新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2014/10

イタリア趣味→ドイツ的→後退♪アーノンクールのWAM初期交響曲集4

20141019Morg  かき揚1/2枚のせいで夜まで満腹
 先週は火曜日に休みをとったのであっという間に終わった。と言いたいところだが、それなりに忙しくて、苦痛に感じるほどではないが快感的短さでもなかった。


 水曜日から金曜日の3日間の昼食は、偶然にもすべて弁当だった。


 水曜日は昼をはさんで午前も午後も会議。会議で出た幕の内弁当を食べた。が、まだ1週間も経っていないというのに弁当の内容についてほとんど覚えていない。おかずにワスレ茸でも入っていたのだろうか?
 あっ、思い出した。情けないほどミニな串カツが入っていた。味も食感もタマネギ・オンリーだった。そっか、串カツと見なすから不本意になるんだ。串に刺さったオニオン・フライだったんだ、あれは。


 木曜日。朝、足寄方面に出かけ、昼は某食堂のテイクアウト弁当を購入。私が選んだのはカツ丼弁当。
 手にした瞬間、その重さにひるむ。ご飯がぎゅうぎゅうに詰め込まれているのだ。
 かつての私なら、良心的だと狂喜乱舞するくらい、ここの弁当はボリューム満点。
 だが、味も濃い。
 どちらかというと体を動かす仕事に従事する人々をターゲットにしているのだ。私も体を動かしていたが、チーズを買いに十数歩歩いたり、アクセルとブレーキを踏んだ程度だ。
 ご飯を半分残した。
 会社に戻りその話をすると、女性社員の1人が「えっ、私はあそこのお弁当、残したことがありません」という。そのくせ全然太ってない。問い詰めるとドックで引っかかる項目もないという。
 うらやましいが、あれを完食できるなんてすごい。若さか?それとも私が気づかないところで土木作業とかをしているんだろうか?
 そしてまた、私は夕方にかけ喉の渇きに襲われた。


 金曜日。
 近くの百貨店でメンチカツ弁当を買う。弁当といってもライスはついてない。ただし昼の時間帯はライス無料サービスと書いてある。
 で、メンチカツの入ったパッケージを店員に渡すと、「ライスはお付けしますか?」って聞かれた。
 当たり前だろうという気がしたが、「ぜひお願いします」と謙虚に申し出た。


 そして休みとなった土曜日。
 昼はベーコンとタマネギを使って和風パスタを作った。
 で、TVの旅番組でタレントが苫小牧のホッキカレー(食べると発起するんじゃなくて、北寄貝を使ったカレー)を食べながら「おいしい」を連発していたので、夜はホタテカレーを作った。というのも、近所のスーパーには北寄貝が1個たりとも売ってなかったからだ。


 日曜日。
 朝刊を取りに行こうと部屋から出ると、街の中を熱気球がゆっくり上っていくのが廊下の窓から見えた。
 熱気ある球ではなく、熱で上がる気球のことである。
 いったいこんな早くから(6時過ぎ)何を企んでいるのかと思ったが、ボーッと見つづけるほど暇じゃないし、廊下は寒い。それでも気になって30分後に再び廊下に出ると、その姿はなかった。
 午前中にツルハで“やみつき綿棒”を買い、そのあと食料品の買うためにスーパーへ。ついでにそこで惣菜の野菜のかき揚を1枚買った。昼はかき揚そばを作ろうと思い立ったのだ。
 で、作ったのはいいのだが、そして私が作ったから美味しいわけだが、夜になっても空腹感がない。
 胃もたれしてるってほどじゃないが、たとえばおやつにピロシキを食べたくなるような状況ではない。

 食べすぎではない。量はふつうだったし、そもそもソバなのだ。過去の経験則からして、15時にはこばらがすくはずだ。
 ファイターズ戦でハラハラした結果、ハラが消化不良を起こしているのかと思いきや、いや待てよ、きっとあのかき揚の油が悪さをしているんじゃないかと思った。うん、間違いない。カラッとしてなくて、べチャッとしていた。私と妻で半分ずつしか食べなかったのに、恐るべきことだ。
 夜は、野菜炒めとか豚肉を焼いたりして食べた。いつも起こる現象だが、1食分だけ残り冷蔵庫に寂しく入れられているカレー。この満腹気味の感覚では、ちょいと食べる気にならなかった。

MozartHarnoncourtEarlySyms  もたれない曲と演奏
  以上の話とはまったく関係ないが、アーノンクールが指揮したモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の初期交響曲集。今日はその4。
 アーノンクールの演奏は、あらためて言うまでもなくシャキシャキした小気味の良いもの。もたれるところなんてまったくない。

 CD4には(ビクターの4チャンネルステレオを思い出してしまう)、以下の作品が収録されている。

 ・ 交響曲ハ長調K.96(K6.111b)【第46番】(1771)
 ・ 交響曲第13番ヘ長調K.112(1771)
 ・ 交響曲第14番イ長調K.114(1771)
 ・ 交響曲第15番ト長調K.124(1772)
 ・ メヌエット ハ長調K.409(K6.383f)(1782)

 交響曲ハ長調と第13番はモーツァルトの2回目のイタリア旅行中に書かれたもの。しかし、K.96がイタリア・オペラからの影響が強いと言われるのに対し、13番は4楽章の典型的な交響曲でドイツ的である。このドイツらしさはハイドンもしくはシュターミッツからの影響であるとされている。

 第14番はザルツブルクに戻ってすぐの日付が自筆譜に書かれており、第15番は第14番よりこじんまりした(Wikipediaによると“後退したような”)曲である。

 メヌエットK.409は交響曲第34番ハ長調K.338(1780。3楽章構成)のために追加で書かれたものと考えられたことがあった。しかし現在では、第34番はモーツァルトの意図で3楽章になったという説が有力である。

 アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス。
 録音は1994,1996,1997,1999,2000年。
 ドイツ・ハルモニア・ムンディ。

 昨日の昼は秋吉課長と最近オープンした“肴菜”という店へ。
 私はロースかつ定食を、課長は寿司とそばのハーフ&ハーフセットを注文した。
 とても美味しかったが、私たちがいる間、他に客は誰もいなかった。
 まだ店の存在を知られてないのだろうか?

