新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は江別市「らーめん しょう」の味噌ラーメン。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2014/11

寂しいというのはウソだ!悲劇を避けろ!♪ブラームス/悲劇的序曲

BrahmsSym2Haitink  スパムメールとか来たしぃ~
 魅惑のお誘いメール。


 土橋陽菜乃

 私も会える人探してるし♪
 すぐ会える人探してるって事は時間会ったりするかなぁって思ったんだけどどうかな?(*´ェ`*)
 私も今は彼氏とかも居ないし、仲良くなったら会ってみたいなって思ってるしさ~(〃▽〃)
 ここの1ページ目のとこに連絡先とか写メ貼ってるし時間ある時にでも連絡してよね?(*´I`*)
 ここの1ページ目のとこに載せてるよ!


 陽菜乃って、ひなのって読ませたいのだろうか?
 よぅなの、じゃないわな……


 これはYahooメールに入ってきたもので、皆さんの中にも届いた経験がある方は多いだろう。

 にしても、「私も」って言い方が気に食わない。
 私はあなたと違って、探してない。


 で、類似メールはマリ~ンからも届いていた。


 橋本真凛

 毎日家でも1人だし…
 まだ彼氏とも別れちゃったばっかりだし…(つд⊂)
 家に居ても1人だから色々考えちゃって寂しくてさ…(。>ω<。)
 連絡先こっちに載せてあるから…待ってるからお話するだけでもいいから構ってくれたりしない…?(。・ω・。)
 連絡先載せたから…待ってるね?
 
 家にいたらいろいろ考えちゃって寂しい?
 なら、図書館にでも行ってみたらどうだ?

 静かなのが苦手?なら、ドンキとかに行ったどうだ?びっくりドンキーじゃないぞ、ドンキホーテのことだ。あの雑多な雰囲気に、真凛も心を躍らせるだろう。私はあの雰囲気、好きじゃないけど。

 で、こういうのに“連絡”しちゃうと、今度はこっちに悲劇が起こることは容易に推察できる。

 それにしても、にもかかわらずこういうメールが相変らず“作成”されているってことは、引っかかる寂しいオトコ

の子がそれなりにいるってことか?


  こちらの悲劇には題材はありません
 ブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)の「悲劇的序曲(Tragische Ouverture)」Op.81(1880)。

 この曲についてはここでも触れているが、歓喜の感情に満ちた「大学祝典序曲」と対を成すものとして作曲された演奏会用序曲である。
 ただし作曲者自身、この曲について、具体的な悲劇を題材とした標題性のある作品ではない、と述べている。

 ブラームス演奏では最近私の“お気に”である、ハイティンク/ボストン響の演奏で。

 分厚いサウンドながら引き締まった演奏だが、慰撫するようなほのかな温かさも感じさせるところにグッとさせられる。

 1990年録音。デッカ(TOWER RECORDS PREMIUM CLASSICS)。交響曲第2番とのカップリング


  私のナウな悲劇 
 そうなのだ。悲劇なう、である。

 昨日体重をはかったところ、なんと1.5kg太っているではないか!
 由々しき事態だ。

 木曜日の昼にスパカツを、金曜の昼に豚丼を食べてしまったせいに違いない。


 ちなみに、スパカツというのはカツがのったミートソース・スパゲティで釧路の名物。
 これを売りにする店が新装開店したのだ。

 「もっちりパスタ」「サクサク衣のトンカツ」「濃厚ミートソース」。

 こう書かれて、「じゃあ、ぼくはふつうのミートソース」、と頼むことは不可能だ。そんな勇気、私にはない。

 鉄板にのってじゅぅじゅぅ音をたてているアツアツのを食べると、ほれ、幸せだこと!

 
 ってことで、今日は昼も夜も控え目にし、再び65000gに戻す決意だ。


再び伊福部の碑を探し求めて……(その2)♪伊福部/タプカーラ

NEC_0187  あるぅ日、森の中……
 坂を下り、もう一度“馬の碑”と向き合う。


 残すは左か右か、だ。
 が、幸いなことに右に道はない。

 そこで左の、車が1台通れるくらいの幅の道を進むことにした。

 ここでふとひらめく。


 「んっ?碑を建てるということは資材類を運ばなければならない。てことは、ピラミッドを建設した人夫でもいない限り、車が入れるような場所に碑は建てられたはずだ。Atsushiさんのコメントにも車が入れるようなことが書いてあった。それは碑のところまで車で行けるという意味だったのだろう。
 それにしても寒い。こんなことならここまで車を乗り入れればよかった。気づかなかった私は愚かだ」と独りごちNEC_0188る。

 ところで、“にんぷ”って“人夫”に変換されないのね。
 使用禁止用語になってしまったのだろうか?
 星飛雄馬は「オレの父ちゃんは日本一の日雇い人夫だ」って自慢していたような記憶があるが……

 とにかく孤独感と焦燥感にかられながら歩みを進める。
 道はカーブとなり、そこからは緩い上り坂となる。

 さらに逆カーブとなる。


 「おいおい、また畑に出ちゃいました、ってことはないだろうな」と、またまた危ない人のように独りごちる。


 なぜ、独りごちるのか?
 あまりに静寂で、ちょいと寂しいのと怖さがあったのだ。
 それを解消するために、小声で「森の熊さん」を歌ってみた、おちゃめなアタシ。

NEC_0189 すると……

  ひ・ら・け・た!視界が
 カーブを登りきると木々が開け、なんと建物らしきものが!

