ひじき嫌いの人にもお薦め
九州に出張に行ったとき、バスガイドさんがおみやげとしてお勧めしていた品物-それはけっこうたくさんあったが-の1つに、“梅の実ひじき”というのがあった。
で、福岡空港に行ってみると、当たり前かもしれないが、本当にその商品が売られていた。
ガイドさんに義理はないが、確かに何を買っていけばいいのか迷える子羊状態の私にとっては、まさに恰好のガイドとなった。
断っておくが私はひじきが嫌いである。あの、ざらざらとした食感が嫌いである。謎めいた虫の死骸のような見てくれも好ましくない。
むかし飼っていた犬に、余ったひじきごはんにみそ汁をぶっかけてエサとして与えたことがあったが、実にイヤそうに食っていた。あいつの気持ちはじつによくわかる。
それにひじきには猛毒のヒ素が多量に含まれているという。なのに健康被害や中毒を起こしたという報告がないのが実に不思議だ。いや、むしろ健康に良い食品に分類されているのだ。七不思議のひとつだ。 おまけに私は梅干しも嫌いだ。
鮭といくらと梅のおにぎりが並んでいて、どれか2つ好きなのを食べてくださいと懇願されたら、絶対に梅は選ばない。
それぐらい好んでは食べない。
しかし、梅には疲れを取る効果や防腐効果がある。私の気持ちが腐っているのは梅干しを食べないせいかもしれない。
しかし、妻はひじきも梅干しも好きである。
となると、ご家庭へのおみやげとして、この“梅の実ひじき”はふさわしい。
バスガイドさんによると、この“梅の実ひじき”は、ご飯のお伴の投票で第1位を獲得したのだそうだ。そんな投票をするくらいなら、私のブログのバナーをクリックしてほしいと思ってしまう。
ひじき嫌いの私も満足
実際に私も食べてみたが、まったく予想に反して、こ、こ、これはいける!すごくいける!
ひじきのザラツキ感は気にならない。コリコリした梅の実(のクラッシュ)が口の中で心地よい。そして、さすがご飯に合うおかずコンテスト(だか何だか知らないが)で1位を取るだけあって、塩加減もいい。
ただ、妻が言うには自分にはやや味が濃いという。つまり、妻より私の方をとりこにしてしまった。
ひじきだから海藻であるわけで、ヒ素の問題はともかく、身体に良いはずだ。少なくとも繊維質は豊富だろう。梅だって私の腐った根性を治してくれる可能性を秘めている。なにより、クエン酸が私の細胞内のミトコンドリア内において、クエン酸回路がスムーズに働くよう効果を発揮してくれるだろう。
仮にバスガイドさんが“えとや”と裏で通じていたとしても、私は許す。
良いものを紹介してくれた。
もうすぐなくなりそうだ。アタシ、お取り寄せしちゃうかもしれないわ。
前に札幌の中華料理屋でザーサイの梅酢づけを細かく切ったものを入れた炒飯を食べたことがある。あっさりして、飲んだ後の仕上げにぴったりだった。飲んだあとに炒飯を食べる行為そのものに問題があるといえばあるののだけれど……
この“梅の実ひじき”を使って炒飯を作ると、梅の食感とさわやかな酸味で同じようにヘルシーな一品になるに違いない。 いや、黒っぽかったから……
ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第7番ホ長調WAB.107(1881-83)。
クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏。
なぜ今日この曲、この演奏を取り上げたかというと、“梅の実ひじき”の見た目が、このCDのモノトーンの色合いを思い出させたから。
ブルックナーがひじき好きだったとか、クレンペラーは梅干しババアが嫌いだったという意味ではない(でも、後者は当たっているような気がする)。
この演奏も、他のクレンペラーのブルックナーと同様、すばらしい。
鋼のように毅然とした輝きを放ちながらも、それは表面的なものにとどまらず深みがある。粗さもあるが気品もある。不思議なバランス。
特に後半2つの楽章のスケール感は見事だ。
なお、この曲そのものについては、ここでほんの少しだけ触れている。
1960年録音。ワーナー(EMI)。
使用楽譜は1885年稿ノヴァーク版。
2014/09
はたらくじどうしゃ……
先日、ある機会があって何軒かの農家さんを訪問した。
音更町で行った大きな酪農家では、牛舎に入ると私は美女たちにじっと、ジっと、じぃ~っと見つめられた。やはり美しいものは種を超えて普遍的なものなのだということを実感した。その様子は“読後充実度 84ppm のお話”で紹介している。
そのあと立ち寄った別な農家さんの庭先には、年代物と思われるトラクターがあった。一緒に行った人によると、なんでもこれは名車だったそうだ。私にはさっぱりわからないが……
が、このフェースが、どこかほのぼのとしていて、あるいはのんびりしていて、ディズニーかなんかの絵本に出てくる擬人化された車を連想してしまった。
なお、このトラクター、後ろにはちゃんとナンバープレートがついていて、まだ現役で活躍中らしい。
若いもんには負けてられないようだ(って、誰が言ったんだよ!?)
良く知らんけど、少なくとも55番まではある
話は変わって、アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの“初期交響曲集”。先日CD1を紹介したので、今日はCD2。
収録作品は、
・ 交響曲ト長調K.Anh.221(K6.45a)「旧ランバハ(Alte Lambacher)」(1766)
・ 交響曲第7番ニ長調K.45(1768)
・ 交響曲変ロ長調K.Anh.214(K6.45b)(1768)【第55番】
・ 交響曲第8番ニ長調K.48(1768)
・ 交響曲第9番ハ長調K.73(1769-70)
・ 交響曲ニ長調K.81(K6.731)(1770)【第44番】
の6曲。 演奏については、このコンビの特長である生のもやしのようなシャキシャキとした、新鮮な歯ごたえの演奏。間違いなくピリオド演奏としては頂点に位置するものだ。
ロマンティックで甘美な、まぁったりした演奏にしか好まないという人にはまったくもって不向きだが、そういう人は、特に初期交響曲においては、あまりいないのではないかと思われる。
したがって、私がとやかく言うまでもなく、演奏においてはまったく不満のないものだ。
問題は(私が勝手に問題にしているだけだが)、モーツァルトの交響曲の番号である。
ご存知のように、モーツァルトの交響曲は第41番「ジュピター」で終わる。
が、42番以降の番号の交響曲もかつては存在した。
存在したというのは、これは旧番号であり、いまは一般的ではない。
私が知っている範囲で、それらを列記すると、
・ 第42番~ヘ長調K.75(1771):疑作
・ 第43番~ヘ長調K.76(K6.42a)(1767):自筆譜なし
・ 第44番~ニ長調K.81(K6.731)(1770):レオポルトの作?
