新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2014/08

特に吐き気とか頭痛はしませんけど……♪クレンペラー/NPOのブル5

BrucknerKlempere  まずは土台をしっかりと
 右上奥の3連ブリッジが突如脱落したのは3月末のことだった。
 あっ、私の口の中の話である。
 帯広で脱落し、釧路で応急処置をしてもらった。道東地方を股に掛けたわけだ。この人工の歯は。


 そして、4月の半ばから当地の歯科医院に通い、これまでの間、下準備というか下治療をしてきた。そしてこのたび、ようやく問題箇所の歯の根の治療が完了、土台となる部分が装着された。
 この土台の上に、今後ブリッジが乗せられる予定だ。

 元の地盤(歯の根)に土台が築かれ、その上にウワモノが建つ。
 まるでがっちりとした建築物のようであり、それはあたかもブルックナーのシンフォニーを想起させる(あなたもしなさい)。


  泣く子もひきつけを起こすような演奏
 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96)の交響曲第5番変ロ長調WAB.105(1875-76/改訂1878-79)。


 作曲者自身はこの曲を“幻想的”と呼んだそうだが、クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団の演奏は幻想的なんて甘いもんじゃない。目の前に巨大な建築物が現れたようで、圧倒される。その存在は威圧的ですらある。

 また、私にとってこの曲には途中で退屈させられる演奏も少なくないが、これはまったくそんなことがない。


 宮下誠は「カラヤンがクラシックを殺した」(光文社新書)のなかで、この演奏について次のように書いている。


 第5番は、作品自体が…(中略)…抽象的なのでクレンペラー向きなのだろう。自信に満ちた音楽が聴ける。フィナーレ幕切れの終わり方はいささか浮き足立っていて、その点ではヴィーン・フィルハーモニーと晩年に入れたライヴ録音の方が良い。いずれもブルックナーの偏執的な反復欲求が、淡々とした楷書体で、あらゆる思い入れも文学的物語性も排除したクレンペラーの解釈によって余すところなく提示されていて、ある意味気持ち悪い音楽になっている。


 気持ち悪い、ときたか……

 まっ、クレンペラーの演奏はどれも大なり小なり気持ち悪いとも言えるわけで、じゃあこの第5がそんなにまで気持ち悪いかと問われれば、私は二日酔いの朝の方がはるかに気持ち悪いと答える。

 譲歩してこれが気持ち悪いとしても、私はその気持ち悪い音楽に気持ち良くなってしまうのである。
 変態ですかね?


 1967年録音。ワーナー(EMI)。
 使用楽譜は1878年稿、ノヴァーク版。

  大きなエビ天を食べてしまったんです。しかも2本
 すでにご報告したように、5日前の火曜日は陸別で親子そばを食べた

 翌水曜日の昼食は食べ過ぎが続いていたため(といってもかつての私のことを思えば、控えている)、セブンイレブンの“おにぎり・いなり弁当”にした。
 なお、そのいなりは、1週間前の日曜日に食べたものより、数段美味しかった。

 でも木曜日は来客と一緒に市内の“久呂無木”というそば屋に行き、当店人気No.1というエビ天おろしそばを食べてしまった(お客さんにそれをお薦めしておきながら、まさか自分はざるそばを頼んだら、いやみったらしいではないか!)。

 10日後に、定期健診(採血&診察)に行く。
 気を引き締めなければ。

 昨日の朝は、前夜の若干の多めの飲酒ならびに寝不足で、やや二日酔い気味だった。
 やっぱり、どう比較しても、こっちの方が気持ち悪いということを確信した。

「くこ」か「くご」か?♪伊福部/箜篌歌

IfukubeMaehashi  私の心に瑟瑟と風が吹く?
 今日は仕事に行かねばならない。午前中の半日だけだが……
 そのあと車で自宅に帰る。


 そんなことはどうでもいいとして、今日も今が旬の伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の作品。

 最近リリースされた「伊福部昭 生誕百年記念アルバム」。
 先日の記事で、この中から「シレトコ半島の漁夫の歌」を取り上げたが、今日はギター独奏曲の「箜篌歌(Aria Concertata Kugo)」(1969)。

 演奏はこの曲の初演者である渡辺範彦(1947-2004)。

 渡辺は宮崎県出身のクラシックギタリスト。この録音は1969年10月16日に行なわれているので、初演(5月27日)の5か月後というスピードでスタジオ録音が実現したわけだ。


 このCDのライナーノーツで横溝亮一(アコーディオン奏者の横森良造と勘違いしないように←誰それ?知らないよって?)は次のように書いている。


 正倉院御物として、2つの箜篌(くこ)の残欠が伝えられている。伝来当初は雅楽にも用いられた琴、瑟類(しつるい)の楽器で、西欧風にいえばハープ族に属する。紀元前8世紀ごろ、古代アッシリアに発したと推定されており、ずい分長い歴史を持つ楽器である。臥箜篌は現在の箏に似ており、鳳首箜篌は竪型で、ハープに近似している。我が国では天平時代に使われたと思われる。おそらく楽器だけでなく、歌との共演も行なわれたであろう。形態からして、筝の音質、音色に近いと想像されるが、この「箜篌歌」も、その古雅な趣きをギターの上に再現している。アダージョ・トランキラメンテのゆるやかなテンポで始まり、6連のアルペジオが静謐な雰囲気をかもし出す。この序奏といえる部分からテンポが転じて、速い分散和音の流れとなり、その中にひなびた旋律が縫いこまれる。


