新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2015/01

店の名は印象的なもの。だから鶏も胡瓜もあります♪ドビュッシー/海(by ジュリーニ)

DebussyBrittenGiulini  スパイクタイヤ?それともキャタピラ?
 たまたま昨日はスケート関係(っていう言い方も変だが)の曲を取り上げたが、この日の朝のニュースで、網走の小学校でグラウンドに作ってあったスケートリンクが何者かによって台無しにされた、と言っていた。

 氷の表面がガタガタ、ズタズタ、ガリガリになっていたという。車で侵入した人間がいたらしいということだが、ふつうのスタッドレス・タイヤじゃそんなふうにならないだろう。

 犯人は除雪機とかブルなんかで、ラリーのごとくリンクを走り回ったのだろうか?

 かわいそうに、児童が悲しそうな声でインタビューに応え、悲しそうな感想を話していた。


 その前日の金曜日。
 支社である行事があり、そんなことが世の中で起こっているなんてつゆ知らずに、そのあとK課(略称)の人々と直会(なおらい。ただし、厳密には厳粛な意味合いのない単なる二次会)を行なった。

 会場はチェーンの居酒屋「海の鮭」(仮名)である。

 K課は秋吉課長率いる、そして阿古屋係長も一員の、けっこう大人数の課である(おとなかず、ではなく、おおにんずう、と読みなさい)。

 K課のKはもちろんイニシャルだが、「気になる」とか「声かけ」とか「食う寝る」とか「鴨南蛮」とか「毛蟹」でないことは間違いないことを、私は断言する。また、カフカめいた課でもない。

 「海の鮭」という名の居酒屋ではあるが、海のものだけではなく山のものもある(海の幸、山の幸と書くには個人的に抵抗感がある)。

 隣に座っていたキンタマオさん(ワンタイム仮名。どこで区切るかは読者の裁量に委ねる)は美味しそうにたちぽんを食べていたし、たちぽんは200%苦手である私は鶏の照り焼きを食べたし、キュウリも食べた。他にも各々がいろんなものを頼んだはずだが、テーブルに何が乗っていたのか、今となっては遠い昔のことのようにあまり記憶にないのが不思議である。
 きっと自分が食べなかったので覚えてないのだろう(口にはしていないが、たちぽんはそのウネウネプルプルな姿が強烈に目に焼きついている)。また、マグロの刺身が黒っぽい長皿の上に1切れ、大葉1枚とともに残っていたのを見かけたような気もする。

 それと、たちぽんと太字で書いているのは、ただ読みやすくかつわかりやすくするためで、他に意味も狙いもない。

  鮭は出てこないが…… 
 ドビュッシー(Claude-Achille Debussy 1862-1918 フランス)の「(La mer)」(1903-05)。

 この作品、以前は「交響詩『海』」と呼ばれていたが、最近はドビュッシーの原題に忠実に「3つの交響的スケッチ(3 Esquisses symphoniques)」と書かれていることが多い。

 ドビュッシーの最高傑作の1つであると同時に、代表的な印象主義の音楽作品である。


 とっても有名な曲なのでとやかく書くことはないが、3つの楽章からなり、第1楽章「鯖」、第2楽章「鮫」、第3楽章「鮭」というようなことが、サティじゃあるまいしあるわけがなく、一応3つの楽章のタイトルを紹介しておくと、


 第1楽章 「意味の夜明けから真昼まで」(De l'aube a midi sur la mer)
 第2楽章 「波のたわむれ」(Jeux de vagues)
 第3楽章 「風と海の対話(Dialogue du vent et la mer)


で、ドビュッシーは「印象」としてのこれらを音楽にしたのであった。


 ジュリーニ指揮ロス・アンジェルス・フィルの、色彩的かつ気品ある演奏を。


 1979年録音。グラモフォン。


  そのキンタマオさんだが、このところ胃と腸の膨満感に悩まされているという。
 私もめん類を食べた後は、すするときに多くの空気も一緒に飲み込んでいるようでおなかが張って困ると話したが、そういう問題ではないという顔をしていた。
 すいません。

あまり盛り上がらない(であろう)没後100年♪ワルトトイフェル/スケーター・ワルツ

Ivanovich  えっ、女学生じゃないの?客引きにだまされた…… 
 今年はワルトトイフェルの没後100年にあたる。

 ワルトトイフェルって誰だ?って。

 ここに名を挙げたということは、少なくとも和紙職人ではない。
 作曲家である。


 ワルトトイフェル(Emile Waldteufel 1837-1915 フランス)はナポレオン3世の皇妃ウジェニーお付きの音楽家となった人で、数多くの舞踊音楽を残し成功したが、ワルツといった実用音楽の世界ではヨハン・シュトラウスが突出して優れていたため、影が薄い。
 同じように影が薄いが、それでも1~数曲で名を残している人にイヴァノヴィチとかレハールなんかがいる。

 しかし、たとえワルトトイフェルという名前を知らなくても、「スケーター(ズ)・ワルツ」のメロディーは多くの人がご存知だろう。


 もう1曲、ワルツ「女学生(Estudiantina)」Op.191も知られているが(ただし「女学生」というのは誤訳で、正しくは「学生の練り歩き」とか「学生歌風」である)、日本では「スケーター・ワルツ」こと「スケートをする人々(Les Potineurs)」Op.183(1882)の方が有名。逆に、欧米では「スケーター・ワルツ」の知名度はあまり高くないそうだ。