・ 第45番~ニ長調K.95(K6.73n)(1770):疑作
・ 第46番~ハ長調K.96(K6.111b)(1771):疑作
・ 第47番~ニ長調K.97(K6.73m)(1770)
・ 第50番~ニ長調K.161,163(K6.141a)(1773-74)
歌劇「シピオーネの夢」序曲+フィナーレ
・ 第55番~変ロ長調K.Anh.214(K6.45b)(1768)
となっている。
新・旧の混乱
なお、今日紹介するCDに収められている「旧ランバハ(旧ランバッハ)」という作品は、1924年にランバハ修道院で発見された筆写譜2曲のうちの1つ。一方が父・レオポルトの作、もう一方がヴォルフガングの作ということで、長らく論争が続いたが、1982年に結論がでた。レオポルトが書いたメモが見つかり、この曲は1766年、ヴォルウガング10歳の作ということで落ち着いたのだった。
かつてはレオポルトの作品の方-新ランバハ-を誤ってヴォルフガングの作品とみなしていた。「旧ランバハ」に比べ「新ランバハ」の方が目新しく、「旧ランバハ」は古めかしいためだ。
しかし、実はこの当時、レオポルトの方がイケイケどんどんの作曲家。片や息子はまだ見習い中。レオポルトの作風の方が先んじているのは、よくよく考えれば当たり前。
そして、上に書いたように、今では「旧ランバハ」が息子の作、「新ランバハ」が父・レオポルトの作品であることが確定している。
アーノンクールの初期交響曲集(7CD)のCD2の録音は1997,1999-2000録音。
秋なのに夏休み
今日は遅ればせながら夏休み。
実は昨日も夏休みをとった。
当初は18~19日、つまり昨日今日を夏休み取得にあてていたのだが、先週になって急に18日に用務が入り、取得を断念。ところが今週頭になって、その用務が中止になり、夏休みを復活させた。
なんだか新・旧ランバハの混乱に似てなくも、なくもないか……
今日はこのあと自宅に帰る。
「ボクは、床屋に行ったり、プルーンの木の超剪定をしたいと思いますっ!」
委員長不在が主流に?
最近、何気なく新聞のおくやみページを見ていて気づいたのだが、葬儀委員長をたてない葬儀が増えているようだ。
なんでわかるかって?
葬儀委員長の名前が書かれてないから。それだけ。
考えてみれば、私が過去1年ほどの間に参列した葬式でも、確かに葬儀委員長が挨拶するっていうのは、生前よほど公的なことに寄与した人は別として、なかった。
司会者(これも葬儀会社が手配しているセミプロ)が、本来なら葬儀委員長が話すような内容-故人のトメ子さんは〇年〇月に屯田兵村で父・留男、母・登女代さんの5女として生まれ……中略……気丈な性格で周囲の人たちとも常に軋轢を生み……中略……ところが昨年、胃の調子が悪いと病院に行ったところ……中略……ふだんは健康そのもので病院などい行ったこともなかったのに……中略……きっとすぐ治るとアロエを食べすぎたのでしょうか、そのときにはすでに全身に……中略……このあとは近親者のみで……本日はありがとうございました-を、わざとらしく感情を込めて、でも淡々とお話しするのだ(なお、例は北海道の場合)。
きょうび、葬儀委員長専門のバイト(元校長とかの話が上手な人)もあるらしく、そんな見ず知らずの人に葬儀委員長をやってもらうくらいなら、最初からいないほうがマシかもしれない。そして、このように葬式が簡素化されていくことは、悪くないことだと思う。
相撲じゃないもーん
なんとなく語感が“イスラム”を想起させなくもないが、全く関係ない北欧のイスランスモーン(Sigurd Islandsmoen 1881-1964 ノルウェー)。
このように書いたからには、“相撲とニュース”とかの類似品ではなく、毎度のお約束通り、この名は作曲家のものである。
だが、多くの人はイスランスモーンなんて作曲家、知らないだろう。しかし私は知っていた。3か月ほど前から。
ナクソスのページで見かけたのだった。
この作曲家について詳しいことは知らないが、CDのライナーノーツに羅列された英単語をキーワードに推測するに、
・オスロ音楽院出身
・レーガーに師事
・オルガニストに就く一方で、作曲活動も行なった
・後期ロマン派のスタイルである
ということらしい。
が、単語からの推測である。いや、推測というよりも賭けに近い。
私の英語読解力からして、もしかすると、オセロに音楽院で夢中になった、レーガー並みの大食漢だった……とかいう可能性もゼロではない。
その彼の「レクイエム(Requiem)」Op.42(1935-36)。
全15楽章から成る50分ほどの曲。
かなりマニアックなレクイエム作品まで取り上げている井上太郎著「レクイエムの歴史」(河出文庫)にでさえ触れられていないので、私はこの作品について情報をほとんど持ち合わせていない。
ハンセン版によって聴かれる機会が増えてくるのか?