 副題に「アリア・コンチェルタータ」という副題がついているように、メロディ(アリア)が伴奏部と絡みながら協奏的に進んでいく。

 貴重な音源であるが、古い録音のため(といっても、ステレオ時代になって10年ほど経っているのだが)、細かく織りなされる音の粒が明確ではない。
 1969年録音。NHK-CD(キング)。


Ifukube Guitar 音の広がり、はっきりとした絡み合いを堪能したいのなら(多くの人がそれを望んでいると思うが)、西村弘盤をお薦めする。

 1985年録音。フォンテック。


 ところで“瑟”という漢字、なんか好きだ。今までの人生の中で自主的に使ったことはないけど。

 この字の意味は「琴に似た大きな楽器」で、漢和辞典に載っている熟語としては、


 【瑟琴】①大琴と琴。②夫婦の仲がよいこと。琴瑟。
 【瑟瑟】①寂しく吹く風の音の形容。②ものさびしい色。


がある。


 いずれもふだんは見かけない言葉だ。瑟瑟なんて、絵文字みたいにも見える。


 
50日ほど「おあずけっ!」
 ところで、伊福部ファンにとって10月22日はたまらない日になるだろう。たぶん。
 キングから3枚の新録音がリリースされる予定なのだ。予定は未定だが、予定通りに、いや予定が早まることを願っている。


 収録曲についてはまだ公表されていないが、札響の演奏については5月30~31日に行なわれた第569回定期演奏会のライヴに間違いない。

 このときの私のコーフンをCDを聴いて、ぜひ共有していただきたい。


 にしても「くこ」がどうして、この作品名では「くご」になったのかな……
 いや、真剣に悩んではいないけど。

 なお、伊福部昭の2歳年上の次兄・勲は学生のころギターを弾いていた。
 ギターのための作品を書いたのは、そういう影響(思い出)があったのだろうと、私は思っている。


親子で1000円です。そば代のことです♪シューマン/Sym3(by シャイー)

SchumannChailly  まったく怖くないかといえばうそになります
 老化による物忘れのせいではないと思うが、情けないことに童頭で出勤してしまった火曜日。
 この日は陸別町の取引先に打合せに行って来た。

 日曜日もこの町に立ち寄っているわけで、中1日という短い間隔での登板、いや、訪問。


 今回は私を含め3人で行ったのだが、行きの車の運転を担当した人物が(誰とは言えないが)あまり運転慣れしていないために、向かう途中、センターラインに寄り過ぎたり路肩側のラインを踏む、さらにはラインを跨ぎ左半身路肩走行状態となったりで、気を抜けない移動となった。

 シューマン(Robert Alexander Schumann 1810-56 ドイツ)の交響曲第3番変ホ長調Op.97「ライン(Rheinische)」(1850)。

 ラインはラインでも、こちらはライン川のこと。踏んだら沈んでしまう。

 ただしこのタイトルはシューマン自身がつけたものではない。

 第3の番号がついているが、実際には4番目、つまりシューマンが書いた最後の交響曲である。
 5つの楽章から成る。


 今日はマーラー版によるシャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏を。


 ウィキペディアによると、マーラー版では“一部で楽器の変更や奏法の変更がなされており、両端楽章ではトランペットとティンパニの出番が削減され、音量バランスの変更やテンポ変化の指示が加えられている”のだそうだ。


 版によるものなのか、シャイーのアプローチのせいか、あるいは両者の相乗効果によるものなのか、ねちっこくなく健康的なシューマンに仕上がっている。深刻さが薄いこれなら、心が弱っているときに聴いても、さらに心の闇が暗黒さを増してドツボにはまることはなさそうだ。
 肖像画のイメージとは違うシューマン、私は好きである。


 2007年録音。デッカ。

20140827Fuyajo  夜光性ではありません
 途中足寄の道の駅に寄る。

 日曜日に寄ったときは朝だったのでまだ開いていなかったが、この日はそこそこ賑わっており、松山千春の歌声が秋めいた風にのって放散されていた。


 鉢植え販売ワゴンのところへ行ってみる。
 オベスムは2鉢残っていた。しかも赤い花を咲かせていた。わが家の赤花オベスムはいったん落葉して、やっと新芽がでてきたところだというのに……

 白花のオベスムがなかったのは幸いだった。ここで買い、マンションに持ち帰って育てようとしたが、私のしつけがいたらなかったのか性格どころか体まで腐ってしまった白花オベスム。
 もしまだ在庫が残っていたらリベンジで買ってしまうところだった。


 が、買ってしまった。
 その横にあるアロエを。
 品種名は書かれていないが“不夜城(Aloe nobilis)”に間違いないだろう。
 高さ20cm、径15cm、株元には7つの脇芽(子株)。
 なかなか大きな株なのに、なんと税込540円!
 これも安い!

 あぁ、このプリプリした肉厚の葉!うぅっ、たまらない!
 あらためて思うが、こんなに魅せられるなんて、私の狸、いや、多肉好きは根っからのものらしい。

 でも、仕事の途中に私物の買い物をしてごめんなさい。

 
 不夜城って夜も昼間のように明るくにぎやかなことを言うが、誰でしょね、この品種にそんな和名をつけたのは?