遅咲きの指揮者が二流オケで残した遺産♪シューリヒトのWAM/Sym40&41

Mozart41Schuricht  ただ置かれているだけでは……
 もう何年も再生しておらず、もはや棚の中でお客さん状態になっているCDを久々に聴いた。

 先日取り上げた山田一雄による伊福部昭の「日本狂詩曲」の場合とは事情がまったく異なる。あれはあらためてこの演奏が果たして標準的だったのか、偉そうに確かめるべく久々に聴いたのだが、今回は違う。
 私にとってこれから先も所有しておく意味があるのかどうか確かめるべく聴いたのだった。

 CDが増える一方で棚も朝の中央線のラッシュ並みに満杯だ。
 となると、もう聴く可能性がほとんどないものは処分した方がいい。
 いや、私の好みには向かなくても、それを探している人がいるかもしれない。ならば、徐々にそういうディスクはオークションに出していくのが世のためだ(価値判断があいまいなBOOK OFFにはもう持ち込まない)。

  往年の名演ということはわかる気がする
 今回生け贄となったのは、シューリヒト/パリ・オペラ座管弦楽団の演奏による、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第40番ト短調K.550と第41番ハ長調K.551「ジュピター(Jupiter)」(ともに1788)である。

 このCD、手にしたのは1995年頃なのだが、いったいどこでどういう決意を抱いて買ったのか、さっぱり思い出せない。そもそもシューリヒトという指揮者に私はほとんどなじみがないのである。

 宇野功芳氏によると、シューリヒトは、

 ・ 最も渋く地味な、通好みの指揮者だった
 ・ 実力を認められたのはすでに75歳の高齢に達していたときだった
 ・ その後ウィーン・フィルから神のように尊敬された
 ・ ブルックナーとモーツァルトをレパートリーの柱とした
 ・ モーツァルトではオーケストラ、録音とも二流だが、63年のスタジオ録音、パリ・オペラ座管弦楽団盤を推したい
 ・ というのも、ひょうひょうとした流れの中に無限のニュアンスを湛えた名演だからだ

ということである(ONTOMO MOOK「指揮者とオーケストラ2002)。

 宇野氏が推しているのCDが、私が生け贄にしようとした40番&41番のものかどうかはっきりしないが(このCDには録音年の表記がない)、これのライナーノーツを書いているのも宇野氏だから、このディスクである可能性はなくもない。
 が、その前に「とくに《プラハ》が得意中の得意だった」と宇野氏は書いているので、第38番「プラハ」のことを指している可能性は低くない。

 ただ、第40番も41番も、宇野氏の言うように「ひょうひょう」としている。そして、宇野氏が指摘するように録音はイマイチである。そこは矛盾しない。

 今回聴いてよみがえった思いは、やっぱりこのアプローチ、私の好みじゃないというもの。
 いわゆる“昔のモーツァルト演奏”の枠内にあり、ひょうひょうとしてはいるものの、それでもやはりまぁ~ったりしていて、音楽が長く感じる。

 私の耳が、感性が、性格が悪いのかもしれないと、宇野氏に申し訳なく思っていたら(←ほとんどウソ)、次のような文章に出会った(←前から知ってたわけだけど)。
 
 いったい、どちらが本当のシューリヒトなのか。一気呵成、風のように駈けるモーツァルト《プラハ》と、テンポを変転させながら濃厚なロマンの香りむせぶブラームスの《2番》。しかも、モーツァルトでも《第40番》のフィナーレや《レクイエム》は後者のスタイル、ブラームスの《3番》は前者という具合に、まったく予測がつかない。

 これは福島章恭氏が「クラシックCDの名盤 演奏家篇」(文春新書)の、シューリヒトのページで書いている文。
 つまり《40番》は濃厚なアロマ、いや、ロマンの香り漂う演奏ってこと。

 よかった、私1人がそう感じているわけではなくて(ロマンたっぷりのモーツァルトは、ワタシ苦手アルヨ)。
 もちろん、こういう演奏が好みだという人がいることもよく理解はできる。

 福島氏は“演奏家篇”の前著である「クラシックCDの名盤」(同)でも、シューリヒトの第40番を取り上げている。

 シューリヒトの音楽には、天空を駆けるための翼がついており、人間的な感情の表出には、理性、智恵のフィルターが働く。
 ロマンの灯の揺れる《40番》では、第1楽章の展開部、対位法的な葛藤の高貴さは《プラハ》以上であり、第2楽章の儚さ、メヌエットの意志力も忘れ難、終楽章の知的なテンポ操作は、「フィナーレが小さい」という全曲のバランスを巧みに是正して見事である。

 なお、ここでは〔仏ADES '64〕と、レーベル名と録音年が記されている。

 一方で第41番については、私の知る限り誰も絶賛していない。
 なんででしょう?

 DENON。

 うわっ!中古高い!
 
 ということで、これは売りに出すことにした。
 そのうち某オークションに出品するので、暇な方は探し当ててみては?うふっ。
 もちろん、私はそんなに高い値付けはしないつもり。

快適な(もしくは怠慢な、あるいは体に優しい)花火鑑賞会♪黛敏郎/花火

Tonepleromas  峠では雪が降ったというが……
 昨日は北海道新聞の花火大会だった。

 帯広の花火大会といえば、8月に行なわれる十勝毎日新聞社のものが有名だが、実はその少し後に、同じ十勝川の河川敷で北海道新聞社の花火大会がある。

 そして昨日のは、同じ道新でも帯広競馬場が会場。
 それにしても、北海道でこの季節に花火大会とは珍しいのではないか?

