新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は自宅庭で咲いた「レディ エマ ハミルトン(2024年6月22日撮影)。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2014/07

記念碑はいずこ?祈念及ばずたどり着けなかった私 ♪伊福部/鬢多々良

DoshinIfukubeOtowa  「た、た、たんたたたん」と係長の喜びの声(うそ)
 「さて、今日の昼は何を食べようか……」

 話しかけたとも、ひとりごちたともつかない言い方を、私はした。

 隣にいたのは、いつものランチ・フレンドの一員、阿古屋係長だ。

 「そうですね、何にしましょうか……」

 このように、彼は私に何の指針も示してくれなかった。
 外は雨だった。関係ないが。

 「よし!特に夢や希望がないなら、美〇〇のラーメンか、〇〇楼の担担麺にしようか?」

 私は思いつきのように言ったが、実はその数分前から、密かにこのどちらかに行こうと思っていた。
 親ガメと子ガメのような丼Wのかしわそばを食べた翌日のことである(つまり先週のことだ)。

 係長は言った。
 「い、いぃ、いいですねっ!実はボク、今日は〇〇楼の担担麺が食べたいなってすっごく思ってたんです。〇〇楼の担担麺、美味しいですよね。いいなぁ。ホント、食べたいと思ってたんす」

 何もどもらなくてもいいのに……
 タンスにゴンじゃないんだから、焦って“で”をとばしちゃうし……

 そんなに思っていたのなら、係長も最初っからそう言ってくれればよかったのに……
 前日、そば屋を提案したのが自分だったから、今日の店の選択は自分の担当じゃない、しゃしゃり出てはいけないと思ったのだろうか。

 
店員さんは担がないでお盆にのせて来るけれど

 担……
 タンタン麺のことを坦坦麺(坦々麺)と書いていることがあるが、あれは正しくない。
 担担麺(担々麺)が正しい。
 もともとは天秤棒である“担担”に道具をぶら下げ、担いで売り歩いたソバだから担担麺なのだ。


 この日の私は、担担麺に小ライスをつける不退転の決意だった。

 顔なじみの店員に「担担麺と小ライス」と告げる。
 店員さんは笑いながら言う。
 「きっちり言わなくても、『いつもの』って言ってくれていいんですよ」

 いや、いつもこうじゃ、本当はダメなのだ。本当は担担麺単品にとどめなくてはならないのだ。
 でも、これからは「いつもの」って言っちゃうかもしれない。

Eikyoku  多々は良いこと、とも読める?
 タンタン……
 
尻取りをしているわけじゃないが、尻取りでは禁句のンを除くとタタ……

 “多”という字を連想する。
 加えて、こじつけでライスのラ……
 
 タタラ……

 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の16の和楽器合奏のための作品、郢曲「鬢多々良(Bintatara)」(1973)。

 作品についての詳細はこちらをご覧いただきたいが、この優雅な響きは伊福部特有の土俗性とはまた異なるもの。
 とはいえ、伊福部でなければ書き得なかっただろう楽曲だ。
 これもまた、私の心を捉えて離さない曲。
 曲の最後、小鼓の音にいつも心が高ぶり、鼓動がポンポンと激しくなってしまう。

 田村拓男/日本音楽集団のすばらしい演奏で。
 1981年録音。カメラータ。

P7260067  記念碑の記の気配すら感じずに……
 デンティ・ベスというバラ苗が売り切れていたために心が枯れかけた私だったが、音更に来たついでにいつか行ってみようと考えていた、伊福部昭の記念碑を目指した。

 掲載した記事は2か月ほど前の北海道新聞(十勝版)のものだが、私はこれによって記念碑の存在を知ったのだった。

 場所は音和の森というところ。

 地図で見ると、この森、縦長(あるいは横長)にやたら広い。
 行ってみたが、予想通り、記念碑がどこにあるのかさっぱりわからない。

 森への入り口もいくつもある。
 この案内板が建っていた場所には3台分くらいのスペースの空き地(すなわちこれが駐車場)があったものの、他の入り口には駐車場もなく、私は道ばたに車を停めて何カ所かから徒労を覚悟して入ってみたが、いずれもホントに森の中の散策路で、やっぱり徒労に終わった。