  歯に物がはさまったような言い方はしませんでした
 陸別に到着したのはちょうど昼。
 有名なそば屋“秦食堂”に入る。
 運良くちょうど座れたが、それで店内は満席。

 はしっこくお品書きを一瞥し、かしわそば、天ぷらそば、親子丼に候補を絞る。
 が、最終的にかしわそばと親子丼の両方を中途半端に味わえる親子そばにした。
 ここのそば、そして昔風カレーライスは確かに美味しい。定評どおりだ。
 ほかの2人はそばとカレーライスの両方を折衷的に味わえるカレーそばを頼んだほどだ。
 が、やや難点なのは全体的に値段設定が高めなことだ。


 それはともかく、おなかも満たされたし、いよいよ取引先を訪れて打合せ。
 左の奥歯にはさまった(たぶん)ネギの感触を気にしつつも打合せは円滑に終了。

 帰りは運転手が交代したこともあって、車内は落ち着いた空気で満たされる。


 以上、火曜日の業務報告を終える。

海の魚は取り扱ってございません♪サン=サーンス/動物の謝肉祭

20140824g  見つめられてるとも知らずに…… 
 月曜日。


 晴れてると思いきや、突然の強い雨、そしてさっとあがったかと思いきや、また降り出す。
 このような現象について、専門家なら「大気が不安定」というに違いない。私は専門家でないので、「また降ってきやがった」と悪態をつくすかない。


 出発前に窓の下を見ると-ちょうど玄関前の車寄せが見える-、おや、あれは当支社の某課長。

 推測するに、

 ① 出張で前日に北見入りしたのだろう。
 ② 奇遇にも私と同じホテルに泊まっていたのだろう。
 ③ このように上から見られているなんて、よもや夢にも思っていないだろう。
 ④ 私の視線を感じて見上げなかったところをみると、第六感は強い方ではないのだろう。

 そして何も知らぬまま、課長の車は出発していった。 
 
 私はといえば、留辺蘂(ルベシベが北見市と合併していたとは知らなかった)にある“山の水族館”に行く。なんでもリニュアールしてからけっこう人気があるらしい。

20140825a 規模は大きくないが、なかなか美しい色合いの水槽がすてきだ。

 水族館を見終えたあとは、十勝に向かう。
 わかりやすく言えば、帰路についたわけだ。


  歳は12歳。けど走った距離は11万キロ
 鹿や熊が出てきそうな道道(北海道だから県道ではなく道道)を進み、足寄の芽登(めと)温泉をかすめ、上士幌へ。

 このときちょうど12時。

 上士幌で給油ならびに食事をした。
 昼食は想定外に洋食。他に店がわからなかったのだ。

 そのあと士幌に行き、士幌町農協が運営している“農協記念館”へ。
 士幌の農業についての展示のほか、町の農業のみならず北海道農業に多大な貢献をした太田寛一の記念室があるが、最近新たに完成したという安村志朗記念室も観ることができた。
 なかなか見ごたえのある2人の偉人の記念室。
 この記念館、入場無料。知る人ぞ知るという施設だろうが、農協単独で維持・管理しているとは驚きだ。

 そのあと帰宅。

 この間、車の総走行距離は110,000kmを突破。
 いろいろあるものの、よく走ってくれる。このレガシィは。
 12歳になってるが、姿もいいし、ホント愛着を感じる。


SaintSaensAnumalBeroff  強引な選曲ですか?
 サン=サーンス(Camille Saint-Saens 1835-1921 フランス)の組曲「動物の謝肉祭(Le carnaval des animaux)」(1886)。


 なぜ唐突に「動物の謝肉祭」かというと、

 ① 日曜の夜と月曜の昼に肉を食べたこと。
 ② この組曲の第7曲が「水族館」であること。
 ③ さらには第4曲は「亀」で、山の水族館にはアカミミガメもいたこと。

が、その理由である。
 
 こう列挙すると、本日「動物の謝肉祭」を取り上げることは運命的なことのように思える(よう、前向きに考えたい)。

 作品についてはこちらの記事をご参考にしていただければと思うが、今日紹介するCDもそのときと同じものである。
 ベロフとコラールのピアノ、デボストのフルート他によるオリジナル編成版による演奏。

 1977年録音。EMI。

 淡水魚とはちょっと違うが、休み明けの火曜日、河童だった。私は。
 髪にムースをつけるのを忘れたまま出勤してしまったのだ。
 そのため、しばしば河童のようなヘア・スタイルになった。

出来心ではなく待ち構えていたに違いない♪ビレットのリスト/p協

20140824b  常に思いやりをもってくれブゥ~ッ 
 日曜日の話。

 8:20に足寄の道の駅に着く。
 が、まだ開いていない。
 開いてりゃ、またオベスムが売れたかもしれないのに、なんて商売べたなんだろう。
 そんでもって、外トイレ(24時間OPEN!)を利用する。

 9:10ごろ、陸別に着く。
 給油後、道の駅による。
 しばれ君とつららちゃんが描かれたクリアフォルダを買う。

 そのあと、津別、美幌を抜け、博物館網走監獄を観る。
 現在の網走刑務所の食事がなかなか立派であることを知るとともに、展示されていた昔の黒板に書かれていた内容から、豚には常に思いやりをもって接しなければならないことを学ぶ。

20140824c そのあと網走の街中に入る。
 以前訪れたときに寄った寿司屋で鮭ザンギ丼を食べようと思ったが、たどり着けなかった。そもそも店の名前も憶えてないし。