 実は私の住んでいるマンションから競馬場までは近く、ベランダから花火を楽しむことができるのだ(そして、去年の記憶は私の妄想ではないことが実証された)。
 
 もう夜は寒いこの季節、これは実に快適である。
 
 「うう、寒っ」っと感じたら一歩またいで部屋の中に入ればいいし、トイレの心配をせずにハイボールを飲みながら鑑賞できる。
 花火って芸術だわいと、足寄のチーズをつまみながらおよそ30分に渡るショーを楽しませてもらった。しかも、結局は部屋の中から窓越しに。

 黛敏郎(Mayuzumi,Toshiro 1929-1997 神奈川)の「花火(Fireworks)」(1963)。
 吹奏楽のための作品である。

AshoroYui  音の炸裂はまさに花火ばり
 ストラヴィンスキーにも交響的幻想曲「花火」という作品があるが、黛はストラヴィンスキーを尊敬していた。そのことと、この作品との関係はわからないが……

 曲は、繰り返されるホルンの上行するモティーフや、火花を連想させるような木管楽器群の音型、仏教的な雰囲気などが印象的。
 楽しく美しい花火というよりも、私には恐ろしく燃え盛る山火事のように思えてしまう。
 が、この前衛傾向の作品、好き嫌いは分かれるとしても黛の才能には感心させられる。ソース焼きそばが好きなだけのおじさんじゃなかったのだ。

 ウィンド・オーケストラの規模は6管編成と大きく、これにハープ、チェレスタ、ピアノも加わる。
 また、スコアには途中に実際の花火の音を被せる指示があるが、ここで紹介する録音では割愛されている。

 岩城宏之指揮東京佼成ウィンド・オーケストラの演奏で。
 1998年録音。佼成出版社。

 ところで北海道にいると、どうしても花火大会=夏場という感覚がある。
 が、考えてみれば別にいつだっていいのだ。
 ただ冬に花火だと、観るのが寒くてたまらんだろうな。
 冬にソフトクリームを食べる人もいるわけだけど……

 そんな私は、昨日の朝タイヤ交換を行なった。
 地下の交換し、空気圧を測り、あとは突然冬道になっても対処できる。冬道になってほしくないけど。

 ところで、足寄のチーズ。
 第三セクターがやっていたが、経営不振で3月で事業を中止。それをあしょろ町農協が引き継ぐことを決断。新生あしょろチーズとして、アイテムも一新して製造販売を続けている。
 チーズ職人も代わった。前に新得の共働学舎でチーズ製造を学んだ人で、腕は確かだろう。

 はっきり言って味は良い。
 そして今回購入した“結”はつい最近生まれたものだ。
 美味しい。
 あしょろのチーズ、この“結”をはじめ、ゴーダ、クリーム、etc.……。どれもがお薦めだ。

もう、カズオちゃんたらはやいんだからぁ……♪山田による伊福部/日本狂詩曲

Sakkyo233a  「日本狂詩曲」といえば、ずっとこれだった
 久しぶりに山田一雄/新星日本交響楽団による、伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「日本狂詩曲(Japanese Rhapsody)」(1935)を聴いた。

 この作品、そして演奏に出会ったのは1983年のこと。
 LPで「ラウダ・コンチェルタータ」(初演ライヴ)とのカップリングで出ていた。

 私は1983年1月20日に行われた札響定期で「ラウダ・コンチェルタータ」を耳にし(指揮は山田一雄)、すっかりメガトン級の感動に打ちのめされ、この日から伊福部崇拝者になった(写真は当日のプログラムから)。

 あるわけないと思いつつも、コンサートの翌日に玉光堂ススキノ店(当時は札幌駅前通りにあった。現在はラフィラの中にあるが、クラシックのCDは嘆かわしいほど少ない。置いたところで嘆かわしいほど売れないのだろう)に行くと、なんとその「ラウダ」のLP(初演ライヴ)があったのだ。100万円の札束のように購入したそのLPを大切に持って帰り、早速かけたのだが、まさに感動がよみがえった。

Sakkyo233b おそらく、このLP(「ラウダ」の面)は、LPとその後のCD時代を通算しても、これまで私がいちばん多く繰返し再生した音盤だ。まさに擦り切れるまで聴いたって感じであり(でも実際には擦り切れなかった。LPは少なくとも靴下の先より丈夫だ)、こんなに繰返し聴くディスクはこの先もないと思う。

 このLPのもう1つの収録曲「日本狂詩曲」だが、実はこちらはすごく好きになったわけではなかった。
 第1楽章「夜想曲(Nocturne)」はどこかコクというか味わいが希薄。第2楽章「祭り(Fete)」は騒がしすぎると感じたのだった。

  山田流は速すぎる
 それがずっと年月が経ち、「日本狂詩曲」の他の演奏もCDで聴けるようになると、この曲に対する私の思いはガラッと変わった。

 「夜想曲」の妖艶ともいえる美しさと深い味わい。
 「祭り」の複雑にからみ合う音の妙。

 特に今年5月に行なわれた札響定期で初めて生で聴いたときに、とりわけ「祭り」がただ騒々しいものではないことを切に感じたし、CDでは今年になってリリースされた岩城宏之/都響の演奏で、このテンポこそが作品の本来の姿なのだろうと確信した(高関/札響のライヴも間もなくリリースされる予定だが、岩城同様のテンポであったはずだ)。

IfukubeRhapsody ちなみに山田/新星日響の演奏時間は6'51"/6'56"。これに対し岩城/都響のは7'25"/8'37"となっている。

 また、他の手持ちのディスクをあらためて確認すると、やはり山田のは突出して速い(なかには岩城盤よりさらに遅いものもあった。札響定期で聴くまで私があまり「日本狂詩曲」の熱心な聴き手ではなかったせいだろう。そのことは、あまり意識していなかった)。

 私は「日本狂詩曲」を山田の演奏で知り、長い間この演奏しか知らなかった。
 録音(音質)の悪さもあり、「祭り」では音が絡み合った毛玉のように聴こえた。
 だからこの曲の魅力がなかなかわからなかったのだ。妙な言い方になるが、これならチェレプニン賞という賞をとったのにも納得がいく。

