新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は江別市「らーめん しょう」の味噌ラーメン。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2015/02

いかなる味を選択すべきか哲学的に思考する♪ハイドン/Sym22

Haydn22Goberman  シューーーートッ!
 月曜日。
 朝目覚めてカーテンを開けると(棚ではなく窓の)、外はまだ真っ黒黒べえのような闇状態で、あらゆるものがウスターソースにまみれたアリのように判別しにくかったが、それでも夜のうちに雪が積もったことはわかった。
 そしてまた、夜中に寝ぼけて(きっと全盛期のベッカムになった夢をみたのだろう)湯たんぽを蹴ってしまい、右足の小指がけっこう痛かった。

  働くおじいさんは「雨だ」と言った 
 6時前。空がやや明るくなってきたので、この明るさならおやぢ狩りに遭うこともないだろうと、パンパンに膨らんだゴミ袋を携えて新聞を取りに行った。
 なぜ新聞を取りに行くのにゴミ袋、それもパンパンに膨らんだものを持参したのかというと、月曜日は“燃やせるゴミの日”だからだ。


 外に出ると確かに雪が積もっていた。5cmくらいだろうか。しかも重そうな雪だ。
 キュッキュッと雪を踏みしめながらゴミステーションに行くと、なんとそこではおじいさんが柴刈り、いや、雪かきをしていた。

 この人、よく見かける。
 私はなぜか不思議とよく遭遇する。
 このマンションに住んでいる人だ。

 きっと趣味ではなく、何らかの対価と引き換えに管理人的な仕事を請け負っているのだろう。仕事だから、おやじ狩りや振り込め詐欺やコンビニ強盗やレイプ魔なんかちっとも怖くないって態度、というか管理業務以外のことには一切無関心というオーラを放ちながら、暗いうちからつまらなそうに雪かきをしていたのだ。

 私は礼儀正しいのでちゃんと挨拶をする。

 「おはようございます」
 「いま何時だと思ってるのかね?ゴミを出すのが早すぎる!」と言いがかりをつけられないか内心びくびくである。

 しかしおじいさんは作業の手を止めず、私の方を見ようともせずに「雨だ」と言った。
 どうも噛みあっていない気がするが、いや全然会話になっていないのは明白だが、このおじいさん、予言者なんかじゃなく、確かに小雨が降ってきた。

  火の気、無し

 重くてやや深い雪のせいで朝の通勤時は歩きにくかった。
 しかし、日中は気温がどんどん上がり、昼食どきは歩道がべちゃべちゃだった。

 にもかかわらず、陽気に誘われて私と秋吉課長と阿古屋係長は、秋吉課長の提案で〇〇楼よりはやや遠い串揚げの店“つのかくし”(仮名)に行ってみることにした。


 この店、大阪の串揚げを気軽に、というようなコンセプトだったはずだ。

 以前はランチもやっていたが、その後は夜のみの営業になり、そしてまた数か月前からランチ営業を復活させたという、私なんかには事情はわからないが、どうも自ずから客の定着を拒絶しているような振る舞いをしているように思えてならない。

 数週間前の金曜日。寒いにもかかわらずやはりこの3人で行ってみたところ、“金曜定休”と出ていて、当たり前のごとく店の戸は固く閉ざされ、中に人の気配がまったくしなかった。

 やれやれ。よりによって定休日に来てしまったわいと、なぜ金曜日が定休日なのか疑問は残ったものの、そんなの相手の勝手だから恨んでもしょうがない。私たちは別な店に行って生姜焼き定食を食べた。
 こう書いていて気づいたが、私はしょっちゅう生姜焼きを食べているような気がする。


 月曜日は店に向かう途中で、早くも私と課長とはメンチカツ定食にしようと心に決めていた。
 あの金曜日のときに、ひと気のない店のガラス戸に貼ってあった写真つきランチメニューをチェックしておいたのだ。
 しかし、阿古屋係長が心に秘めていたメニューはわからなかった。

 あと1本道路を渡ればゴールだ!
 しかしそのとき、私はなんとも嫌ぁ~な気持ちになった。
 なんとなく建物に生体反応を感じないのだ。店内の照明が灯っている様子もない。
 生体反応がなく照明も灯ってないとしたら、それは薄暗い留守宅だ。


 入口まで行くと、ほらほら“臨時休業”の張り紙が!

 臨時休業というくらいだから臨時で休まなきゃならないようなことが起こったのだろう。

 それにしても、2度続けて拒絶されてしまった。
 「2度あることは3度ある」とも言う。私たちはこの店に縁がないのだろうか。
 そしてやっぱりこの店、客が定着するのを前向きに拒絶しているように思えてならない。

  難しい選択だったようで…… 
 この反動を受け、私たちは1丁ほど戻り、出前一丁とは関係ないがラーメン屋に入った。

 この店はいつも混んでいる人気店なのだが、幸運なことにたまたま席が空いていた。絶望の世界から希望の惑星にたどり着いた気分だ。

 私「みそラーメン」

 秋吉課長「みそラーメン」

 阿古屋係長「う~ん……、どうしようかな……え~と」

 係長は、頭の中で「生きるために食べよ、食べるために生きるな」というソクラテスの言葉が頭の中に渦巻く哲学者のように、目を閉じ、天を仰ぎ、そして目を見開き、注文を取りに来た顔立ちが美しく人当たりの良い店員女性に対して出発信号を指差確認する運転士のように指を差し、これぞ究極の選択とばかりに力を込めて言った。

 「みそラーメン!」


 この女性(おそらくこの店の若奥さんだろう)は、しかし動揺することも無く「みそラーメン3つですね」と反復しただけだった。私としてはここで「しょう油チャーシュー大盛り、白ねぎ&煮玉子トッピング」あたりを期待していたのだが……


  これはまたマニアックな編成だこと……
 ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第22番変ホ長調Hob.Ⅰ-22「哲学者(Der Philosoph)」(1764)。

 「哲学者」のニックネームはハイドン存命中にすでについていたというが(だからハイドンもたぶん知っていただろう)、その由来は不明。


 この交響曲は編成が変わっていて通常なら2本用いられるオーボエの替わりに2本のコーラングレが用いられている。
 コーラングレはオーボエの仲間の楽器だが、音域がオーボエより低い。
 そのためオーボエよりも音色が渋い(コーラングレが奏でるメロディーで有名なものにドヴォルザークの「新世界交響曲」の第2楽章(家路)がある)。

 ハイドンがどのような狙いでこのような特殊な編成にしたのかわからないが、「哲学者」の由来は、コーラングレの渋い音→思慮深そう→哲学者っぽい、ってところかもしれない。