 この看板を見たまえ。
 私は何を頼りにして記念碑を探せば良いというのだろう。

 誰かに尋ねようとも、誰もいない。
 この森に来る人がいるのだろうかというくらい、ひとけがない。
 伊福部が子どものころ、音更にはこういう森がもっともっとあったと思うが、こういう場所で遊んだのだろうか?私は今回、その環境に触れたような気がする、とでも思わないと、しゃくに障る。

 結局見つけられず、帰って来た。
 心が折れたとともに、不気味に静かな森の中で虫にあごを刺された。

 そして、かゆさに耐えながら月曜日は東京に出張したわけ。

1200株のバラ。入園無料!人気スポットになる予感…… ♪コスマ/枯葉

P7260050  また奥村チヨ。今度は替え歌
 ふつうで考えれば、なぜ地元民でもないのにここで買うの?って感じで、足寄の道の駅で購入したアデニウム・オベスム
 わが住み家に連れて来られて1ヵ月ほどになったが、日の当たらない売り場から日の当たるマンションの窓辺へという環境の変化のせいだろう。次々と葉が黄変し、落ちている。

 大丈夫。
 いったん裸になったら、新たな葉が出てくることは間違い。
 そう信じつつも、やっぱりちょっと不安である。

 リビングの床に落ちた葉をつまみ上げながら、奥村チヨの「終着駅」を“落ち葉が舞い散るリビングにぃ~」と口ずさむ私である。

  きれいすぎる屋外トイレに長居したくなりそう
 日曜日に帯広近郊の大正という地区にある“十勝ヌップクガーデン”というところに行って来た。
 住所は帯広市昭和町西1線109。109とみるとすぐにトーキューを連想してしまう私だが、東急グループとは関係ない(はずだ)。

P7260051 大正地区というのは、旧広尾線の大正駅があった街で、愛国駅と幸福駅の間に位置する。
 取引先の方にこのガーデンを教えてもらったのだが、ヌップクガーデンのことはまったく知らなかった。できてまだそんなに経っていないのだろう。
 しかし、十勝ヒルズよりはるかにきちんと手入れされているし、紫竹ガーデンよりも広々としている。
 そして入園料をとらない。

 入口にはレストランがある。
 レストランのメニューはうどんが主体。そして、私も食べたのだが、コシのある麺が実に美味しい。

 庭園は原生林を切り拓いたものだそうで、ところどころ元の木々が残されている。
 松類が日本風に形作られていて、和洋折衷なところが、盆栽好きのカリフォルニアの富豪が作った庭のようなP7260052アンバランス感があるが、これはこれでご愛嬌。

 2haの敷地には、
 ・ 湧水を利用した滝と池(ニジマスやコイがいる)
 ・ 藤棚とショウブ園
 ・ 自然林
 ・ 洋風庭園
 ・ 焼肉ができる東屋
 ・ 日本庭園と枯山水
 ・ ワサビとツツジの丘
 ・ 63種1200本のバラ園と花畑
 ・ 牧場
 がある。

 まだ整備中のところもあるようだし、バラ園もできたての感じだったが、これが一斉に咲くと見事だろう。

P7260061 この庭園は、隣接する牧場の社長がやっているそうで、趣味も兼ねているとは言うが、これが無料とは大盤振る舞いすぎる。庭園維持のために少しでも入場料をとるべきだ。
 ついでにいうと、駐車場横にある屋外トイレが極めて清潔で、下手な観光施設の屋内トイレなんか比較にならないほどだ。
 なお、夜はレストランで和牛ステーキも食べられるし、また庭園もライトアップされるらしい。

 なぜ、レストラン・メニューの主体がウドン類なのかはわからないが、上に書いたようにかなり上出来なウドンであることは間違いない。
 レストランの中にいても、広い窓から庭園を眺めることができる。
 まだまだ観光スポットというよりは、地元の人たちの憩いの場になっているようだが、今後は遠くからも人が訪れるガーデン・スポットになってくだろう。

P7260065  でもオベスムの葉は落ち続ける 
 コスマ(Joseph Kosma 1905-69 ハンガリー→フランス)の「枯葉(Les feuilles mortes)」(1946)。
 映画「夜の門」のなかで、イヴ・モンタンが歌い、シャンソンの名曲として世界的に知られるようになった作品である。

