新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2014/08

東京へ旅立つ?では、街にこの曲を流そう♪伊福部/交響譚詩

IfukubeTooruBook  おかず、足りないんですけど……
 お盆気分を完璧に心の中から払拭したとは決して言い切れない月曜日。

 その日の昼食は、藤〇百貨店の地下にある肉製品で有名な店(東京にも進出しているはず)のイートイン・コーナーで食べた。

 私はカツカレーを食べた。価格は税込680円とリーズナブル。しかもカツはこの店自信の一品である。

 確かにレベルの高い味だ。
 だが、私はライスを概ね4口分残した。
 食べすぎないようにしているからかって?
 それもあるが、この日の場合は自分の意思というよりも物理的要因によった。カレーのルーが少なくて、最後は“おかずが足りない”状態に陥ってしまったのだ。


 お願いがあります。
 そこでケチんないで、もう少しルーをかけてください。カツも大切ですが、ルーはカレーの命ですから。

 ルーがかかっていない、そして皿のどこにももうルーが残っていなければ、それはカツライスの残り数口分。
 でも、ソースもなければ、もはやカツもおなかにおさまったあと。ということは、ただの白飯数口分。
 そういえば、福神漬とかも添えられてなかったな。最近そういうポリシーの店、増えてきたような……。口直しは不要ってことかな?


  “福”といえば伊福部

 以前紹介した「ゴジラ音楽と緊急地震速報」(筒井信介著,伊福部達監修。ヤマハミュージックメディア)のなかに、次のような記述がある(p.102)。

 外交問題、大学の受け入れ拒否と、さまざまな障害を乗り越えてスタートした蝋管の研究だが、蝋管そのものにも課題は山積していた。
 まず、再生機の問題。蝋管を再生するためには蝋管式蓄音機が必要だが、どこに行けば手に入るのか見当もつかなかった。
 ある日、伊福部(達)が新聞を読んでいると、札幌の「夷路尊(えじそん)」というオーディオマニアの経営する喫茶店があり、そこに蝋管式蓄音機のコレクションがあるという記事が載っていた。早速「夷路尊」に出向いて店主と交渉し、一台の蝋鑑識蓄音機を借りることができた。

 この喫茶店、たぶん私の実家近くにあった喫茶店だ。
 いま、西警察署が建っている場所(ここは墓地だった)の横。山の手通り沿いにあった雑居ビル(といっても、たぶん2階建てだったような……)の1階。

 当時住んでいた実家の近くの喫茶店が、のちに伊福部(達氏の方だが)と繋がるとは……
 いや、伊福部達が出向いたころ、「夷路尊」はもうあの場所にはなかったかもしれない。

 「夷路尊」がいつ西野に店を出したのかしらないが、私がこんなところに喫茶店ができたと気づいたのは、1980年ころのこと。
 当時、私はまだ伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の作品はほとんど知らなかった(作曲者も知らずに特撮映画の音楽に魅かれてはいたが)。
 一度NHK-TVで観た郢曲「鬢多々良」も、曲のイメージしか残っていなくて、旋律そのものは記憶になかった。この曲は録音が出ておらず、入手困難だった。

  兄の命を奪った放射能が自分にも
 私がはじめてきちんと聴いた氏の作品は「交響譚詩(Ballata Sinfonica)」(1943)だった。

 「交響譚詩」については、こちらの記事をご覧いただきたいが、この曲は伊福部昭が放射線障害で亡くなった次兄・勲の追悼曲として書いたもの。
 そしてまた、伊福部昭も強化木の研究で放射線障害になり、1年間の静養。その後、札幌から上京する日の朝、街頭に流れたのが「交響譚詩」だった。

 1946年の8月16日、つまり敗戦1周年の翌日に札幌を発ちました。東京へ、ではなくて日光へ、なんですが。その頃、札幌というところはなかなか親切で、私が発つ朝、札幌放送局というのが《交響譚詩》を、レコードでかけてくれたんですよ。誰がかけたかしらないけども、放射能で死んだすぐ上の兄貴の追悼曲として書いたものですから、「おまえも、今は元気になったつもりでも、じきにやっぱり放射能で死ぬぞ」という意味にもとれる。単なる親切のようでもある。なんか不思議な感じで。あの頃は街頭というか、ラジオの音が街中に大きく鳴っているんですよ。それが流行りでしてねえ。今のように放送局が多くないから。NHKしかありませんから。NHK一カ所から出ればどこからでも鳴ってるというような。それで自分の曲が聴こえるんですね。札幌を発とうと街を歩いているときに。  (「自伝承」~「文藝別冊 伊福部昭」p.79:河出書房)


IfukubeAniv 「交響譚詩」の演奏では、芥川也寸志指揮のものが定評があるが、ここでは原田幸一郎が新響を振った1994年ライヴを紹介しておく。
 パワーがあるが小気味よく、同時にこの作品がもつ独特のもの悲しさや寂しさを失なわない、バランスの良い演奏だ。

 レーベルはフューチャーランド。

 あの当時、わが家で使っていたカレールーはハウス印度カレーだった。
 バーモントに慣れてしまってからは、印度カレーの味はけっこう違和感がある。

 ところで、参考までに書くと、月曜日の昼は、秋吉課長はメンチカツプレート、阿古屋係長はなんとかいうプレートだったが、その実体はナポリタン・スパゲティだった。 

肉感的を超え、ぶよぶよに……♪ヘンデル/王宮の花火の音楽

WaterMusik  腐敗臭は皮に守られて
 足寄で購入したオベスムの話はご記憶にあるだろうか?