 が、渋いことは渋いが、第1楽章なんかはボャ~ンとして締まりがない感じがしないでもない。
 哲学者ってこんなに気が緩々してるのか?
 私としてはこの曲に、「哲学者」じゃなくて「藪医者」とでもつけたいところだ。
 で、時代も国も違うけど、第1楽章冒頭はエルガーの交響曲第1番のそれを思い起こさせなくもない。
 
 曲は緩→急→緩(メヌエット)→急の4つの楽章からなる。この形は教会ソナタの形式である。

 バグパイプ風のコーラングレの音色の妙味や、楽想的にもなかなか良いところがあるが、でもこの第22番、刺激が足りなくてあくびしちゃいそうにならなくもない。

 私がすっかりはまってしまったゴバーマン/ウィーン国立歌劇場管弦楽団の演奏を。


 1960-62年録音。ソニークラシカル。


 やれやれ。
 1週間を振り返ろうとしたら、月曜日だけでこんなに話がくどくなってしまった。
 
 始めは全体の半ばである by プラトン


 ↑ よく意味わかんないけど


想ひ出は美(味)し過ぎて……♪ブリテン/セレナード(by ジュリーニ)

DebussyBrittenGiulini  いくらか補償はしてもらえるんだろうか?
 来月、つまり3月いっぱいで、50年の歴史をもつ遠軽の“岡村べんとう屋”が廃業するそうだ。

 駅弁の“遠軽かにめし”を作っている店だが、廃業の理由はJRが特急での車内販売を取りやめるためだという。

 札幌⇔網走を走る特急“オホーツク”。

 事前に電話予約をしておけば、遠軽駅で“遠軽かにめし”が列車に積み込まれ、席に届けられるというシステムになっていた。
 私はもう久しく“オホーツク”を利用していないので、このサービスを利用する機会がなかったし、遠軽駅にも下で述べる旅行時以来行っていないので、この弁当はもはや私の中では幻の逸品。
 ついぞそれを再び口にできないまま終わってしまう(百貨店やスーパーでの駅弁まつりといった催し物でも見かけたことがないのだ)。

 経費節減のため“オホーツク”に限らず道内特急の車内販売は軒並み廃止される。残るのは札幌⇔函館の“北斗”系の一部と、札幌⇔釧路の“スーパーおおぞら”の一部。

 売れ行きが悪くなっているという事情はわかるが、なんだか寂しい。

 “遠軽かにめし”の場合、予約による車内販売が総体の売り上げの9割にも及んだそうだから、車内販売が廃止されたらそりゃもうやっていけないよな。

  確か“興部”行の急行の中で食べたはず

 私がこの弁当を食べたのは高校3年生のとき。

 夏休みに、受験生にもかかわらず道東方面に旅行したときだった。同級生たちはその間せっせと夏期講習に通っていた。が、私は牡蠣の産地あたりをうろついていたわけだ。

 札幌から根室へと行き、根室から釧路へ戻り、釧網線で網走に上がり、網走から急行“天都”に乗って遠軽経由で紋別へ。“道東回遊きっぷ”という割引切符で、その範囲内をグルリンコしたのだった。

 急行“天都”は、(このあたり残存記憶がビミョーだが)札幌に向かう急行“大雪”と連結して網走駅を出発した。そして、遠軽駅で2つの急行の車両の切り離し作業が行なわれた。

 “天都”はこの先名寄本線に入り、湧別経由で終着の興部(おこっぺ)に向かう(ただ、私が乗ったのは渚滑(しょこつ)行だったような気もする。たぶん記憶違いだろうけど)。
 一方、“大雪”は旭川を経て札幌へと向かう。ここで離れ離れ、それぞれの道を進むのだ。
 この作業のため停車時間はやや長め。私はホームをうろうろし、午後2時か3時ころだったと思うが、立ち売りの“遠軽かにめし”を買い、列車の中で食べた。

 はっきり言って、すっごくうまかった。

 ちなみに、あのころは赤字だらけのローカル線がまだたくさん残っていたので、バスに頼らなくても鉄道だけであちこちへ移動ができた。
 紋別で1泊した翌日は湧網線で網走に行き、特急“おおとり”で札幌へ戻った(そのころは特急“オホーツク”はなかった)。
 紋別では一緒に旅行していた友人の親戚宅に泊めてもらったが、たいそうウェルカムで夕食にはカニが出た。豪華である。が、個人的にはやれやれだった。

 カニの反動ってわけじゃないが、“おおとり”では食堂車でカレーライスを食べた。そのころは道内特急にも食堂車(形式はキシ)が連結されていたのだ。
 そのカレーは、しかしひどく不味かった記憶しかない。

 “おおとり”というのは紅白の最後の歌手ではなく、鳳からきている(はずだ)。

  別にカセットケースを飾りたてる必要はなかったけど
 この旅行で撮ったあちこちの風景写真を、私は大量にあったカセットテープのケースに入れた。

 湧網線で途中下車した計呂地駅近くの写真は、ブリテンの「セレナード」を収録したテープのケースに差し込んだ。
 なぜ計呂地かというと、地図上ではサロマ湖に最も近い駅だったからだ。
 で、サロマ湖を見ることはできたが、ただの広い湖だった。広すぎて海だか湖だかわからず、逆にがっかりした。私が求めていたのは一目見て「ミ・ズ・ウ・ミ!」って唸るような景色だったのだ。


 そんなわけで、このたびこの曲が思い出された。

 ブリテン(Benjamin Britten 1913-1976 イギリス)の「セレナード(Serenade)」Op.31(1943)。


 作品についてはこちらをご覧いただきたいが、あのときの旅行の思い出に結びついている作品の1つだ。
 そして、私はなんだかんだ言って、けっこうブリテンが好きなのだ。


 今日はティアーのテノール独唱、クレヴェンジャーのホルン、シュリーニ指揮シカゴ交響楽団の、感情過多ではないが表情豊かな演奏をご紹介しておく。


 1977年録音。グラモフォン。


 新聞によると、“遠軽かにめし”は、2013年度の道内の駅弁売上のなかで第2位だったという。

 確かに遠い過去の記憶では実に美味しかったし、実際いまでも美味しいのだろう。だが石北本線の1日の特急運行本数は4往復しかない。それにもかかわらず第2位というのは驚きだ。


 あぁ、も一度食べたかった。

 鮭筍缶にしろ“遠軽かにめし”にしろ、私にはこういう後悔が多すぎる……

“アメリカの祭典”って感じの高揚♪ゴットシャルク/ユニオン

GottschalkPiano  おっと、19世紀の人じゃん
 私にとってはバイブル的存在であるハロルド・C・ショーンバーグの「大作曲家の生涯」(亀井旭/玉木裕 共訳:共同通信社,1978年)は上・中・下の3巻からなる。最終巻の下巻は13章からなる。