 不思議ですね、ふふっ。

 そしてもちろん、この「人々」はアイスホッケーをしている人をイメージしたものではないだろう。


 フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団の演奏で。

 このCDには影の薄い人たちの曲(イヴァノヴィチの「ドナウ河のさざなみ」、レハールの「金と銀」)も収められている。

 「スケーター・ワルツ」は1958年の録音。RCA。

 なお、ワルトトイフェルの作品には当時の流行歌などを使ったパロディ・ワルツも多い。
 「女学生」では、そのころ流行っていた学生歌のメロディーを使っているという。
 作品数も、作品番号をみておわかりのようにけっこう多いようだが、没後100年とはいえ、いろいろな作品が聴けるようになる可能性は高くないだろう。

 そしてまた、上の見出しは私のことではない。
 
  免許更新に行ってきた
 素人が投げやりに作ったとしてもこんなスケートリンクにはならないだろうってなくらいに、路面がガタガタなくせにツルツルで加えて汚かった先日、運転免許証の更新に行ってきた。


 JR手稲駅に着いたのは7時50分。

 札幌駅から手稲駅へ、つまり都心に向かう流れとは逆向きの電車に乗ったのに、ひどく混んでいた。
 そして手稲駅の北口に行くと、アリの巣を突っついたように学生たちがわんさかいて、これまた驚いた。手稲駅

からバスで通う高校がいくつもあるそうだ。


 私はタクシーに乗ったが、免許試験場に着くとまだ玄関が開いていなかった。10分ほど待った。
 このように早く行ったのは、私が更新に命を燃やしていたからではない。
 どうしても9:30からの講習を受けなければならなかったのだ。
 それでないと、午後の予定がパーになる。
 もし定員オーバーで、次のコマの講習に回されるようならすべてがご破算になるのだ。


 玄関が開くとまずは台紙と質問票をくれる場所へ。
 受け取ったあと、記入台へ。
 迅速に記入を終え、収入証紙の売り場へ。最高ランクの4,000円を支払う。
 そのあと視力検査をし、まだ20分ほどあったが、速足で行進するように更新窓口へ。
 下りたままのロールカーテンを見つめながら20分以上待つ。
 気がついたときには、後ろに長蛇とまではいかないが、そこそこの行列が。

 看板に偽りなく、正確に8:45分に一斉に窓口のロールカーテンが上がった。
 その統率がとれた光景はある意味感動的だった。

 手続きをし、数分後に呼ばれ、写真撮影し、3階の講習会場フロアへ。
 受付開始は9時。
 ここでやっと椅子に座る。

 これまた正確に9時に女性が案内と受付を始める。
 ピンク色のカードと引き換えに、ピンク色の受講者カードと教本をもらう。ここではピンク色は違反者の証しなのだ。

 このようにすべて駆り立てられるように私は行動した。
 が、そんな心配はいらなかった。
 教室には後ろの方に空きがあったほどだ。
 逆に首尾よく手続きを終えてしまったのがアダとなり、一番前の席で講習を受けるハメになった。


 にしても、あいかわらず異様に小ぶりな机だ。前後の幅も狭い。
 あれなら白雪姫の小人たちだって窮屈な思いをするだろう(大学の相撲部の学生なんかの場合、どうするのだろう?)。
 そこに大の大人たちが、2時間も座っていなければならないのだ。
 講習に専念できるのは体の小さい小学生くらいかもしれない。
 そういう事情で専念したかったのに専念できなかったのが悔やまれる。


 おまけに出来上がってきた免許証の写真の私は、まるで罪びとのようだった。
 まあ、違反者講習を受けるくらいだから、ある意味罪びとなのだろう。
 いいや、どうせ3年の期限なんだから……

 新しい免許を手にするや否や、逃げるように、いや急いで試験場をあとにし、手稲駅に向かった。

 手稲駅から札幌駅まで快速に乗り、駅のホームで立ち食いそばを食べた。
 この日の昼食である。

  健康のことを考えワカメを食べた
 立ち食いそばのときはいつもかけそばを食べるのだが、この日は栄養のことを考えてわかめそばにした。

 かけそばより70円も高かったが、ワカメはたっぷり入っていたし、かまぼこも1切れ入っていた。ふだんかまぼ

こになんてまったく執着がないのに、こういうときの1切れに妙に喜びを感じる自分がいじらしい。


 ところで駅の立ち食いそばって、大盛りの注文もできるのだろうか?
 いや、余計なことは考えないでおこう。
 1人前というのが適量に違いないのだから。
 そう考えながらも「いなりずし 1個60円」という張り紙に、しばしもの欲しそうに見入ってしまったが。

 食べ終わったあと、午後の予定までどうやって時間をつぶそうと困惑するくらいじゅうぶんすぎる時間があることがわかった。

 そうそう、先日取り上げたニールセンだが、彼におかれましては今年生誕150年である。
 

「すべての動物は平等である」はずが……♪DSch/Sym8(by ハイティンク)

DobutsuNoujou  恐ろしいおとぎばなし
 本屋をブラブラしたら、ちょいと目をひくタイトルの文庫をみかけた。

 ジョージ・オーウェルの「動物農場」(岩波文庫)。訳は川端康雄。
 表紙には「おとぎばなし」のサブタイトルがある。


 カバー裏に書かれたあらすじは次のとおり。


 「すべての動物の平等」を謳って産声をあげた動物農場。だがぶたたちの妙な振舞が始まる。スノーボールを追放し、君臨するナポレオン。ソヴィエト神話とスターリン体制を暴いた「1984年」と並ぶオーウェルの傑作寓話。舌を刺す風刺を、晴朗なお伽噺の語り口で!


