主も褒められると悪い気はしない?
ブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「詩篇150番(Psalm CL)」Op.67(1962)。
昨日は、同じく詩篇(詩編)など旧約聖書から歌詞をとっているペンデレツキの交響曲第7番を取り上げたが、ブリテンの「詩篇150番」は、曲調も雰囲気もまったく異なるもの。
児童合唱の歌声が、非常によくできた学芸会の出し物のようで、聴いていて微笑ましくなるし、歌っている子の親なら胸が熱くなるだろう。
この作品について私は詳しいことを知らないが、曲は Lively - March - Lightly - Very lively という構成になっている。
旧約聖書の詩篇は150からなる。つまり第150篇は、詩篇の最後に置かれているもので、その内容は以下の通りである。
主をほめたたえよ。
その聖所で神をほめたたえよ。
その力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。
そのすぐれて大いなることのゆえに
主をほめたたえよ。
ラッパの声をもって主をほめたたえよ。
立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。
鼓と踊りとをもって主をほめたたえよ。
緒琴と笛とをもって主をほめたたえよ。
音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。
鳴りひびくシンバルをもって主をほめたたえよ。
息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。
主をほめたたえよ。
これを見ると、とにかく鳴り物を鳴らして主を褒めたたえまくろうっていう内容だ。
誰だって褒められれば悪い気はしない。それは主も同じだったのかもしれない。となると、こうやって讃えたユダヤの人たちはすっごい褒め上手ってことになる。
ところで原題のCLって?
マイティアのことではない。
ローマ数字では、例えばⅠは1であることをご存知の方は大多数いる。12までは知っているのではないか?
なぜなら、時計の文字盤に書かれていることが多いからだ。
Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ、Ⅶ、Ⅷ、Ⅸ、Ⅹ、Ⅺ、Ⅻ
この文字を“時計文字”という人もいるが、ひねくれ者の私は、私の時計には書いてないもんねぇ~と、心の中で思ったりする。
5はⅤであるが、Ⅴより1つ小さい4はⅤの左側にⅠがつく。
10はⅩだが、Ⅸの表記の原則も同じだ。
さて、Ⅹの次の文字はL。Lは50のこと。さらにCは100。Dが500でMが1000。
つまり原題の「Psalm CL」のCLは、150という数字だ。
長々書いてきたが、そんなの想像つくよな。すまんかった。
参考までに書くと、例えば200はCC、600はDCとなる。
ここでちょっと思ったのだが、ローマ数字で時分秒を表示するデジタル時計を発売したら、間違いなく売れないと思う。
われわれが当たり前のように使っている1、2、3……という数字はアラビア数字である。
初めて耳にしたときには「なんだか一風変わった曲だな」と感じた「詩篇150番」だったが、短い曲ながら聴けば聴くほど愛着がわいてくる。 ヒコックス指揮シティ・オブ・ロンドン・スクール・フォー・ガールズ管弦楽団、同合唱団、シティ・オブ・スクール・ロンドン合唱団の演奏を。下手くそのようでいて、でもきっとちゃんとしている演奏(の予感が強くするものだ)。聴いていて心が浮足立つ(褒めてるんです)。
1990年録音。シャンドス。
さて、三連休最終日だ。
土曜、日曜と雑草抜きやバラの剪定を、各々2時間くらいしたが、そんな時間でも足や腰が痛い。
バラの花はいったんピークを終えているが、今はおととしに紫竹ガーデンに行ったときに入場者プレゼントでもらったユリの球根が、放任していたにも関わらず今年もちゃんと開花した。
また、昨日は街中にちょっと出かけたが、ある雑貨屋で観葉植物やサボテンが売られていて、そのなかにオベスムもあった。おしゃれな鉢に植わってはいたが、私が買った株と同じくらいの大きさで4500円。やっぱ、あれは安く買えたと実感した。
午後に帰る。