・初演は1943年。その後も戦中戦後時にはノルウェー国内ではしばしば演奏された
・ところが、そのうち楽譜が散逸してしまった
・ノルウェー民謡の要素が使われている
・ここでご紹介するCDの指揮者・ハンセンが、演奏できる形に復元した
ってことらしい。
私は第1曲目のオーケストラのみで演奏される「葬送の歌」に強く魅かれる。日本的でもあり郷愁をそそられる。 例えばドキュメンタリー“自然の猛威に挑む人々”、みたいな番組の音楽に使えそうだ。
ということは、ちょいと伊福部っぽい雰囲気もある。大きな魔神がこの音楽にのって現れても、それはそれで合いそうだ。
全体を通じて親しみやすいメロディーにあふれており、響きは透明だが温かみもある。
このように、広く親しまれることに何ら障害がないが、そうならないのは、まずこの曲の存在がほとんど知られていない(録音もない)ことによる。そしてまた、作品としては耳に入り込みやすい反面、決定打的インパクトがないことだろう。クリーンヒットやホームランがない野球の試合のような……。
でも、いいじゃないか、それだって。ヴォォォォ~ってな盛り上がりがあまりなくたって、良い試合ってのはある。
とにかく、なかなかユニークな、でも真摯さが伝わってくるレクイエムである。
ハンセン指揮クリスチャンサン交響楽団、ノルウェー・ソロイスツ合唱団、キーラント(Ms)、ムー(Br)による演奏。
2006年録音。2L。いや、サイズがでかいのではなく、そういうレーベル名。
さらに言うと、バリトン独唱者は私と一切関係ない(だいいち原綴りはMoeだし……萌え……)。

もう水曜日だが、日曜日の話。
この日は朝の8:30からガーデニング。いや、ガーデニングというよりも庭仕事と言った方が適切だ。
優雅さゼロの肉体労働だったから。
いよいよ重い腰を上げ、かねてより懸案事項だった“伸びすぎた庭木”の剪定を行なったのだ。
伸縮ポールの先に剪定ばさみがついた、“おばあさんにも楽々、高い枝の剪定ができます”っていう道具を使ったが、いやいや、もうそれで対処できるような枝の細さではない。
結局脚立に上り、枝ではなく3cmほどの径になった上の方の幹をのこぎりで切った。幹が1本ならこれで済むが、枝分かれしているわけで、この作業は何本かに及んだ。しかも、もう1本同じ木があるので、その作業は2サイクルってことになる。
ちなみにこの木は桃色ナツツバキである。
のこで幹を切るときに普通に水平に切ればいいものを、ふだんのバラの剪定の癖か、斜めに切ってしまうお茶目な私であった。

作業が終わったのは12:30。
すでに秋の気候だからできたが、これが半月前なら汗ダラダラになって熱中症で倒れてるところだ。
なお、この間、つまり4時間にわたり、一度もおしっこに行かなかったことはふだん頻尿気味の私にとって自信になったような気がする。
ただ、剪定ばさみを使いつづけた結果、私の右手は夕方には痛いよぉ~と唸りだし、翌朝は手のひらを開閉するのが難儀なほど痛くなった。まあ、作業の半分、2時間ぐらいはずっと剪定ばさみで枝葉を切っていたわけで、握力もない私には、こうなるのも当たり前ではある。
ちなみに、この日も咲いてくれていたバラのうち、上は“アンジェラ”、下は“エリドゥ・バビロン”である。

以上の前置きとはまったく関係ないが、ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第103番変ホ長調Hob.Ⅰ-103(1795)には「太鼓連打(The drum roll)」の愛称がある。
マーラーやベルリオーズ、R.シュトラウスなんかの作品は打楽器がガンガン鳴らされてパーカス・ファンにはたまらない作曲家だが、ハイドンのこの曲も、「太鼓連打」と銘打つからには雷さまもヘソを隠すくらいすごいのだろうと思って聴くと、「はいっ?」って、ドライブスルーでかわいい店員さんに「自動車保険の見直しですね?」って言われた人のようになってしまう。
このあだ名の由来は、曲の冒頭でティンパニの連打があるから。いや、確かに連打なんだけど、連打って言葉で期待するほどの連打ではない(なお、ティンパニのゴロゴロは第1楽章の終わり近くにも回想される)。
どう奏する?
この連打、冒頭の1小節でティンパニが弱音からクレッシェンドして、また音を弱めて弱音になる。
ねっ?なぁ~んだ、それだけ?それならベートーヴェンのシンフォニーの方がはるかにすごいじゃんってことになる。
ごめんね、こんな言い方して。悪意はないの。
ただ、この連打、ロビンス・ランドンの新全集の楽譜では、フォルテッシモから弱めていくという指定になっている。
コリン・デイヴィス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(アムステルダム・コンセルトヘボウ管)のはきはきした締まった演奏で。ランドン版を用いているというが、ドラム・ロールは“弱→強→弱”と奏されている。
1976年録音。フィリップス。
ベートーヴェンといえば、ハイドンのこのシンフォニーの第1楽章には、ベートーヴェンの交響曲第1番冒頭の動機にそっくりなものが何度も現れる。作曲されたのはベートーヴェンの交響曲の方があと(1799-1800年)。
偶然か?それとも参考にしたか?
鮮度が違う!
7枚組ボックスセットの“Harnoncourt conducts Mozart's Early Symphonies”。
最近は過去に単売(分売)されていたCDが、なんだかやけくそのようにこのように廉価で売られているのが、実にうれしい。
解説がついてなかったり、そのスリーヴも同じ写真ということもあるが、輸入盤の解説は当然ニホン語でないわけで、それがついていたとしてもCDの収納棚に余計な重量負荷をかけるだけだし、どのスリーヴも同じ写真なのはちょいと寂しいが、絵合わせゲームとか神経衰弱に利用できそうだ。
そのCD1にはモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の以下の交響曲6曲が収録されている。
・ 交響曲第1番変ホ長調K.16(1764/65)
・ 交響曲第4番ニ長調K.19(1765)
・ 交響曲ヘ長調K.Anh223(K6.19a)(1765)
・ 交響曲第5番変ロ長調K.22(1765)
・ 交響曲ヘ長調K.76(K6.42a)(1767)
・ 交響曲第6番ヘ長調K.43(1767)
今回はさりげなく親切に、カッコ内の番号はケッヘル作品目録の改訂第6版の番号であることを、わかりやすく表記してみた。いかが思います?