 かいつまんで言うと、出張ついでに足寄の道の駅に寄り、なぜかその中にある園芸コーナーでアデニウム・オベスムの白花の鉢植えを買い、さらにその数日後、今度は花色が赤のオベスムを買ったのだった。

 なお、かいつまんで欲しくない人は、以下の記事を穴が開くほど画面を凝視して読んでいただきたい。
 私がなぜ園芸専門店ではなく、薄暗い道の駅の施設内でこの多肉植物を買ったのか、すべてわかるはずだ。

   「砂漠にバラを咲かせましょう!♪J.シュトラウス/南国のばら

 マンションに持ち帰った2つの苗は、申し合わせたように落葉した。
 幹が細めで締まった感じの赤花オベスムはいさぎよく葉を落とした。
 一方、幹が太めでドンガバチョを彷彿とさせる体型の白花オベスムは、いさぎよくなく、枯れた葉を枝先に残したままだった。


Obesum201408 その白花オベスム。
 枯れた葉を手で取り除こうとしたら、その枝先の様子が妙だ(写真上)。
 おばあさんの手の甲のように水分がなく、シワシワだ。
 それでもちょいと力を入れてとろうとした。左手で幹をつかみながら。

 そのときだった。私の左手に腐ったミカンをつかんだ時のような感触が走った。
 表皮をみてもわからないが、幹の内部は完熟バナナのようになっているのが、指先でわかった。
 「死、死んでいる……」。だから枝先も骸骨の手のようになっていたのだ。


 一方、赤花のオベスムは新葉を出し始めている(下の写真)。
 幹を触ってみると、こちらは私の腕の筋肉ではありえないほど固くしっかりしている。

 ということで、白組の負け、紅組の勝ち。


 それにしても、なぜ白花のオベスムは枯死、というか腐死したのだろうか?


 部屋の環境が悪い?
 ならば赤花オベスムも枯れるはずだ。それに、ベンジャミンやパパイヤ、ミニ・パイナップルなどは自宅で育てていたときよりもはるかに旺盛に育っている。あっ、5月に水につけたアボカドは3ヵ月以上たっても石のように変化なし。

 ということで、先日捨てた。


ObesumRed201408 栽培管理に落ち度があった?
 それを言われると多少自信が揺らぐ。
 過去に、地植えする前に一時的に置いておいたバラを枯らしてしまった経験があるからだ。しかし、上に書いたように、ほかの鉢植えの植物は元気だ。となると、お前の管理が悪いというのは少しばかり言い過ぎではなかろうか?えっ、言ってない?すいません、被害妄想で。

 となると、原因として有力なのは、買ったときにもうすでに死にかけていた、ということだ。
 白花についても、太い方じゃなく小柄で幹も細かった方を選べばよかった。こんな肥満気味のを、欲張って買うんじゃなかった。
 そう思いつつ、あの日の昼に陸別で食べたおいしい天ぷらそばを思い出す私だった。


  文句を言っておこう。執念深いようだが……
 話は激変する。
 今月末には勝毎に対抗して道新の花火大会がある。30日だ。対抗してっていっても、規模はかなり違うが……

 あれっ?道新の花火大会はマンションのリビングの窓からけっこう近くに見えたと思ってたんだが、打ち上げ場所を調べてみると、勝毎の花火大会と同じような場所だ。
 ってことは、去年窓からよく見えたのは何の花火大会だったのだろう?競馬場のあたりから上がっていたが……
 ただ、いずれにしろ30日は私、帯広にはいない予定である。


 勝毎の花火といえば、観客の誘導に疑問が残った。


 私が会場近くに行ったのは午後7時ちょっと前。
 知人が西側一般席に場所をとり、すでに待ってくれていたが、38号線から十勝大橋に向かう交差点で「もうこちらは立ち入りできません。東に向かってください」と言われた。

 どこか途中から西側の入口に行けるかと思ったが、ことごとく東へ向かえという指示。


 これはまずいということで、強引に西側一般席の入口(十勝大橋の横)に向かうと(パラパラとそちらに向かい人もいたので)、そこには長蛇の列。しかも人はどんどんやってきて列は長くなるばかり。

 もう立ち入りできませんという、あの誘導はいったいなんだったんだ?どんどん人がやってくるではないか。そして、人を疑うことを知らない私は、指示に従ってずっと東側までいってしまった。そのせいでUターンしてこの列に並ぶまで20分はロスした。あるいは、そのまま東に向かったら、東側一般席に入るはめになってしまい、招待席や有料席が間にあるために、西側へ移動することは絶望的となっただろう。

 列はなかなか進まない。
 途中で7:30の開会。花火が上がる。
 入口まであと10mというところで「もうこちらの入口は閉めます!」という声。

 おいおい、並ばせておいて閉めるはないだろ。
 確かに事前の案内では7:45にゲートを閉めるとあった。が、これだけ並ばせておいて杓子定規なことをすると暴動になる恐れもある。
 最初から予測して列を切らなかった方に落ち度はある。それに、中に入れるのにこんなに時間がかかるのも誘導員の訓練が足りない。スムーズさがあまりにもない。応急の対応か?と言いたくなる。

 ガードマン「間もなく閉めます」の声に、みんな「閉められてたまるもんか」とばかり、穏やかな押し合い状態となった。
 当然だ。
 そのパワーで私たちは会場内に押し込まれた。幸いなことながらも、こっちの方がずっと危険だ。
 このように規制のあり方に疑問が残る大会であった。


  いまさらながら、花火音楽の古典
 ヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759 ドイツ→イギリス)の「王宮の花火の音楽(Music for the Royal

Fireworks)」HWV.351(1749)。
 「水上の音楽」とともにヘンデルの管弦楽曲を代表する作品である。


 1749年のロンドンで行なわれた、アーヘン和議を祝うイベントのために作曲された。
 アーヘン和議(オーストリア継承戦争終結の和議)そのものは1748年の出来事だが、祝典は翌年に行なわれている。