 今日は札響のコンサート・マスターである大平まゆみのヴァイオリン演奏で。
 ピアノ伴奏は田中明子。
 2010年録音。GLOBE JUNGLE RECORDS。

 でも、あらあら、現在入手困難。

EternallyOhira  一重のバラに心動かされる
 ヌップクガーデンで開花していたバラのなかに、“デンティ・ベス(Dainty Bess)”という品種があった。
 私はほぼ一目ぼれしてしまった。

 うどんを食べたあと、そのまま音更の大野農園へ。

 小雨&煙霧のせいではないだろうが、私が行ったときは他にお客さんがいなかった。
 いや、翌日からALL30%OFFセールが始めるからか……
 けど、この時期に行っても人気品種はだいたい品切れ。

 しかしデンティ・ベスはあると信じていた。だって、私も耳にしたことのない品種だから。つまり、そんな人気がある品種とは思えなかった。

 ところが品切れ。

 店の人曰く、花が咲くと売れ始めるんだそうだ。
 私の心は枯れた……

 そのあと、さらに私の心が枯れ果て、折れる出来事が……

ピアノ伴奏に編曲にするにあたり5本増量しました! ♪伊福部/エグログ(p版)

IfukubeReikoYamada3  1人じゃ店に入れないアタシ
 さて、昨日書いたように、私はこのあとホテルを後にして、東銀座駅から浅草線・京急直通運転で羽田空港に向かわねばならない。

 このような、特に早朝の出発の場合は何も食べないのが賢明だ。

 朝食(といっても、ここの場所の場合はローソンのおにぎりにカップ豚汁ということになる)をとったあとしばらくして、どういうからくりかは不明だが、急におなかがゴロゴロしてきたりすることがあるからだ(実際、なぜかわからないが、昨日東京に向かう飛行機の中で、おなかがいきなり張ってきて非常につらい思いをした。ストローを肛門に差され空気を吹き込まれたカエルのように。私は、「お客さんの中にガスピタンをお持ちの方はいらっしゃいませんか?」と叫びたくなった)。


 そういえば、昨夜のホテルへの帰り道、大きな窓ガラスから中がスケスケに見えるお寿司屋さんの前を通った。
 この店、いつも気になるのだが、寝る前にお寿司を食べるなんて医者が知ったらおったまげた挙句に激怒するだろうから、ちょいと寄るなんてことはやめた。

 実は、このホテルに泊まるときは、いつもここに立ち寄ってお寿司を数個ほお張りたい誘惑にかられるものの、一度も入ったことがない。
 私が抱えている本当の理由は、医者がどーたらこーたらではまったくなく、1人で入る勇気がないということなのだ。

 そんなわけで、そのままホテルの部屋に帰った。


  なぁんだ、このビルだったのかぁ……
 昨日の夜行った新橋の店(正確には住所は銀座だが)。
 初めて行く店だったが、ビルの名前が以前と変わったらしくちょいと見つけるのに難儀した。
 東京は常に変貌を続けている……


 名前が変わったといえば、野坂恵子が野坂操壽という名に変わっていたなんて、アタシちっとも知らんかった。
 誰も教えてくれないから……

 誰だい?寿を操るやつは、って最初は思ってしまった。

 野坂恵子は筝奏者。伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)が書いた最後の協奏作品、「二十絃筝とオーケストラのための『交響的エグログ(Eglogue symphonique)』」(1982)の初演独奏者であり、また伊福部は野坂の筝のためにオリジナルの楽曲を書いたり、あるいは自作を編曲している。


 野坂恵子は1938(昭和13)年生まれで、母・野坂操壽から生田流の筝を習った。そして今、二代目・野坂操壽を襲名しているのだった。


  三木稔の功績
 1969(昭和44)年、伊福部の弟子でもある三木稔の協力を得て二十絃筝を開発。さらに、1991(平成3)年には二十五絃筝を作っている。

 「二十絃筝とオーケストラのための『交響的エグログ』」についての過去記事はこちらをご覧いただきたいが、のちに伊福部はこの曲のピアノリダクション版を作っている。そして、この版では二十絃筝ではなく、二十五絃筝が用いられている。


 が、ピアノリダクション版は、さすがにピアノのパートに苦しいところがある。
 オーケストラがゆったりと長く音を持続させるところは、やはりピアノではきつく、息切れしたみたいになってしまう。

 筝の演奏には感嘆するしかないが(録音時70歳を超えているのだ)、二十絃筝との違い、すなわち5本増量の効果は私にはあまりよくわからない。


 野坂操壽と山田令子(ピアノ)の演奏で。
 2012年録音。ゼール音楽事務所。

 そういえば、野坂昭如って今どうしているんだろう?