 下巻はプッチーニ(1858-1924)で始まり、最後の章ではシェーンベルク(1874-1951)、ベルク(1885-1935)、ウェーベルン(1883-1945)の3人を扱っている。

 つまり第2次世界大戦が終わった時代で終わっているのだが、それは著者によると、“新理論を選び出し、本物をまがい物から選別するには、1世代(約30年)あるいはそれ以上の歳月が必要である”(下巻「後奏」)という理由からだ。

 ところで、下巻の第11章は「ゴットシャルクからコープランドまで」。

 下巻に収まっているのだから近・現代の作曲家だと思いがちだが、このゴットシャルクはそうではない。
 ここは頭ではわかっていても、私にとってどうも時代感覚が狂うところである。

 ゴットシャルク(ゴトチョーク。Louis Moreau Gottschalk 1829-69 アメリカ)は生没年をみておわかりのように、19世紀の作曲家。それもこの時代では数少ないアメリカの作曲家である。

 つまりショーンバーグはゴットシャルクから始まるアメリカの作曲史をこの章にまとめこんだのだ。そのために、1829年生れというショパンやシューマンと同世代の作曲家が下巻に登場してしまったというわけだ。
 もう、まぎらわしいんだからぁ~。

 ヨーロッパが偉大な作曲家を産み出すのに忙しかった19世紀の大半は、アメリカにとっては辺境開拓の時代だった。……アメリカに音楽が存在しなかったわけでは決してない。イギリス人やアフリカ人奴隷たち、あるいはカリブ海地域の人々が持ち込んだ民謡が大量に存在していた。すくなくとも、2人の作曲家、つまりルイス・モロー・ゴットシャルクとスティーヴン・フォスターが、これらの民謡を活用した。……
 しかしアメリカでは、19世紀を通じて“まじめな”音楽は、おおむね輸入教授が披露する外国の芸術でしかなかった。……アメリカの作曲家が独自の言葉で力強く話し始めるのは、世紀末のチャールズ・アイヴズの出現以後のことである。しかしアイヴズ以前にも、突破口の入り口まで到達しながら持てる力を十分に発揮し得ず、足踏みを続けた魅力的な作曲家、ルイス・モロー・ゴットシャルクがいた。

 フォスターの曲を耳にしたことがないという人はほとんどいないだろう。が、ゴットシャルクの曲を聴いたことがないという人は、そこいらじゅうにごまんといるだろう。アイヴズも愛好家向けの音楽だろうけど。

 ゴットシャルクは優れたピアニストであり、作曲を始めたのは1940年代末である。
 その作品の特徴について、ショーンバーグはこう書いている。

 自らが生まれ育った農園のメロディーと、ニューオリンズで耳にしたキューバまたはカリブ海の活き活きしたリズムが、その背景を形成した。ショパンのマズルカの民族的特質に鼓舞されて、ゴットシャルクは自らの民族的背景と環境を反映する作品を書き始めた。ショパンとリストに根ざす精巧なピアノ曲のなかに、土着の旋律とリズムが盛り込まれ、さらに後年ピアノラ(自動ピアノ)様式と形容されることになる、ゴットシャルク独自の工夫が凝らされた。ピアノラ様式という名称は、そのキラキラした効果音がピアノラに似ていることに由来する。ゴットシャルクはピアノ鍵盤の上方の2オクターヴが大好きで、そこから常に、銀の音のカスケードを作り出した。

 しかし、ゴットシャルクはコンサートで自作の「死」という作品を演奏中に失神し、間もなく若くして亡くなった。 
 死因は腹膜炎だったということだ。

  よく知っているメロディーが暴れまくる
 そのゴットシャルクの「連邦 - 国民歌による演奏会用パラフレーズ(The Union - Concert paraphrase on national airs)」Op.48(1862)。

 この曲は1864年のリンカーン大統領夫妻への御前演奏で初演されたそうだが、「アメリカ国歌」に「ヤンキードゥードゥール」(日本では無関係な歌詞が付けられて「アルプス一万尺」として知られている)、「コロンビアを呼ぶ(ヘイル・コロンビア)」のメロディーが登場し、やがて絡み合う。

 これはもう「トムとジェリー」のドタバタのなかで使われていた音楽のような世界。もちろんもっと複雑だけど。
 躍動感に身も心も踊る!

 ペナリオのピアノ独奏で。

 1992年(?)録音。EMI。

 ゴットシャルクは民族主義、国民楽派の思いがあったのだろうか?
 う~ん、ちょっと難しいところだな……

「交響曲の父」の交響曲第1子♪ハイドン/Sym1(by ゴバーマン)

Haydn01-04Goberman  父の面目躍如!
 いま私はこれまでにないほどハイドンに魅かれている。
 何がのっかってる丼かって?

 えっとぉ~……違うちがう!Haydnである。
 作曲家のはいどんである。
 Franz Joseph Haydn(1732-1809 オーストリア)のことである。

 ご存知の方も多いと思うが、バッハは「音楽の父」でありヘンデルは「音楽の母」である。
 が、この2人の間に子どもはいない。だって「音楽の子」と呼ばれている作曲はいないもの。それ以前の問題ではあるが。

 この2人に続く冠付き作曲家がハイドン。その冠とは「交響曲の父」だ。

 ちなみに「交響曲の母」はいない。
 交響曲をほぼ完成形に発展させたベートーヴェンが母と呼ぶにふさわしい気もするが、彼には「楽聖」という冠がある。まぁ、あの肖像画の顔と伝えられる気性、そして厳しい音楽からすると、母と呼ぶには皆ためらいがあったのだろう。そしてまた、これはハイドンも実は同様なのだが、ベートーヴェンを交響曲という1つのジャンルだけで讃えるのは片手落ちってことなのだ。
 また、活動時期でハイドンとベートーヴェンの間に位置するモーツァルトは「神童」である。
 「神童」も「楽聖」も、交響曲のみならず全般にわたってその存在を讃えてるってわけ。
 とにかく交響曲は片親なのだ。

  104曲の全貌を知るのは難しい
 その「交響曲の父」だが、少なくとも番号つきの交響曲を104曲残している。
 さすがである。父と呼ばれるにふさわしい。
 
 ところが義務教育の音楽の授業で、「ハイドンは交響曲の父なんざますのよ」と(たぶん)教えられたにもかかわらず、その作品が広く聴かれているかというと、全然である。しばしば聴かれるのは「驚愕」とか「時計」ぐらい。それも一部の楽章。
 数だけ多いから「父」なのかって、ひどいことを言う人もいるくらいだ(←イメージです)。