 そこで(たぶんチェーンではない)地元の回転ずし屋に入ってみる。

 客の入りはまあまあ。特にボックス席は混んでいた。
 コンベアで回っているのはいなりずしと玉子の握りの数皿だけ。

 寿司が回っていない回転ずし屋。つまりは、食べたいものを紙に書いてオーダーするのを大前提としているシステム。まあ、いろいろ握って回してもロスが出るからなんだろう。

 ネタの味はふつう。
 地元産を謳ったネタもあるが、なかなか良いお値段。だからそれは頼まず。そちらはふつう以上だったのかも……

 なぜかワナにはまったかのように、“回っている”いなりずしを最後の仕上げに食べてしまった私。

  媚びを売るようなあの瞳
 次に道の駅“流氷街道網走”に寄る。
 建物の中に ガラス張りの喫煙室があり、そこでタバコを吸う。
 吸い終わって外に出ると、すぐ近くのベンチに座っていたじいさんがニタニタしながら私に声をかけた。

 「あ、あの、す、すいませんけんど、タバコを1本もらえないべか?」

 なるほど、このベンチは喫煙室から満足げに出てくるスモーカーを捕獲するにはもってこいの場所だ。
 このじいさん、こうやって何人にも声をかけているのだろう。
 かなり長居している雰囲気だったし、あの妙なにやけ方でそれがわかる。

 私は苦笑いを返しながらかぶりをふった

 でも、そのあとちょっとだけ後悔した。
 “トムとジェリー”の真ん中作品が、突如頭に浮かんだのだ。
 あの人は“しあわせの小人”ならぬ、“しあわせの老人”だったのでは?
 もしかすると、タバコを1本お恵みしたお返しに時価数十万の本物の小判でもくれたかもしれない。

 いや。いまやタバコ1本23円の世。
 ああいう姑息な人には、たとえこの日が敬老の日であったとしても、毅然とした態度をとるべきだ。私は間違っていなかった。と、思いたい。

 デュファイ(Guillaume Dufay 1400頃-74 フランドル)の世俗音楽作品にもあるではないか。「果して あなたのお恵みが得られましょうか(Pouray je avoir vostre mercy?)」ってのが。

LisztPfconBIRET  こんな話からで申し訳ないがタバコフ氏に登場願う
 タバコがらみで、タバコフ指揮ビルケント交響楽団、ビレットのピアノ独奏による演奏を。
 つい先日、リスト(Liszt,Franz 1811-86 ハンガリー)の「死の舞踏」のすさまじくすばらしい演奏を紹介したが、今日は(おなじくリストの)、ピアノ協奏曲第1番変ホ長調S.124(1849/改訂1853,'56)とピアノ協奏曲第2番イ長調S.125(1839/改訂1849,'53,'57,'61)。

 有名な第1番の方は、意外と炸裂していない。一筋縄ではないが真っ当な演奏だ。
 また、堂々としているが器用なすばしっこさがある。シャキシャキとした新鮮野菜のようにみずみずしい一面も見せる。
 何を言いたいかというと、不思議食感だが体には悪くなさそうな味わい。

 なお、私はこの曲の冒頭主題が、どこか人を小ばかにしているような感じがして、聴くたびに複雑な心境になる。“トムとジェリー”の真ん中作品で使われていた印象が強いせいだろうか?(確か“ノミのサーカス”だったかと……)。

 第2番は間違いなく優れた演奏。
 第1番に比べ聴かれることが少なく、存在自体が「えっ?もう1曲コンチェルトがあったの?」ってくらい地味だが、実は味わい深い作品(過去に地味に(?)取り上げている)。このムンムンするロマンティックさは、第1番も及ばない。
 リスト自身「交響的協奏曲」と呼んだ第2番は、しかし散漫な感じがするのも事実。外面的な効果も乏しいとされ、そこは奏者の腕の見せどころだ。

 そして、ビレットのエネルギッシュで冴えた演奏はこの曲の欠点を補い、曲の魅力を存分に伝えてくれる。
 ややピアノのリズムが怪しくなる箇所もあるが、エキサイティングな曲の運びは、第2夫人、いや第2コンチェルトの存在を忘れがちな人にぜひお薦めしたい。
 よくある話じゃないですか。クラスで目立たなかった女の子が、実はすっごくかわいかったとかってこと。

 2004年録音。ナクソス。

20140824Sangoso けしからん爺さんを尻目に、そのあと能取湖へ。
 サンゴ草の群生地と知られる場所は、もっと群生するようにと、良かれと思って何年か前に土を入れ替えたところ、逆効果になったそう。

 そして北見へ。
 ハッカ記念館を観たあと、ホーマックへ行きワイパー購入
 視界がすっきりしたところでホテルにチェックイン。

 夜は大昌園という焼肉屋で食べる。
 北見と言えば焼肉だが、実は焼肉を食べるのは初めて。
 肉もおいしかったが、ドロドロしたタレがひじょうに美味。

 ただ、平和園に慣れている身としては、やや値段が高め。
 ということで、早々に切り上げ居酒屋で飲み直し、どしゃ降りの中ホテルに戻った。
 

知床までは足を延ばさなかったが……♪伊福部/シレトコ半島の漁夫の歌

IfukubeMaehashi  オホーツク方面に小旅行
 月曜日は休みをとった。

 そして昨日の朝、私は北見にいた。


 おとといから昨日にかけて、網走と北見を回遊したのだった。小旅行である。なお、せめて“こりょこう”ではなく“しょうりょこう”と読んでほしい。

 日曜日は網走監獄を見たあと、限られた日程なので知床半島に行ったりせず、そしてまたサロマ湖まで行く時間もないので能取湖に立ち寄り、そのあと北見に入った。

 そのころから雨が強くなり、そしてまたフロントガラスのぎらつきがひどくて視界が不良になった。

 「これだから中国製のフロントガラスはだめだわい」と嘆きつつ、でもこれで少しは良くなるかもと淡い期待を抱き北見市内のホーマックへ。新たなワイパーブレードを購入し、駐車場でどしゃ降りのなか交換。