 初演版は管楽器と打楽器のみの編成だが、ヘンデルは弦楽器の使用を主張したため、現在でも管弦楽版が多く用いられる。
 序曲/ブレー/平和/歓喜/メヌエット(ⅠとⅡ)の5楽章からなる。

 マリナー/ASMF(アカデミー室内管弦楽団)のモダンな演奏を。再演管弦楽版。
 1993年録音。ヘンスラー。

 洞爺湖のロングラン花火では、高速で走る船から湖面に投げ入れられた花火の迫力が満点。
 水中花火だ。
 となれば、水上の花火の音楽って曲があってもおかしくないが……

 いえ、たわごとです。

詩篇のなかにバラゴン発見?♪ストラヴィンスキー/詩篇Sym

Ifukube TOHO MusicFile  大ぼらを吹いてしまったかと焦った私  
 ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)の「詩篇交響曲(Symphonie de psaumes)」(1930/改訂1948)。

 私は混乱している。
 3楽章からなるこの作品。歌詞は旧約聖書の詩篇(詩編)によるが、その点で混乱しているのである。

 井上和男編の「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)によると、歌詞に用いられている詩篇は39篇、40篇、150篇と記されている。
 そう信じて、過去記事でももっともらしいことを書いている。ほかでもない、この私が。
  一カ所だけ「……えさせよ」。ストラヴィンスキー/詩編交響曲

 ところが、ウィキペディアによると使われているのは38篇、39篇、150篇だというではないか!
 さらに私が持っている、あるCDのライナーノーツにも、各楽章の歌詞は38篇13-14、39篇2-4、150篇となっている。

StravinskySrtBoulez ってことは、私のあの過去記事は間違い?失言?偽証?暴言?妄想?

 焦る私。とまどうアタイ……

 必死になって身の潔白を晴らそうと画策した結果、驚くべき真実がわかった。

 各楽章の歌詞に使われている詩篇は、ウルガタ聖書では38篇13-14、39篇2-4、150篇。
 ところが、ジェイムズ王訳(欽定訳)聖書では、39篇12-13、40篇1-3、150篇となるのみたいなのである。

 よかったぁ~。みなさんにうそをついてなくて。画策のために事実を捻じ曲げるためのワーキングチームも結成せずに済んだ。
 でも、どうやらウルガタ聖書の番号でいうのが一般的なようで、そういう意味で申し訳なかった。

 ということで、急に態度は大きくなるわけで、楽曲に着いては上に紹介した過去記事を読みたまえ。

 CDはブーレーズ/ベルリン・フィル、ベルリン放送合唱団による、明晰な演奏をここではご紹介しておく。

 1996年録音。グラモフォン。

IfukubeSai  ここにも伊福部メロディーの芽が?
 ところで、「詩篇交響曲」の第2楽章を聴いてみていただきたい。

 「おや、これはっ?」と、伊福部ファンなら地底から怪獣が現れるぐらいに驚くかもしれない。

 そう、これは伊福部が書いた、ある映画音楽に非常に良く似ている。
 いや、時代的には、伊福部が影響を受けているのだろう。意識していたのか、無意識でそうなったのかはわからないが。
 「パストラール」に次ぐ、伊福部に対するカメレオン怪獣・ストラの影響。

 では、何の映画の音楽に似ているのか?

 「交響ファンタジー第1番」にも出てくるが、たとえば本名徹次指揮の2007年ライヴでいうなら、頭から7'57"のところ。
 ここは「フランケンシュタイン対地底怪獣」の“バラゴンの恐怖”の音楽のはずだが、それに非常によく似ている。
 また、「怪獣総進撃」(1968)の最初で東宝マークがスクリーンに大きく映し出されたときに背景に流れる音楽。そのメロディーとも、上下行は逆だが近似性がある(このテーマは「交響ファンタジー第3番」の冒頭で2度繰り返される)。

 しかしバラゴンのメロディーはそれよりも前、1956年の「鬼火」(東宝)のメイン・タイトルですでに現れている。
 「鬼火」については、下の50周年記念盤CDに収録されている(「怪獣総進撃」の東宝マークのメイン・タイトルも入っている)。また、「交響ファンタジー第1番」などが収められている本名徹次の2007年ライヴ盤(伊福部昭の芸術 祭)もあらためて以下に紹介しておく。
 「交響ファンタジー第3番」については、現役盤ではおそらく広上淳一指揮(伊福部昭の芸術 宙)の録音だけではないだろうか?

 ところで詩篇の150篇をテキストにした楽曲としては、ブリテンの、その名もずばり「詩篇150番」。
 が、ここに書いているように、ブリテンのものは深刻さ、緊張感とは無縁。ストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」の第3楽章とは、テイストがまったく違うのがおもしろい。

田園と牧歌、霊園と鉄火、疎遠な実家♪プーランク/パストラール

PoulencBiches  平和への願い?そりゃ、見当違いだな
 16日、土曜日。

 朝食後1時間半ほど、この日はアロニアの剪定の続きとナツツバキの剪定。
 ちょいと指先の動きをスムーズにしようと素手で作業したのが悪かった。剪定ばさみのせいで、右手の中指と薬指に水膨れができてしまった。

 昼前に西区の平和霊園に行く。
 平和への祈りを込めた霊園ってわけじゃない。そういう地名なのだ。地名の由来は知らないが……

 このあたりの地理について明るくない方に一応説明しておくと、明るくないなら説明してもわからない可能性が高いが、西野二股を山方向に向かって左に行くと福井に着く。さらに進むと盤渓、もっと行っちゃうと南区へ抜ける。
 右股を行くと平和である。平和の滝入口というバス停を越えて直進すると平和霊園、右に折れると平和の滝。平和の滝の横の道を進むと手稲山の登山道の入口に至る。

20140816Yubi どうです?何のためにもならなかったでしょ?