 右側の畑は先ほど行き着いた畑とつながっているものだ。

 足が速まる。
 タイムスリップしてしまったかのような雰囲気の建物が近づいてくる。
 冒険の末、謎の集落に迷い込んだような感じだ。ファロ島で高島忠夫ご一行様が原住民の部落に行きついたように。


 “地音”と書かれた看板が見える。
 “←トイレット”と書かれた札も見える。
NEC_0190 が、記念碑らしきものはない。
 しかし、明らかにある程度金をかけた施設の一群であることは明らかだった。


  ついにたどり着く
 そして、さらに近づくと先ほどは木の陰になっていた左側に、それはあった。

 伊福部昭の記念碑だった。


 立派だが、あたりには人ひとりいないし、実に静か。
 それが伊福部昭という人物にふさわしいような気がした。

 昨日の記事の地図で②と書いた位置に当たる。

 天然色の氏の写真がリアルだ。写真だからリアルなのは当たり前だが、私のようなファンだからいいようなものの、泣く子は絶叫しちゃうかもしれない。
NEC_0192 そして、ファンの私でさえ、夜なら怖くてこの写真に目を向けられないかもしれない。いや、夜なら怖くて絶対にこの森に入れないだろう。

 写真の下には「音更町歌」の楽譜が飾られている。
 音更町歌は伊福部昭が作曲したものだが、そのことについてはこちらの記事をご覧いただければと、われ思ふ。

 また、碑に向かって右側には「シンフォニア・タプカーラ」の楽譜が置かれている。

 ファンの方には今さら申し上げる必要もないだろうが、少年時代を音更ですごした伊福部昭は、アイヌの子どもたちと交流があった。
 タプカーラとはアイヌ語で立って踊るという意味だが、伊福部とアイヌとの関わりの原点がこの地にある。
NEC_0193
 「シンフォニア・タプカーラ」の譜面が選ばれたのは、この場所にぴったり。「交響譚詩」でも「日本狂詩曲」でもなく、「タプカーラ」こそがふさわしい。

  パパ、エリモシャクナゲがあったよ
 碑の裏には建立のいきさつや碑のデザインについて説明した文が掲示されており、横には建立記念植樹が。
 名札に書かれているようにこの木はエリモシャクナゲ(襟裳石楠花)。

 実は私の父は、林務官ではなかったものの林務関係の仕事をしていた。その父がいちばん好きだった樹木がエリモシャクナゲだった。シャクナゲの中でも襟裳岬周辺だけに生える種であるエリモシャクナゲは、父にとって私にはわからない魅力がある樹種だったようだ。
 そのエリモシャクナゲをここで目にするとは意外だった。

NEC_0196 また、この植樹のとき、伊福部昭の代理として伊福部玲さんが参加したことがわかる。

 
毎日、シャアンルルーを目にしてる
 さらに碑の裏手には年譜も建っていた。

 
 このように実に充実した碑(展示物)だ。
 それがこんなにわかりにくいところにひっそりと建っている。

 が、上にも書いたように、伊福部昭にふさわしい場所のような気がする。


 写真の伊福部昭は、いちばん下の写真のように、祠(ほこら)と木の間から見える畑を見つめている。

NEC_0200 シャアンルルー(アイヌ語で十勝平野)の一部を毎日眺めているのだ。


 今年のうちにたどり着くことができてよかった。
 そして雪が積もると簡単には行けない場所だ。さらに真冬になったら完全に行けなくなるのは間違いない。

 このタイミングで教えて下さったAtsushiさんに深く感謝する。

  現実に戻る

 なんだか感動しながら来た道を戻り、砂利道を歩き、車に乗った。

 車を走らせるとすぐに音更の住宅街になる。
 実はすごく近い場所ではあるのだ。

 そのあと私は予定通り用件を済ませ、支社には昼前に戻った。

 そして昼は“荒涼亭”で日替わりの“豚ヒレ定食”を食べた。

 食券を買ったときには、豚ヒレって、ヒレのトンカツかな?、ヒレのソテーかな?、まさか生肉じゃないよな、とか思ったのだが、ごく当たり前にトンカツだった。

 ソース差しから、スムーズにソースが出てこなくてイライラした。
NEC_0199 差し口(注し口)がつまるほど、ソースの回転が悪いのだろう。

 でも、カツはそれなりに美味しかった。

  座りながらも気持ちはタプカーラ  
 高関健/札響による「シンフォニア・タプカーラ」の演奏は、ほんとうにすばらしい。
 音も良いが、以前書いたように左右の広がりがやや狭い。

 が、演奏に引きこまれるとそのことは気にならなくなるのであまり心配はいらない。……って、気にしている人間に言われたくないか……。

 が、血が騒ぐと同時に深い感動をもたらすみごと演奏だ。

 豚ヒレ定食を食べたあとの昼休みの残り時間、ウォークマンでこの演奏を聴き、立って踊りたくなるほどさらに感動を深めた私であった。

NEC_0201











 

NEC_0203

再び伊福部の碑を探し求めて……(その1)♪シューマン/森の情景

OtofukeMap2  有力な情報をお寄せいただき再トライ
 伊福部昭の碑を拝もうと音更町の“音和の森”に行ったのは夏真っ盛りのころだった。
 その碑があることを新聞報道で知ったのだった。


 が、場所がよくわからない。いや、皆目見当がつかない。
 その森は地図をご覧になるとおわかりのように、異様に南北に長いのだ。

 新聞記事には東和西2線という住所が書いてあるので、そこを目指した。目指したといってもかなり漠然とした住所だ。だって、あまりにも縦に長過ぎるではないか!

 北端にある“展示場”に行っても碑はなく、だからといって数ある荒れた鬱蒼とした入口らしき小道すべてに足を踏み入れるわけにもいかず、ついには霊園入口という標識を見てあわてて引き返したりと、骨折り損のくたびれもうけであった。


 ところが先日、私のブログ記事に、碑のある場所がわかり行ってきたというコメントが入った。Atsushiさんからである。

 詳しくお教えいただくと、なんとなく目星がついた。なんともありがたい情報だ。

 で、再度碑を目指した。
 たまたま仕事で音更に行く用事があり、かなり寒かったものの天気が良かったし、次の訪問先のアポ時刻まで時間があったので寄り道したのだ。ちょっぴり、すいません……

NEC_0205  ビジネスでの報告の鉄則は、結論から
 そして、結論から言うと、この情報のおかげで私は伊福部昭の碑の前に立つことができたのだった。

 「昭和小学校から4本西側の道路」というAtsushiさんからの情報。

 たぶん、この昭文社のスーパーマップルにある西3線に違いない。実は前回もこの道を北上した。その結果、この地図よりさらに北にある霊園入口にたどり着いてしまったのだった。