 1970年代あたりからようやくハイドンの交響曲の真価が認められるようになったと言われているが、録音点数なんかをみても、現在に至るまで充実してきたとはとても言えないくらいお寒い状況だ。
 だから、特に彼の初期の交響曲を聴いてみたいと思ってもそもそも音源がないってわけで(交響曲全曲を録音した指揮者は数人)、音楽史上これだけ名が知られており、ましてや「交響曲の父」と呼ばれているのに、やれやれもはなはだしい。
 楽譜の問題があるとしても、ハイドンさんがかわいそうだ。

  50年以上前にこんな録音が!
 最近になってゴバーマンが1960~62年の、いまから50年以上前に録音した(それもピリオド)音源がCDとなって発売された。先日「朝」「昼」「晩」交響曲第6~8番)を紹介したセットだ。

 発売元のソニークラシカルのコメント。

 「ウェストサイド・ストーリー」の初演を手掛けた男が目指したハイドン

 ピリオド楽器演奏を先取りし、1960年初頭にウィーンで録音された幻のハイドン交響曲録音の全貌が半世紀を経て復活!
 その革新的で独創性溢れる音楽活動でその名を残すアメリカの指揮者、マックス・ゴバーマン(Max Goberman 1911-1962)はフィラデルフィアで生まれ、神童として幼少時より音楽への才能を開花させ、カーティス音楽院でレオポルト・アウアーにヴァイオリンを、フリッツ・ライナーに指揮を学びました。10代でストコフスキー時代のフィラデルフィア管弦楽団のヴァイオリニストとなり、ライナーの勧めで指揮者に転向、自らニューヨーク・シンフォニエッタを設立し、コープランドやモートン・グールドなどの新しい音楽を積極的に紹介しました。ニューヨークシティ・オペラとバレエ劇場(アメリカン・バレエ・シアターの前身)での音楽監督として活動する傍ら、ブロードウェイ指揮者として人気を博し、「ビリオン・ダラーベイビー」「ホエアズ・チャーリー?」「ブルックリン横丁」などのヒット作を手がけました。中でも最も有名のが、バーンスタインの「ウェストサイド・ストーリー」と「オン・ザ・タウン」です(「ウェストサイド・ストーリー」のブロードウェイ・キャストの録音でも指揮しています)。
 さらにゴバーマンは、ヴィヴァルディの全オーケストラ作品とハイドンの交響曲全曲をレコード録音し発売するために、会員性のメールオーダーで販売する自主レーベル「名作録音ライブラリー(Library of Recorded Masterpieces)」を設立。ウィーンとニューヨークで両プロジェクトに乗り出しましたが、ヴィヴァルディは「四季」を含む75曲を、ハイドンは45曲を録音したところで心臓発作に倒れ、51歳の若さで1962年の大晦日に急逝しました。
 今回13枚組のボックスセットとして世界で初めてCD化されるのは1960年から62年にかけて録音されたハイドンの交響曲の全てで、45の交響曲と序曲3曲が収録されています。音楽の本場ウィーンで、「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」を起用して録音されたこれらの交響曲は、当時最新鋭の録音技術だった3トラックによるマルチ録音で収録され、演奏・音質ともに高いクオリティに到達していました。ゴバーマンは、ハイドンの交響曲を古典派の傑作として真摯にとらえ、当時としては最新の音楽研究の成果を取り入れることで、現在のピリオド楽器演奏の原型ともいうべき、スリムで新鮮な演奏を繰り広げています。
 ゴバーマンの急逝によってこの全集は未完に終わり、一部が1960年代にCBSの廉価レーベル「オデッセイ」でLP発売されましたが、LP用のマスターを作成する際にセンター・チャンネルをミックスしなかったため、木管と金管のバランスがきちんと反映されず、演奏の真価が伝わりませんでした。今回の世界初CD化にあたって、3トラックによるオリジナリル・アナログ・マスターテープから再度ミックスダウンとリマスターが行われ、歴史的に非常に重要な意味を持つゴバーマンの遺産が驚くほどの鮮度で蘇ります。
 

 発売元に迎合するわけではなく、本当にすばらしい演奏だ。
 「ハイドンってこんなに面白いんだ!」と、初々しい女子高生のようにキャッキャしたくなった私である。
 魅力再発見、いや新発見である。

 特に、録音点数がそこそこある後期の交響曲では、「な~んか、ハイドンって退屈ぅ~」とふてくされた女子高生のように口に出してしまいそうになることもあり、それがまた「ハイドン=善い人なんだけどね」という評価になりがちなのだが(それも演奏にかなり左右されるが)、 初期作品がこんなに刺激的で表情に富んでいるとは!

  第1号からとばしまくり!
 今日は交響曲の父の最初の交響曲である第1番から第4番が収められたCD1について。

 交響曲第1番ニ長調Hob.Ⅰ-1(1759)【3楽章構成】
 交響曲第2番ハ長調Hob.Ⅰ-2(1761以前?)【3楽章構成】
 交響曲第3番ト長調Hob.Ⅰ-3(1762以前?)【4楽章構成】
 交響曲第4番ニ長調Hob.Ⅰ-4(1760以前)【3楽章構成】

 編成は各曲とも2ob,2hrn,そして弦楽。

 ハイドンが1761年にエステルハージ侯爵家の宮廷楽団の副楽長に就任するまでに書いた交響曲は13曲残っているという。

 交響曲のナンバーが必ずしも実際の作曲順になっていないなどの問題があるものの、第3番で初めてハイドンは4楽章から成る交響曲を書いた。そして、エステルハージ家の副楽長に就任してからはこの形(急速楽章-緩徐楽章-メヌエット-急速楽章)の交響曲の数が増えてくる。

 このCD1に収められている4曲はそれぞれ異なった表情を見せる。

 このなかで第1番と第2番は私も過去に聴いたことがあったが、なんだかつまんなくて苦痛ではないものの居心地が悪いなぁという印象しか残っていなかった。
 なのに、ゴバーマンの演奏を聴くと何度も何度も聴きたくなる。

 第1番が鳴り響いたときに、よくわからないが「うぅっ!」と唸ってしまった。
 交響曲第1番は「第1番」ではあるものの、最初に書かれた交響曲かどうかははっきりしていない問題は残っている。しかし、そんなこと言っていても埒が明かないので、この際第1号と位置づけるが、偉大なる父だけあって、初産の子からして健康優良児、将来が楽しみ、新しい時代の夜明け、と思わずにはいられない。