 で、霊園にハイキングに行ったわけではもちろんなく、墓参り。
 らくがんに群がるアリのように、墓地に人が殺到していて、水を入れる手桶とひしゃくが出払っているのではないかと心配していたが、全然余裕で出払ってなかった。

 墓参り後、ちょうど昼だったので西野の回転寿司屋に入る。
 たまたまタイミングが良かったのだろう。ほとんど待たずに席に着くことができた。ボックス席ではなく、カウンター席でOKとお店に迷惑がかからないよう遠慮したせいかもしれない。
 私はマグロとしめさばとイカと穴子を食べる。

 そのあと私の実家に寄り、仏壇に線香をあげたが、その目的を終えるとすぐにおいとま。滞在時間約5分。

 帰宅途中、コープさっぽろに寄る。
 惣菜コーナーには、かき揚げやコロッケなど、自分で透明の容器につめるタイプの惣菜類が何品も並んでいたが、ハエが1匹あたりを優雅に飛び回っているのを目にした瞬間、どうしても買う気が起きなかった。
 イカの塩辛の歌は、相変わらず楽しげに流れていた(歌詞訂正記事はこちら)。

  田園と牧歌……双子のようだが
 昨日、17日。
 お盆休みの最後の日。
 勤務地へ戻るということは下り線ということで、車の流れは順調。
 まったく支障なくスムーズに移動できた。
 
 プーランク(Francis Poulenc 1899-1963 フランス)の「パストラール(Pastourelle)」(1927)。
 10人の作曲家による合作「ジャンヌの扇(L'eventail de Jeanne)」(1幕10曲)の第8曲にあたる。プーランク以外の作曲家は、ドゥラノワ、フェルー、イベール、オーリック、ミヨー、ラヴェル、ロマン=マニュエル、ルーセル、F.シュミット。
 あまり参考にならないかもしれないが、私はドゥラノワ、フェルー、ロマン=マニュエルの作品について、接したことが未だにない。

 パストラールというのは、田園、田園詩劇という意味だが、この曲は実に軽快で楽しい気分に満ちている。田園というよりも、これから楽しいハイキングに出かけるよ、って感じのウキウキ感がある。

 そしてまた、このCDには「牧歌風(Bucolique)」(1954)という作品も収められている。
 これは8人の作曲家による合作「マルグリット・ロンの名による変奏曲(Variations sur le nom de Marguerite Long)」の中の、プーランク担当分。

 牧歌もパストラル(田園)も同じような意味合いに思えるが、この2つの曲はけっこう性格が違う。近いようで違う……二卵性双生児のようだ。
 プーランクの「牧歌」はちょっと悲しげな内容の映画音楽に使えそうなもので、ちょっぴり芥川っぽい(もちろん也寸志であって、龍之介ではない)。

20140817PatAus どちらの作品も録音が少なくなかなか聴ける機会はないだろうが、メロディーも親しみやすくプーランクらしいあかぬけた音楽だ

 プレートル/フィルハーモニア管弦楽団の演奏で聴くことができる。
 1980年録音。EMI。

 ……「できる」と書いておきながら、このCDは現在廃盤。
 というか、タワレコでは取扱終了や廃盤も含めこのディスクを発見できず。AmazonではこのCDの出品はなし。
 ごめんね。

 2階のレストランのテラス席で田園風景を見ながらのランチで始まった今年の私のお盆休みは、このように終わったのであった。
 庭では、この日の朝、“パット・オースティン”が開花していた。

ご遺体は緑に輝く♪ルトスワフスキ/葬送音楽(by ドホナーニ)

 《昨日のあらすじ

 車を運転していて、後ろから猛スピードで追い越して行った車に、私はこういう危険な運転をする人は警察の取り締まりで捕まるべきだと思いつつ、そのあとスープカレーを食べたがその量の多さにおなかの中がスープカレーになりそうになった。カレーを食べたあと家に向かう途中で、警察に捕まっている見ず知らずの車を見かけた。

20140814Koganemushi
  いくら綺麗でも嫌い 
 家に着いたのは14時ころ。
 この日(14日)はもうちょっぴり疲れていたので、近くのコンビニに市指定のゴミ袋のいちばん容量の大きいのを買いに行き、ガーデニング作業はほとんどしなかった。

 ふとみると、庭の片隅に緑色に輝くものが。

 コガネムシの死骸だった。
 こんなに美しいコガネムシはこのあたりでは珍しい。バラの花を食い荒らし、バラの花の中で交尾しているコガネムシはもっと小型で黒い、見るからに害虫ってやつだ。
 だからといって、この緑に輝くコガネムシなら好きかと言われると、全然好きじゃない。

 それにしてもなぜ死んだんだろう。
 自分が気づかないうちに私は幽体離脱して、こいつに殺虫剤を噴霧したのだろうか?
 なぞである。
 でも、この死骸をそのまま置いておくのはいやなので、けど土に葬らず、ゴミ袋に入れた。私は火葬することを選んでやったことになる。

  古楽演奏のパイオニア、ブリュッヘン逝く
 ブリュッヘンが亡くなった。13日のことだという。
 私にとってブリュッヘンはリコーダー奏者としての演奏の方が、指揮者としてよりも多く接している。
 20年ほど前、それまで若い頃の写真しか知らなくて、現状の写真を見たときにはすっかりおじいさんでびっくりした。痩せている人は老いると実年齢以上に歳をとって見えると、このとき思ったものだ。

 ここでは、彼の指揮者としての録音で、シューベルトの交響曲第4番「悲劇的」を取り上げたときの記事を紹介しておこう。
  「幸福な昼休み時間の教室に漂う刺激臭♪Schubert/Sym4