 私の心をくすぐる内容じゃないか!それに舌も刺されてみたい。
 これは買いだ。

 ということで読んだが、ひじょうに面白かった。そして、独裁者の巧みな誘導に恐ろしさを感じた。

 オーウェルの「1984年」は、村上春樹の「1Q84」が出版されたときに話題になり、読んだ方もいらっしゃるだろう。

 私?読んでません。


 「動物農場」は1943年12月から書き始められ、1945年8月17日にロンドンで初版が刊行された。日本が降伏したことで実質的に第2次世界大戦が終結した2日後のことだ。

 ただ、もともとはもっと早くに出版すべく作者は動いていた。しかし、いくつもの出版社から断られていた。
 というのも、イギリスはソヴィエトの同盟国だったからで、ソヴィエトを批判する内容の「動物農場」がすんなりと出版にこぎつけるはずがなかったのだ。


 君臨することになったぶたのナポレオンはスターリンである。
 そしてナポレオンによって失脚させられたぶたのスノーボールは、スターリンの政敵だったトロツキーである。


 農場にいる動物たちは、本当に人間から解放されて暮らし向きが良くなったのかわからないまま、何か変だと感じつつもナポレオンに逆らえない……

ShostakovichSym08HAitink  同じころに誕生したショスタコの8番
 オーウェルが「動物農場」の執筆にとりかかった少し前に、そのソヴィエトで生まれたのがショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第8番ハ短調Op.65である。
 この曲は1943年の7月から9月にかけて作曲されている。

 タコ8については、つい先日K.ザンデルリンク/ベルリン交響楽団の演奏を取り上げた。その東ドイツでの演奏に対抗するわけではまったくないが、今日は「西ぃ~っ!」のハイティンク指揮コンセルトヘボウ管弦楽団による演奏を。

 ハイティンクの録音は、西側初のショスタコ交響曲全集として話題となったものだが、8番でもバランス感覚に優れた、演技がかったところが一切ない演奏となっている。

 それがアクがなさすぎと感じるかどうか好みが分かれようが、ショスタコーヴィチの作品が、当時の時代的な、あるいは政治的な背景と切り離して1つの純粋な交響曲として響いても、色あせることのない傑作であることを教えてくれる。

 1982年録音。デッカ。


 「動物農場」はソヴィエトの体制暴露ではあるが、ただそれだけで済ませてしまうのは惜しい。

 2012年の選挙で前政権にNOを突き付けたものの(それはやむを得ない選択だったと思うが)、そのあと私たちは生活しやすくなっているのか?

 暮らし向きはよくなったのか?

 えっ、このことって最初っからそういう説明だったっけ?
 これって降ってわいたような話じゃない?

 何かが違う気がする。変な感じ……

 漠然とした不安感がみなさんの中に漂ってませんか?


 「動物農場」を読んで、当時のソヴィエトではなく、いまの日本のことをちょっぴり憂いてしまった。
 いまの時代こそ、読んでおくべき本なのかもしれない。

モーツァルトとR.シュトラウス。ここでも通じるものが♪魔笛とツァラ

SprachBoulez  ザラストロ≒ゾロアスター=ツァラトゥストラ
 25日の記事でモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」とR.シュトラウスの「ドン・ファン」の根っこが同じものであると書いたが、この2人の「魔笛」と「ツァラトウストラはこう語った」にも共通するものがある。


 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)が書いた最後の歌劇である「魔笛(Die Zauberflote)」K.620(1791。2幕。台本=シカネーダー)に登場する、悪い奴なのか善い人なのかよくわからない高僧ザラストロ。

 このザラストロという名はザラスシュトラ(ゾロアスター)から来ている。そして、ゾロアスターはゾロアスター教の開祖である。


 一方、ニーチェが「ツァラトゥストラはこう語った(Also sprach Zarathustra)」を発表したのは1885年。
 そして、R.シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949 ドイツ)がこのニーチェの著作から受けた印象に基づき交響詩「ツァラトゥストラはこう語った('Also sprach Zarathustra' Tondichtung frei nach Friedrich Nietzche )」Op.30を作曲したのは1896年である。


 つまり、モーツァルトの「魔笛」もR.シュトラウスの「ツァラ」も、ともにゾロアスター教の開祖と関係するということ。
 驚いたですか?
 そうでもない?
 そうですか……

  えっ、ブーレーズがツァラ?、とみんなびっくり
 R.シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう語った」(まだ中学生のころは「ツァラトゥストラはこう語った」と「ツァラトゥストラはかく語りき」のどっちが正しいのか真剣に悩んだことがあったが、どっちでもよいことだった)は、映画「2001年宇宙の旅」(1968)で、その序奏が使われすっかり有名になったが、今ならグリコのプッチンプリンのCMで使われていた曲と言った方がはるかに通じやすいだろう(ちなみに、私にとっても「2001年宇宙の旅」はちっとも知らない映画である)。

 そしてまた、私個人の言い分だが、序奏はすごいですねぇ、カッコイイなぁと思うが、そのあとは悪くはないけどそれほど大きな魅力を感じない交響詩である。
 そんなに好きでない曲を取り上げて申し訳ない気もするが、偏食はよろしくないということも大人なら考えなければならない。大人って大変なのだ。

 なお、曲は9つの部分からなっており、序奏に続き、現世に背を向ける人々について/大いなる憧れについて/喜びと情熱について/墓場の歌/学問について/病より癒え行く者/舞踏の歌/夜のさすらい人の歌、となっている。 

 今日はブーレーズ指揮シカゴ交響楽団の演奏を。
 大人っぽい演奏ともいえるし、なんだか人間味がない演奏とも言える。

 この録音が最初にリリースされたときには、あのブーレーズが「ツァラ」を振るなんてと、驚きというか意外性をもって迎えられたが、演奏に対する評価もずいぶん分かれたようだ。
 透明で明晰だが人間味がないというブーレーズの演奏によく起こる感想もあれば、けばけばしてなくて良いと評価する声もある。