中野雄氏は「モーツァルト 天才の秘密」(文春新書)のなかで、このアーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏について、
才気爆発、この年齢でかかる作曲技法を駆使し得た音楽家は「稀有」と評すべきであろう。鬼才アーノンクールと手兵ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏も、「見事!」の一語に尽きる。力作だと思う。……ベーム、マリナー、ホグウッドの《交響曲全集》に収録されている演奏とは、曲の鮮度が違って聴こえる
と書いているが、まったくもって同感である。
活イカの刺身のような味わいだ。
ご存知のとおり私は生魚があまり得意ではないが、イカ刺しはまぁ嫌がらずに食べることができる。
が、活イカとよくありがちな、というかほとんどの場合のイカの刺身とは別物のように違う。それは活イカを食べたことがある人なら実感していることだろう。少しでも身が白くなると(ほとんどのイカ刺しがそうだが)、食感はニュルっとしたものになる。
しかし透明なものは、コリコリである。
これをショウガ醤油でいただくと、まぁなんと美味しいことか!
えっ、写真?
実はこれ、私が目の前にある皿を撮ったというものではない。
ここ数年、このようなイカ刺しは食べたことがない。
すすきのの情報誌に載っていた“【函館 活イカ】浜料理 かみ磯”という店の広告の写真である。
にしても、見事な透明感。鮮度だ。
この写真を見て透き通ったよだれを垂らしたあなた!ぜひ、お店に行ってみてくれたまえ。 アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏は、この活イカのように私を幸せな気分にさせてくれる。
小学生が書いた曲が深みにかけるのは当たり前
一方で、中野氏はこれらの初期交響曲を、「実によく出来た音楽であるが、それ以上のものはない」と指摘する。確かにそれも言える。
それでも、たとえば第6番の第2楽章のメロディーには、私はひどく魅かれる。
各曲について簡単に触れておくと、第1番はロンドン滞在中の8歳のときに書かれたもの。
モーツァルトはロンドンで“ロンドンのバッハ”ことヨハン・クリスティアン・バッハに出会っている。第1番の第2楽章には“ジュピター音型”が早くも現れる。
第5番はオランダのヴィレム5世の即位を祝って作曲。父・レオポルトが書くように命じたのだろう。
第6番はモーツァルトにとってメヌエットの楽章を加えた初めての4楽章構成の交響曲である。私のとても好きな第2楽章は、同じ年の春に書いたオペラ「アポロとヒュアキントゥス」K.38のなかの二重唱を転用したものである。
K.76の交響曲の終曲は、ラモーのオペラ「栄光の殿堂」のガヴォットの主題が使われている。この曲は“第43番”の番号が付されることも、まれにある。個人的にはこういうナンバリングは勘弁してほしいが……
天才少年が早熟のテクニックでさささっと書きあげたこれらの作品に、“深み”はない。
が、“うす暗くじめじめしたところに潜むベンジョコオロギの憂鬱”みたいなものとは無縁の、明るく活発な響きは心をウキウキさせてくれる。
1999-2000年録音。ドイツ・ハルモニア・ムンディ。
ところで、ソフトバンクのアクオス・クリスタルのCM。
父さん犬が「モーツァルトだ!」って叫ぶやつだ。
が、流れているのはチャイコフスキーのピアノ・コンチェルトの冒頭。
いえ、文句を言うつもりはないですけど。
土曜~成吉思汗が食べたくなる
昨日は、月曜から金曜までの私の、食ってばかりじゃないかよ、というようなご報告したが、土曜日まで辿りつかなかった。
知りたがっているあなたのために、土曜日と昨日の日曜日のことをお教えしよう。
土曜日は午前中仕事。
マンションに戻ったあと、自宅で鹿追そばを茹でて食べた。
単なるかけそばである。
前日からどうしようか考えていた帰宅。やはり被害がないか確認することが必要と、強行することに決め、午後3時過ぎに出発。
最近は、高速料金の割引率低下ならびにガソリンの高騰により、十勝清水⇔夕張間のみ高速道路を使っている。この日も夕張インターで高速を降り、長沼の街を抜けるころには18時を過ぎていた。
長沼はジンギスカンの街だ。カネヒロとかタンネトウ(長沼ジンギスカン)。
他にもあるのかもしれない。精肉店にもジンギスカンと大きく書かれていたから。 時まさしく、空腹の絶頂。
ここでジンギスカンの肉を買って帰って、家に着いたらすぐに焼いて……と思ったが、「空腹で頭がおかしくなっているのだ。きっと本当に食べたいものは他にあるに違いない」と思いなおし、そのまま通過した。
とはいえ、結局そのあとスーパーで惣菜を買って帰ったのだが……。
ジンギスカンとホルモンのmix
S.ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」では、ボロディンのことをボロジンと表記している。
ところで鹿追町には鹿追なのになぜか大阪屋という店がある。
でも、考えてみれば札幌にも大阪屋がある。老舗の専門的な電器店で、私はここで今使っているプリメインアンプとスピーカーを買った。
鹿追の大阪屋は、タンノイやアキュフェーズの製品を売っているのではなく、こちらはジンギスカン屋である。
鹿追は、私がこの日の昼にふつうに食べたように、そばで有名だが、大阪屋も案外有名らしい(地元では)。
ここのジンギスカンは一風変わっている。ふつうと違い、焼くのではなく煮込むのだ。ホルモンも同様に煮込んで食べる。
ジンギスカンとホルモンを一緒に頼みいっぺんに煮込むと(それがこの店での定番)、それはホルジンと称される。
以上、ボロジンからホルジンに至る、実に脈絡のない話であった。
なお、私はジンギスカンは、さらにまたホルモンは、肉のなかではあまり好きな方ではない。
羊肉となったら絶望的にだめだが(スペアリブなど)、味付きジンギスカンは時おり食べたくなる発作にかられる。大阪屋のも味付きであるし、長沼のも味付きである。
したがって、長沼で看板を見てジンギスカンを食べたくなったり、大阪屋のホルジンを食べることが何度かあるということと、私の不得意な食べ物ということとは、まったく矛盾しない。
シェエラザードが凄すぎるせいで……
コンドラシン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団によるボロディン(Aleksandr Borodin 1833-87 ロシア)の交響曲第2番ロ短調(1869-76/改訂1879)。
ご苦労なことに私のブログをずっと読んでくださっている方はご存じのことだが、私はこのボロ2が大好物である。
そして、これまでも多くの録音を取り上げてきた。
で、このコンドラシン/ACOの演奏だが、まぁなんとこれまた良いことか!