ShostakovichSym10Dohonanyi  決して聴き手をないがしろにしない「葬送音楽」
 そんなこんなで、ルトスワフスキ(Witold Lutoslawski 1913-94 ポーランド)の「葬送音楽(Muzyka zalobna)」(1956-58)。
 楽器編成は4群のヴァイオリン、2群のヴィオラ、2群のチェロ、2群のコントラバス。

 ルトスワフスキはバルトークの影響によって民族主義的作風から出発し、12音音楽、さらには前衛音楽の道を進んだが、調性的な響きを併せ持つ作品を書いた。

 「葬送音楽」はバルトークの追悼のために書かれたが、ルトスワフスキにとって12音技法を本格的に採用した唯一の作品。
 プロローグ/変容/極点/エピローグの4部からなる12分ほどの曲で、バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」を想起させる。
 半透明のような弦の響きが織りなすメロディーは、しかし無機質ではなく確かに調性的に聴こえる。強い緊張感
は聴く者の心を温かくも冷たくもしないが、いわゆるゲンダイ&ゼンエイっていう独りよがりの曲でもない。むしろ繰り返し聴くうちにそのサウンドが心地良くなってくる。少しばかり。

 前に以下の記事で紹介した、ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団によるショスタコーヴィチの交響曲第10番。そこにカップリング収録されているの演奏を。
    「今日も10番……たこじゅう!♪ドホナーニのDSch/Sym10

 1990年録音。デッカ。

20140815LadyEma  2時間はさみを駆使した私
 15日はアサイチで床屋に行く。そのあと2時間ほど、もう面積は少なくなり通路代わりになっている芝の刈り取り。
 通路代わりということで、芝刈り機をあまり使えず、芝刈りばさみを使わざるを得ない。
 はさみで芝を切りながら、床屋さんもこんな気分なのかなぁ。いやんなるだろうなぁ、と思う。

 そのあと、あまりに地下茎ではびこりすぎたミントを引き抜き、少しこぎれいにする。憎きカタバミやスギナもなるべく根ごと抜くようにし、さらにバラの剪定とアロニアの枝の剪定。
 芝刈りと剪定に次ぐ剪定で、右手の握力がほんのわずかながら強くなった気がする。
 作業終了後、気づくと右手中指の第1関節が虫(たぶん)に刺されていた。

 バラの花は散発的に咲いている。
 写真は、レディ・エマ・ハミルトン。とても良い香りが強い品種だ。

 16日~17日の墓参活動等についての話は、また明日。
 

何かが足りないけど醤油を足すわけにはいかないし……♪アバドのGM9

MahlerSym9Abbado  あんなのに巻き込まれたくない
 13日に開催された勝毎の花火大会について、その誘導方法などで私の心の中にちょっくら文句が自然発生しているのだが、そのことについて触れるのはまた今度にして、おととい自宅へ帰って来た道中のご報告。

 向こうのマンションを出発したのは10時ちょっと前。

 1泊した花火見物客の帰宅渋滞に巻き込まれるかなと思ったが、国道の車の流れは意外とスムーズ。
 花火翌日の午前中は、花火終了後の当日夜半に次いで、札幌方面の道が混むという実態はそもそもなく、もしかして都市伝説もどきか?あるいは、その時間はみんな、六花亭や柳月でおみやげ購入中だったのか?

 高速道路も流れはスムーズ。
 ただし、占冠PAはいつもよりかなり混雑していた(のを横目でチラ見しながら通過した)。

 夕張インターで降り(考えてみりゃ昨日は平日。高速料金はフル。にしても、お高い感が強い)、石勝樹海ロードを由仁方面に走る。
 と、来たわい来たわい、後ろから爆走車が。恐ろしい勢いで後ろから追いついたと思ったら、あっという間に追い越して行った。が、追い越し後の車線に戻るタイミングが早過ぎる。もう少し先に行ってから戻ってくれないとこっちの車の右先端に引っかかる恐れがある。でも、戻るの早い人って、実は往々にして運転に余裕がない人なんだよな。

 次いでそのすぐあと、先ほど以上に暴走してくる車。こいつは追越禁止区間にも関わらず抜いて行った。
 
 私の速度は制限速度+10kmほど。
 実はこの先でいつも取締りをやっていることを、私は知っている。
 あの2台、捕まってがっつり罰金と点数をとられなくてはならない。それが、一般市民の安全のためでもある。

 と思いきや、私がいつもパトカーが隠れているところにさしかかったところ、今日はいない。だぁれもいない。
 やれやれ……
 あのスピード違反車を追いかけて行った?

 いや、追いつきました私。あの2台に。捕まっていないということだ。
 大型が何台も連なっていて、そこで追越しもできずつまっているのに追いついたのだった。
 
20130813FarmYard それはともかく、由仁町の三川に着いたのは12時過ぎ。
 実はこの日は昼食に行く店に目星をつけていた。
 JAF-MATEで紹介されていた、FARM YARDというスープカレー(この店ではスープスパイスと称している)の店だ。

  さりげなく緊迫する瞬間
  お盆休みや夏休みが重なっているということで、多少混んでいるかと思いきや、多少どころの騒ぎではなかった。なんと40分待ち。ふだんの私なら、こんなに待つくらいなら立ち食いそばでも食べた方がましだと店をあとにするところだが、あいにく周りは畑で立ち食いそば屋は見当たらない。
 順番待ち名簿に記入し、待つことにした。

