あの人は意地悪なはずなのに、心にしみる
あるいは優しさと男らしさが共存。
抹茶ラテのことではない。
ブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)の「ハイドンの主題による変奏曲(Variationen uber ein Thema von Haydn)」Op.56a(1873)のことである。
主題と8つの変奏、終曲から成るこの作品(⇒詳しくはこちら)。なんだか心が一夜干しのように枯れかかっているときに聴くと、なんだかほっとさせられる(特に第3変奏のフルートはしみるぅ~っ)。
日が短くなって夕方にはもうすっかり暗くなってしまう緯度の高い北海道だが、先日の帰りにこれを聴きながら歩いていると、思わず涙がにじみ出た。
いや、強い冷たい風が瞳をアタックしたという事情からだ。
そしてその直後には、猛烈な空腹感に襲われた。
“インデアン”の前にさしかかったからだ。店内からカレーの香りがプンプン。
その香りで束の間のほのかな幸福感に満たされる……って、マッチ売りの少女かっ!
美しいものの末路
枯れるといえば、いま街路樹がすさまじいことになっている。
人々の目を楽しませた美しい紅葉。
が、いまや厄介なゴミと化してしまっている。
市が管理している木から出たゴミなわけだから、大量の枯葉は不法投棄ならぬ遵法投棄ということになるのか?いや、誰かがなげたわけじゃないしな。
あっ、北海道では「捨てる」ことを「なげる」とも言うことを、この際ご承知おき願いたい。
「このゴミ、なげといて」といっても、星飛雄馬のように投げてはいけません。ゴミ箱に、あるいはゴミ袋に、ご投入しなければなりません。
にしても、これどうするのだろう?市内のいたるところがこんな状態なのだ。
肥料化するのかな?
いや、やっぱり燃やすんだろうな。
ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918 フランス)の作品に「枯葉(Feuilles mortes)」っていうのがあるが(「前奏曲集第2巻」(1912-13)の第2曲)、こんな大量の枯葉の印象を曲にしたわけじゃ、もちろんないだろう。
話を戻すが、ハイドン・ヴァリエーションにおいても、今の私はハイティンク/ボストン交響楽団の演奏をお薦めしたい。
このコンビによるブラームスの交響曲第1番、第4番の演奏を、私はけっこう高く評価しているが、4番にカップリング収録されているハイドン・ヴァリエーションもいい。
何かすごく印象に残るようなことはしていないが、これを良くない演奏とする理由が逆にないのである。
偉大なる無難。そういう言い方が悪ければ、作品の良さをストレートに表現した演奏だ。
1992年録音。デッカ(TOWER RECORDS PREMIUM CLASSICS)。