 が、山田の功績はそれが傷にならないほど大きい。
  「日本狂詩曲」が作曲されてから45年経って、初めての国内舞台初演となったのがこのライヴなのだから。

 そしてまた、このときの“伊福部昭の世界”という伊福部作品連続演奏会を企画した新星日響の池田鉃氏の存在抜きでは、現在の伊福部に対する高い評価、あるいは伊福部の純音楽作品の再発見はなかったかもしれない。
 その池田氏は、企画したコンサートを聴くことなしに交通事故で亡くなった。
 
 なお、録音のことに触れたが、「ラウダ」の方も音が乾いた感じでマリンバの音は死んだガイコツを思わせる(生きたガイコツっていないらしいけど)。が、大太鼓の音はなかなかいい。

残すところあと17小節だったのに……♪バルトーク/p協3(by シフ)

BartokPconSchiff  白血病のベッドの上で
 昨日はショスタコーヴィチが1933年に書いた“モダンな”ピアノ協奏曲第1番を取り上げたが、今日はその12年後の1945年に書かれたバルトーク(Bartok Bela 1881-1945 ハンガリー)のピアノ協奏曲第3番Sz.119。

 バルトークの“白鳥の歌”であり、白血病の病床で完成を急いだものの、最後の17小節分はスケッチを残したまま亡くなった。そのため、最後は弟子のシェルリー(セアリー)が完成した。

 この曲は第1番第2番に比べはるかに暴力的な振る舞いがなく(ピアノの打楽器的扱いが抑えられている)、彼の3つのピアノ協奏曲のなかではいちばん親しみやすいし、実際人気が高い。

 第2楽章は涙がにじみ出てオロロンしそうになるほど澄んだ美しさ。
 また第1楽章もやはり透明感があり、優しささえ感じさせる。
 第3楽章はバルトークらしい民謡風のメロディーが印象的なパワフルなもの。

  妻のために書いたのだが……
 このコンチェルトは第1,2番とは異なり、ピアニストとしてのバルトークが自ら演奏することを想定したものではない。おそらくは(2番目の)妻でピアニストのディッタが持ちネタとするように書いたと考えられている。

  ただし、伊東信宏著「バルトーク 民謡を「発見」した辺境の作曲家」(中公新書)によると、このころにはバルトークとディッタ夫人との関係には亀裂が入り、2人は別居同然の暮らしを送っていたという。

 シフのピアノ、フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管弦楽団の演奏を。
 美しくまた切れ味が良い清潔感のある演奏だが、録音もいい。

 1996年録音。apex(原盤テルデック)。
 
 ところで“白鳥の歌”って何さってことだが、ハクチョウは死ぬ間際に鳴く(歌う)そうで、そのときの声が最も美しいということだ。転じて、最後の作品をこう呼ぶのである。

刺激的な弛緩なきコンパクトな傑作♪DSch/p協1(by マツーエフ)

20141013Iceberg  こういうクモにはなぜか寛大な私 
 しつこく月曜日に撮ったバラの写真。

 上は“アイスバーグ”。純白の花を咲かせる品種で、ドイツ名はシュネービッチェン。花びらの間で小さなクモがくつろいでいた。
 クモは嫌いである。すごく。
 でも小さいので、今回は見て見ぬふり。じゃないか、見逃してあげた。
 これが大きいと、私はアメリカのオカルト映画に出てくる女のようにギャーギャー、ヒャァ~ヒャァ~叫んじゃう。

 2枚目は“グレーシー・アレン”。中央がピンクで外に向かうにつれ白くなる。かわいらしいのだが、このバラ、トゲがひどく鋭い。何度こいつのトゲで私の美しい指先を傷つけたことか!

 3枚目は“アンジェラ”。最盛期には葉や枝が見えないほど多くの花をつけるが、さすがに今の咲きぶりはシーズンの終わりを感じさせる。
 かわいらしい品種だが、散った花びらを掃除するのが大変である。

20141013Gracy 4枚目は先日花の写真を載せたハーブの“タンジー”。
 ご覧のように背丈は1mほどにもなり、大きな株になる。
 ちょいとどうしたものかと悩んでいる。だってこんなに場所をとってるんだもの。
 それに、個人的にはこういうワイルドなものをハーブとは呼びたくない気もする。

  昨日のよりはるかに刺激的なんです 
 昨日はステンハンマルのピアノ協奏曲第2番を取り上げた。

 この曲に対する私の思いを凝縮して言うと、いいもの持ってんのに生かし切ってない、ってこと。

20141013Angela このコンチェルトが生まれた約25年後、ソヴィエトではショスタコーヴィチがピアノ協奏曲を書いている。

 刺激的で無駄な贅肉のない作品。これを聴くとステンハンマルとは才覚が違うし、私の腹とは構造が違うことを思い知らされる。

 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)のピアノ協奏曲第1番ハ短調Op.35(1933)。

 独奏ピアノと独奏トランペット、そして弦楽合奏という編成。4つの楽章から成る。

 もちろんステンハンマルとは国も時代も作風も違うわけで(血液型や星座は確認できなかった)、単純に比較することはできないが、それでも意地悪くこの2曲を立て続けに聴くと、こちらの態度も自然と違ってくることがわかる。

20141013Tangy ステンハンマルだとちょっぴりがまんを強いられている感じ。
 が、ショスタコだと身を乗り出して聴いてしまってる。
 私がショスタコ好きだということはあるが、やはりあらゆる点で魅力が上だ。

  マツーエフの独奏に大興奮!
 この曲の演奏にはすばらしいものが多い。少なくとも私にとって耐えられないような不満をもった演奏に出くわした記憶はない(私の記憶力はすでに衰えていることを申し添えておく)。

 今日はマツーエフのピアノ、シャラポフのトランペット、テミルカーノフ指揮サンクト・ペテルブルク・フィルの演奏。

 両端楽章では、とにかく爆走機関車のように突き進む(が、ときおり急減速してテンポの変化を強調する)。一方、第2、第3の緩徐楽章は適度なあまり感傷的にならない絶妙なしっとり感が、あたかも私のおなかの肌のようにすばらしい。