 ぽつぽつと名前が呼ばれ、ゆっくりではあるが私と妻の順番が近づく。
 そして……

 「2名様でお待ちの、猪熊さま」。しかし、その声に反応はない。「猪熊さまぁ」
 店の人があきらめて名簿の次の名を呼ぶ。

 「2名様でお待ちの、鵜飼さま」。しかし、またもや、その声に反応はない。
 なぜか手のひらに汗がにじむ。

 「2名様でお待ちの、MUUSANさま」。
 来たぁぁぁ~っ!
 しかし私は、いかにも落ちつき払って悠然と「ワタクシでござるか?」とばかりに意思表示し、席へと案内してもらった。

 猪熊さんと鵜飼さんは待ちくたびれて帰ってしまったのだろうか?
 それとも、たまたま外のブルーベリー畑を見学してたのだろうか?
 いずれにしろ、この2組のおかげで、私の待ち時間は30分で済んだ。

20140814Chikin  汗をかきかき黙々と挑んだが……
 スープスパイスのセットを頼んだが、私はポークの中辛(標準的辛さ)を、妻はスパイシーチキンの小辛にした。

 セットにするとミニサラダ(ドレッシングは5種類ほどの中から選べる)と、ライス(黒米入りまたはバターライスの小・中・大)またはアロニア入りのパンがつく。
 私は黒米入りライスの中を、妻は小を頼んだ。
 
 サラダの野菜が美味しい(私が野菜が美味しいなんて感じるとは、かつては想像もできなかったことだ)。ミニサラダといっても、なかなか食べ応えがある。
 そしてなんといっても、スープスパイスのボリュームの多さ。

 妻の小ライスの量を見て、自分は中にしたものの、それでも決して食べすぎにはならないと思ったが、このスープの多さに、結局私はカレーも、ご飯も完食できなかった。カレーについては、ウズラの玉子(1個)、ジャガイモ(1個分)、ニンジン数センチ、肉少々を残した。ライスは3口分。
 こんなことなら、ライスは小で頼むべきだった。お店の方たちよ、未熟者の私を許していただきたい。

20140814Pork 上がスパイシーチキン。下がポーク。メニューには普通のチキンも、スパイシーポークもある。今回頼んだ2種について言えば、スパイシーと普通とで、味に歴然とした差は感じられなかった。
 
 美味しい。
 もともと私はカレーライスのカレーと、スープカレーのカレーは別種の料理だと考えており、またカレーライスの方が好きなのだが、スープスパイスと呼んでいることが、実態に合っているようで、まずそれが気に入った。
 スープカレーをそうあちこちで食べているわけではないので偉そうなことは書けないが、美味しいことは間違いないが、もう少しコクがあってもいいんじゃないかとは思った。
 素材の野菜がとても美味しいので、スープの味はこれくらいに抑えた方が良いのかもしれないが……

 なお、テーブルにはスープスパイス用の醤油が置いてあり、それを少し入れると私の好みの味に近づいた。

 いずれにしろ、畑の真ん中にこのようなおしゃれで美味しいレストランができたことは、町にとって観光客の誘致の助っ人となる。実際、本州からの旅行客らしき人たちの姿も目立った。店に置かれていたが、AIR DOの機内誌でも紹介されたようで、そういう影響もあるのだろう。

  良くできているのに何かが物足りないアバドのマラ9
 良い演奏なのにもう少しコクが欲しい。
 そう思うものの1つに、アバドがウィーン・フィルを振ったマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第9番ニ長調(1909-10)がある。1987年のライヴだ。

 全体に適度なざらつき感があり、これは案外悪くない。
 しかし、第1楽章は表層的。もっと下層のところまで味わいたい。これじゃミルフィーユの表面をなめているようだ。
 第2楽章になると良くなる。若々しい快活さがあるが、しかし健康的すぎる。
 第3楽章も力はあるのにコンパクトな感じ。直線的であんまりブルレスケってない。
 終楽章も濃密かつ繊細ながら、第1楽章同様、表面的。心に浸透してこない。

 全体的には決して悪くないが、聴き終ったあとは通り雨が去ったあとのように、あっけない。
 聴いて損はないが、いまではもっと良い演奏の録音がたくさんある。
 ただ、今では価格が安いので、聴いておいても損した気分にはならないだろう。

  気の毒だが、なんとなく優越感に浸るのはなぜ? 
 食事のあと、少し車を走らせたところで、対向車の1台が、ちょうど後ろからパトカーに停まるように指示されているのを目撃した。スピード(そんなに出てはいないように見えた)なのか一時停止なのかわからないが、とにかく捕まったのだ。
 お気の毒に、と思う。同時に、あっ捕まった!と、なんとなく心の中でほほ笑む悪魔のような自分もいる。

 そんなんだったら、あの暴走車のような運転手を捕まえるべきだと思ってしまうが、こういうのってホント、運もある。
 そんなこんなで家に帰りついたが、この続きはまた明日。

二十絃筝という小宇宙の世界♪伊福部/物云舞

Eikyoku  典雅さへの思いから 
 昨日から私はお盆休みをとっている。

 このことは言うまいと思ったが、黙っている必要もあるまいと考え直し、ついでに今日は「物云舞(MONO YU MAI)」(1979)。
 伊福部昭(Ifukube Akira 1914-2006 北海道)が書いた二十絃筝の独奏作品。野坂恵子に献呈された。

 物云舞(ものいうまい)とは、平安朝中期に興った歌舞の一様式で、歌いながら舞うのがその特徴とされている。現在、その舞は伝わっていないが、歌詞は「群書類縦」などに十数首書き残されており、一般に見られる七・五調ではなく、一句の終わりが四と言うかなり不揃いな語数から成り立つ。この不揃いな部分が舞の仕草で補われたと考えられ、歌いながらその心情を舞うという様式がもつ典雅さへの思いが、この作品を各動機となった。