 すると、「なんということでショォ~!」
 拭き取りが悪く、危険な思いをさせられていたガラスは、まるでクリスタルのような透明感を取り戻したではありませんか!
 これでおじさんも安心して運転できるようになりました。

 中国製だからと難くせつけて悪かった。
 淡い期待は濃厚な好結果をもたらせてくれた。

 ところで、北海道で生まれ育った私だが、実はいまだかつて知床に行ったことがない。
 ついでに言うと、天売島・焼尻島、利尻島・礼文島、奥尻島にも行ったことがない。
 妻も同様だが、妻の場合は北見・網走にも来たことがなかったので、今回こちら方面を攻めることにしたのだった。

 私はといえば、網走は新入社員の頃に1ヵ月半ほど研修した地であるので、ほんのり加減で懐かしい。

 その後、出張では網走も北見も何度も訪れている。たとえば、こんな報告もしている。


 帯広から網走というとかなり時間がかかるかなと思ったが、なんのことはない。帯広から札幌へ帰るのとそう大きな差はなかった。と書くと、道外の人は近いと思うだろうが、それでも200km弱はある。


 以前、大阪の取引先の人から「北海道内の取引先を訪問したいのだが、2泊3日で釧路と帯広と旭川と札幌と函館を回るようスケジュールを組んでほしい」と言われたことがあった。やっぱり距離感と交通の不便さがわからないのだろう。


 日曜日は帯広→音更→足寄→陸別→津別→美幌→網走→北見というルート。
 回遊の結果報告は後日あらためて。 

  浜薔薇(はまなす)散ってシレトコは眠る…… 
 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の歌曲「シレトコ半島の漁夫の歌」(1960)。歌詞は北海道弟子屈町出身の、アイヌ文化研究家で詩人の更科源蔵(1904-85)の詩による。
 なお、弟子屈(てしかが)町は釧路市に接する釧路管内の町だが、オホーツク管内とも隣接する。

 伊福部は札幌で更科たちと“五の日の会”を作り、北大に近い場所にあった喫茶“なぎさ”で文化論などを語り合った。

 1941年5月には更科が総合文化雑誌「北方文芸」を発刊、第3号の段階で伊福部が会員に加わったことが知らされ、第4号で「現代音楽のプロパガンダ」を寄稿した。
  (  参考 伊福部昭 音楽家の誕生:新潮社)

 伊福部が更科の詩を用いたのは「シレトコ半島の漁夫の歌」と「オホーツクの海」(1958/88)と「摩周湖」(1992)の3曲。いずれも、原詩は1943年発行の更科の詩集「凍原の歌」のなかの「地理の書」という章にある。

 聴いていて、ひどく歌うのが難しいだろうなと思う作品。
 明るいとか暗いという感情を超越した怒りである。

 

 立川清登のバリトン、是安亨のピアノ伴奏の演奏を。

 1971年録音。NHK(キング)。

 なお、自宅近くのスーパーは、5のつく日は“奥さまGo!Go!デー”と位置づけている。

つまりは小手先でなく、本格的にに乗り換えろと?♪ブクステフーデ/BuxWV.187

BuxtehudeOrgan  実はコトは複雑。電話で即OK!とはいかない
 お盆で自宅に帰っているときのことだが、光回線に関するセールスの電話が来た。

 内容を箇条書きにすると、


 ・ NTTからレンタルしている機器を新しいものに交換しませんか?
 ・ 実はこのたび、お宅がある地区でも、今までより安く使える回線の設備が整いました。
 ・ 速度も速くなり、機器のレンタル料も無料になります。
 ・ ただ、請求がNTTからではなくなります。それがいやでなければ交換に伺います。
 ・ あと、プロバイダーも変わりますが、プロバイダー料込でも今よりずっとお得になります。


というものだった。


 そもそも、最初にどこからの電話かよく聞き取れなかったので、てっきりNTTからだと思っていたが、話をしているうちに“〇〇ひかり”からだということがわかった。

 間違いなく今より安くなる。速度も上がるのだろう。が、話の切り出し方からして、騙す気はないのだろうが、わかりにくい。
 それにこんなことを電話口でベラベラしゃべられても、即断なんかできない。
 資料をFAXで送ってほしい。それを見て契約するようならこちらから電話する、と言って切った。

 FAXが届いた。

  聞くと見るとでは大違い
 パンフのコピーだった。
 〇〇ひかりを運営している本体ではなく、あるプロバイダー(に雇われたコールセンター)からの電話、FAXであることがわかった。


 そのあとネットでも調べてみた。

 速度や価格で〇〇ひかりはBフレッツより優れているようだ。だが、電話の主は、Bフレッツを解約して〇〇ひかりに切り替えることになるということを、はっきりは言わなかった。

 現在のプロバイダーは?と聞かれ、OCNだと答えたが、そのまま今のメアドをご希望なら、月々260円で継続使用できますと言ってきた。

 が、それだけで、回線契約はBフレッツから変わります、プロバイダー契約も新たにしていただきますという、明確な説明はなかった。強調されていたのは、機器レンタル料が無料になる、価格も安くなる、速度も速くなる、ただ請求元が変更になる、ということだった。