 私は(もともとこの曲自体に執着がないせいなのか)この演奏に大きな違和感を覚えることはないが、でも、同じシカゴ響との演奏ならショルティ盤に軍配を上げたい。

 1996年録音。グラモフォン。

ギラギラしない、柔らかくも芯がある大人のテイスト♪レーグナーのヤナーチェク

JanacelRogner  気味悪がられる理由はよくわかる
 ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928 チェコ)の音楽を、私はそうしょっちゅう聴くわけじゃないが、一度聴くとそのあとしばらくの間はクセになってしまい、頭の中を支配し、鼻の穴を通じて歌ってしまい、また聴きたくなる。そんな、一時的な中毒性がある。

 おとといも列車に乗る前に駅で無意識に「タラス・ブーリバ」の第1楽章を口ずさんでいて、折しもトロンボーンの「ブッホホッ」という力強いフレーズの箇所で、すれ違いざまに女子高生に気味悪がられた(ような目つきに感じた)が、このようなことが起こらないためにも、休日は不要不急の登校をしないよう女子高生に指導してほしいものだ。

 先日はエリシュカ/札響の演奏によるこの作品を取り上げたが、今日はレーグナー/ベルリン放送交響楽団の演奏で「タラス・ブーリバ」と「シンフォニエッタ」を(ちなみにエリシュカ/札響の「シンフォニエッタ」についてはこちらをご覧いただきたい)。


 このCDの帯には宇野功芳氏が次のような文を寄せている。


 両者の中では「タラス・ブーリバ」の方がいっそう出来が良い。第1の特徴は各楽器を渾然と溶け合わせた豊か

なハーモニーの美しさで、それがベルリン放送交響楽団のほの暗い音色感と相俟って、独特の世界を現出させてゆく。それは土俗的なチェコ音楽ではなく、ドイツ後期ロマン派の味わいなのだ。


 また、宇野氏の言葉かどうかははっきりしないが、“ヤナーチェクがこんなに楽しく親しみやすく聞けるなんて

”というコピーも載っている。


  柔らかさが大人だねぇ

 レーグナーの「シンフォニエッタ」の特徴は、両端のファンファーレ楽章でも、輝かしいブラスの音で聴き手を圧倒させるというたぐいのものでないということ。

 柔らかだ。

 それはおとなしい演奏というのではなく、大人の味わいとでもいうべき鳴らせ方だ。中間の3つの楽章も鋭角的なところがなく、じっくり聴かせててくれる。

 ドイツ後期ロマン派の味わいかどうかは知らないが、派手さに走らない分、逆に聴き飽きがこない。

 地味な存在ながらも、ユニークな名演と言える(ただし、ティンパニと金管の強烈アタックがとっても好きな人には歯がゆいかも)。

 「タラス・ブーリバ」も「シンフォニエッタ」と同じ音楽づくりだが、この勇ましくも悲しい物語にレーグナーの優しげでしっとりしたスタイルがよく合っている。宇野氏が書いているように、「シンフォニエッタ」よりもこちらの方が「いっそう出来が良く」、説得力がある。

 「シンフォニエッタ」の録音は1979年、「タラス・ブーリバ」は1980年。ドイツ・シャルプラッテン。

 村上春樹の「1Q84」の主人公の1人である天吾は、高校2年生のときに、吹奏楽部が「シンフォニエッタ」の吹奏楽版を演奏する際、急きょティンパニ奏者として駆り出された。
 小説にはこういうくだりがある。

 冒頭のファンファーレの部分では、ティンパニが縦横無尽に活躍する。

 でも、天吾の性格からして、そのときの演奏はレーグナー盤のようなものだったんじゃないかなと、勝手に想像している私である。

モーツァルトじゃなく、この場はニールセンの方が……♪「プラハ」「リンツ」「ひろがりの交響曲」

MozartGardinerBox  おやつなのか朝食なのか?
 昨日は帯広6:46発の《スーパーとかち2号》に乗って札幌へ向かった。

 列車に乗り込む前に駅のコンビニでエビアンを買った。

 私の前では台湾か韓国か、はたまたどこの国かはよくわからないが、とにかく日本人にそっくりだけど衣装がどことなく違うアジア系の女の子2人が会計中で、レジの横のホットケースを指さしてピザまんと肉まんを買おうとしていた。しかし、レジの女性からは彼女たちが指さしている商品がよく見えず、かといってお互い言葉が通じないので、その2個が無事彼女たちの手に渡るまでに時間がかかった。

 私はペットボトルを1本持ってじっと待っていたが-それ以外何ができるというのだろう。せいぜい、自分の番が来たらつられて「肉まん1つ」と言うことぐらいしかできない-、私の後ろに並んでいたオバサンが隣のレジの列に移ろうとして、でもそのオバサンからは死角になっていただけで、隣は隣で吟味するように1円玉を1枚ずつ財布から取り出しているオジサンがいて、その後ろにはうつろな目をして並んでいる中年のこれまたオジサンが並んでいて、結局また私の後ろに戻って来た。

 私は「急がば回れ」と心の中でつぶやいた。

  彼らの目指す場所
 列車に乗り込むと、ピザ&肉まんの2人組も同じ車両にいた。
 私の斜め2つ前の座席で、大きなスーツケースをこともなげに荷棚に上げていた。

 列車は定刻に発車。
 この列車を私はよく使う。どうせ早起きだから、苦にならない。
 早い時間に移動した方が時間を得した気分になる。いや、気分だけでなく実際に得になるに違いない。
 車内は空いていたが、平日に利用するときよりは乗っていた。
 でも、隣の席は空いていて、それはいつものことだが、快適だ。