 と伊福部は書いている。

 つまり、“ものいうまい”は“ものを言わない”ということではない。
 黙っていることじゃないのだ。

 この曲は1979年の11月に行なわれた野坂恵子第8回リサイタルで初演されたが、野坂は次のように書いている。

 物云舞は、今は絶えた平安時代の芸能で、物を言い、歌いながら、舞うものであったという。歌われる詩句はしばしば字足らずで、足らないところは舞だけやったと考えられる。つまり、ずっと歌いながら舞うのではなく、歌い舞う箇所と舞うだけの箇所の組み合わせに物云舞という芸能の妙味があったと想像されるのである。そこから作曲家は、しみじみ語り歌い舞うような部分と急速な所作だけのような部分の交錯する《物云舞》を仕立てた。
 大きくは、緩急の組み合わせが二度繰り返される構成。緩も急も二度目の方が、より興がのって、規模も内容も膨らむ。
(「文藝別冊 伊福部昭」より)

  筝の音でこれほどワクワクするとは
 野坂恵子は郢曲「鬢多々良」を初演した日本音楽集団に属していたが、そういったつながりから伊福部による二十絃筝の独奏曲「物云舞」が生まれたのだろう。
 そして、このあと協奏作品である「交響的エグログ」が構想され、1982年に完成することになる。

 ふつうの筝は絃が13本。
 子どものころに望んでもいないのに、無理やり筝を習わされた私だが(最初の練習曲「ロバサン」とあと1,2曲で通うことから解放された)、13本でも多すぎるのに、20本とは……

20140814IceBurg だが、「物云舞」を聴くと、まるで小宇宙のような世界。
 音の1つ1つが星々のようにきらめき、放散される。
 メロディーはもちろんすばらしいし、優雅ながらも活発な動きがエキサイティングで、聴く者を魅了する。
 
 1980年録音。カメラータ。

 ところで、昨日の帰省、じゃないな、自宅に帰って来たんだから、ってまるで出稼ぎ先から帰って来たようだけど、とにかくそのあたりの道中のたいしたことでもない話は明日以降にご報告させていただく。

 帰ってくると、お庭のあちこちにクモの巣が私を捕らえようと張られていた。
 棒っきれで取り除いたわい。
 そんななか、バラではアイスバーグなんかが私の心のように純白に咲いてくれていた。

花火のように絢爛豪華なサウンド♪ブーレーズのストラヴィンスキー/火の鳥

20140813Hababi01  こちらの花火は巨大打ち上げタイプじゃないだろうけど 
 昨日は“勝毎”の花火大会があった。
 全国でも屈指の規模である。

 とはいえ、打ち上げ場所かぶりつきの場所にまで行ってみる気は、私にはない。
 大混雑した中だとトイレに行くのも容易ではないし、万が一花火が暴発したら火傷してしまうからだ。


 だから去年と同じように少し離れた道端から見ようと思ったのだが、なんと知り合いが場所をとったので一緒にいかが?と誘ってくれて、今年は“一般席”で見ることができた。
 ありがとうございました。

 ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)の交響的幻想曲「花火(Feu d'artifice)」Op.4(1908)。

 ストラヴィンスキーの初期の管弦楽作品で、リムスキー=コルサコフの娘の結婚祝いのために書かれたが、R-コルサコフは初演の前に亡くなっている。
 そのことについては、以下の記事をご覧いただければと思う。
   「花火を目にすることができなかった人もいる


 「花火」はあまり聴かれることのない5分ほどの小品だが、その後のストラヴィンスキーの人生を決めた作品である。
 この曲を知ったディアギレフが「火の鳥」の音楽を依頼してきたからだ(最初はリャードフに依頼したが……)
 気が向けば、以下の記事もご覧いただけると、特段損はしないと思う。
   「火は花から鳥へと変貌した


StravinskySrtBoulez  洗練された美しさが堪能できるブーレーズ盤
 今日はそのバレエ「火の鳥(L'Oiseau de few)」(1909-10)を、ブーレーズ指揮シカゴ交響楽団の演奏で。

 ブーレーズの「ペトルーシュカ」や「春の祭典」の演奏と同様、ストラヴィンスキーにしては泥臭さがない。原始主義の音楽のはずなのに、洗練されている。
 ここがブーレーズのアプローチに対して、好き嫌いが分かれるところ。人間味が薄いって。

 ただ、私には「ペトルーシュカ」や「春の祭典」ではブーレーズに対して「もうちょっとなりふり構わずぅ~っ!お願いだからぁ」と感じるところがあったものの、「火の鳥」ではそれよりも色彩豊かな美しく華麗なサウンドに惹かれてしまう。

 そしてまた、聴いていて物語や舞台の光景が目に浮かぶようだ、なんてホラは吹かないが、ストーリーを強く意識させる。

 スケール感も決して不足してはいない。完璧なアンサンブルと弱音から強音までどこをとっても崩れない巧さはに、私は巻き舌rururururururu。

 ストラヴィンスキーのオーケストレーションを堪能できる演奏だ。
 そしてまた、このCDには「花火」も収められている。

 1992年録音。グラモフォン。

暑気払いのために、今日は間違いなく爽やかな曲を!♪WAM/p協19

Mozartpf19Sofroni  オリジナルのコンチェルトからfpを使用  
 ソフロニツキのフォルテピアノ独奏、カロラク指揮ムジケ・アンティケ・コレギウム・ヴァルソヴィエンセによるモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の「フォルテピアノ協奏曲全集」。

 台風一過のあとのただでさえ暑い中、暑苦しいブラームス(確かにな)とか、ブルックナー(爽やか系の演奏をセレクトしたつもりだが)を取り上げてしまい、ちょっと反省しているので、今日はこの季節にも合う音楽と演奏を選んだ。