土臭さがプンプンしているが、同時に都会的に洗練されたところもあり、そのバランスが絶妙!
かなりの演奏だ。
現在出ているCDは先日紹介した「シェエラザード」とのカップリング。
この「シェエラザード」の演奏がすばらしいため、どうもボロ2の方はおまけのように見られ、また相対的に評価が下がっているように見受けられる。
某サイトのレヴューには、「騒がしいだけ」とか「シェエラザードがあれば、ボロディンは余計」といった厳しいもののもあった。
もちろん一方では高く評価する声もあり、私はそちらに賛同したい。
1980年ライヴ録音。デッカ。
ところで、今日は敬老の日である。
なのに、誰も私にプレゼントをくれない。なぜなら、私は敬われていないからである。ということではなく、老人ではないからだ。
将来、ボロじじいと呼ばれないよう、精進していこうと思う。
幸い、大雨の影響の被害はなかった。
バラも今シーズン最後のピークを迎えている。
上の写真は“クィーン・オブ・スェーデン”、下は“アルフォンス・ドーデ”である(昨日撮影)。
東京に出張。
羽田到着後、昼食は第1ターミナル内の和食店で。
午後、3時間にわたる会議。
夕食は虎の門の焼き鳥居酒屋。
帰りに翌朝の食事用に“3種のきのこごはん”と書かれたおにぎりをローソンで買う。
3種・ノキノコ・ごはんではない。3種の・きのこごはん、である。
火曜・午前~ナンナンダ?マンナンだ
朝、“3種のきのこごはん”を口に入れる。
ざらっとした感触。
な、なんだ?これは!
包装紙をよく読むと、“玄米マンナン入りきのこごはん”とある。
ノーマルなきのこごはんではなかったのだ。
炊き込みご飯系が好物も私としては、この食感に大いに失望した。
そんなもん入れないでくれ。そりゃ、体にはいいのだろうが。
酔っぱらって、よく見ないで買った私がばかだった。
昼に千歳空港に着く。
そのまま札幌へ。
火曜・昼~私の一杯のかけそば物語
朝が少量でおなかは不満腹(それはまあ、悪いことではない)、気分も不満足だった(これは良くない)ため、この際、たまにはESTA10階味のテラスの四川飯店に赴き、麻婆豆腐定食を食べようかと、快速エアポートの中で思い立つ。思いはつのり、希望になり、義務のような気にまでなってくる。
関係ないが、8月末のダイヤ改正で、エアポートにもロングシートの車両が投入された。混雑緩和のために良いことだと思う。特に朝夕は。この日のように真昼間は、やっぱり721系の方がいいなぁとは感じたが、それは私のわがままにすぎない。
札幌駅到着直前になって、このあと病院に行って定例の血液検査をしなければならないことを思い出す。
麻婆を食べあとすぐに採血することは、裸のまま戦場でフォークダンスを踊るのに匹敵するほど無謀な行為だ。止むを得ず断念し、もう13:30を過ぎていたこともあり、軽めに済ますことにする。
電車が札幌駅のホームに滑り込み、さっそうと降り立った私は、その1番ホームから改札階に下り、3番ホームに上がり、そこの立ち食いそばを食べる。なぜ1番ホームではなく3番ホームなのかというと、1・2番ホームには立ち食いそば屋がないからだ。
カロリーと出費を抑えるためにかけそばを注文する。
麻婆豆腐が食べられるという希望は夢に終わり、一杯のかけそばを涙とともにすすった。
火曜・午後~下がった私
このあと本社で一度打合せをし、合間を縫って病院に行く。
採血する。
血糖値とヘモグロビンA1cの検査結果だけは10分で出るという。
待った結果、ヘモグロビンA1cの値は正常値の5.7だった。すばらしいではないか!
前回採血だけを行なったまま結果を聞いてなかった6月の値は5.8。これだって正常値。
4月のドックでは6.3と正常値上限の6.2を超えていたが、ほれごらんなさい、今回は私の予想通り正常値。
ちなみに去年とおととしのドックでの値はともに6.0。
つまり、現在の私の立ち位置は、近年まれにみる好成績状態にあるわけだ。
これには医者も満足だ。
この分だと他の値も良くなるかもと、うれしいことを言ってくれた。半信半疑だが。
なお、血糖値は高め。ただ、食後1時間だということでおとがめなし。かけそばじゃなく麻婆豆腐定食だったらもっと跳ね上がっていたことだろう。あるいはまた、朝のキノコも寄与してくれていたのかもしれない。
再び本社で打合せ。
夜は和食。ほんとはザンギとかウインナーといった幼児傾向のものを食べたかったけど、願いかなわず和食。
えっ?数値改善の朗報をなぜすぐに伝えてくれなかったのかって?