 途中、芽室、十勝清水、新得で1人、2人乗って来た。
 ところがトマムに着くと、ホームには大勢の客が。
 そして、この車両にも乗り込んできた。

 このとき7時40分。
 いくつかの団体御一行様のようだが、こんなに早い時間にもう移動することに驚いた。
 私が乗っている車両に乗り込んで来た10人ほどは、全員が私の知らない言葉で静かとは言えない会話をしながら、隣の自由席車両に躊躇することなく進んで行った。
 この車両じゃなくて、内心ほっとした。
 団体旅行なのに指定席じゃないのが不思議だったが、外国人観光客にもかかわらず迷いもせずに自分たちが行くべきところを完璧に理解していることに感心した。

  女一人旅か?余計な詮索だが
 が、1人だけこの車両にとどまった者がいた。

 すぐには気づかなかったが、それは若い女性。黒ぶちの眼鏡をかけた20歳ぐらいのかわいらしい女の子だった。
 列車がトマム駅を出たあとにデッキにゴミを捨てに行くために立ったときに、その女の子が私の真後ろの席にいるのがわかったのだ。
 大きなスーツケースを通路側の席の前に置き、本を読むでも車窓からの景色を眺めるでもなく、その女の子はじっと私が座っているシートの背を見ていた。

 1人でトマムに旅行に来たのだろうか?
 いまの状況からはそう考える方が妥当だ。

 日本人だろうか?
 それはわからない。

 彼女は立ちあがった私を一瞥したが、それは機嫌の悪い猫のような表情だった。

 そんな目で見られる筋合いはないと思ったが、まあいい。
 私は空になったエビアンのボトルを捨てに行き、トイレに寄った。

 その子は南千歳で降りた。

  これじゃあ部屋が暗いわけだ
 自宅の最寄りの駅に着いて歩いて家に向かう途中、私は道沿いの家の屋根や車庫をチェックした。
 雪がどのくらい積もっているか覚悟するためだった。
 予想していたより積雪量は多くないように思った。

 が、家の前に着き、そう甘くないことを悟った。
 玄関前は大量のグラニュ糖を運び込み均一にならしたようになっており、その下は氷砂糖のようになっていた。気温が高い日が続いたようで、日中に溶け夜中に凍るということが繰り返されたせいだ。当然、硬くて重い。

 カーポートの屋根は雪下ろしをしなきゃならないかどうか微妙なところだった。
 50cmほど積もっていたが、強度的には150cmまで耐える構造になっている。問題は、どのような雪なら150cmまで耐えるのかということだ。粉雪なら大丈夫だがべた雪なら半分の75cmが限界かもしれない。そして今は、明らかにかなり密度が高い締まった、つまり空気含有量の少ない重い雪になっているはずだ。

20150125SNOW 家に入り、2階に行くと11時だというのに部屋が薄暗い。
 窓を見て驚いた。
 ベランダの雪が信じられないほどの量になっている。

 やれやれ、やれやれ、やれやれ……

 こうなったら何よりもベランダの雪下ろしが最優先だ。
 窓ガラスが割れたら一大事だ。

 しかし、これだけの量の雪をすべて落とすことは困難であることはわかっていた。落としたところでそれを捨てる場所がすでにないのだ。

 全体的に30cm分ほど、ただし窓に接する部分は下まで雪を除けた。それだけでも十分な運動量だった。頭から汗が滴り落るほどだった。

 次に玄関周辺の雪かきと物置まで道をつけることに取り組んだ。
 ベランダの雪と同じように硬い雪で、仕事ははかどらなかった。

 カーポートの屋根にたまった水を地面に流す樋(とい)を見ると、小便小僧の小便のようにちょろちょろと水が流れ出ていた。
 けっこう雪が融けているということだ。
 その水を換算するとどれぐらいの積雪量に匹敵するのかわからないが、間違いなく融雪進行中だ。
 無理はよそう。カーポートの屋根の雪下ろしは止めることにした。

 というよりも、もう限界だった。

 腕はだるさの極致だったし、腰もギシギシと痛んだ。ただでさえふだんから速い脈拍は制御不能のメトロノームのように速打ちし、ふくらはぎがつりそうになった。
 雪かきのスコップはすこしひび割れが入り、私の腰と同じようにギシギシという悲鳴を上げた。この次あたりはパリンと割れて過酷な労働から解放されることになるかもしれない。

  2時間の音楽鑑賞時間……
 ベランダに出てから息を切らして家に入るまでの間、ウォークマンで聴いた曲は3曲と半分。

 ガーディナーがイングリッシュ・バロック・ソロイスツを振った、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ(Linz)」(1783)と交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ(Prag)」(1786)。
 それからニールセン(Carl August Nielsen 1865-1931)の交響曲第3番ニ短調Op.27「ひろがりの交響曲(または、おおらかな交響曲。Sinfonia espansiva)」(1910-11)と交響曲第4番Op.29「不滅(または、滅ぼし得ざるもの。Det undslukkelige)」(1914-16)の前半2楽章。
 だいたい2時間だ。

 2時間と書いてしまうと「たった2時間か。根性なしめ!」と感じるかもしれないが、私にとってはそれはそれは過酷な2時間だったのだ。

 モーツァルトの「リンツ」と「プラハ」は、モーツァルトらしく明るく健康的だが、大人の雰囲気も漂う優雅な作品だ。そしてガーディナーの演奏はピリオド演奏ながらもあまりギスギスしない穏やかなものだ(1988年録音。デッカ(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus))。
 が、ヒーヒー言いながら肉体労働をしていると、こういう音楽は想像以上に心に入り込んで来ないことがわかった。