  第2番は長女、第3番は次男、第4番は次女って雰囲気
 第2番は第1番とは対照的に“父っつぁん坊や”のような、ものわかりのいいお姉ちゃんみたいに落ち着いた音楽で始まる。
 この曲はちょっと作りが異端的というか実験的で、反復記号がまったくない、緩徐楽章が無窮動、終楽章が異例のロンド、ということでかなり個性的な作りになっている(と何かに書いてあった)。
 
 また第3番の冒頭は、あのモーツァルトの「小ト短調」交響曲、すなわち映画「アマデウス」のオープニングで使われすっかり有名になった交響曲第25番(1773)の出だしに似ている。
 ただしハイドンの3番の方は、とてもすがすがしい明るい音楽であり、その背後に躍動するリズムはバッハの子たちを人気者にしたスチール・ギャラン(優美な様式)のシンフォニアを想起させる。

 第4番はクリスティアン・バッハのシンフォニアの響きをもっと充実させたよう。憂いを讃えた第2楽章が印象的だ。

 さらにこのディスクには歌劇「裏切られた誠実」Hob.ⅩⅩⅧ-5(1773)の序曲も収められている。
 急-緩-急の形をとっており、元気いっぱいの両端にまったりした雅な中間部がサンドされている。

 まだ前古典派の香りがプンプンとしているものの、どの曲も斬新。
 最初っからこんなんだなんて、父ちゃん、すごい!さっすがぁ~!
 ゴバーマンもさっすがぁ~!!

 それにしても、すばらしいアルバムだ。
 ゴバーマンの急な死で、全集とならなかったことが惜しまれる。
 それでも、これだけまとまって聴けることに大いに感謝だ。

 この交響曲集についてはこれからも順次取り上げていくが、なんせ14枚組である。けっこう長期間に渡ることは必至(途中で飽きないよう努力する所存である)。

好美の抑え難い欲求について考える♪サルトリオ/私が欲しいとき

Rosso  時間、ないです
 たまにYahooのメールに入りこんでくる出会い系スパムメール。

 先日来たのはこんなもの。

 熊谷好美

 【新着メッセージのお知らせ】

 【本文】  「もし時間あるのでしたら一度会ってみないですか?最近本当に欲求不満で…もう我慢も出来な...」 全て表示は下記から!

 うふふっ、そんなに欲求不満なのかい?クマヨシちゃんよ!

 って、そこのおじさん!(もしくは、おにいさん!)
 あなたは、好美さんが抱えている不満が性的欲求にあるとしか思ってないでしょう?
 それ以外のことは微塵も考え及んでいないでしょう?
 彼女は、Hなことがしたくて我慢できないくらい体が火照っていると断定してるでしょ?
 いや、わかります。それぐらい男って愚かなオオカミなんだから(私を除く)。
 でも、それって視野狭窄です。思考がブルー・スクリーンです。

  欲にはいろんなものがあることを良く考えよう
 もう一度よくこの短くもいい加減な文章を読んでみていただきたい。
 Hなことを匂わせているが、実はそんなこと、一言も書いていない。
 
 欲求不満は欲求不満でも、満たされないものが性欲だなんて、いったい誰が言ってます?
 「だから好美が……」って、まだ固定観念に憑りつかれているんじゃないでしょうね?

 食欲が満たされてなくて、猛烈に腹が空いているのかもしれない。
 つまりF。Food欲求だ。
 この場合、私は好美はけっこうなデブだと想像したい。
 極端な例としては、しばらく担担麺を食べてないのでもう我慢できないんだけど、でも1人じゃ心細いので、一度待ち合わせして、会って、ついでにごちそうしてくれってことなのかもしれないのだ。

 寝不足で睡眠欲がピークなのかもしれない。
 S。Sleep欲求だ。
 この場合、私は好美はぼけーっとした顔をしていると思いたい。
 強引な例だが、好美は睡眠障害で日中は意識がもうろうとしちゃってつらくてもう我慢できないから、一度会っておひとり様3日間限りの睡眠薬をもらう手伝いをして欲しいということかもしれない。2人なら3日間分×2が確保できる。

 が、私にはわかる。
 好美の欲求はM、金銭欲だ。
 このように思わせぶりなことを書いてよこし、金を巻き上げるのだ。
 出会いを装うサイトの典型的手法。
 会う約束をもっと細かく連絡し合いましょう。
 ついてはこのサイトを利用しましょう。そのためにはポイント購入が必要となります。
 ってことで、性的欲求にかられていると信じ込んでいるあなたが、好美に会うべく(体型も顔も年齢も居住地もしらないくせに)せっせとポイントを何度も購入しているうちに、相手の金銭欲を満たしてあげてるってわけ。

 で、この場合、かなり現実的なこととして、好美は実在していなく、好美のふりをしているのは男である。

 なんでそんなこと知ってるかって?
 以前あるスナックに行ったとき、そこで働いていた女性が教えてくれた。
 彼女の彼氏がそういうバイトをしていて、彼は彼なりにストレスがたまるんだと言っていたが、知るか!悪人め! 

  それって「今」?
 ということで、本日はオオカミじゃなくてサル……3匹……
 いえ、失礼しました。

 サルトリオ(Antonio Sartorio 1630-80 イタリア)の「私が欲しいとき(Quando voglio)」。
 歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」(1676)のなかのアリアである。

 プティボンのソプラノ、マルコン指揮ペ、いやヴェニス・バロック・オーケストラの演奏で。
 またもや失礼しました。どうやら冷静なようでいて多少は好美に惑わされているようです、アタシ。

 2009年録音。グラモフォン。

朝起きるとシュミュイレになっていた♪ムソルグスキー(arr.Ravel)/展覧会の絵

LaSacre  病的に痩せた?
 昨日の朝。
 起きてすぐに(つまり空腹状態で)体重計に乗ると、液晶画面は56.7kgと表示した。

 56.7kg!

 ここまで減量を達成できたというのか!
 感無量だ。
 
 しかし引っかかるところがないでもない。
 というのも、前日の朝は65.0kgだったからだ。
 昼はライス少な目ながらもカレーライスを食べたし、それにさかのぼること数時間の朝食では鮭の切り身や玉子焼きをおかずにしてご飯を食べた。

 夜は麻婆豆腐と、先日妻が札幌のMARUIで買ってきた王子スモークサーモンのお買い得パックの一部を食べた(パックを食べたのではなく、中身を食べたことを念のため付け加えておく)。さらに禁断のグリコ・プッチンプリンも食べてしまった。

 それぞれの食事で共通するのはレタスを食べているということだ。
 このところ子ウサギ並みにレタスを食べている。それも食事の最初にだ。
 むかしはレタスをバクバクシャリシャリとひたすら無言で食べるなんてことは自分で想像できなかったが(しゃべりながらムシャムシャ食べることも想像できなかった)、いまは草食男子のように食べている。しかもいやいやではなく、けっこう美味しく。

20150220SmokeSalmon 一晩で8kg以上も体重が減ったということは、レタスには急激に体重を落とす有効な成分が含まれているということだろうか?だとしたら、それは有効な成分ではなく、毒と言った方が適切なんじゃないだろうか?