ShostakovichTemirkanovSet 発売元のコメントは、以下のようなもの。

 ピアノ協奏曲第1番では、豪腕超絶技巧ピアニスト、マツーエフの面目躍如たる迫力あるが圧倒的

 あれ、ニポン語ヘンか?
 では、私が手直ししましょう。

 ピアノ協奏曲第1番では、豪腕超絶技巧ピアニスト、マツーエフの面目躍如たる迫力ある圧倒的が

 てな、感じでいかがでしょう?
 いいからいいから、細かいことは言いっこなし。

 豪腕で剛腕。マツコならぬマツーエフの演奏は、アルゲリッチのライヴもすごいけどそれに負けないものだ。
 そしてテミルカーノフによって、単なる暴走ではなく、音楽的に説得力ある仕上がりになっている。

 2006年録音。ソニークラシカル(RCA)。

ダイエットしたらチャーミングな美人になったかも♪ステンハンマル/p協2

P9260070  壁や天井で踊るご機嫌夫婦
 ここしばらくというもの、常々苦々しく思っている。
 野村證券のNISAのコマーシャルに対してである。

 バラ色の生活を約束するような内容。現実離れはしていないのかもしれないが、それでも一般的ではないセレブ的生活をわざとらしく煽る内容。
 はっきりとした原因は自分でもわからないが、私はこのコマーシャルを見るとあざけり笑いたくなると同時に、無性にいらだつ。

 なにが、「かぶぬしゆーたいでぇ~」だ。
 言っておくが私はひがんでいるのではない。あのコマーシャルのわざとらしさが嫌なのだ。

 ついでにもひとつコマーシャルの話。

 雪印メグミルクが急にネオソフトのコマーシャルを流し始めた。直訳すれば“新しい軟らかさ”だが、ご存じマーガリンである。
 巷ではバターが不足気味ということで、この辺、さすが雪印。機敏な反応だ。
 
 それとは関係ないが、先月雪印の昔の看板を見かけたので、写真を載せておく。

  機敏でないわけではないが……
 パーツパーツをピックアップするとなかなかチャーミングだったり、美しかったり、整っていたりする。となれば、男なら美男、女なら美女ってことになるが、全体像を見渡せばなんとなく違う。ブヨブヨしていてタルミがあって…… 

 私の腹のことではない。
 ステンハンマル(Wilhelm Stenhammar 18971-1927 スウェーデン)のピアノ協奏曲第2番ニ短調Op.23(1904-07)に対する私の印象だ。

 そもそも私のおなかはぽっこりとしているが、美しいドーム状で表面はすべすべ、滑らか、ネオソフトを塗ったよう(脂っぽいってか?)。
 弾力性はあるがたるんではいない。たるんでいるのは根性だけだ。

 ステンハンマルはドイツで音楽を学び、スウェーデン民謡を用いたワグネリズムの劇音楽や合唱曲で成功した人。
 私に言わせれば、そのワーグナーかぶれが彼の作品を中途半端にダラダラさせてしまっていると思う。
 好きか嫌いかは別として、偉大なるワーグナーだからこそダラダラが許される(?)のであって、それを尊敬し影響を受けたからといって、同じように成功するとは限らない。
 ステンハンマルの場合は悪い方にでてしまったところがある。少なくとも彼の交響曲やピアノ協奏曲を聴いていると、私はそう感じる。

StenhammarJarvi しかし、徐々に自分らしさを表出するようになったあとの作品は、放置しておくにはもったいなくもない。

 ピアノ協奏曲第1番はブラームスに作風が似ているが、この第2番はステンハンマルの個性が発揮されていると言われる。

 が、良く言えば雄大なこの第2番、やはりとりとめがないと思うところはあるが、ドラマティックなところあり、ハッとするようなメロディーありで、なかなかの力作だ。

 その良い素材が十分に生かされないで中途半端に終わってしまうところはあるが、これを擁護するとしたら、めまぐるしく変化する表情が素敵!って言い方になるのかもしれない。

 むせかえるようなロマンティシズム。なかなかだ。
 ドラマティックな展開。カッコイイ。
 両端楽章なんて、私はけっこう好きだ。

 どこか締まらないのは、余計な肉のせいで散漫になっているからだろう。
 もう少しダイエットしたなら、けっこうな人気曲になったかも。持っているものは悪くないのだから。
 序奏を含む4楽章から成り、各楽章は切れ目なく演奏される。

 私が持っているCDはOrtizのピアノ、N.ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団の演奏によるもの。

 1989年録音。ブリリアント・クラシックス。

20141013Conpasson  細かなコントロールを要求される私
 ところで、私のダイエットの話。

 朝ご飯では、以前はご飯茶わんで2膳食べることもあったが、いまは1膳に抑え、昼食では定食や丼物、あるいは購入した弁当ならご飯を3口残し、また麺類なら小ライスをお相伴させない(担担麺のときは除く)ようにした結果、5kgほど減ったまま落ち着いている(夜は以前と変わらず、少なからずの飲酒を地道に積み重ねている)。つまり65kg前後になっているのだが、先日の朝に測ると64.1kgだった。

 んー。これはちょいと減りすぎかも。
 64kgを切ることは避けたい。そこまで痩せると首の皮膚はたるむし、もともとない体力がもっとなくなる。生殖障害が起こる恐れもある(すでに関係ないことだが)。

 これからはきめ細やかな対応-今日の昼はご飯は1口しか残してはいけない、とか-で、64~65kgを維持するようコントロールしなければならない。

 こういう状況なのに、おなかが引っ込まないのはなぜだろう?
 