NielsenSet その点、ニールセンの第3交響曲だと、そのどこか座りの悪いスツールのような不安定さがなんとなく作業に合っていた。ベートーヴェンの「英雄」(交響曲第3番)を思わせる出だしだが、そのあとは現代吹奏楽曲の「何とかダンス」なんかを彷彿とさせるちょっと斬新というか、きちんと噛み合っていないボルトとナットのような歪みがおもしろい。自分の体も歪み始めていたし。

 「ひろがりの交響曲」のタイトルは第1楽章の発想記号である「アレグロ・エスパンシヴォ」からとられた「エスパンシヴァ」による。

 4楽章構成だが、第2楽章では舞台裏からバリトンとソプラノが歌詞のない歌を歌う。この楽章はとても牧歌的である。声楽パートはトロンボーンとクラリネットで代替可能となっているが、やはり人声が勝る。

 家に入り冷蔵庫を開けると、濃縮還元果汁100%のバヤリース・アップルジュースが入っていた。
 ふだんはこういうものを飲むことはないが、このときは無性に魅かれた。そしてその缶ジュースを一気に飲んだ。
 すごく美味しかった。もしかすると体が糖分を求めていたのかもしれない。
 あるいは朝JRの中で読んだ本に、農場で実ったリンゴをすべて自分のものにする豚の話があったせいかもしれない。

 ニールセンの交響曲第3番では、ボストック指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルのCDを紹介しておく。
 ハス-ザイセンのソプラノ、ルンドのテノール。
 また、第2楽章の別稿(声楽なし)の演奏も収められており、こちらはコックスのクラリネット、プライスのトロンボーンである。

 2000年録音。membrane。

 雪は不滅じゃなく、春には融けるんだけど、放置できないからな……

すぐ女のケツを追うちゃらんぽらんな奴。すぐ飲まなきゃならない茶♪WAM/いまこそわかったでしょう

MozartAria  わからないけど、as soon as possibleってこと?
 ペットボトルのお茶。

 そのラベルの横には小さな文字で「開栓後はすぐにお飲みください」という表記がある。


 すぐにとはどれくらいの時間的余裕があるのだろう?
 一気に飲めという切迫感を伴うことではないとは思うが、「すぐ」というからには、もたもたしていることは許されないのではないか?

 辞書で調べると、「すぐ」というのは“いまただちに”ということだと書いてある。

 困った。
 そうであるなら、これからは怖くて栓を開けられない。だって一気に飲めないもん。

 困ったがいまの私にはよくわからないし、どうにもできない。ただ言ってみたかっただけだ。


  こっちは「わかった」らしい
 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の「いまこそわかったでしょう(Or sai chi l'onore)」。

 歌劇「ドン・ジョヴァンニ(Don Giovanni)」K.527(1787。2幕。台本=ダ・ポンテ)の第1幕で、ドンナ・アンナが歌うアリアである。

 ドン・ジョヴァンニは女たらしの貴族ドン・ファンのイタリア名。


 この好色貴族がドンナ・アンナの家に忍び込もうとするが騒がれ、駆けつけた父親を殺してしまう。
 そして、ドンナ・アンナがドン・ジョヴァンニこそが父親殺しの犯人だと気づいて歌うのがこのアリアである。


 今日はモーツァルトのオペラ・アリア集のCDをご紹介しておく。
 グルベローヴァのソプラノ、アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏。


 1988録音。テルデック。


RStraussZara  男と女を表すメロディーが交じり合う

 この女たらし野郎に基づく作品をもう1つ。


 リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949 ドイツ)の交響詩「ドン・ファン(Don Juan)」Op.20(1888-89)。


 モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の台本を書いたダ・ポンテは、モリエールの「ドン・ジュアン」(1665)を参考にしたと考えられているが、R.シュトラウスの交響詩には「Tondichtung nach Nicolaus Lenau」という副題があるように、ドン・ファンをテーマとするレーナウの詩によっている。


 血の気あふれる(どこにでしょう?)って感じの激しい開始。これは「悦楽の嵐」のテーマである。
 そのあとは女性とのデート(というか、逢引きという言葉の方が淫、いや、陰事っぽくてしっくりする)や、理想の女性に巡り合えない満たされぬ思いが描かれ、最後は死の暗示へと曲は進む。

 張り切ってナンパに出かけるような意気込みが感じられるショルティ/シカゴ交響楽団の演奏を。


 1973年録音。デッカ。


 明日札幌で会議があるのだが、私は今日の明るいうちに移動。
 おそらく降り積もっているであろう雪を除ける作業が待ち受けている。
 うぅっ!楽しみぃ~(大嘘です)。


ふにゃっとした鉄?♪「伊福部昭 百年紀 Vol.2」

IfukubeHyakunennki2  はい、自業自得です

 ようやっと土曜日だ。久々に休める。

 この1週間は長く感じた。先週の土曜日に担担麺を食べたのが、まるで先々週のことのように思えるほどだ。


 実はあの日。担担麺を食べ終えたあと、仕事が発生したという報せが携帯電話が入った。家庭の、ではなく勤務先での仕事である。
 そして夕方に出勤。

 翌日曜日はもともと出勤の予定だったので、この日もお仕事。

 月曜日は新年会があり、ちょいと飲みすぎ。ちなみに昼はデパ地下で唐揚げ弁当。


 火曜日も新年会があり、やや飲みすぎ。余談だが昼は荒涼庵の日替わり(メンチカツ)。


 水曜日。週半ばにしてすでに飲みすぎの疲れとそれに伴う寝不足で、頭の中にも内臓にも微分的なきしみが起こっていた。
 その日の夜は陸別に行く用事があり、そこにお泊り。
 素直におねんねするわけがなく自制しながら飲んだ。が、酔いが回るうちに自制とはなんぞやという疑問にぶつかり、そのうち疑問も忘れ、寒空の下、宿に戻った。宿への道は独りぼっちじゃなく数人一緒だったので、帰り道で眠気に襲われ、寝入り、そのまま凍え死ぬという目に遭わずに済んだ。
2015ShibareRikubetsu ただし、午後11時時点で気温はマイナス13度。当地としてはお子ちゃまレベルであった。
 それでも来たる「しばれフェスティバル」に向け、作業している人たちを見かけた。ご苦労さまです。
 なお、この日の昼はコンビニ弁当。