だって、すぐ言うと、まるで自慢してるって思われちゃいそうで、それがイヤだった、か、ら。
水曜日~17時から食事とは
札幌から移動。昼は清水町名物の牛玉ステーキ丼を食べる。
初めて食べたが、なかなか美味しい。さすが、B級グルメで賞をとるだけのことはある。
が、野菜がないのがちょっと……、と最近になってようやく野菜をなるべく食べるようになった人間に言う資格はないか。それに野菜が欲しけりゃ丼物なんて頼まなきゃいいわけだ。
夜は食事付きの会議。
こんな時間(17時)から、ふだん酒を飲むことはあってもきちんとした食事を食べることはないので、なんだか変な感覚になる。
木曜日~自宅のあたりは大雨洪水警報発令中
朝、歯科医院へ。火曜日に続き健康保険証を提示。こう考えると医療費貧乏になるのもわかる。
歯科医院を出て支社に向かう途中のコンビニで早くも昼の弁当を買う。
雨が強くなってきたのと、昼にたまっている決裁書類の整理をしたかったからだ。
やや悩んだ末に鮭弁当にする。のり弁当にもかなりそそられたが、おかずに焼きそばが入っていて「こりゃ食べない。無駄だ」と、感心するようなしないような理由で断念した。
この日、TVでは朝から札幌市や石狩管内、つまり私の自宅がある地域に大雨や洪水の警報が出ていた。近ごろは「これまでに経験したことのない」という言い方が定番化しつつある。
自宅のことが心配だが、心配したところでどうもならないので、歯医者ではおとなしく口を開け続け、昼は黙々と弁当を食べ、それ以外はそこそこ仕事をした。
金曜日~なぜか「いつもの」が通じず
昼は〇〇楼で“いつもの”を、「いつもの」と頼む。
「ライスはどうなさいますか?」と、いつものお姉さんが言う。
えっ、“いつもの”って担担麺+小ライスっていう意味じゃなかったの?
いや、そのはずだ。前回はそれで通じたのだから。
記憶が薄れたのだろうか?
いずれにしろ、月に1~2度の小ライス付の麺に満足。一緒に行った秋吉課長と阿古屋係長も、私と同じ注文。
なお、私の自宅の周りは雨による被害はなかったようだ。
毒キノコで若死に
クラシック音楽界でキノコといえば、まずはJ.ケージ。
彼は作曲家であるとともにキノコ研究家でもあった。
キノコを自分のトレードマークに使っていたが、それは辞書でmusicのすぐ前の単語がmushroomだからという言い分。でも、私の持っている辞書にはその間に別な単語がある……
もう1人私が思い起こすのは、ショーベルト(Johann Schobert 1735-67 ドイツ)である。
フランスを訪れた少年モーツァルトに、鍵盤楽器の分野において多大なる影響を与えた音楽家だが、その生涯には謎も多い。
そのショーベルト、キノコにあたって若くして死んでしまったのであったいや、巨大キノコにぶつかって死んだというのではなく、毒キノコを食べて死んだのだ。
かなり前にも一度取り上げているが、彼のクラヴサン協奏曲第4番ハ長調Op.15。
この時代にしてはかなり大きな作品であり、メロディーはとても親しみやすく、チェンバロの響きが心地よい。
深みという点では、この時代の多くの作品同様、不足はしている。が、このメロディーは一度聴くと忘れられない魅力をもっている。
私は幸いにもクラシックを聴きはじめた初期のころに、偶然この曲をFMでエアチェック。
長年にわたって聴き続けている。
ショーベルトの作品の録音はとても少ないが、もっと評価されてよりのではないだろうか?
ドラマティックなクラヴサン協奏曲第4番には、ベッケンスタイナーのチェンバロ、パイヤール指揮同パイヤール室内管弦楽団の録音がある。
1965年録音。エラート。
何だか長くなってしまった。
それだけ過酷で込み入った一週間だったのだろう。
土曜日のことにまでたどりつかなかった。
続きは、知りたくもないだろうが、明日にでも。
ところでショーベルトはもがき苦しんで死んだのだろうか?それとも笑いながら息絶えたのだろうか?
その日私の上司は、朝から本社の人とともに市内の取引先周りをしていた。
その人は午後1時過ぎの列車で帰るということで、上司は早めに和食処“萌え亭”(仮称)にご案内し、昼食を食べたあとに駅までお送りし、そこで元気にバイバイすることを考えた。
支社で精力的に仕事をこなしている私に、その上司から電話が来た。
「MUUSAN、萌え亭は何時から開いているか知ってる?」
「確か11:30からだったと……」
「すまないけど、11:30に3名で席の予約をしておいてもらえないだろうか?」
「がってんです」
断っておくが、3名というのは上司と本社の人と私、ではない。
もう1人同行していたのである。
このとき11時。
私は萌え亭に電話をかけた。
トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル……
たいした大きな店ではないのに、コールが続く。
嫌な予感がする。もしや臨時休業か?ゴールが見えない。
トゥルルル、トゥルルル、トゥル。「はぃ……」
と、店主(その容姿も声も私は実際に知っているが)の、快活・健康的・精力的・営業向き、とはまったくいえない声が聞こえた。
にしても、「はい」って、ふつうの家かっ!
「11時半に3名で伺いたいんですが、席をとっておいていただけますか」
「あっ、あ゛……、キョウは、ツゴウで12じからナンですけど……」
けどって言われてもなぁ。が、だらけてる!と文句をつける権利は私にはない。
「じゃあ、12時から3人で席をお願いできますか?」
「12時に開けるんで、12時に来るんならとっておかなくても座れますよ。ひゃひゃひゃっ」
なんかカチンときた。
「そうですか。わかりました」
そう言って、私は電話を切った。
でも、11:30から店の前に列ができて、12時に行ったときにはすでにすぐには入れないかもしれないではないか!
あの耳障りな声質の自虐おやじの考えは甘い。少なくとも客(の代行)の私の身になって考えていない。
もっとも、おやじの言うとおり、すぐに満席になる可能性は84ppm以下だろうが……
上司に電話をする。
「今日は12時開店ってのたまってますぜ」
「それはまた異なことを……。それならJRの時間に間に合わなくなるかもしれないから別なところにしよう」
そんなやりとりの結果、萌え亭はやめて“萌え萌え庵庵”(愛称)にした。
もちろん私は、「申し訳ありませんが、やっぱり行けなくなりました。お手数をおかけしてすいませんでした」と、萌え亭に電話をすることはなかった。
直接対話が無理なら電話で
メノッティ(Gian Carlo Menotti 1911-2007 イタリア→アメリカ)の歌劇「電話,または三角関係(The Telephone
,or L'Amour a Trois)」(1946)。
作曲者自身の台本による1幕の短い(25分ほど)オペラ・ブッファ。
メノッティはミラノ音楽院で学び、のちに渡米してカーティス音楽院(フィラデルフィア)でも学んでいる。
親しみやすいメロディーと現実的な題材を特長とするオペラを多く残した。また、音楽作品とは直接関係ないが、カーティス音楽院で知り合ったバーバーとは、長くホモ達関係にあった。
「電話」は、男が結婚を申し込みに恋人の家に行くが、彼女に次々と電話がかかって来てプロポーズする隙がない。そこで男は彼女の家を立ち去り、電話をかけて彼女から結婚の承諾を得る、という内容。
アメリカの電話事情の歴史についてはよくわからないが、このころからどの家庭にも普及しはじめたのだろうか?