 が、今回の情報では「右手に大きな畑があり真ん中に砂利道」とある。


 それらしき景色はすぐに目に飛び込んできた。
 地図で“西3線”と書かれている“西”の字のすぐ上にある道だ(地図の①)。

 そして、すっごく目立たないが、そこには一応“音和の森”の看板があった。写真でははっきり見えて目立ってNEC_0206いるように思えるが、実際に車を運転していると、高さが低いし看板の木の地色と文字のコントラストが乏しく、ほぼ完ぺきに見落とすような存在だ。


 ここで右折して砂利道に入り、その看板のすぐ横にある銀色に光り輝く農機具庫らしき建物の前に車を停める。


 確かに砂利道が畑の真ん中に森に向かってまっすぐのびている。


 私はその道をジャリジャリ音をたてながら歩き出した。
 なんだか人の畑のなかを勝手に歩いているような気がしないでもない。でも、間違いなくここは公道だろう。だって自然公園につながる道なんだから。

NEC_0183 あたりには人っ子1人いない。
 もしここでツチノコが現われ私を噛んだら、数時間誰にも気づかれずにそのまま死んでしまうかもしれないと思った。

 でも、そんなことはなく、道の両側の畑が切れ、シラカバの横にたどり着いた。

  道の先に森の入口が
 シューマン(Robert Schumann )1810-56 ドイツ)のピアノ曲、「森の情景(Waldszenen)」Op.82(1848-49)。

 作品についてはこちらの記事をご覧いただければと思うが、次の9曲から成る。

NEC_0184 1. 森の入口
 2. 待ち伏せする狩人
 3. 孤独な花
 4. 呪われた場所
 5. こころよい風景
 6. 宿にて
 7. 予言の鳥
 8. 狩りの歌
 9. 別れ


 このなかでは「予言の鳥(予言する鳥)」が有名で、単独で取り上げられることもあるし、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」でも取り上げられ人気が上がった(のだろうか?)。

 紹介するCDは前回と同じくカツァリスのものを。だって、この曲のCD、私はこれしか持ってないんだもん。
 1986年録音。テルデック。


NEC_0185   やはりわかりにくい案内図
 入口には森の地図が描かれた看板があるが、“伊福部”の文字はない。
 もう少し先に進む。

 “馬の碑”というのが建っている。
 
 違う、ちがう!
 私が探し求めているのは“馬の碑”ではなくて、“伊福部の碑”なのだ。
 
 まったく説明文を読んでこなかったけど、“馬の碑”って呪われた場所ってわけじゃないよな……
 いや、お馬さんに感謝する碑なんだろう、きっと。

NEC_0186 道は“馬の碑”の横をそのまままっすぐに上がっていくものと、左に伸びる車1台分の幅のもの(こういうのって片側一車線に対して、両側一車線とか言うのだろうか?)がある。

 私はこういう時の王道である(と勝手に決め込んで)直進、つまり“馬の碑”の横の階段とも言えない階段がある道を選んだ。

 その階段(というか、ただの坂なら登りにくいという配慮から細い丸太を置いてある。が朽ちかけていてかえって危ない)もだんだんぞんざいな造りになり、最後はほとんど斜面。

 ガサガサガサ。
 枯葉を踏む音が妙に響き、ちょっぴりアタイ、心細くなる。まるで今の自分は孤独な花だ。

  The 貫通!
 そしてほどなくして登りつめた。
 そこには待ち伏せする狩人が「あずさ2号」を歌ってくれた、ってなことがあるはずもなく、目の前に開けた光景は、これまた私としては想定するはずもなかった畑。
 森の反対側に通り抜けてしまったのだ。

SchumannForest こころよい風景……じゃなくて、碑はどこなんだ!碑は!
 またはずしちまったわい。
 何が王道だか!
 唖然として、呆然として、愕然とした。

 私は失意のまま、転ばないよう(齢をとるとけっこう簡単に斜面で滑って転んでしまうものだ)足元に十分に気をつけて(だってスーツのお尻が泥んこになったらこのあとのお客様のところに行けなくなる)“馬の碑”まで戻った。

 「ひひ~ん」
 小さな声でつぶやき、ここでへこたれるもんかと、私は根性を入れ直した。
 鳥がチュンチュン鳴いていた。

 ……続く

鬱蒼とはしてませんが鬱と躁を備えてます!♪プーランク/org協

Mahler09HaitinkECYO  この人もモーツァルト!
 ショスタコーヴィチが交響曲第1番でデビューしたとき、人々は「モーツァルトの再来」と讃えられた。

 松田聖子は「ピンクのモーツァルト」という、ワケのわからない歌を歌っていた。

 キダ・タローは「浪花のモーツァルト」」と言われている。

 そしてプーランクは「フランスのモーツァルト」と呼ばれることがある。その優雅で流れるような音楽からだ。

 プーランク(Francis Poulenc 1899-1963 フランス)は“フランス6人組”の1人。
 6人組のメンバーはデュレ、オネゲル、ミヨー、タイユフェール、オーリック、そしてプーランクだが、デュレやタイユフェール、そしてオーリックの作品が聴かれる機会は今日あまりない。


 オネゲルやミヨーは聴かれることはあるが、プーランクほどでない。


 ということで、6人組のなかでいちばん生命力を保っているのはプーランクだろう。


  ジキル&ハイド
 モーツァルトと同じようにプーランクの最大の魅力はメロディであり、アンリ・エル(プーランクについての著書を残している)は「旋律的思考の優位性」と言っている。

 また彼の音楽の特徴は、「修道士と不良(聖職者とガキ大将)」あるいは「躁と鬱」が同居しているといわれる、聖と俗の二重人格的表情である。


 「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲(Concerto pour orgue,orchestre a cordes et timbales)」ト短調FP.93(1938)(FP.はシュミットによるプーランク作品目録(1955出版)の番号)。


 いわゆるオルガン協奏曲ではあるが6部から成る単一楽章形式(3つの楽章に分けて考えることもできる)。
 編成に管楽器が用いられていないのは、“管楽器”でもあるパイプオルガンの表現力を妨げないためである。 


