スパイクタイヤ?それともキャタピラ?
たまたま昨日はスケート関係(っていう言い方も変だが)の曲を取り上げたが、この日の朝のニュースで、網走の小学校でグラウンドに作ってあったスケートリンクが何者かによって台無しにされた、と言っていた。
氷の表面がガタガタ、ズタズタ、ガリガリになっていたという。車で侵入した人間がいたらしいということだが、ふつうのスタッドレス・タイヤじゃそんなふうにならないだろう。
犯人は除雪機とかブルなんかで、ラリーのごとくリンクを走り回ったのだろうか?
かわいそうに、児童が悲しそうな声でインタビューに応え、悲しそうな感想を話していた。
その前日の金曜日。
支社である行事があり、そんなことが世の中で起こっているなんてつゆ知らずに、そのあとK課(略称)の人々と直会(なおらい。ただし、厳密には厳粛な意味合いのない単なる二次会)を行なった。
会場はチェーンの居酒屋「海の鮭」(仮名)である。
K課は秋吉課長率いる、そして阿古屋係長も一員の、けっこう大人数の課である(おとなかず、ではなく、おおにんずう、と読みなさい)。
K課のKはもちろんイニシャルだが、「気になる」とか「声かけ」とか「食う寝る」とか「鴨南蛮」とか「毛蟹」でないことは間違いないことを、私は断言する。また、カフカめいた課でもない。
「海の鮭」という名の居酒屋ではあるが、海のものだけではなく山のものもある(海の幸、山の幸と書くには個人的に抵抗感がある)。
隣に座っていたキンタマオさん(ワンタイム仮名。どこで区切るかは読者の裁量に委ねる)は美味しそうにたちぽんを食べていたし、たちぽんは200%苦手である私は鶏の照り焼きを食べたし、キュウリも食べた。他にも各々がいろんなものを頼んだはずだが、テーブルに何が乗っていたのか、今となっては遠い昔のことのようにあまり記憶にないのが不思議である。
きっと自分が食べなかったので覚えてないのだろう(口にはしていないが、たちぽんはそのウネウネプルプルな姿が強烈に目に焼きついている)。また、マグロの刺身が黒っぽい長皿の上に1切れ、大葉1枚とともに残っていたのを見かけたような気もする。
それと、たちぽんと太字で書いているのは、ただ読みやすくかつわかりやすくするためで、他に意味も狙いもない。
鮭は出てこないが……
ドビュッシー(Claude-Achille Debussy 1862-1918 フランス)の「海(La mer)」(1903-05)。
この作品、以前は「交響詩『海』」と呼ばれていたが、最近はドビュッシーの原題に忠実に「3つの交響的スケッチ(3 Esquisses symphoniques)」と書かれていることが多い。
ドビュッシーの最高傑作の1つであると同時に、代表的な印象主義の音楽作品である。
とっても有名な曲なのでとやかく書くことはないが、3つの楽章からなり、第1楽章「鯖」、第2楽章「鮫」、第3楽章「鮭」というようなことが、サティじゃあるまいしあるわけがなく、一応3つの楽章のタイトルを紹介しておくと、
第1楽章 「意味の夜明けから真昼まで」(De l'aube a midi sur la mer)
第2楽章 「波のたわむれ」(Jeux de vagues)
第3楽章 「風と海の対話(Dialogue du vent et la mer)
で、ドビュッシーは「印象」としてのこれらを音楽にしたのであった。
ジュリーニ指揮ロス・アンジェルス・フィルの、色彩的かつ気品ある演奏を。
1979年録音。グラモフォン。
そのキンタマオさんだが、このところ胃と腸の膨満感に悩まされているという。
私もめん類を食べた後は、すするときに多くの空気も一緒に飲み込んでいるようでおなかが張って困ると話したが、そういう問題ではないという顔をしていた。
すいません。