 注)私にはおなかにマーガリンを塗るという趣味はありません。

20141013OldBrush  1日で表情が変わる面白さ
 おとといの記事で日曜日に撮影した“コンパッション”の花の写真を載せたが、翌日はよりバラらしい表情を見せてくれた(上)。
 また、“オールド・ブラッシュ・チャイナ”も地味に次々と花を咲かせてくれている(左)。

 こういう状況であるからにして、とてもとてもまだ冬囲いはできないと判断した。

 まぁ、結局のところこうやって土が凍りつくころまで囲わないままになり、最後は寒空の下で作業をすることになるのだ。このようなことを、実は毎年繰り返しているような気がする。

 月曜日の昼に帯広へ戻って来たが、途中栗山方面から夕張に向かう途中、歩道もない橋の上におじさんやらおばさん、じいさんやらばあさんがごっちゃりいた。
 この人たち橋の上から紅葉をご鑑賞なさっているのだ。どこの指すのかわからないが、この近くには紅葉山という地名(山名?)があるほどなのだ。

 が、危ないったらありゃしない。
 その後、パトカーとすれ違ったが、橋の上の人びとに退去命令を出してくれたことと信じている。

獣じゃなく、人間らしく火を使いたい?♪メンデルスゾーン/真夏の夜の夢

AsadaTsubasa  「もっと焼いて」。その一言が言えない雰囲気
 浅田次郎のエッセイ集「つばさよつばさ」(小学館文庫)。
 JAL機内誌“SKYWARD”に連載されたものをまとめ、著者が加筆・修正したものの第1弾である。

 私はANA派であまりJALに乗ることはないが、もちろんANA便が就航していない空港へ行かねばならないこともあるわけで、この連載の存在は知っていた。
 が、文庫化されていたのは知らなかった。

 きちんと書店でめぼしそうな本を熱心に探さない私が悪いのだが、あまり小学館文庫の棚には近づかないのだ。特に理由はないけど。だから見落としていた。浅田氏を読むようになったのは近年になってからではあるが、浅田ファンとして面目ない。

 そのなかの“ステキなステーキ”という話に、次のようなくだりがある。


 ちなみに、肉の焼きかげんについて日本でいう「ミディアム」を指定すると、アメリカでは「ウェルダン」が登場し、「ウェルダン」と言えば炭となる。刺身で育った日本人には生肉信仰があるので、焼き具合の尺度は大きくずれるのである。

 以前ベルリンに行ったとき、肉厚のステーキが出された。日本のように平べったい肉ではなく、レンガを半分にしたような立方体風のもの。それなのに中心まできちんと火が通っていた。しかも実に柔らかい。

 あれこそが本来のステーキの調理法であり、正統的な姿なのだろう。


 日本でステーキを頼むとき、私はミディアムと指定する。
 本当はウェルダンと言いたいのだが、ウェルダンなんて「こいつ肉のことをわかってない貧乏人だな。馬鹿じゃないかって」っていう目で見られる向きがある。貧乏人なのは間違いないが、肉についてはそれなりの知識をもっているつもりである。

 焼きすぎは肉が硬くなるとか、肉本来のうま味が死んでしまう、みたいな無言の圧力を感じ、ウェルダンと言う勇気がない。
 庶民的な店なら、「ミディアム。でも強めに焼いて」と言うようにはしているが……


  生焼けどころか冷たいままのがありがたいのか?
 が、浅田氏も書いているように、本場では芯まできちんと火を通すのだ。

 日本でミディアムと頼んでも、私からすればほとんどレアじゃないのってのもある。ミディアム・レアが好きな人はそれでいいが、私にとっては中が真っ赤なままのものに肉本来の美味さとかジューシーさなんて感じないし、焼き過ぎとは逆の噛みにくさもある。はっきり言って皿に血がたまっていくのを見ると、気持が悪い。食欲が一気に失せてしまう。
 ましてや、その生の部分がまだ冷たかったりすると、これを肉本来のうま味を生かした本格的なステーキと言えるのかい?と言いたくなる。

 それに、確率は高くないが牛肉にだって無鉤条虫がいるのだ。牛は無鉤条虫(サナダムシとか)の中間宿主。
 -5℃以下で冷凍すると死滅するのでそれほど心配する必要はないが(加熱では56℃以上で死滅)、アフリカとかフィリピンなどでよく見られるそう。なお、無鉤条虫に寄生されても、たいていは無症状だそうだ。

  下手したら虫がわくよ、おなかのなかで

 また、同書の“とっておきの料理”という話では、カナダのケベック州に行った際、招待された晩餐で主催者側の理事が大好きだという豚肉のソテー、それも理事お勧めでレアで出されたときのことが書いてある。


 五百グラムは優にありそうな巨大なレアの肉塊の上に、あろうことかテンコ盛りのジャムがのっていた。「さあ、どうぞお召し上がりください」と、理事。いっせいに口に入れたとたん、十数名の顎の動きがピタリと止まった。
 まずい。ものすごくまずい。祖父母の教えからすると、猛毒にちがいなかった。レアの豚肉はプリプリとした怪しい舌ざわりで、一口噛むと血と消毒液が混ざったような、たとえば歯医者におけるうがいの味がした。しかもソースは、卒倒するほど甘いラズベリージャムである。


 想像するだけで、オェッってくる。
 豚の生は絶対に危ない。寄生虫がいるからだ。もちろんSPFなど衛生的な豚の肉も流通しているが、そもそも豚は生で食べて美味しいものとは思えないし、その必然性もまったくわからない。


 去年、昼ご飯を食べに行った、あるレストランのポークソテー。表面に玉のような血の汗を吹いていて、見た目にもキモいまだら模様。つまりポークなのにミディアム・レア
 目の前に皿が置かれた段階で、見た目も気分も損なわれた。調理ミスに違いないと思ったほどだ。

 店主に言わせると、この豚肉は誰だかさんだかが育てた豚で、生食でも大丈夫(生産者名がはっきりしているから間違いないとは言い切れないだろう。少なくとも私に対しての説得力はない)。レアがいちばん美味しいのでそのように出していると言っていたが、イノシシに食らいつく大蛇じゃあるまいし、全然美味しくなかった。いまにも筋の間から小さい生物が這い出してくるのではと、気が気でなかった。
 店主の自信に満ちた目が光っている手前、なるべく火が多めに通っている部分をなんとか口にしたが、半分は残した。そのあとは長い間、自分の体内に得体の知れない線虫が繁殖してはいないかと、不安な日々を過ごした。こんなことなら白飯だけを食えばよかったと後悔した。


