。量的なものから判断したのだろうか?それと、拭いた紙も一緒に落ちていたのかしらん?

 第3楽章はメヌエット。これまた力強く激しい舞曲だ。トリオは穏やかで、また、手の込んだ織物のよう。

 第4楽章も変奏曲だが、こちらは第2楽章と対照的に活発。ハイドンっぽいおどけた表情が印象的。

 今日もゴバーマン/ウィーン国立歌劇場管弦楽団の演奏を。
 ほんと、ゴバーマンで聴くとハイドンってこんなに面白いんだってあらためて気づかされる。
 しつこくお薦めと書かせてもらうが、限定生産だから、迷っている人は買った方がいいとお節介も焼いておく。

 1960-62年録音。ソニークラシカル。

 全然関係ないが、同じく昨日の朝刊の記事の中で“米朝悼む高座”って見出しが目に入った。
 アメリカと朝鮮の何かを悼む内容の落語かと思ったら、桂米朝のことだった。
 まぎらわしくありません?

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