 あるいは一晩のうちに私は体重が激減するおビョーキにかかってしまった恐れもある。
 それで考えられるおビョーキは余命数時間の超末期がんくらいしか思い浮かばない。
 そう考えると、体重が減ったことがちっともうれしくない。
 なんだかシュミュイレに変身してしまった気分だ。

 いったん体重計を56.7kgの荷重から解放してやり、もう一度乗ってみる。

 液晶表示が消えた。
 私は空気より軽くなってしまったのか?

 いや、そうではない。
 電源スイッチをいじってみてもウンともスンとも言わなくなった。
 もともとこの体重計は発声機能を備えていないが、とにかく絶命した。
 電池が切れたようだ。

 新しい電池を入れて生き返らせる。
 まるで新しい電池を入れたときのように、液晶がありとあらゆる数字やマークを競うように表示した。
 そんなことに構ってられないのでリセットし、も一度乗ってみる。

 65.1kg。

 実に妥当な数字だ。
 前日とほぼ同じだ。100gの差は誤差か、あるいはおしっこがたまってるか、肩に鳩でもとまっていたのだろう。

 にしても、電池が無くなると数字を低く表示するというのは、あたかも「サービスで喜ばしてあげてんだから早く交換してよ」と訴えているようだ。残念ながら、私はそのことにまったく気づいていなかったが。

 日頃の感謝をこめてタワレコのオンラインショップでは明日からポイント10倍セールが始まる。

 それとは逆にこの体重計は日頃のご愛顧に対し“増”ではなく“減”の方向で気持ちを示すということがわかった。増量表示した方が、「これはおかしい。電池が変なのかな」と早くに気づいてもらえるんじゃないかと思うのだが……。ま、日ごろ乗られて感謝どころか迷惑してんだろうけど。

  私は卑屈じゃないけれど
 シュミュイレはムソルグスキーの「展覧会の絵」に出てくる人物だ。

 ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-81 ロシア)の組曲「展覧会の絵(Tableaux d'une exposition)」(1874)は、1874年に開催されたムソルグスキーの友人である画家のV.ガルトマンの追悼展示会の印象をもとに作曲した作品(ガルトマンは1873年に亡くなった)。

 シュミュイレはそのなかの1曲「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ(Samuel Goldenberg und schmuyle)」に描かれている人物。
 この絵は2人のポーランドのユダヤ人、太って高慢な金持ちゴールデンベルクと、痩せて神経質で卑屈な貧乏人シュミュイレを描いている。

 ラヴェルの管弦楽編曲版では、ゴールデンベルクは力強い木管と弦で、シュミュイレは弱音器を付けたトランペットで奏される。この2つが絡み合い、最後にシュミュイレは威張りくさったゴールデンブルクに一喝されるように終わる。

 にしても、この曲を聴くとラヴェルのオーケストレーションの巧さがよくわかる。

 ショルティ指揮シカゴ交響楽団の演奏で。

 1980年録音。デッカ。

 「展覧会の絵」の終曲は「キエフの大きな門(La grande porte de Kiev)」。
 実に輝かしい曲だが、いまのあの地の混乱を思うと……

竹が裂けたり、鮭と一緒になったり♪ストラヴィンスキー/わが幼き頃の思い出

20150213Osawa  写真の綿状のものは?
 1週間前の日曜日は悪天候のせいでJRの運行に支障がでて、よりによってそんな日に移動を試みた私がそれなりに大変な目にあった(主として精神面で)ことは、だらだらと3日間にわたって書いたので、読者のみなさんもうんざりしていることだろう。


 ところで、13日の金曜日の往路の移動はまったく問題がなかった。
 が、途中ちょいと奇妙な光景が。

 東オサワ信号場(新得とトマムの間にある)で信号待ち停車をした際のこと。

 おそらくふだんは無人であろう信号場の建物。
 その壁に心霊的な雰囲気をもった肌色の物体が浮き出していたのだ。写真をご覧いただくと、それがはっきりとわかると思う。
 わからない?
 どう見ても左上にあるじゃないですか!

 エクトプラズムか?
 その可能性はプラズマテレビであるよりはるかに高い。

 一度そういういけない思いにとらわれると、“東オサワ信号場”と書かれた看板のサビも滴る血のように見えてくる。
 背筋サワサワ……

  似せようとする努力が逆効果?

 でもこれ、実はペンキである。おそらく、たぶん、きっと。
 壁を補修した痕に違いない。

 もともとの壁色である薄茶色に似せた色を使ったのだろうが(そして、塗る前は色の調合は完璧だと自信があったのだろうが)、中途半端に色が違うので調和型違和感を呈してしまったのだ。
 いっそのこと真緑とかを塗れば素敵なアクセントになるかもしれないのに……


  暗闇の先に勇敢に立ち向かう
 私が勤務している支社は、古いビルに入居しており、そのワンフロアを使っている。

 この事務所の中から扉を開けて外へ出ると、全然広くないロビーがある。
 事務所スペースを出ると窓は一切ない。

 ロビーを7歩進むと左手に階段があり、さらにまっすぐその先の廊下を9歩進むと壁にぶち当たる。壁の上には非常口の照明が灯っているが、節電のため本来の照明は消してあるためうす暗い。
 壁に向かって右側には鉄扉がある。ここを開けるとそこにも階段がある。壁の上に非常口と示されている根拠はここにある。

 鉃扉の反対側、つまり壁に向かって左側はさらに奥に向かって廊下がつながっている。
 ここはふだん一層暗い。そしてその先にはトイレがある。


 先日私が事務所から出ると、、非常口の表示の下、つまりうす暗い壁の前に支社の裂竹(さけたけ)さんが私がトイレに行くのを阻むかのように立っていた。しかしその視線はより暗い奥のトイレの方に向いていた。そして、弁当箱を持った手を振り回しながら何やら声を上げていた。
 いや、薄暗いうえに動いていたので、私が聖書を弁当箱と見誤ったのかもしれない。

 なぜならその姿はエクトプラズムを追い払おうとしている勇敢な牧師にも、あるいは悪魔祓いに自らの生命をかけている神父のようにも見えたからだ。

 ところが私が近づくと、実際には暗闇の中の表情はトイレの神様と談笑しているかのような穏やかなものだった。

 はて?
 この人は何をしているのだろう?
 超常現象と格闘していたんじゃなかったのか?