 浅田氏に自信をもってレアのポークソテーを勧めた理事は、その後もご健在なのだろうか?
 気になるところである。

 浅田氏は別な章で、ヒトがヒトになりえた素因の1つに火の支配をあげている。

  そこでまだらの蛇
 メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn[-Bartholdy] 1809-47 ドイツ)の劇音楽「真夏の夜の夢(Ein Sommernachtstraum)」Op.61(1842。ただし序曲Op.21は1826)。
 これから冬になろうというときに、実に季節感のない選曲で申し訳ない。が、帯広では今週の土曜日に花火大会がある。いや、花火大会=夏、というのも個人的な固定観念だが……


 なぜ今日この曲を取り上げたかというと、この劇音楽のなかに「まだら模様のお蛇さん」って曲があるから。
 ちなみに、シェイクスピアの劇のために書いたこの曲の構成は以下の通り。


MendelssohnMidsummer  1.序曲Op.21(1826)
  2.スケルツォOp.61-1
  3.メロドラマと妖精の行進Op.61-2
  4.まだら模様のお蛇さん(舌先裂けたまだら蛇)Op.61-3
  5.メロドラマOp.61-4
  6.間奏曲Op.61-5
  7.メロドラマOp.61-6
  8.夜想曲Op61-7
  9.メロドラマOp.61-8
 10.結婚行進曲Op.61-9
 11.メロドラマと葬送行進曲Op.61-10
 12.道化役者たちの踊りOp.61-11
 13.メロドラマOp.61-12
 14.終曲Op.61-13
 
 前に一度取り上げているが、この曲では私はレヴァインの演奏を聴くことが多い。
 シカゴ交響楽団の緻密で切れ味の良い響きが心地よい。ただしロマン性という点では、ちょいとスッキリしすぎかも。
 独唱はブレーゲン(S)とクイヴァー(A)、合唱はシカゴ交響合唱団。
 序曲と6曲の抜粋。


 1984年録音。グラモフォン。
 私が持っているCDは廃盤となっているが、現在ベルリン・フィルを振った交響曲第4番「イタリア」とのカップリングで、この演奏を聴くことができる。

走るのが遅かったり、出てくるのが遅かったり……♪コダーイ/孔雀ヴァリエーション

20141012a  意思が強いのか、鈍感なだけなのか
 土曜日は仕事が思ったよりも早く終わったので、3時前には自宅に向け出発することができた。

 清水町まで国道を走り、清水の街の入り口にあるサッポロ・ドラッグストアに寄ってPB(プライベート・ブランド)の炭酸水を買う。この炭酸水を使うと他のを買うのが嫌になる。
 というのも、他社のは有名無名、安価高価問わず、気が抜けたような感じがするのだ(ウィルキンソンはまだ強い方だと思うが)。つ、つ、つよい刺激を求めるアタシ。
 そのあとトイレに寄り、十勝清水インターへ。

 この日は、インターに向かう途中でいつも隠れている、いや任務についているパトカーはいなかった。

 高速道路の車の流れは順調(って、ラジオの道路交通情報の言い方みたいだ)。
 紅葉も美しい。

 それにしても、制限速度ぎりぎりで走り続け、その後ろには車が数珠つなぎ、ってことがときどきある(道東道は片側一車線)。
 法令遵守は褒められるべきことだが、後ろにあれだけ車がたまっているのに自分のペースを変えない精神力の強さには感心する。いや、そもそもそうなっていることに気づいていないのか?

20141012b  そりゃ見も知らぬ私ですが……
 夕張インターの手前では対向車線でパトカーに捕まっている車がいた。同じ場所で捕まっている車を前にも見たことがある。パトカーはどこから現れるのだろう?

 夕張インターで下り、ネクスコの事務所に併設されているトイレに寄る。

 ここには男女兼用のが1つしかない。だがたいていは空いていて、しかもいつもきれいに掃除されている。

 この日、私が行ったときは珍しく使用中だった。
 そして、待っても待っても出てこない。

 5分も経っただろうか。出てきたのは中年のおばさん。
 でも、こういうときって「すいません」とか軽く会釈するとかしない?だって、待たせたんだから。
 なのにそのおばさん、私がそこに存在していないかのようにチラとも見ずに、無言、無愛想、高慢ちきに立ち去った。
 この礼儀正しくなさ。ニッポン人はどうなってしまったのだろう?

 もうすぐ栗山町という夕張の街はずれのいつもの場所にはパトカーが停まっていた。
 ちゃんと制限速度+5kmくらいで通り過ぎる。私も、前の車も、後ろの車も。

 そのあとは、再び低速走行車に前を阻まれ、なんだかんだで家に着くまで3時間以上かかってしまった。
  そうそう、由仁町郊外ではいきなり貧相ないでたちのキタキツネが飛び出して来て、もし私の判断力が耄碌していてブレーキを踏むのが遅かったら、はねてしまうところだった。

20141012c  囲っちまうにはまだ早そう
 日曜日は晴天。

 バラの冬囲いをやろうとしたが、まだ咲いているものもいくつもあり、またつぼみを持っているものもある。
 これから冷え込みが厳しくなりこれらのつぼみが開く可能性はあまり高くないが、葉もけっこう照りがあり、囲うのはまだ早いと判断。剪定だけにとどめた。

 そうなると他のこともやる意欲が失せ、せっかく買ったというのに電動ノコギリも未開封のまま、切り落としたままのプルーンの幹は今回はそのまま放置。

 上の花は“タンジー”。病害虫予防に効果があるというキク科のハーブ。想像していたよりも大きな株立ちとなり、また茎も硬い。防虫効果は乾燥させた花や葉にあるそうで、どうりで庭のこの周りにも見てくれの悪い虫たちが闊歩していたわけだ。

 20141012d2枚目の写真のバラは“コンパッション”。このバラは庭の隅の方に植えてあり、けっこう放置している感じなのだが元気だ。私に構われない方が元気になるのかもしれない。
 3枚目はこれから咲く準備期間のつぼみ。この品種は“バフ・ビューティー”。