メノッティは当時の社会の現象を、このようにコミカルに、しかし鋭く風刺したのだった。
バンクス(ルーシー役)、リッチ(ベン役)、ヴァグリエリ指揮ミラノ室内管弦楽団の演奏を。
録音年の表記が見当たらないが、製造が2006年になっているので2005年前後の録音と思われる(DDD)。Nuova Era。
いまの世にしてみればちょっと奇異な感じもするが、このころは立て続けに電話がかかってくることが時代の先端をいっていて、おしゃれで、かっこよかったのだろう。
今ならタブレットってところか?
そういえば、先日レストランにいた親子3人連れ。
テーブルについて食事が運ばれてくるのを待っている間、父さんと母さんはそれぞれずっとスマホいじり。娘はゲーム。当然会話なし。あれが家族団らんの最先端なのか?
研修で網走に滞在していたときの思い出。
前に書いたように旅館の本業は漁業。
奥さんが旅館を仕切り、旦那は漁へ。
そして夕方になると、おばあちゃんが外でその日料理する魚の頭をはねていた。
トン、トンとカレイなどの魚の頭を切り落とす包丁とまな板が奏でる変拍子が聞こえてくるのだ。
宿に戻りそれを耳にすると、「あか、今日も終わった」と充実した気分にな……れなかった。
その宿で生活することになった最初の日。
歓迎の意味を込めてか、小ぶりではあるものの毛がにが1杯食卓に出された。
すごいではないか!これは、まあ、うれしい。
それに白身魚とホタテの刺身。
今以上に生魚が苦手だった私は、軽く今後の食生活への不安を覚えた。
だが、若い人だから魚だけでは元気が出ないと気を使ってくれたのだろう。
鶏のささみのフライが2つあった。
喜んでかじると、なかはオレンジ色の物体。とっても嫌いな味。
もうこの時点でこの物体の正体はわかったが、もう1つもかじってみる。同じ味だが色は白。
そう。
ご丁寧に紅白でホタテのベロ(卵巣らしい)が並んで鎮座していたわけだ。
私はぶっ倒れそうになった。
そして、かなり空腹のまま初日のふとんにもぐりこんだのだった。
続くときは続く。秀樹カンゲキィ~っ!
2日目以降の夕食はここまで豪華ではなかったが(一般論で豪華なわけで、私にとっては豚に真珠)、おばあさんがけだるそうに頭をはねていた魚の煮つけなんかが日々続いた。
昼はその集落にある2つの店のどちらかで弁当を購入したが、どんなおかずだったか覚えていない。もしかすると食べたというのは誤った思い出かもしれない。
研修といっても研修施設に入っているわけではなく、現地の会社で実習するわけだ。昼も自分で手当てしなければならなかった。
特に私のお世話役でもないのに私のことを何かとお世話してくれた、先日再会した人に外回りに連れて行ってもらうときが、昼食面では充実したものとなった。
だって、外勤途中で昼になると、食堂で昼ご飯が食べられるからだ。
ある日、外回りで北見まで行ったとき、しばらく食べていないカレーライスを食堂で食べた。
ごくごく普通の味だったが、このときは帝国ホテルのカレーより美味しく感じた。
が、えてしてこういうものである。
その晩に限って、宿の夕食もカレーライスだった。
それもかなり甘かった。リンゴとハチミツを大量に追加投入しているのではないかと思えるほどだった。
と、今回は食に関する思い出を告白した。
暗い思い出なのか、思い出して悲しんでいるのか
ヴァインベルク(Mieczy Wajnberg/Moisey Samuilovich Weinberg(Vainberg) 1919-1996 ソヴィエト)の交響曲第12番Op.114「ショスタコーヴィチの思い出に(In memoriam D.Shostakovich)」(1976)。
ナクソスから出ているこの曲のCDの帯には、次のように書かれている。
すでに知られている通り、ヴァインベルクとショスタコーヴィチは親友であり、この作品にもショスタコーヴィチの
影響は強く顕れています。この第12番を作曲した当時のヴァインベルクは、過去14年間にいくつかの交響曲を書いたものの、それらは合唱付きであったり、室内オーケストラのためであったりと、フルオーケストラのための曲は書いていませんでした。この作品で再び大編成の純管弦楽のための作品に着手したのは、やはり何といっても1975年のショスタコーヴィチの死が引き金になったことは間違いありません。曲想も先人の作品に良く似たもので、曲全体に重苦しい雰囲気が横溢し、全ての楽器が親友の死を悼むかのように鳴り響きます。
まずもって告白しておくが、私にとっては“すでに知られている”ことじゃなかった。
ヴァインベルクという作曲家は知らなかった。
この作曲家について、今の私にはウィキペディアに書かれていることしか知らず、曲についてもこの帯に書かれていることが唯一の情報だ。
で、作曲家についてウィキペディアに書かれていることをかいつまんでみると、
・ポーランド出身のユダヤ人である。
・ナチスのポーランド侵攻でソヴィエトに亡命。
・1953年にスターリンの反ユダヤキャンペーンで逮捕される。
・スターリンの死によって死刑を免れ、その後名誉が公式に回復。
・作曲家とピアニストとして活動。
・晩年はクローン病で寝たきりの状態になった。
ということになる。
交響曲第12番にはCDの帯に書かれているように(執筆者を帯子さんと呼ぶことにしよう)、確かに似かたの強弱はあるものの、ショスタコを連想させるメロディーや響きが随所に現れる。
暗い曲調は、ヴァインベルクがショスタコーヴィチとの思い出が暗いものだったというのではなく、たぶん帯子さんの言うように死を悼んでいるからだろう。私の紅白フライとケースとはワケが違うのだ。
ランデ指揮サンクトペテルブルク交響楽団の演奏。
2012年録音。ナクソス。
それにしてもこの解説はありがたい。ナクソスには他では聴けない曲の録音も多数あるが、1人なのか分身が何人もいるのか知らないが、帯子さんにはまったくもって感謝である。時おり、その誘惑に裏切られることもあるけど……
でもって、ヴァインベルクにちょいと興味を増している私である。

ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第9番変ホ長調Op.70(1945)は、まったくもって人を食った作品だ。
初演に臨席した党の幹部たちも、あーだこーだうるさい評論家も、エコノミークラス的一般客も、はっきりって狐につままれた思いをしたことだろう。
ところであなたは狐につままれたことありますか?私はないです。見かけたことは何度もありますが。
えっ?“人を食った”って何のことだって?