 と、廊下の奥にはキンタマオさんがいることがわかった。
 交霊ではなく日常的な交礼をしていただけだったのだ。それならそれで薄暗いところで、しかも距離を置いてやらないでほしい。まぎらわしいので。

 いずれにしろ裂竹という苗字は珍しい。もちろん仮名だが。

  この組み合わせを考えたのは誰だ?
 私が子どものころ、どういう理由かはまったくわからないが、よく食卓に鮭筍缶詰が出された。
 その名のとおり原材料は鮭とタケノコ。この2つがしょうゆ味で煮込まれたものだ。ただ、その名のとおりでないのはこの鮭、実はカラフトマスだということだ。

 別にその味が好きなわけではない(というよりも、忘れた)が、鮭(しつこいようだが本当はカラフトマス)とタケノコを組み合わせるという発想はどこからきたのだろう?なんかすごいと思う。感心してしまう。

 浅田次郎の「終わらざる夏」には、千島列島の最東端の占守(シュムシュ)島に日魯漁業の鮭缶の工場があったことが書かれているが、昔、このあたりにそういう郷土料理があったのだろうか?それともこの工場が作っていたのは水煮だけなんだろうか?

 で、裂竹さんの名から幼き頃の思い出がよみがえり、ものは試しに久しぶりに買って自虐的に食べてみようかと、スーパーの缶詰コーナーに行ってみた。

 ところがである。その鮭筍缶詰が無い。1個も。

StravinskySrtBoulez 鮭関係の缶詰で並んでいるのは水煮(これもカラフトマス)と中骨の水煮だけなのだ。

 “あけぼの”(マルハニチロのブランド)のホームページで調べても、商品ラインナップにはない。
 ちょっと前ににスーパーで見かけたような気もするんだけど、あれは見間違いだったのか?
 廃番となったのだろうか?そうなると、妙に食べてみたくなる。

 ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)の歌曲「3つの小さな歌『わが幼き頃の思い出』(3 Petites chansons 'Souvenirs de mon enfance')」(1906,1913)。

 第1曲「小さなかささぎ(La petite pie)」、第2曲「からす(Le corbeau)」、第3曲「チチャー・ヤチャー(Tchitcher-yacher)」。詞はロシアの俗謡による。
 私には歌詞の内容はわからないが、とぼけたような、しかしながらトゲのあるような音楽だ。
 そして、食べ物の思い出がないのが残念だ(カササギやカラスを食ったという思い出ではないだろう)。

 ブリン=ジュルソンのソプラノ、ブーレーズ指揮アンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏で。

 1980年録音。グラモフォン。

 魚の缶詰って、ヤワヤワに煮込まれた皮の部分が気持ち悪くてイヤだ。個人的には。

そのとき彼が思い出したものは♪チャイコフスキー/白鳥の湖

TchaikoSwanBBC  昼下がりにラジオから悲しげなメロディーが
 木曜日は尼衣(あまい)課長と支社長と3人で車で取引先に出かけた。

 商談を終えての帰り道、カーラジオから「白鳥の湖」が流れてきた。

 (羽衣課長改め)尼衣課長が言う。

 「『白鳥の湖』って、志村けんのイメージしかないんですよね」
 あぁ、オチンチンのところがちょうど白鳥の首になっているやつね。
 うん、気持ちはわからないでもない。

 「そっかぁ。でも、男のバレエダンサーのもっこりもなかなかだよ」
 「へぇ~、そうなんですか!」

 ここで会話は行き詰ってしまった。
 ちなみにバレリーナというのは女性に対する呼び名であり、男性の場合ははバレリーノと言うらしいが、最近ではバレエダンサーと言う方が一般的らしいの。

 チャイコフスキー(Pytr Il'ich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)のバレエ「白鳥の湖(The swan lake/Der Schwanensee)」Op.20(1875-76)。

 音楽鑑賞としてはもっぱら組曲版が聴かれることが多いが、バレエ音楽全曲は29曲からなる。
 全曲盤についてはここここでDVDを紹介しており、作品の情報にも触れているが、V.P.ベギチェフとV.F.ゲルツェルの台本による4幕のバレエである。

 前回も取り上げたケヴァル指揮ストックホルム王立歌劇場管弦楽団、スウェーデン・ロイヤル・バレエによる2002年の公演を収めたDVDを紹介しておく。

 oPus ARTE。

 ところでなぜ民放のAM放送でクラシック音楽が、「白鳥の湖」が流れていたのだろうか?

 尼衣課長 「こういうのリクエストする人がいるんですかね?」
 私 「まさかぁ」

 するとパーソナリティーが、「今日は、室蘭の名所をということでご意見をいただきましたが、白鳥大橋がいちばんでした。それにちなんで白鳥の湖大橋、いや、はははっ、白鳥の湖をかけてみました」みたいなことを言っていた。

 よく考えたね。
 頑張ったね。
 でも、無理があった。
 いろんな意味で。
 少なくとも私は笑えなかった。
 笑うどころか暗い気持ちになったタクシードライバーさんも多かったのではないか?

  これもまた朝カレー
 すでにご存知のとおり、昨日私は休みをとった。
 休みをいただいたにもかかわらず、でも異常に早く目覚めてしまった。

 ブログをアップした。
 鉢植えの植物に水をあげた。
 音をたてないように、そっとCDを整理した。 
 5時40分には1階に朝刊を取りに行った。
 6時過ぎには朝食を食べ終えた。ベーコンエッグを作った。

 そして昼食用(でも、そのあとも何食かはそれになる)にカレーを作り始めたのは6時30分だった。
 肉もカレールゥもすでに用意しておいた。

 もちろんまだ早い時間なので階下に迷惑をかけないよう、泥棒のように静かに作業をした。

 そして8時半にはすでに完成されたカレーの匂いが部屋に漂っていた。
 まだ早いがそのとき炊飯器のスイッチを入れた。
 そしてシャワーを浴びた。

 昼に食べたカレーはもちろん美味だった。

とろろもミートも麺仲間♪WAM/Sym32(by ガーディナー)

Mozart32Gardiner  そそらない日替わりメニュー
 先週の木曜日の昼は〇〇楼に行ったわけだが、途中“荒涼庵”の前を通った。

 この日の荒涼庵の日替わりは“とろろそば ライス付”であった。

 日替わりの値段は550円である。
 はっきり言って、全然そそらないメニューだ。
 とろろにもそばにも罪はない。
 とろろそば、大いに結構である。
 問題は価格設定である。
 CPが悪すぎる。
 クリープではない。コスト・パフォーマンスだ。