夕日を目指すのではなく東へ進まねば! ♪吉松隆/プレイアデス舞曲集

YoshimatsuPleiades1  おなかの心配をしつつも昼ご飯のことが気にかかる
 今日は東京に出張である。

 9時半の飛行機に乗って、神経症的便意や尿意に注意しながら、羽田には11時過ぎに到着の予定だ。

 羽田では別便に乗ってくる人々と合流し、会議会場へと向かう。
 昼ご飯はどのようなことになるのかな……

 出そうな心配や、すでに食べることの心配で、なかなか忙しい私の心である。


 ところで今日搭乗する便(ベンじゃなく、ビンです)。

 予約したのは10日ほど前だったが、空いてる席が1つしか残っていなかった。
 1つだけあいてて、それも通路側の席が指定できて、まことに幸運だった。いまが夏休み期間中だということをすっかり忘れていた。なんだかんだ言って、夏休み期間中はやっぱり混むようだ。料金も高くなってるし……

  柔軟性がないから受難しそうになる
 帰ってくるのは明日。
 それも朝7時台の一番機。
 定刻通りなら9時前に着陸してしまう。
 早起きは三文の徳。戻って来てからの勤務も、時間的にはあまり出張による影響を受けない。良いことだ。

 が、精神的にはきっとかなり受けるだろう。そう、私は予告したい。それに私、毎日雌鶏並みに早起きだし。

 今回の出張用務先は赤坂で、最初はホテルもその近くにとった。しばしば利用するところである。
 が、翌朝早くに羽田空港まで移動するのは、やや面倒だ。

 そのことを考えるとやや憂鬱な気分になったのだが、私ははっと気づいた。先週半ばのことだ。


 やはりしばしば利用する東銀座のホテルに今回は泊まればいいのだ。そこなら浅草線で羽田空港まで直通だ。

 なんでこんなことに思い至らなかったのだろう?
 昼の用務=赤坂ということで視野狭窄になっていたのだ。おまけに、今日の夜の食事場所は決まっていて、新橋。

 だとしたら、“赤坂で仕事→歩いて平河町のホテルにチェックイン→ホテルの最寄駅の永田町駅から地下通路をずっと歩いて赤坂見附駅に行き銀座線に乗って新橋に移動→食事後、逆ルートで平河町に帰り→翌朝、永田町駅から有楽町線で有楽町に行き、ビックカメラの横をかすめてJR有楽町駅から山手線に乗り、浜松町駅でモノレールに乗り換え羽田へ”という動きよりも、“赤坂で仕事→赤坂見附駅から有楽町線で新橋へ行き、ここで浅草線に乗り換え東銀座で降りてホテルにチェックイン→東銀座駅から浅草線で新橋へ向かい食事→食事後、新橋から東銀座へ→翌朝、東銀座から羽田空港直通運転の浅草線車両に乗り空港へ”という方が、ずっと効率的だ。文字が多くて嫌になっただろうけど……

 にしても、自分で思考の柔軟性がなくなってきているような気がした一件だった。
 とか書きながら、仕事が終わったあと間違って平河町のホテルに行かないように気をつけなきゃ……
 ひがしぎんざ……ひ・が・し・ぎ・ん・ざ、と……


  踊らなくてもいいからきちんと東へ向かおう
 吉松隆(Yoshimatsu,Takashi 1953-  東京)の「東に向かう舞曲」。
 「プレイアデス舞曲(Pleiades Dances)第4集」Op.50(1992)の第6曲である。


 「プレイアデス舞曲集」は第1集(1986)から第9集(2001)まであり、詳しくは過去にこちらの記事で取り上げているが、プレイアデスというのは日本名で“すばる”。すなわち、M45星団のことである。(肉眼で見える明るい)星の数が7つあることから、各集とも7曲で構成されている。