 木曜日。朝は狼の遠吠えの声で目覚めた。

 えっ?狼?
 もちろんそうではなかった。宿の部屋の石油ストーブが点火する音だった。なんでストーブがそんな音を出すのかすこぶる疑問である。
 補足だが、この日の昼は社に戻る途中でかしわそばを食べた。
 夜は仕事が終わるのが少々遅くなったが、ようやく家で食べることができた。

 金曜日。
 少し雪が積もっていた。
 この日は1日事務所で仕事。内勤ちゃん。
 夜は突発的に秋吉課長や阿古屋係長を含む5人で中華料理(〇〇楼ではない)。
 やや食べ過ぎてしまった。 

 追伸~昼は、「ジェロ」がどこかに消えた後に開店した「ケフェ」に初めて行ってみた。
 阿古屋係長は2種ある日替わりセットのうち、腕を組む癖がある人が眠たくなったときのように、腕を組んで目を細めながら数秒考えたのちに、肉じゃが定食を選んだ。もう1つの日替わりはカレイの煮つけであった。
 私と秋吉課長は係長に追随することは一切なく、ともにボロネーゼを頼んだ。
 ボロネーゼはなかなか美味しかった。が、けっこうボリュームがあって(ありがたいことだ)、私は5分の1ほど残した。
 そしてまた、開店する際に目的もなく期待した「女性客が多い」というのは、現実にはなっていなかった。

  ファン陶酔の貴重な企画
 さて、年は明けてしまったが齊藤一郎指揮オーケストラ・トリプティークによる「伊福部昭百年紀 Vol.2」。

 2014年のライヴで、収録曲は


 「ジャコ萬と鉄」組曲
 「佐久間ダム」組曲
 「ドゴラ」組曲
 「ラドン」組曲
 「宇宙大戦争」組曲


 これらの映画の封切り年は、順に1949年(東宝)/1954-56年(岩波)/1964年(東宝)/1959年(東宝)である(記録映画「佐久間ダム」には第1~3部と総集編がある)。


 聴いたことのあるメロディーも多いが、初めて耳にする音楽もある。

 伊福部昭の長男・極氏は、ライナーノーツにこう書いている


 ……「何だか、全部どこかで聞いたことがあるみたい」と言う様な印象は「ヤボ」と言う事にして頂いて鑑賞いただければ大変に嬉しく思います。


 きわみさんに、先手を打たれてしまった。


 貴重な音源であることは間違いない。

 企画した方々、演奏者の方々には感謝の意と敬意を表する次第である。
 が、欲を言えば演奏がもっと良ければと思う。アンサンブル面で危なっかしいところが少なくないからだ。
 
 特に最初のトラック。すなわち「ジャコ萬と鉄」の冒頭。
 ジャン、ジャンという全奏のあとの「シュラシュラ・ティラティラ・シュラシュララ」と続くが、ここが微分的に乱れ「フニャフニャ・ホニャホニャ・フニャフニャラ」となっている。
 これはこういう曲なのではなく、演奏の乱れに違いない。最初だからちょいと気負ってしまったか?立ち上がりって特に緊張するものだもんね。
 
 記念年のお祭りの貴重な記録として、そんなにとやかく言うのはヤボってもんなんだろうけど……
 そして、このコンサートを実際に聴いていた人たちは、ソートウ興奮したと思う。

 2014年ライヴ録音。スリーシェルズ。


 乱れといえば、先日自宅のプリンターで文書を印刷したときに、ところどころ文字がやや歪んでいるのを発見した。わずかに斜めに文字が崩れかけているのがある。
 間違いなく互換インクカートリッジのせいだ。
 高くても純正品じゃなきゃ、やっぱりダメなようだ。 
 年賀状の裏面に印刷した写真の色合いが悪かったのも、微妙な色ズレのせいだったのだろう。

スモークサーモンは和で味わうに限る♪クラーク/trpヴォランタリー

PurcellTrpTune  王子が王子を賞賛
 もともとは特に好きなわけではなかったが、正月に私はスモークサーモンが好きになった。

 いや、煙に燻された鮭に恋したわけではない。食べても抵抗がなく、舌が慰撫され、好きな食べ物の1つに加わったという意味である。


 スモークサーモンの独特の味-それはスモークサーモンの風味としか表現のしようがない-が、もともと生魚が苦手で、加熱したとしても魚よりも肉の方が好きな私には、積極的に摂取することをためらわせていた。

 しかし、おせち料理の一環として購入した王子サーモン(の切り落としお得パック)を、マリネとかスモークサーモンらしい食べ方ではない食べ方をしたところ、好きになったのだ。


 ただし、どこのスモークサーモンでも良いというわけではない。数少ない食べ比べの結果、王子サーモン以外のスモークサーモンは口に含んだときに生臭さというか鮭臭さが強く、そりゃ私だって酒臭いことはあるものの、苦手である。スモークサーモンは王子に限ると、王子のような私は確信している。

  こんなところにもマッサンが!