 とろろそばは定番メニューにはない。
 しかし、そばメニューでいえば、例えばかしわそばが480円である。

 となると、とろろそばが定番メニューにあったとしても、少なくとも480円以下で治まるはずだ。
 なのにいくらライス付といっても、550円は強気かつ無謀な価格設定ではないか?
 いったい何考えてるんだか……

 ところで今週の火曜日の荒涼庵の日替わりは豚肉の生姜焼きだった。
 私たちはそれを食べたが、なかなか噛みごたえのある肉だった。しかし、それも顎の退化を防止するための店側の配慮だと思うと納得がゆくどころか感謝しなければならない。
 そしてこれも当然ながら550円。

MozartGardinerBox とろろそばと豚の生姜焼きが同じ値段。もちろん豚の生姜焼きにライスが付いていることは言うまでもないわけだから、次の式が成り立つ。

 とろろそば+ライス=豚の生姜焼き+ライス

 左辺と右辺から共通のライスを引くと、

 とろろそば=豚の生姜焼き

 ありえへん!

 ということで、とろろそばの価格設定が無謀であることが証明された。

 実際、この日は信じられないことに、あの荒涼庵が一時満席になった。
 消費者は正直だ(ただし、とろろそばの日の混み具合は未確認だが)。

  そしてイタリアン
 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第32番ト長調K.318(1779)。

 モーツァルトの交響曲のなかで、この曲も私の「お気に」な1曲。
 曲についてはこちらをご覧いただきたいが、単一楽章で「イタリア序曲」と呼ばれることもある。

 ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏で。

 1984年録音。デッカ(原盤フィリップス)。TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION +plus。

 なんでいきなりイタリアなんだ?とろろそばと重大な関係があるのかって?

 ナイです!

 昨日の朝、そう、朝っぱらから、冷食の“マ・マー なす入りミートソース”を食べたからにほかならない。

 さて、今日は休みをとった。
 遠足の日の朝、異様に早く目が覚める児童が小学校の時に一部いたが(そして寝不足からバスに酔うのである)、私は今日4時前に目が覚めてしまった。
 休みだからゆっくり寝ていようと思ったのに、逆にいつもよりも早く目覚めてしまった。これなら朝刊にチラシを折り込むバイトもできそうなくらいだ。

 ただ私は興奮して寝てられない児童とは違う。
 興奮に加え寝続けられない体力の無さがあったのだろう。

 日中、栄養補給した後昼寝しなければならない。

ミチは96歳だった♪ウストヴォリスカヤ/ピアノ協奏曲

Iwasaki2015  思いがけぬ再会
 岩崎ミチさんのことを覚えていらっしゃるだろうか?

 たとえ名前は知らなくても、きっとどこかでその笑顔に出会っているはずだ。
 なぜなら、新聞や雑誌などに多数登場しているから。


 以前、私は1つの疑問を呈した。

 その写真には“2005年撮影当時87歳”というキャプションがついているからだ。
 なぜそんな昔の写真を使い続けるのか?
 うがった見方をすれば、現在の姿は紹介できないような状態になってしまったのだが、健康食品の広告モデルである以上、それは公開できないのではないかということになる。

 何しろ撮影時から10年が経とうとしているのだ。

 果たしていまミチさんは?


 そんな私の疑問、疑念、言いがかりに堂々と答えるかのように、先日新聞広告がのった。


 元気だったのだ!
 何よりである。
 この10年の間にミチはお風呂場で転んだ。そして骨を折った。みっちりと3週間リハビリもした。
 この10年間でミチの足腰は弱った。食も細くなった。
 でも10年前と変わらず、ミチはハツラツ明晰でいられている。
 そして最近は曾孫が遊びに来るようになった……


 10年前は和装だったミチさん。
 今回はおしゃれな洋装で登場だ。
 メガネをやめてコンタクトにしたのだろうか?
 いろんな意味で変わっていて、もしたぶん街ですれ違っても彼女が岩崎ミチさんとは気がつかないだろう。私は。

 ところで90歳で初産だった女性がいる。
 サラだ。

 旧約聖書創世記第17章にそのことが書かれている。
 サラは90歳。夫のアブラハムは100歳。この2人の間に男の子が産まれた。イサクである。


 この創世記を詞にした音楽作品がある。

 ペルト(Arvo Part 1935-  エストニア→ドイツ)の「サラは90歳だった(Sarah was ninety years old)」(1976/改訂1990)である。

 この曲についてはここで取り上げているので、これ以上話は発展しない。


MOZAIC  師の影響をほとんど受けなかった女性作曲家
 ところで今年96歳ということは1919年の生まれと思われる。
 とすれば、ウストヴォリスカヤと生まれ年が一緒だ。ウストヴォリスカヤはもう亡くなってるけど……

 そのウストヴォリスカヤ(Galina Ivanovna Ustvolskaya 1919-2006 ロシア)の「ピアノ、弦楽とティンパニのための協奏曲」(1946)。

 ウストヴォリスカヤはショスタコービチに師事したが、やがてその作風は独自の方向に進み、その作品にはショスタコの影響らしきものはみられない。しかし実質的にOp.1となるこの協奏曲には、深刻さと喧騒のオモテとウラの表情がショスタコっぽい。

 単一楽章。
 曲の終わりで同じフレーズがしつこいくらいに繰り返されるのが妙に私の心を喜ばせる。

 リュビモフのピアノ、シフ指揮ドイツ・カンマー・フィルの世界初録音の演奏を。
 この曲はリュビモフに捧げられている。

 1995年録音。エラート。

 すまない。
 現在廃盤状態継続中、中古品入荷見込み無し、である。

 ミチさんには到底全然明白にかなわないが、そんな私は昨日誕生日を迎えたのだった。

激励のお気持ち承り所
メッセージ

名前
メール
本文
これまでの御来訪者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード
本日もようこそ!
ご来訪いただき、まことにありがとうございます。 日々の出来事 - ブログ村ハッシュタグ
#日々の出来事
サイト内検索
キャンペーン中(広告)
楽天市場(広告)
MUSIC(広告)
カテゴリ別アーカイブ
最近寄せられたコメント
タグクラウド
タグ絞り込み検索
ささやかなお願い
 当ブログの記事へのリンクはフリーです。 なお、当ブログの記事の一部を別のブログで引用する場合には出典元を記していただくようお願いいたします。 また、MUUSANの許可なく記事内のコンテンツ(写真・本文)を転載・複製することはかたくお断り申し上げます。

 © 2014 「新・読後充実度 84ppm のお話」
  • ライブドアブログ