知らんかね?、そこの若人。
使わんかね?、そこのギャル。
人を食ったっていうのは、人を小ばかにしてるってこと。
まぁ、確かにあんまり使わないな。
むかし、上司でこの言葉を頻発している人がいた。人を食ったような人だった。
サプライズな再会
そうそう、8月末に小旅行をしたときの記事の中で、私が新入社員のときに網走-それも市内ではなく車で20分ほどの郊外-に、研修のために滞在したことがあることに触れた。
期間は2ヶ月ほど。
宿は長期滞在者用のもので、本業は漁業。そのためか、都会的な存在は私だけ。他に能取湖に漁に来ていた漁師さんたちが5人ほど滞在していた。
旅館経営は副業で本業は漁業ということで、朝夕の食事は見事に海産物づくしだった。
このあたりの思い出話は機会があったら教えてあ・げ・るっ!
そのときに研修先でお世話になった人に、日曜日、偶然にも衝撃的かつ驚愕的に再会した。
帯広近郊で行なわれていたあるイベントの会場。その人は仕事でこの地を訪れていたのだった。
覚えのない顔の人が笑顔で近づいてきたので、「いやだぁ、もしかして芸能界へのスカウト?」かと思ったが、どう考えてもそういう職種の人には見えなくて、向こうが名乗ってはじめて彼だとわかった。
あのころはお互い若かった。その人は、私の容姿(昔と変わらず美しい)でそうじゃないかと思い、近づいて来て私の胸の値札、いや、名札を見て確信し、声をかけてくれたのだった。
懐かしかった。
そして、当時のことをいろいろ思い出した。
このカルビ、ウシのですよね?
こんなことがあった。
長期滞在宿の代わり映えしない食事-上に書いたように魚攻撃-に飽きただろうと、ある夜、その人たちが私を車に同乗させ網走市内に食事に連れて行ってくれた。
焼き肉店だった。
肉だ、肉!カレイの煮付けじゃなくて動物の肉だ!
古くて汚い店だったが、美味しかった。久しぶりの焼き肉で必要以上に美味しく感じたのかもしれないが。
壁に貼られたメニューを書いた短冊状の紙。ロース、カルビ、サガリ、ホルモンなどと並び“人肉”というのがあった。
人肉?
アバシリではヒトの肉を食う?
一瞬、真剣に背筋に寒いものが走った。いま、アタシが美味しくいただいているのは何の肉?どこの部位?
「ジンニクって何ですか?」
私は尋ねた。
一緒に来ていたもう1人が教えてくれた。
「ニンニクだよ、ニンニク!」
なぁ~んだ。けど、ひっどい当て字だ。犯罪級だ。
にしても、教えてくれた人が「オレの肉棒だよ」とか言わなくて、これまたよかった。
すまない。引力のせいでまた話が下に行ってしまった。
皮肉をコンパクトに凝縮
さて、ショスタコーヴィチの交響曲第9番は、第7番、第8番とともにショスタコの“戦争3部作”と言われているものだが、前の2曲と異なり、第9番は第2次世界大戦(ソヴィエトでは大祖国戦争という)の終戦後に完成している。
戦争の勝利、“第9”という交響曲としては特別な番号、そしてまたショスタコ自身が前年に勝利を祝う合唱付の作品を書いているという発言をしていたことで、誰もが壮大な交響曲を期待した。ところが、披露されたものはこじんまりとした軽いタッチのもので、もちろん合唱もない作品だった。
重厚長大と思っていたのに、軽薄短小。
これにはみんな肩透かしをくらい、ショスタコは苦しい立場に追い込まれることになったのだった。
しっかし、なんで大きな曲を書くなんてウソをついたのかねぇ。こんなコンパクトな曲を、こんなときに書くなんて、追い込まれないわけがない。確信犯だ。マゾだ。
今日はテミルカーノフ指揮サンクト・ペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を。
全体を通して奇をてらわない、でもしっかりした演奏。各楽器もよく鳴っている。
初演時の演奏(ムラヴィンスキー/レニングラード・フィル)がどのようなものだったか私が知るわけもないが、作曲者が求めた演奏はこういうものだったのではないかと思う。
戸惑う観客。
しかし、作曲家の意図を汲んだ指揮者は、聴衆の困惑を背中に感じながらも、過度な表情づけをすることもなく、「あんたらの気持ちなんて知らんもんね」とばかり心のなかであざけり笑いながら、ある種淡々と音楽を進めていく。こうなると指揮者はサディスト。この瞬間、作曲者も聴き手をいたぶることに成功したとサディスティックな気分だったろう。
テミルカーノフの演奏は、そんなことを想像させてくれる。そしてまた、この未熟児のような不思議な作品の存在感を、サクサクとしているのに、大きく感じさせるものとなっている。
1995年録音。ソニークラシカル(RCA)。
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