 この曲はプーランクの躁と鬱が行ったり来たりするのがよくわかる。

 力強い暗鬱な冒頭はこの先どうなるんだろうと思わせるが、そのあとは妙に敬虔な雰囲気になったり、暴れまくったり、雲間から陽が射すように明るい兆しが見えたりと、躁と鬱、聖と俗、気難しさと大はしゃぎが交替する。


 私が最初に耳にしたのはN響ライヴのFM放送だったが、そのときはなんだか変わった曲だなぁと思ったものだ。
 が、何度か聴くうちにオルガンのコンチェルトとしては大傑作だと思うようになった。
 不思議な触感。不思議な魅力。
 謎の美女っていうわけじゃないが、プーランクの魅力であるメロディも聴き手の心を捉える。


 トロッターのオルガン独奏、ハイティンク指揮ECユース・オーケストラの演奏は、“上品にまとめあげた整った演奏”でないのがいい。
 ソロは華やかでダイナミックな弾きっぷり。明るめの鬱、やんちゃな躁。
 若いオーケストラもそつなくお上手しちゃいましょうっていうのではなく、オルガンに負けじとがんばっていてこの丁々発止が実に刺激的だ。


 1993年ライヴ録音。デッカ(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION)。

 プーランクで思い出したが、前回歯医者の予約をキャンセルしたが、その後そのままだ。
 次回は全体的な歯ぐきのクリーニングをする予定で、そのあとは4カ月間お暇をもらえる。
 なんとか12月の前半には行きたいものだ。

 なぜ思い出したかって?
 プラークから……

“私の部屋”から出てきた1本のテープ♪伊福部/映画音楽集

IfukubeTape  狭くたってボク専用の部屋だもん
 自宅の私の部屋(それは家の設計図では“納戸”と表記されている)の中をゴソゴソやっていたら、1本のカセットテープが出てきた。

 “伊福部昭 映画音楽集 Ⅰ”

 かつてキングから出ていた伊福部昭の映画音楽(サウンドトラック)のLPをテープに落としたものだ。
 当時の先端モデルだったNECのパソコンPC-9801VMと熱転写式プリンタで作ったラベルが時代を感じさせる。ちなみにこれを作るのに使っていたソフトはごく初期の“花子”だったはず。
 
 このシリーズのLPは確か全10枚だったと思うが、私が持っていたのは4枚のみ(このLPはその後CD化されたようだが、いまは廃盤)。
 今回発見されたテープには、そのうちの2枚分が収まっている(と思う)。

 4枚のLPはよく聴いた。
 サウンドトラックだからセリフも入っている。
 このテープに入っている曲にかぶっているセリフもどれもが懐かしい。

  「銀嶺の果て」(1947年・東宝)
 この曲はすでにフル・オーケストラによるテーマ音楽のCDが出ているが(本名盤と斎藤盤)、サウンドトラックにはそこにない音楽も入っている。その場面の「ワンワン、ワンワワン、ワンワンワンワン、ワギャンギャン、ウゥ~ッ」という犬のうるさい鳴き声がいい。

  「ジャコ萬と鉄」(1949年・東宝)
 ピアノのアルペジオにのって物悲しい幽寂(←この言葉、使ってみたかっただけ)なメロディーが流れる。そこにセリフが。

 「おい、忘れ物だぜ」
 「余計なおせっかいはやめろ」
 「じゃあ、この女、オレが女房にもらうがいいか?」
 「……」
 「ほれみろ。そのツラなんだ?惚れたら惚れたではっきり言うもんだ。人間、往生際が肝心だぜ」
 「女に惚れたらマタギはできねえだ」
 「いまどき密漁なんて流行らねえ。このヤマネコ生け捕ったのを潮に、マタギなんざやめるんだな。少ねえがこれで掘っ建て小屋でも建てな」

 音楽は続き、突然「ハレルヤ~」という明るい曲が遠くから聴こえてくるように挿入される。
 これは結婚に至るという予告なのだろう。

  「足摺岬」(1954年・近代映協)
 人生に挫折した主人公の男は死ぬことを覚悟で足摺岬へと向かう。そこには昔心を寄せていた女性の叔母が営む旅館があった。男はその宿へ向かうが……

 上の曲と同じようにピアノのアルペジオにのって悲しげなメロディが。
 音楽が高揚して、息を切らした女性の声。

 「おばさん、バスもう出たのかね?」
 「なんじゃの?」
 「これ、忘れもん」
 「こんんあもん、あとから送っちゃったらいいじゃないか」
 「けんど……」

 他のと同様もちろん私はこの映画を観たことはない。しかしこの場面ではとりわけ悲しい場面のイマジネーションが膨らみ、よくわからないが胸が痛む。

  「釈迦」(1961年・大映)
 この映画音楽は、のちに交響頌偈「釈迦」(1988-89)へと発展することになる。
 逆に、私は“交響頌偈”を聴くと、該当するメロディーのところでこのLPの映画「釈迦」のセリフが頭の中に湧いてくる(下の?はよく聞き取れないところ)。

 “頌偈(じゅげ)”の第2楽章の美しい緩徐部分の音楽。
 そこに重なるのは次のセリフ。

 「立ち去れ悪魔、去れ!」

 同じく第2楽章の激動部分。

 「修行者よ、立ち去れ」
 「我らの土地から去れ!」
 「生かしてはおかぬぞ」
 「我らは6年間お前につきまとってきた」
 「これが最後の機会だ」
 「我らの勧めに従って、苦しく無駄な修業はやめろ!」
 「立ち去れ!さらば数々の楽しみを与えよう」