 そして4枚目。先日独立(させ)宣言をした、多肉植物&サボテンである。

 いままで、見知らぬ同士が旅館で相部屋にされたような環境で過ごしていたが、今回ようやく植え替えをしてあげた。クジャクサボテン(品種不明)、アロエ属の怒帝王、シャコバサボテン、そしてこれまでの家主であるアロエ・ディコトマである。
 そもそもシャコバサボテンとクジャクサボテンは空気中の多湿を好むわけで、アロエ属と一緒にしていたことに無理がある。生鮭と鮭トバを一緒に保管していたようなものだ。

 クジャクサボテンって昆布じゃあるまいし、どうしてピシッと立たないのだろう。そのうちちゃんとなるんだろうか?なんだか条虫みたいでもある。

KodalyHary  英語ならピーコック・ヴァリエーション
 コダーイ(Kodaly,Zoltan 1882-1967 ハンガリー)の「ハンガリー民謡『飛べよ孔雀』による変奏曲(Variationen uber das ungarische Volkslied 'Ein Pfau flog auf')」(1938-39)。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団創立50周年記念委嘱作品である。

 コダーイはバルトークと協力しハンガリー民謡を収集したが、作曲面ではバルトークがのちに新古典主義へと突き進んだのに対し、コダーイはあくまで穏健な様式にとどまり続けた(彼の作品でいちばん広く知られているのは「ハーリ・ヤーノシュ」だろう)。

 この変奏曲の主題も、コダーイが収集した古いペンタトニック(5音音階)の農民の歌からとられている。

 私が持っているこの曲の唯一のCDはドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカの演奏によるもの。
 1973年録音。デッカ。

 そういえば、最近木でできた軸のボールペンで、大きな孔雀の羽根が飾りでついた豪華兼悪趣味なボールペンを使っている人ってみかけないな……(←昔っからいないって!)
 あれって、どこのみやげ物なのかな……

 さて、今日勤務地へと戻る。

あなたは心臓と腎臓のどちらが大切?ボレイコのDSch/Sym9

Shostakovich15Boreyko  夢を与えておいて落とす悪い男
 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第9番変ホ長調Op.70(1945)。


 (第8交響曲への)不満が強まり、鬱積していった。わたしはファンファーレを作るよう要求され、頌歌が必要だと言われ、荘厳な第九交響曲を書くことが要求された。この第九番についていえば、ひじょうに不幸な結果となった。つまり、攻撃が避けられないのはわたしにもわかっていたが、これが第九交響曲でなかったなら、その攻撃はもっとあとになってから、あるいはそれほど激しくないかたちで加えられたかもしれない。……(中略)……
 わが国が勝利のうちに戦争を終結し、どれほどの犠牲があったにせよ、肝腎なのは勝利したことであり、帝国が領土を拡大したことである。そこで、四管編成のオーケストラと合唱と独唱による指導者への讃歌を書くことがショスタコーヴィチに要求された。ましてや、第九番の交響曲の第九という数字はスターリンにふさわしいものに思われていた。 ……(中略)……スターリンは、自分に敬意を表して作られる交響曲が傑作になるにちがいないと考えていた。これこそ、わが祖国の第九交響曲になるにちがいない。
 白状すると、「指導者にして教師」に夢を与えたのはわたしだった。わたしは讃歌を書いていると公表していたのだ。このことについては明言を避けたいと思っていたのだが、そうはゆかなかった。わたしの第九番が演奏されたとき、スターリンはひどく腹を立てた。彼は自分の最良の気分を傷つけられたのだが、それは合唱もなければ独唱もなく、讃歌もなかったからだ。しかも、自分にたいするわずかばかりの言及さえもなかった。スターリンにはよく理解できない音楽と、疑わしげな内容があるばかりだった。
  (S.ヴォルコフ「ショスタコーヴィチの証言」:中央公論社)

 
  あなたのジンはどのタイプ?
 上の文中にある“かんじん”という言葉-もちろん意味は、非常に大切であること、だ-には2つの漢字がある。
 肝心と肝腎である(「他にも、漢人とか閑人なんかがあるだろうに」という、あげ足取りはこの際無視する)。
 人の体にとってとても大切なものに由来するが、共通するのは肝、すなわちレバー、いわゆる肝臓。

 もう1つは、心臓か腎臓ということに分かれる。
 でも、心臓の方が大切だと私は思うのだが……

  そういえばボレー粉ってなんでしたっけ?
 昨日はマーラーの交響曲第9番を取り上げた。

 マーラーも「第九」のジンクスを気にし、第8交響曲の次の交響曲(と同時に連作歌曲でもある)には番号を付けずにお「大地の歌」とした。そして10作目となる交響曲に9番の番号を与えた。
 ここで危険は去ったと考えたようだが、それに続く第10番を完成させることなく亡くなった。


 ショスタコーヴィチは壮大なる第9番を書くと死ぬ運命にある、と考えたかどうかは知らないが、書き上げた第九交響曲はコンパクトなものだった。が、別な意味で、命の危険にさらされるほどの物議をかもしたのだった(⇒関連記事はこちら)。

 今日はボレイコ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団の演奏を。
 先日取り上げたテミルカーノフよりも現代的な雰囲気が漂う演奏。

  第9番はコンサートでもほとんどの場合前座の位置づけにあり、またCDでもショスタコのほかの大きな作品(多くは第5番)についでのようにカップリングされるおまけ的存在だが、この演奏はそんなイメージを払拭してくれる。


 想像するに、これまでは初演時のエピソードにみんな呪縛されていたのではないだろうか?

 つまり、確かに期待に胸ふくらませていた多くの人々は肩すかしを食ったが(その前に、リハーサルの段階でどんな曲か情報が漏れださなかったのだろうか?)、その出来事を意識しすぎてこじんまりとした遠慮がちの、矮小化した演奏に傾きがちだったように思うのだ。
 でも、このような「後ろめたいことなんて何もない。伸び伸びやろうぜ」という表現は、不幸な誕生エピソードを持ったこの曲に対し、色メガネから解放してくれる。

 2009年ライヴ録音。ヘンスラー。


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