 もし、OCNがブログ人のサービスを止めないなら絶対に変更はしない。が、終了は決まっている。
 となると、メアドだけ継続してプロバイダーを換えても特に問題はない。OCNに執着する理由はほとんどなくなってしまったのだ。


 が、こういう勧誘の仕方ってちょっとフェアじゃない、紛らわしい、引っかけっぽいと思い、なんかイヤだなぁって

気分になった。それに、そのプロバイダがどうなのかよくわからないし。

 また、ネットで調べると〇〇ひかりに対応しているプロバイダーは7社しかなく、今回電話してきたそのうちの1社はキャッシュバックがないようだ。工事は不要というが、環境によっては回線を再利用できない場合もあるという(機器交換では交換作業が必要)。

 さらに、FAXを見ると、ちゃっかり最初から2年契約となっていて、さらに30か月以内に解約すると実質無料の工事費を月当たり1250円で残月分支払わなければならない。

 とかなんとかで、どうも気に入らず、Bフレッツのままでいくことに決めた。フレッツも2年割りで契約しているし。
 こういう電話って、良いことばかり強調すると逆に不信感が大きくなる。


  口と言葉の反比例
 この電話のあと、ブクステフーデ(Dietrich Buxtehude 1637-1707 デンマーク)のコラール前奏曲のタイトルを思い浮かべてしまった。
 「愚かな口はよき言葉を語る(Es spricht der unweisen Mund wohl)」H.4-3-8,BuxWV.187。

 作品については、作曲の経緯だとか構造だとかあーだこーだ言うような種類のものではないので(あーだこーだ言えるほど知識もないし)、CDだけ紹介しておく。

 スパング=ハンセンのオルガン独奏。
 1993年録音。Classico。

 いや、マニュアルに従ってしゃべっているわけで、そのコールセンターの女性には罪はないわけで、その人の口が愚かだと言う気は全然ない。むしろ彼女は、もっと良い物をさらに安く案内することに誇りを持っているのかもしれない。
 でも、わが家がBフレッツを契約してるってどうしてわかってるんだろ?それ以前に、電話番号も。


  時価が多い寿司屋のよう
 口つながり(つながってないけど)で、歯医者の話。

 過去3回ほど会計が200円台だったので、また今日もそれぐらいかなと思って行ったお盆前のこと。

 いつも同様の治療だっだ、途中から様相が変わってきた。
 根の治療が終わったので……という説明のあと、レントゲンを撮られ、型もとった。

 そうなると不安が募る。
 その日の所持金は6470円だったのだ。


 治療が終わり、会計で名前が呼ばれる。
 「今日は4320円です」


 ふぅぅぅぅぅ~っ。助かった。
 もし足りなかったら、どうすればよかったのだろう?


 そこの銀行に行っておろしてきます。ちょっと待ってていただけますか。
 この次来たときに、かっならずお支払いします。


 どっちにしろ、ほかに人がいないならともかく、相当恥ずかしい。


 あぁ、間に合って本当によかった。
 ここ最近の治療費ですっかり安心していたのが敗因だった。
 「ああ主よ、あわれなる罪人のわれを(Ach Herr,mich armen Sunder)」、という曲も上のCDには入っている(H.4-3-1,BuxWV.178)。


  カオナシのようなものか?
 先日の朝。通勤途中。
 その歯科医院の前を通り過ぎたところで、向いから歯科医の1人(女医さん)が歩いて来るのに気付いた。

 私はすれ違いざまに「おはようございます」とあいさつしたが、どうもこちらのことはよく認識していないようだった。

 いつもそのセンセイに診てもらっているわけではないが、しかし過去何度か彼女の前で大きく口を開けてちんこ(のどの)を見られたり、穴の奥(鼻の)までさらけ出しているわけで、十二分にインパクトを与えてしまっていたと思っていたが、そんなもんなのね。
 口の中は凝視してても、顔全体は目に入っていないのかもしれない。
 逆にそういうみっともない姿が、ふだんの私のジェントルなイメージと一緒になっていなくて良かったということか……?


 ところで、私は今日の朝を北見で迎えた。
 その話はまた今度。

いや、これは笑えないくらいすごい♪ビレットのリスト/死の舞踏

LisztPfconBIRET  巧みな言葉に乗せられて……
 “気持ちよいまでの音の炸裂、破壊的なエネルギー。やっぱリストってすごいじゃん”
 “爆演系が好きな人にぜひオススメ”
 “笑ってしまうくらいに「すごい」死の舞踏の冒頭もぜひ”


 こう書かれて、購買意欲をそそられないクラシック音楽ファンが、果たしているだろうか?もし、何も感じないならEDさえ疑われる。

 これは、イディル・ビレットのピアノ独奏、タバコフ/ビルケント交響楽団によるリスト(Liszt,Franz ハンガリー 1811-86)のピアノ協奏作品集の帯に書かれている魅惑の言葉だ。

 “IBA”と表記されているが、これはIdil Biret Archiveの略。新規に設立したレーベルらしい。販売しているのはナクソス。


 にしても、ナクソスの謳い文句には、過去に「やられたぁ~」という経験をしたことがある。1度ならず2度までも、何回も3回も……

 「えぇ?ほんとうかなぁ~?」と疑いながらも、「こんなに誘ってくれてるのに、がまんするなんて男がすたる。こりゃぜひとも聴いてみなきゃなるまい」と、迷いが決断に変わるまでさほど時間は要しない。