 釈迦は言う。

 「あらゆる欲望の皮を着た者。醜き者たち悪魔よ。お前たちの持つ楽しみに用はない。私はこの場を動かぬぞ。正しき勇気と深い知恵で、お前たちのゴン(?)を打ち破ろう」

 シュリシュリと何かが飛び交うような戦闘の音。
 「悪魔ども下がれ!」

 “頌偈”の第3楽章の下降音階テーマになり、釈迦が語る。

 「諸行は無常である。すべて-?-、心を清めて悪しきことをせず、善いことを実践しなければならない。吾は悟りを得た」

 ここで、かたせ梨乃っぽい声が、「尊き法(のり)を得られた。仏陀、諸人を導き救わせたまえ」と偉そうに言う。

 “頌偈”第3楽章の合唱のメロディー。そして民衆らしき人の声。

 「あぁ、仏陀だ。われは仏陀を見た!仏陀はついにこの世に現れたのだ。あぁ!」
 「仏陀よ、我らにいと尊き森の道を説きかせたまえ」

 冒頭の筝(らしき楽器)の上昇音とそれに続くドラの「ぐぁわぁぁん~」という一打のフレーズも印象深い(“交響頌偈”にはない)。

 このテープ、今回パソコンに取り込んだ。
 お恥ずかしいことに、カセットテープの音源を“サウンドレコーダー”を使えば簡単にPCに取り込めるとは知らなかった。

 ということで、今日はディスクの紹介ができないが、一応Amazonで中古盤が出ていることを導きたまっておこう。

“古い間違い”ではなくて、お歳を召した……♪メノッティ/リチェルカーレとトッカータ

MenottiTelephone  けっこうなブルブル
 この連休は、ついぞこの冬に向けての準備を完遂した。

 私はこう見えても、重い腰を上げるのに大いなる精神的葛藤にさいなまれるものの、いったん動き出すと昼食の時間が5分や10分遅れても構わないほど作業に没頭してしまうタイプなのだ。
 なお、読者の方々は実際の私の姿を知らないだろうから誤解なきよう断わっておくが、重い腰というのは決して私の腰が丸太のように太く大きいという意味ではなく、あくまで文学的比喩である。実際の姿は断定的に美しいと言える。

 肌にしたって青年時代のようなハリや潤いはないが、でも、爬虫類のような肌にはなっていない。

 話が一挙に飛ぶが今回の作業中、世の中に絶望した人が衝動的につけるような傷が、私の場合は世の中に絶望していないにもかかわらず、そして気づかぬうちにできてしまっていた。

 作業中に木の枝かバラのトゲでやっちまったに違いない。
PB230100 しかもガーデニング作業のせいであたりの肌も荒れあれである。
 こんな傷を負っていては、世間に誤解されるかもしれないので、さらに誤解されるよう大仰に包帯を巻こうかと思っている。

 なお、写真はボケてしまっているが、これは読者のみなさんが生々しい傷を見て衝撃を受けるのを緩和するため、ではなく、本当にピンボケなだけだ。

 話を戻す。
 今回の作業内容についてだ。

 土曜日の午後についてはすでに報告してあるので、日曜日のことを。

 日の出とともに作業を開始したら近所に迷惑をかけるし、まだ寒いので、8時よりスタート。
 なかなか順調にネットかけは終了。
 問題はそのあとの、はらったあとそのままにしておいた庭木の枝の整理。

PB230091 いよいよ、ようやっと、電動ノコを使う日がきた。

 もっとシュワァァァァ~ンと切れるかと思ったら、けっこうな振動が体に来る。ブルブルブルだ。
 チェーンソーを日々使うような人がかかる“はくろう病”っていうのを聞いたことがあるが、電動ノコでこうなんだからチェーンソーなら確かに病気にもなるだろうなと思う。
 とかなんとか考えながら作業は終了。
 結果は写真のとおりだ。

 今回の作業でいちばん手こずったこと。
 それは切った枝を束ねることだった。
 ゴミの収集に当たっては長さや束の径が決められている。で、それはもちろんクリアするようにしたが、この枝たち、束にしようとまとめていると、いいところまでいくとガラガラと崩れてしまう。積み木崩しならぬ枝木崩れだ。

 そりゃそうだ。切りそろえたといっても枝が真っ直ぐな棒に変貌するわけではなく、どいつもこいつも根性が曲がった私のように、クネクネしている。だから束ねるために積んで行っても収まりが悪い。

 それでもなんとかまとめロープで結ぶ。
 これまた困ったもので、ぎっちりとロープで縛ったはずなのに、数秒後には緩む。曲がった枝が自分たちの座りのいいように動くから、すぐに緩むのである。

 中央部をがっちり結ぶ。次に左側にロープをかけ縛る。すると中央部がユルユルになっているという具合。
 中央、左、右を何度か締め直して、なんとかした。
 あー、イライラした。

 この日はそのあと、車のワイパーを冬用のものに交換し(前回の反省を踏まえ、フロントガラスにはタオルを置いた)、灯油タンクを点検し(下のような状況なっていないか確認したのだ)、外仕事を終了した。

  灯油臭い人がいたら犯人かも
 北海道内の、それも道東の某都市に集中して灯油の盗難が相次いでいる。
 いわゆる灯油泥棒と呼ばれる悪いやつが暗躍しているわけだ。

 北海道以外の人はあまりピンと来ないかもしれないが、冬場に多くの灯油を使う北海道では、屋外に容量が490Lのタンクを設置している家が多い。率は知らないが、ほとんどの家がといってもいいくらいだろう。

 泥棒はそこから灯油を抜き取るのである。
 だから18Lのポリタンクをちょいと失敬、なんていうものとはスケールが違う。


 ではどうやって屋外タンクから抜き取るのか?
 どうやら給油しているように見せかけて、逆に抜き取るらしい。

 ということは、灯油配送業者のようにタンクローリーを持ってなければならないわけで、となると犯人はそこらへんに暮らしていて表向きは善良な市民に見えるような人間ではないだろう。
 「灯油代節約のために、あそこのタンクから抜き取っちゃえ」というような、簡単なものではないのだ。
 卸業者が横流しするために、あるいは再販売するためにやっていると考えるのが妥当だろう。


 わが家も何年か前に被害にあった。
 数日で半分近くまで減っていた。すっかり抜き取られたらボイラーが作動しないのですぐわかる。が、ウチの場合は分かりにくいように残されていたので被害にあった日にちを特定できなかった。
 その後、タンクにカギをつけた(給油口に取り付ける、専用のカギが販売されているのだ)。


 灯油泥棒のニュース報道で、最後に決まり文句のように言われるのが「被害にあった住人のタンクにはカギがかけられていませんでした」というもの。

 でも、カギをつけているタンクの方がはるかに稀だと思う。
 ふつうはまさか抜かれるなんて思ってないし……。わが家だって、まさかの被害にあって配送業者さんと相談してつけたわけで……