 王子サーモンは本社は銀座にあるが、本店は北海道の苫小牧市にある。
 苫小牧といえば神の町だ。違った。紙の町だ。王子製紙もある。


 1961年に当時の王子製紙の副社長たちがヨーロッパ視察に行ったときに、ロンドンのレストランで食べたスモークサーモンのおいしさに感動。そして、その原料が苫小牧沖で獲れたオースケ(時知らず)だと知り、なんとしても日本で美味しいスモークサーモンを作りたいと考え、試作を始めた。それが王子サーモンの誕生につながるのである。

 副社長のOKがなかなか出ない日々が続いたが、スコットランドに滞在していた時にスモークサーモンも研究していたニッカの竹鶴政孝(そう、マッサンである)からウイスキーの樽が最適の材料と教えられ、原酒樽の廃材から作ったおがくずで燻したところ、あのロンドンのスモークサーモンの味が再現できたという。


  そっか!寿司ネタにもなっているのか!
 で、私も洋食としてスモークサーモンを食べるという発想しかなかったが、正月にわさびで食べてみた。

 と、なんと美味しいことか!
 なんでこういう食べ方を思いつかなかったのだろう。
 そして何より、繰り返すが生魚があまり得意ではない私にとっては、サーモンの刺身よりも数十倍食べやすいのである。

 考えてみれば、私が好きな(といっても人生の中で2回しか食べたことがないが)駅弁「サーモン寿司」はスモークサーモンをネタにした押し寿司だ。
 
 わさびだけではなく酢かレモン汁を少しかけて(そのままでも十分に塩気はあるが)しょう油をちょこちょこっとつけて食べると、まさに「サーモン寿司」のしゃり抜きの味わいだ。ということは、もう説明の必要もないだろうが、これをおかずにしてご飯を食べると疑似的な「サーモン寿司」になってしまうのである。
 
  イギリス、王子……ですけれども、今回はデンマーク
 クラーク(Jeremiah Clarke 1674頃-1707)の「デンマーク王子の行進(The Prince of Denmark's March)」。
 「トランペット・ヴォランタリー(Trumpet Voluntary)」の名の方が知られているかもしれない。また、作曲者についても、長い間パーセルの作と思われていた。

 たぶん、誰でも一度は聴いたことのある輝かしく華々しい曲である。

 とりあえずはニュー・イングランド・ブラス・アンサンブルのCDをご紹介。

 1962年録音。ソニークラシカル。


 偶然だが、21日の北海道新聞朝刊に王子サーモンの特集記事が載っていた。

 いずれにしろ、私としてはサーモンは大王でも女王でもなく王子に限るし、ポケモンはピカチューがいちばん人気だろう。

サザエさん、タコでグランプリ獲得♪DSch/Sym8(by ザンデルリンク)

ShostakovichSym8Sandel  8番に名演が多いのは、出来が良いから?
 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第10番

 この曲は、私にとっては彼の全15曲の交響曲の中でも、「あなたは入賞しました」というぐらい好きな1曲。
 だが、なかなか私のわがままな欲求を十分に満たしてくれる演奏には出会えない。

 しかし不思議なことに、表彰台に上がれるくらいの順位で好きな第8番では、いろいろな指揮者によって大なり小なりアプローチの違いがあっても、けっこう寛大な気持ちで満足し、微熱があるときのようにゾクゾクしてしまう。

  人生、楽しんでますか?
 その交響曲第8番ハ短調Op.65(1943)。
 本日紹介する演奏はK.ザンデルリンク指揮ベルリン交響楽団。東ドイツ御一行様だ。

 ちょっと面白い。でも、いい味出してるって感じの、これまた名演だ。
 インバルとは違う形での茶番なのかもしれない。
 

 切れ味抜群というわけではない。少し使ったけど面倒だからまだ刃を折っていないカッターの切れ味のよう。おおむねきちんと紙は切れているのだが、何か所か切れ漏れがある。そんなご愛嬌がこの演奏にところどころにある。

 各ソロパートはすごく巧いとは言えず危険箇所も少なからずある。しかし、あばたもえくぼではないが、これまた計算してそう吹いているようにさえ思えてしまう。
 それは特に第2、第3楽章に感じた。この2つの楽章、なかなかユニークな演奏だ。ここではオケの響きも、スカスカはしていないが、かといって骨太でもない。ちょっと骨粗鬆気味ですねぇってお医者さんなら言うだろう。でも、この「ややスカ」がこれまたおもしろい。

 また、ショスタコーヴィチはこの曲について、「人生は楽し」ってなことを言っているが、ザンデルリンクの全体にほのかな温もりがある響きは、ドイツ・シャルプラッテンの音作りの特徴とも相まって、ショスタコの言うように楽しげに聴こえなくもないい。
 
 「うぉ」っとのけぞりそうになる第1楽章開始の爆発的重低音に身も心も震える。
 しかし、どちらかといえば声を潜めた部分が秀逸。第1楽章の静寂な箇所や、第4~5楽章がとりわけすばら

しい。絶望的な寂しさ、悲しさではなく、ほっとするような余韻が残る。
 
 1976年録音。ドイツ・シャルプラッテン。


20150119Doshin  フグタじゃないですが
 ショスタコと食酢タコってちょぴり似てなくもないが、そして食酢タコっていったい何なんだという問題に発展しかねないが、「たこの飯寿司」がグランプリをとったという記事が、19日の北海度新聞朝刊に載っていた。第5回T-1グランプリ北海道ブロック大会でのことだ。

 にしてもいるんですね。サザエさんって。
 グランプリを獲得したのが浦河町の木幡サザエさんという方なのだ(本名ですよね?漬物ネームじゃないですよね?)。
 おめでとうございます。


 一方、ショスタコの第8交響曲はというと、賞を獲るどころか1948年にはジダーノフ批判の槍玉にあげられ、1960年まで演奏禁止になった。
 が、この作品、近年評価が高まりつつある。

 やっぱり第10交響曲より出来が良いのだろうか?

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