 このCDについては、これまで何度か取り上げてきたが(たとえばここのように)、ホントにホントにすばらしい演奏ばかりが収められている。

 「えっ、モーツァルトにはピアノ協奏曲以外に、フォルテピアノ協奏曲ってのもあるの?意外ぃ~っ!」って思ったあなた。
 違います。
 ダジャレもおもしろくないです。

 モーツァルト時代には現代のようなグランドピアノはなかったわけで、一連の協奏曲はフォルテピアノあるいはチェンバロのために書かれた。

 ソフロニツキもここでは、初期作品、すなわち1772年までに書かれた第1~4番と「3つのピアノ協奏曲」K.107ではチェンバロを用いており、他者の楽曲を協奏曲に編曲したものではないモーツァルトのオリジナルとなるコンチェルトの第5番以降はフォルテピアノを用いている。

  自信と喜びに満ちた音楽
 今日はピアノ協奏曲第19番へ長調K.459(1784)。
 最初から若々しさ、爽やかさ全開の音楽だ。

 作品については、下の過去の記事をご覧いただきたいが、人気者となったモーツァルトの自信がみなぎっている。この翌年に書かれた哀愁漂う20番とはまったく性格が反対の音楽だ。
   「1784年。ウィーン音楽界の寵児」 

 フォルテピアノの音は、乾いていて全然豪華に響かない。ところが、逆にそれがこの曲に活気を与える。
 重たくなったり、これ見よがしにならない。素顔美人のよう。
 繰り返すが、この全集CDは本当に素晴らしい。

 2005~06年録音。PRO MUSICA CAMERATA。

  阿古屋係長にとっての最近
 先週の木曜日のこと。
 トイレで阿古屋係長と一緒になった。
 私たちは3つある小便器のうちの真ん中の便器を共同で使って、てなわけがなく、それぞれ奥と手前の便器を使ってオシッコをした。
 そんな重要な行為中に、彼は私に話しかけてきた。

 「最近、私がブログに登場する回数が多いですよね」
 そうだったかなぁと思いながらも、「そうだね。利用させていただきありがとう」と私は答えた。

 でも、さっき調べたら、今月になって登場するのは今日が初めてなことがわかった。
 すまなかった。勘違いしていたようだが、実際は2週間近くかまっていなかった。

 ところで、今日は有名な勝毎(十勝毎日新聞)の花火大会の日である。
 すっごい人出なんだろうな……
 
 それはともかく、私にとっての今日いちばん大切なのは歯科医院行くことだ。

ローマンカモミールとサクサク王子とホルンスナックとくれば…♪レーグナーのブル4

Bruckner4Rogner  夏のブラは暑いですか?
 やはり真夏にブラームスを取り上げたことは、一部の読者の方に暑苦しさを感じさせてしまったようだ(ここのコメントをご覧くだされ)。
 ちょっぴり反省する。

 暑苦しいといえば、土曜日の夜にNHKで台風情報を観ていたら、そのあと画面は歌謡何とかショーだかになって、天童よしみの大きな顔に暑苦しさを感じた。
 が、歌ってた美空ひばりの歌はさすがに上手かった。

 五木ひろしの姿も久々に観たが、考えてみれば金曜日の昼を食べた幕別町のそば屋の名前は“いつき”で、ここのそばはなかなか美味しい。

 とりごぼうそばが人気だというが、私は膨満感を心配してかしわそばにした。
 でも、ゴボウが入っていようといまいと、麺類を食べるときはかなり空気も一緒に吸い込んでいるようで、やっぱ20140808Itsukiりその後おなかがポンポンになってしまった。

 ただ、そのことをあなたに報告したかっただけだ。

  CDプレーヤーのモーターが回転ムラ?
 注文の期限がもう過ぎてしまった、サカタのタネの春号を見返していたら、そういえば春先に届いたタネをまいたハーブのローマン・カモミールが全然発芽しなかったことに気づいた。。
 鴨のミールになってしまったわけじゃないだろうが、いままで気づかない私も私だ。

 あらためて野菜のページを眺めていると、そのカタログには、ホルンスナックってのが載っていた。つるなしエンドウの品種の名だ。
 サクサク王子っていうのもあって、それはつるなしインゲンの品種の1つ。
 このように、野菜の名前を見ていると、けっこう楽しめる。
HornSnack
  以上のことを踏まえて……
 この季節、ブラームスが暑苦しいが、ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)はどうだろう?
 涼しげではないな、まったく。

 でも、レーグナー指揮べルリン放送交響楽団による交響曲第4番変ホ長調WAB.104「ロマンティック(Romantische)」(1874,第2稿'78,第3稿'79-80,第4稿'86)の演奏は、サクサク王子並みにサクサクしていて、スキー靴を脱いだときのような爽快感、軽快感、浮遊感、納涼感がある。
 使用楽譜は原典版(Originalfassung)。

Sakusakuoji テンポが速い演奏で、ブルックナーらしい味わいは希薄。
 冒頭のトレモロが、私は好きじゃない。
 ホルンの音もビミョー。
 トランペットの音は時おり不安定で、プレーヤーのモーターがいかれたかと焦らされる。

 とはいいいながらも、嫌い!と言い切れるかというと、第1楽章はともかく、第2楽章以降は不思議な魅力を持っているのである(けど、やっぱりピッチが合ってないようなトランペットの音は苦手)。

 特に第4楽章は、解けないうちに急いでかき氷を食べちまおうと、口の周りを真緑に染めている子どもを思い起こさせる(って、例えに無理があるな)。

 青春ドラマっぽい「ロマンティック」を望む人にはぴったり(実際、はまる人にはまる演奏のようだ)。
 けっこう「おっ、ゾクゾクぅ~っ」ってなところもあって、涼める可能性もある。

 1983-84年録音。BERLIN Classics。

 おまけに言うと、“さつきみどり”っつーのもあって、それはキュウリの品種の名である。

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