 つい先日も独り暮らしのお年寄りの女性が被害にあったと、ニュースで報道されていた。
 気の毒である。


  男よ!男が来たわ!
 メノッティ(Gian Carlo Menotti 1911-2007 イタリア→アメリカ)のピアノ曲「『泥棒とオールドミス』の主題によるリチェルカーレとトッカータ(Ricercare and Toccata on a theme from "The old maid and the thief")」(1953)。


 メノッティが自作の歌劇「泥棒とオールドミス」(1幕のラジオ・オペラ。1939)の中のメロディーを素材にした作品。

 オールドミスといっても、ここでの意味は老嬢というもので、会社などにずっと働き続け周囲を仕切る女性に対するやや悪意を含んだ呼称とは違う。


 物語の筋は、オールドミスの家に、なかなかのハンサムな物乞いがやってくる。オールドミスのトッドと女中のレティーシャはすっかり彼を気にいってしまい彼を泊めてあげることにするが、さらに1日だけでなく、しばらく彼に滞在してくれと頼む。
 何日かして、トッドはあの男が脱獄犯だという噂を耳にする。
 恐ろしいが彼に居続けてもらいたい。
 あの手この手で彼を留まらせるが、ある日男とレティーシャが家からいなくなり……、というもの。

 つまり、オールドミスが気がつかないうちに男と女中がねんごろになってしまったらしい。

 この2つの曲の主題が歌劇のどのような場面につけられているかはわからないが、リチェルカーレは憂鬱な重い気分の音楽。またトッカータは運動性の高い音楽である。 


 コスタンツォのピアノで。
 2006年頃の録音。NUOVA ERA。

  私が子どものころは「嘘つきは泥棒の始まり」って教えられたものだが、今の世の中なら「嘘つきは詐欺師の始まり」の方が説得力があるかもな。
 
 それにしても、なぜ灯油のタンクは容量は490Lなのかって?
 500L以上保管するとなると、危険物取扱者の資格が要るらしいです。

もはややっぱりモーツァルト!♪アーノンクールのWAM初期交響曲集6

MozartHarnoncourtEarlySyms  個性的な様式が確立
 アーノンクルール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスによる「モーツァルト初期交響曲集」のCD6。


 このディスクには、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1956-91 オーストリア)の以下の5作品が収録されている。


 ① 交響曲第20番ニ長調K.133(1772)
 ② 交響曲第21番イ長調K.134(1772)
 ③ 交響曲ニ長調K.161+163(K6.141a)(1773-74)【第50番】
 ④ 交響曲第22番ハ長調K.162(1773)
 ⑤ 交響曲第26番変ホ長調K.184(K6.161a)(1773)


 初期の交響曲について道しるべのように書かれている資料はそう多くないが、20番あたりからはぼちぼちと作品の解説も増えてくる。つまり、芸術作品として高い価値、意味を持ってくるわけで、音楽はぐっと“モーツァルトらしく”なってくる。


  イタリア旅行のあとザルツブルクで作曲
 モーツァルトは1772年10月から翌73年3月まで第3回目となるイタリア旅行に出かけている。
 交響曲第20番は1772年7月に、第21番は同8月に書かれたもので、第2回イタリア旅行からザルツブルクに戻っていた時期に当たる。
 また、第22番は73年4月に完成。第3回目イタリア旅行からザルツブルクに戻った翌月の作ということになる。

 番号が飛ぶが、第26番は73年3月の作品。ザルツブルクにもどってすぐに書かれた。

 実は、ここでも書いているように、1773年3月以降に書かれた交響曲の作曲順は、26-27-22-23-24-25-29-30-28で、ナンバリングが作曲順のとおりにはなっていない(だからこそ第26番のK6.番号(すなわち最新の時代考証順の番号)は、第22番のK.番号より若くなっている)。


 交響曲第20番は4楽章構成。第1楽章のトランペットの響きが華々しく、詳しいことはわかっていないが祝祭音楽として書かれたと考えられている。また第2楽章は1本のフルートと弦楽のみで奏され、素朴なかわいらしさを感じさせる。第3楽章のメヌエットは力強い舞踏であり、終楽章も祝祭的な気分にあふれている。


 交響曲第21番も4楽章構成。優しげなメロディーが躍動的で、フルートの音が印象的な第1楽章。モーツァルトらしいまったりとした、でもちょっぴり物憂げな第2楽章。優雅な第3楽章メヌエットに強弱のアクセントが効果的な第4楽章。すっかりモーツァルトらしさが確立されている。


 交響曲第22番は3楽章構成のイタリア式シンフォニー。この曲も祝祭的な気分にあふれている。アクセントを強調した第2楽章、そしてやんちゃな終楽章となかなかおもしろい。


 交響曲第22番よりも先に書かれた第26番もイタリア式の3楽章構成。とても激しい音楽で、C.P.Eバッハの疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)なシンフォニアを連想させる(ちなみにC.P.E.バッハの「6つのシンフォニア」Wq.182は1773年の作である)。
 モーツァルトの小ト短調交響曲と呼ばれる第25番が短調の怒りだとしたら、26番は長調の怒りってところだ。
 

 過去に第50番という番号がついていた交響曲ニ長調は、歌劇「シピオーネの夢(Il songo di Scipione)」K.126

(1770)の序曲が第1楽章と第2楽章となっており(K.161)、それに終楽章(K.163)が書き加えられた。ケッヘル目録第6版ではK6.141aとなっている。交響曲の形にされたのは1772年、あるいは1773~'74年と考えられている。いかにも序曲といった感じの曲だが、あとで付け足された第3楽章へも違和感なくつながっている。


 アーノンクールの演奏はCD1~5と同様、これらの初期作品が1ランクも2ランクもグレードアップしたように聴かせてくれる。特に第26番の暴れ方は聴いていてワクワクさせられる。


 録音は第20番が1994年、それ以外は1996年。ドイツ・ハルモニア・ムンディ。


   関連記事
  CD1 CD2 CD3 CD4 CD5
  K.(ケッヘル)番号について

地に足がついた若々しさ♪DSch/Sym1(by テミルカーノフ)