 そして実際に聴いてみると。「確かに書かれているとおりだ。けど、どこか何かが違う。えっ、アタシ、やられたぁ~ってこと?」と、正露丸を噛んだときのような苦い思いをすることも、これまでの失恋回数並みに多い(当人比)。

 迷ったままにしておけば、やがてあの囁きを忘れられただろうに、とちょっぴり後悔。
 いやいや、人生の限られた時間、できる限りいろんな曲、演奏を知るべきだと、自分に都合いいように合理化したりもする。
 それにしても、文章を考えているナクソス・ジャパンの人はなかなかやり手だ。巧い。音楽ファンの心理を熟知しているのではないか?
 転職したとしても、羽毛布団なんかをけっこう売りさばけそうだ(褒めてるんです)。

  笑えるどころか凍りつくような迫力
 今日はこのCDの中から「死の舞踏(Totemtanz)」S.126(1838企画,1849完成./改訂1853,'59)。
 グレゴリオ聖歌の「怒りの日(Dies Irae)」によるパラフレーズ(原曲の自由な演奏、メロディーの装飾)である。


 「怒りの日」の旋律は多くの作曲家を魅了してきた。
 有名どころでは、ベルリオーズの幻想交響曲マーラーの「復活」ラフマニノフのパガニーニ・ラプソディでそれを聴くことができる。また、サン=サーンスはリストと同名の「死の舞踏」で「怒りの日」を用いている。他にも多くの例がある。


 リストの「死の舞踏」では、冒頭から金管で「怒りの日」がモロな形で奏される。

 そして、この演奏、看板に偽りなしだ。
 爆演である。が、単に爆発しているのではなく、きちんとした力演である。
 笑ってしまいはしなかったが、確かに「すごい」開始だ。
 この刺激的な「死の舞踏」は、「アタリ!」だ。


 ピアノ協奏曲についてはあらためて取り上げるが、「死の舞踏」でワクワクしたのはこの演奏が初めてだ。
 2007年録音。


 なお、ビレットは1941年生まれのトルコのピアニスト。レパートリーも広い、なかなかな実力の持ち主らしい。
 その表現力とテクニックは、このCDでもよくわかる。
 他の録音も聴いてみたいと、けっこう魅かれつつある私がここにいる。

なんか、花子ちゃんやユミちゃん、たろう君たちが好き勝手に練習しているような

NancarrowFast  常連客のように「いつもの!」と言ってみた
 20日の水曜日。

 この日は隔週に1度の燃やせないゴミの日だったが、朝、忘れずにゴミステーションに1袋出すことができた。1日のすべてのことをやり終えたような達成感を得た。

 が、ここで書きたいのはそのことではない。
 この日の昼ご飯のことだ。


 秋吉課長、阿古屋係長、河西さんとともに、〇〇楼に行った。
 そして、勇気を奮って顔なじみの店員さんに言ってみた。


 「いつもの


 それはちゃんと通用した。無事、担担麺+小ライスが注文できた。

 なお、課長と係長は「担担麺と小ライス」と一般的な注文のしかたをし、また河西さんは中華ちらしを頼んだ。

 この素晴らしき〇〇楼(実は過去に実名を紹介しているが)のお姉さん(実は名前を知らない)に敬意を表し、今日はナンカロウ。


  リゲティが絶賛!
 ナンカロウ(Conlon Nancarrow 1912-97 アメリカ→メキシコ)の「プレーヤー・ピアノのための習作(Studies for player piano)」。
 プレーヤー・ピアノというのは自動ピアノのことである。  


 井上和男編「クラシック音楽作品名辞典」によると、ナンカロウはシンシナティ音楽院で学んだあとボストンに出て、ピストンらに師事。その後、スペイン内戦で人民戦線派の義勇軍に参加したためアメリカに戻れなくなり、1956年にスペインの国籍を取得した。
 ヒトの指では弾けないリズムや速い動きの演奏を可能とするために、ロール・ピアノからの発想で自動ピアノ(Player Piano)を開発した。

  「プレーヤー・ピアノのための習作」は第1集から第5集まであり、各集とも50曲ほどからなる。これらは1949年から93年にかけて作曲されている。

 ポリリズムや複数のテンポをもつ、この自動演奏ピアノの音楽を知ったリゲティは、ナンカロウについてこう述べている。

 この音楽はヴェーベルンとアイヴズ以来最大の発見である……音楽史全体にとって偉大で重要なものである!……私にとっては、現存の作曲家によるもののうち、最高の音楽である。
     出典⇒ ロバート.P.モーガン編,長木誠司監訳
         「西洋の音楽と社会11 現代Ⅱ 世界音楽の時代」:音楽之友社(1997)


  有機と無機との不思議な融合
 ナンカロウは人間では演奏不可能なほどの複雑な音楽を書いたが、それを正しく演奏するために間違いなく演奏してくれる自動ピアノを用いた作品を書いたのだった(ヒトが演奏するための曲も書いたが)。

 今日は「自動ピアノのための練習曲」を生身の人間が演奏できるようナンカロウ自身が編曲したものをご紹介する。

 WERGOレーベルから出ている「As fast as Possible」と題されたCD。

ここにはピアノ演奏用に編曲された、以下の「プレーヤー・ピアノのための習作」作品が収録されている。
 
 ・ 第16番「カノン3/5」(1960)(2台のピアノ(8手)版:Erik Ona編*(2003))
 ・ 第20番(1965)(ピアノ連弾(4手)版:ブガッロ編(2004))
 ・ 第26番(1988)(4台のピアノ(7手)版):ナンカロウ編)
 ・ 第32番 (1969) (ピアノ連弾版(4手)版:ブガッロ編(2004))
 ・ 第44番「偶然性のカノン(エンドレス)」(1981)(2台のピアノ(4手)版:ブガッロ編(2004))
               *) 原綴ではnの上に~がある。