YoshimatsuP2 吉松は、

 虹の7つの色、いろいろな旋法の7つの音、様々に変化する7色のリズムを素材にした「現代ピアノのための新しい形をした前奏曲集」への試み

と述べている。


 田部京子が全9集の録音を行なっている(CDは2枚で分売)
 第4番は「プレイアデス舞曲集」のCDに収められている。
 1996年録音。DENON。
 第6集~第9集は、「プレイアデス舞曲集2」に収録されている。
 こちらは2001年録音。

 なお、第4集の7曲は、

 前奏曲の記憶/静かなる雨の雅歌/西に向かう舞曲/間奏曲の記憶/遠く暗い牧歌/東に向かう舞曲/アレルヤの季節

 やばっ!「西へ向かう」ってのもある……

「こういう曲を書きたい」と師に言った芥川也寸志 ♪DSch/森の歌

ShostakovichForestDVD   かつてはあちこちで歌われた「森の歌」
 クラシック音楽にも流行り廃れはある。
 それは、飽きられるというよりも、時代的(社会的政治的)背景に左右されることが多いようだ。

 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)のオラトリオ「森の歌(Song of the Forests)」Op.81(1949)は、その典型例である。

 1948年。
 ソ連共産党中央委員会は、西洋のモダニズムに毒されているとしてショスタコーヴィチらを批判した。ジダーノフ批判と呼ばれるものである。「森の歌」はジダーノフ批判に応える形で発表され大歓迎されたが、それについては、過去の記事「勇気を奮って言おう。やっぱり大好き「DSch/森の歌」」で取り上げている。

 名誉回復のために体制に迎合する作品を書いたショスタコーヴィチは自分を責めたようだが、迎合作品といういきさつや、スターリンや共産党を称えていることが、この曲が次第に聴かれなくなっていった原因だ。私がクラシック音楽を聴き始めたときには、もう「森の歌」の人気はなくなっていた。
 その昔、「森の歌」ブームがあったということを知り、うらやましく思ったものだ。生で聴いてみたいなぁ。

 しかし、近年、再評価の動きもある。
 この作品のわかりやすく美しい音楽は、ソ連の植林事業ってのはたいしたものだとまったく思わない人でも(ショスタコだってそう思ってなかったに違いない)、心を揺さぶられるはずだ。
 1990年代以降、散発的ではあるが新たなレコーディングがなされてきている。日本人にとっては、歌詞の日本語訳を見ながらではなく、まったく理解できないロシア語のまま聴くことによって、この曲を邪念なく純音楽として聴くことができる。メロディー、ハーモニー、劇的効果……スターリンのことはすっかり忘れてそれらに酔ってほしい。

   「森の歌」みたいな曲を書いてみたい 
 ところで、伊福部昭はこう書いている。

AkutagawaFoeever ……新しく入手したと云うショスタコヴィッチの『森の歌』を繰返し聴いたが、彼はこの様な作品を書きたいと頻りに言っていたのが印象に深い。
  (「伊福部昭綴る(ワイズ出版):130~133p「芥川也寸志君を偲ぶ」)

 芥川也寸志(Akutagawa,Yasushi 1925-89 東京)は、ショスタコーヴィチなどのソヴィエトの作曲家の音楽に傾倒していたが、1954年、憧れの作曲家に会うためにソヴィエトに密入国。ショスタコーヴィチやハチャトゥリアン、カバレフスキーに会って指導を受けた。その滞在中に、彼の「弦楽のための三楽章(Triptyque for string orchestra)」(1953)がモスクワで演奏されている。1956年にはソヴィエトでこの曲の楽譜が出版された。

 「弦楽のための三楽章」については、こちらの記事をご覧いただきたいが、師・伊福部昭に通じる力強さと土臭さが強烈な作品である。また、第2楽章の切なさもたまらない。

 ずしんと来る響きの厚さでは森正/東京交響楽団の演奏がいちばんだが録音が古くなったので、ここでは飯守泰次郎/新交響楽団の1999年ライヴをご紹介しておく(フォンテック)。
 
   そして「森の歌」ブーム
 この曲を書いたころ、芥川は“うたごえ運動”や勤労者音楽協議会(労音)の活動に積極的に関わるようになっていた。労音の演奏会で、芥川は「森の歌」を指揮している(1956年に芥川が音楽監督となって結成されたアマチュア・オーケストラの新交響楽団は、その前身を1955年結成の民音アンサンブルとしている)。