ShostakovichTemirkanovSet  ♪アンアンアン!
 ベートーヴェンの交響曲第5番(いわゆる「運命」)や、その“運命動機”が第1楽章に執拗に現われるブラームスの交響曲第1番、チャイコフスキーの運命交響曲と呼ばれる第4番第5番は、曲が進むにつれ暗から明へと変わる。


 一方、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」マーラーの交響曲第6番「悲劇的」は、暗で始まり暗で終わる。

 じゃあ最初は明るかったのにだんだん暗くなっていく交響曲はというと、例えばショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75)の事実上のデビュー作、それも衝撃のデビュー作である交響曲第1番ヘ短調Op.10(1924-25)はそのような流れになっている。


 この曲が初演されたとき、ショスタコーヴィチは“モーツァルトの再来”とか“現代のモーツァルト”などと賞賛され、いっきにその名を世界中に知らしめた。


 曲の前半の2つの楽章は、人を食ったような斬新なもの。ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」の影響が強いと言われる。その音楽はメカニカルな印象がある。

 ところがマーラーの影が漂う後半に入ると、第3楽章は沈思黙考しているようであり、終楽章も勢いづくが表情は決して明るいものではない。

 作品についてはこちらの記事に書いているが、モーツァルトの再来という言葉に惑わされたわけではないものの、私はこの作品に対し、いくら超初期作品だとしても軽い音楽だという印象があった。

 しかしテミルカーノフの演奏を聴いて、必ずしもそうではないことがわかった。
 軽く薄い響きではない。若々しいことに違いはないが、はしゃぎすぎていない適度な落ち着きを備えている。若々しさ=軽い、チャライ、薄っぺらい、じゃないのだ。ほら、あなたの周りを見てごらんなさい。おっさんくさい、いや、落ち着いた若者もいるでしょ?

 テミルカーノフのこういう姿勢は交響曲第9番で感じた好印象に共通する。
 そして明から暗への移ろいもよりはっきりと見えてくる。

 テミルカーノフ指揮サンクト・ペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団によるこの演奏は1996年録音。RCA。


  私の明から暗
 天むすのごはん粒をこぼすという粗相の末、油ジミがついてしまったコート。
 クリーニングに出したものを妻が取りに行くと、まったくなかった大きなあらたなシミが!
 シミの再来である。


 幸いカウンターで受け取る際に発見できたので、クリーニング店の粗相ということでそのまま再入院。

 このような予期せぬ汚れによって、ずいぶんと日にちがかかったが、それが出来上がってきた。

 かすかに謎の新規ジミのあとは残っていたが、クリーニング店のパート店員にごねてもしょうがないと、OKして受け取った。


 翌日。
 それを着て、颯爽とした気分で会社に行った。
 仕事帰りにコンビニで買い物をした。

 家に帰って気づいた。

 両袖口にクリーニングのタグが付いたままだったことに。
 コンビニのレジで、絶対に気づかれている。
 私の気持ちは暗くなった。


  今日は日々の勤労感に謝る日?
 話題は激しく変わる。

 昨日の午前中に移動し、昼から庭のバラの冬囲いをしようと思ったら、私の心の奥底の願望が伝わったかのように激しい雨。
 「やれやれ、まいったな~。今日は外の作業ができないや」と思っていたら、すぐにやんだ。

 ちぇっ!
 ってことで、作業を始める。
 始めたら始めたでそれにのめり込むタイプ。
 30分もしたら、今日中にこれをすべて終えてしまおうという決意が芽生えたほどだ。

 が、雨は上がったものの、厚い雲。3時にはけっこう暗くなってきて、心も暗くなってきたので作業中断。
 続きは今日だ!

 ちなみに今日は勤労感謝の日である。
 ショスタコーヴィチの交響曲第11番も、できれば本日聴いておきたいところだ。
 「ワルシャワの労働歌」が引用されているから。

でも、女の人がたくさん集まるといいなぁ♪サン=サーンス/ウェディング・ケーキ

SaintSaensPfCon  あまりランチ的じゃない店っぽい
 “ジェロ”が音もなくひっそりと店をたたみ、テナント募集と大書きされた紙が窓ガラスに貼られたのは、夏のことだった


 そして、やってることがうまく運んでいるとは言い難いくせに自信満々の総理大臣の命により、衆議院の解散報道にわいた11月19日、“ジェロ”のあとに新しい店がオープンした。

 “リセット解散”とか“わがまま解散”とか言われているが、このご都合主義としか思えない解散について大々的に報道された日に新規開店が重なったのは気の毒というか、関係ないというか……
 いずれにしろ、とにかくその店は海産物ではなく、ケーキに力を置いたカフェらしい。仮名でケフェと呼ぶことにしよう。


 となると、現状、昼を食べる店の選択肢が狭く、昼食難民寸前の私たちサラリーマン御一行様にとっては、ケフェのオープンは全然朗報ではない。

 昼食にいちごショートやモンブランやプリン・ア・ラ・モードを食べるなんて、想像しただけで胃袋は「足りないよぅ」と不満を漏らし、反面、血糖値は上がりそうだ。

 まかり間違って、ベーコン・ショートやラーメンブランとかフライ・ア・ラ・モードがメニューにあれば良いのだが、どう楽観的に考えてもそれはあり得ないし、あったらあったで、きっと退く。


 じゃ、せめてサンドイッチやパスタなんかがあればいいのだが、いずれにしろまだ偵察に行っていないので実態を把握していない。


  対話し、絡み合い、一体化する?
 サン=サーンス(Camille Saint-Saens 1835-1921 フランス)の「ウェディング・ケーキ(Weddingcake)」Op.76(1885)。独奏ピアノと弦楽のための作品で、「カプリース・ワルツ(Caprice-valse)」の副題をもつ(カプリースは奇想曲、ワルツは円舞曲)。


 サン=サーンスの教え子のカロリーヌ・ド・モンティニー=ルモールの結婚を祝うために書かれ、1886年に行なわれた彼女の結婚披露宴で演奏された。


 ちょっぴり調子っぱずれのような無邪気なピアノに、優美な弦の響き。
 ピアノと弦が対話し、やがて絡み合い、そして一つに……だってもう私たち結婚したんですもの……。いえ、何でもないっす。