 何台かのピアノが置いてあるショールームで子供たちが勝手に鍵盤を叩いているような音楽。ただし、ケージの偶然性音楽のように無機質ではなく、また緩急の違いや異なるリズムのぶつかり合いが不思議な音空間を生み出す。それはときに、ユーモラスでもあり、タワレコの紹介ページに書かれているように、確かにちょっぴりクセになる。

 演奏は、ヘレナ・ブガッロとエイミー・ウィリアムズ。第16番と第44番ではエイミー・フリッグス(タワレコやHMVの商品紹介ページにはこう書かれているが、CDの表記ではAmy Dissanayakeとなっている……)とイングリード・カルレンが加わる。
 
 2005年録音。レーベルは私の好きなWERGO。

 Dissanayakeって、どう転んでもフリッグスって読めませんよね?

天国のような音楽に、一瞬気を失った私♪ブルックナー/Sym7(by ヨッフム)

Bruckner7Jochum  疲れてるのか、単に酔っぱらいなのか?
 このところ、夜になるとやたら早い時間に眠くなる。
 夏の疲れが過飽和状態にたまっているのだろうか?


 先日は9時ごろにソファでハイボールを飲みながらブルックナーなんぞを聴いていたら、アダージョ楽章で突如、「ガン、ゴロゴロ、カラカラ」と打楽器が鳴り響いた。いや、本来は打楽器はお休みの箇所で。


 なんだ、なんだ?

 目が覚めた。

 つまり私は眠りかけていたのだ。そして手にしていたハイボールのグラスを床に落としてしまったのだった。

 ガンはグラスが床に当たった音、ゴロゴロはそれが転がった音。カラカラは小売りの散乱する音。

 この手の失敗は2度目である。
 でも、さすがニッカだ。おまけに付いてきたハイボールグラスは割れることはなかった。この強度は世界に誇っていい。そういう問題じゃないが……


 それからというもの、さすがに懲りた私は、ソファでくつろぎながら飲むときは、一回一回、テーブルにグラスを置くようにしている。
 このように私は、たぶんだが、サルよりは賢い。

  子どものように早く寝、年寄りのようにやたら早く目覚める

 グラス落下事件が起こったとき聴いていたのは、ヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデンによるブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第7番ホ長調WAB.107(1881-83)だった。


 オケは不思議な感触の美音を放ち、それが自然な流れとして進んでいく。安らかな気分にもなれる。
 だからウトウトしてしまったに違いない。

 これがモソロフの「鉄工場」とかだったなら、こういう粗相はしなかったはずだ。そのかわり、上下左右の部屋から文句が来るだろうが……


 ヨッフムのこの演奏、金管の弱さ(上手くなさ)を指摘する声もあるが、弱いというよりも好き好き。
 私はトータル的に感動的なすばらしい演奏だと思う。

 にしても、アダージョ楽章のほんの一瞬の気の緩みが、床に液体ジャ~ってことになってしまった。
 この先、老いとともにおしっこまでそんなふうにならないよう、十分な警戒が必要である。
 
 ところで早く眠くなる→へんに大人ぶって我慢しないで早く寝る→自然と年寄りのように早く目覚める、という負の循環に陥っている。
 数日前なんかは(9時に寝たのだが)、午前1時に目が覚め、そのあと2時半に再び開眼し、さらに3時半に瞼が開き、ついぞ我慢できなくなって4時15分に起き上がった。


  最近は4時だと明るくない
 日の出の時間も遅くなっているということだ。なのに、自然現象に逆行している私は不自然だ。
 がまんして夜更かしして、睡眠サイクルを整えなければ。

  今夜、寝過ごしは許されない

 と言いながら、今日の夜は帯広から車で西に30分強(JRの普通列車だと40分くらい)の距離にある町に行って、大切な取引先の社長さんと夜を共にする。
 いや、ベッドを共にするという意味じゃなくて、食事をするということ。

 となると、いつもよりは遅くまで起きていることに自ずからなるだろう。
 良いチャンスだ。
 食事のあと、家に帰るのにも緊張をもって行動をしなければ。乗り過ごしは帰宅困難状態になることを意味するから。


 ヨッフムの演奏は1976年録音。ワーナー。
 使用楽譜は1881-83年稿ノヴァーク版。

激励のお気持ち承り所
最近寄せられたコメント
私の浮き沈み状況

これまでの御来訪者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

メッセージ

名前
メール
本文
本日もようこそ!
ご来訪いただき、まことにありがとうございます。

PVアクセスランキング にほんブログ村
サイト内検索
楽天市場 MUUSAN 出張所(広告)





カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
タグ絞り込み検索
読者登録
LINE読者登録QRコード
QRコード
QRコード
ささやかなお願い
 当ブログの記事へのリンクはフリーです。 なお、当ブログの記事の一部を別のブログで引用する場合には出典元を記していただくようお願いいたします。 また、MUUSANの許可なく記事内のコンテンツ(写真・本文)を転載・複製することはかたくお断り申し上げます。

 © 2014 「新・読後充実度 84ppm のお話」
  • ライブドアブログ