 私が持っているCDはコラールのピアノ、プレヴィン指揮ロイヤル・フィルによる演奏のもの。
 1987年録音。EMI。


  阿古屋係長、ついに引っかかる
 阿古屋係長は人間ドックでコレステロールが高いと指摘されたそうだ。

 私の経験値からすれば、30も半ば近くになれば1つや2つ引っかかるのは当たり前。勲章と思えばいい。何の勲章かはわからないが……
 私が最初に尿酸値で引っかかったのは30歳のときだ。そういう意味では係長はオクテとさえ言える。

 これからもご飯大盛りのスタンスを貫いていただきたい(うれしいことに、木曜日の昼に焼肉定食を食べたときは、大ライスを頼んでいた)。

 そうそう、昨日の昼は〇〇楼の“いつもの”担担麺+小ライスを食べた。秋吉課長 and 阿古屋係長,too.であった。

ヘンデル、偽バッハを弾く♪J.S.バッハ/トリオ・ソナタ

  上から下へ読んでください   
 きのう、HBCがファイターズ戦を放送するときのテレビ欄のことを話題にした。遊び心あふれる知的な“縦読み”だ。

 ヘンデルが亡くなったときに、パブリック・アドバタイザー紙がこの縦読みの手法を使って追悼文を掲載したことを、ハロルド・C・ショーンバーグが紹介している(亀井旭/玉木裕訳「大作曲家の生涯」上巻:共同通信社)。


 He's gone, the Soul of Harmony is fled!
 And warbling Angels hover round him dead.
 Never, no, never since the Tide of Time,
 Did music know a Genius so sublime!
 Each mighty harmonist that's gone before,
 Lessen'd to Mites when we his Works explore.


 和声の主(ひと)、君は逝き
 悲しみの天使は舞う、なきがらの上。
 汝(なれ)こそは天地(あめつち)の開けし時ゆ
 比類なき楽の天才。
 君(そ)が調べ、奏(かな)づるに
 なべての楽士、色失いぬ

 J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)がずっと教会に身を捧げたのに対し、同時代のヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759 ドイツ→イギリス)は、歌劇やオラトリオによってイギリスで大人気を博した(ご存知のようにその人気は今や逆転している)。

 なお、ヘンデルの波瀾万丈の人生についてはこの追悼文とともに、2007年12月のこちらの記事で取り上げている。


BachTrio1038  本日は、ヘンデル演奏によるJ.S.バッハ

 とはいっても、ヘンデルはヘンデルでも、じゃなくて、なんと驚くなかれ、正真正銘、同姓同名のヴァイオリニストのゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Handel 詳細不明。ホントかいな?の世界。誤表記じゃないだろうな)。


 そしてご紹介する作品はJ.S.バッハの作かどうか疑わしい作品。
 ヘンデル違いにバッハ違い……

 その疑作というのは、「トリオ・ソナタ ハ長調」BWV.1037と「トリオ・ソナタ ト長調」BWV.1038(1720頃?)である。


 編成は、ハ長調の方が2つのヴァイオリンと通奏低音(BC=Basso continuo)、ト長調の方がフルートとヴァイオリンとBC。どちらも4楽章構成である。

 トリオ・ソナタという様式は、その名のとおり3つの声部で奏でられる楽曲。2つの旋律を受け持つ楽器とBCの3声部だが、BCについては楽器が1つとは限らない。


 この録音では、ハ長調のソナタではもう1つのヴァイオリンをシュルップが受け持っているが、BCはヒンドリクスのチェロとクリステンセンのチェンバロの2楽器。ト長調ではヘンデルのヴァイオリンとラリューのフルートという旋律楽器に、同じく上の2人がチェロとチェンバロがBCを担っている。


 なお、ハ長調のトリオ・ソナタはJ.G.ゴルトベルクの作ではないかとされている(「ゴルトベルク変奏曲」にその名を残す、バッハの弟子のゴルトベルクのことだろう。バッハの自筆譜はないが、筆写譜にゴルトベルクのサインがあるそうだ)。また、ト長調の曲は「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調」BWV.1021(1720以前)と通奏低音部が同一だという。


 この2曲、バッハっぽいといえばバッハっぽい。が、バッハらしくないといえば、確かにらしくなく聴こえる。
 1963年頃の録音。エラート。 


  一週間の昼食を振り返る
 月曜日。〇〇楼の定休日。
 先日“エビカツ”に騙されたものの、早く昼食を済ませたかったので、支社から最寄のお食事処である“荒涼庵”(仮名)に行く。
 この日の日替わりは親子丼。
 今回は看板に偽りなく鶏肉と鶏卵を主な材料としたものだった。味は普通。もう少し汁っぽくてもよいかなという感想。

 火曜日。〇〇楼の営業日。
 にもかかわらず、さしたる欲望もないままなんとなく“まま母”へ。
 豚丼を食べる。秋吉課長はバラ豚丼だが、若くない私はロース豚丼。
 13:50ころより猛烈にのどが渇いてきた。

 水曜日。
 偶然にも丼物が2日続いたので、意識して今週はドンブリ・ウィークを目指そうという気がわいてくる。
 で、〇〇楼のことは意識から薄れ、この日はそば屋に行く。
 親子丼も豚丼も天丼もある。
 そこで注文を取りに来たおばちゃんに、私は「親子そば!」と言った。
 いや、言ってしまった。
 私は一度言ったことには責任を持つタイプ、ではないが、なんとなくおばちゃんが怖かったので、ドンブリ・ウィークにすることを諦めた。
 が、ここまでで“親子”のワンペアが出来上がった。だからなんだって話だけど……

 木曜日。
 外勤に出ていたので、訪問先近くの焼肉レストランで焼肉定食(4人で行ったのでサガリ定食2人前、カルビ定食2人前を仲良く突っつきあった)。
 
 焼肉にはご飯が合う。しかし、ビールも焼肉にはかなり合うことを、私は知っている。
 味には満足、シチュエーションには不満を持ったまま昼食を終えた。

 さて、一週間の締めの今日は、なんに・し・よ・う・か・なっ! 

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