ShostakoForest4Score 「森の歌」が作曲された1949年は、昭和で言えば24年。
 日本での全曲初演は、オケの編成を縮小した形ではあったが、昭和28年に桜井武雄指揮こんせる・ぬぼお他によって、京都で行なわれた。 

 音楽之友社のこの曲のポケットスコア。
 私が持っているのは昭和53年発行の第4刷だが、これの第1刷は昭和30年、つまり1955年発行である。
 日本での初演のあと、こんなにすぐに国内版スコアが出版されたことは驚きだ。しかも、歌詞は日本語訳のものが書かれている(掲載譜。第4楽章「ピオネールは木を植える」の一部)。

 この日本語訳歌詞は、井上頼豊、桜井武雄、合唱団白樺の3者の訳によるもので、京都での初演で使われたものである(つまり初演は日本語の歌詞で歌われた)。

 なお、音楽之友社からは現在“新版”のスコアが出ているが、中身がどうなっているかは未確認である。


   合唱団ウォッチング 
 今日は「森の歌」を収めたDVDを取り上げる。
 演奏はスヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団、モスクワ放送合唱団、東京荒川少年少女合唱隊、マスレンニコフ(テノール独唱)、ヴェジョールニコフ(バス独唱)。
 1978年にNHKホールで行なわれたコンサートのライヴである。

 いやぁ、時代を感じる。

 まず画質。
 1978年の頃って、こんなに画質が悪かったんだ。

 次に荒川隊の制服。
 かわいらしいが、今見るといかにもって感じ。ちゃんとしているのに古臭く見えるのはなぜだろう。
 でも一生懸命歌ってる姿に、おじさんは「よしよし、よくやった」と褒めたくなる。

 モスクワ放送合唱団は、平均年齢が高そうだ。
 バシバシバシッっとすごい化粧に、ロウ細工のように髪を固めたおばさんが怖い。
 ステージ向かって右側。端から2人目のやや髪が薄く鼻ひげを生やしている眉毛が太い合唱団員。あまり口が動いていない。目もうつろだ。絶対真剣に歌っていない。前の日の飲み過ぎたか?あるいは、実は団員じゃないのに当日員数合わせで動員された謎の外国人か?
 しばしば映るこの男性団員を見ているだけでも、ややイラつくが、楽しい(カメラマンは絶対ターゲットにしていると思う)。

 オケの迫力はなかなか。モスクワ放送合唱団は見た目では全体的にやる気が伝わってこないものの、きちんと歌えているのはやはり底力があるということか。
 荒川隊は良くトレーニングされている。しかもモスクワ隊とは異なり、楽譜を持っていない。つまり暗譜。
 ってことは、逆に言えば、モスクワ放送合唱団は、そんなに数多くは「森の歌」を歌っていないということか。

 この公演から35年。
 出演している荒川少年少女合唱隊の人たちも、仮に当時10歳だとしても45歳。
ShostakovichForestSvetlanov このDVD買ったかなぁ……

 いろんな点で、観ていて幸せな気持ちになれる映像、演奏だ。
 NHKエンタープライズ。

 ところで、スヴェトラーノフには同じく1978年ライヴのソヴィエト国立交響楽団、ソヴィエト放送合唱団との「森の歌」がある(⇒こちら。LP時代にはモスクワ放送合唱団の記述もあったように記憶しているが、VENEZIAレーベルのこのCDには書かれていない。またどこでのコンサートのライヴなのかよくわからない)。
 テノールは東京公演と同じマスレンニコフ。バスはヴェデルニコフだが、こちらは表記の微妙な違いのせいで、実はヴェジョールニコフと同一人物のように思える。
 こちらの演奏は超重量級の爆演(CDは現在入手困難)。

 東京での演奏はここまで爆々してはいないが、真っ向からガチで立ち向かうスヴェトラーノフの姿勢は一緒だ。アシュケナージの退廃的なアプローチとは正反対だ。指揮者のスタンスでこんなに音楽の表情が変わってしまうとは……

 そして、CDでのライヴ演奏(たぶんソヴィエト国内での公演)では第2楽章で合唱が入る箇所で大きなミスがあるが、東京のはノーミスである。

とても精巧なすり替えのおかげで人気上昇 ♪ボッケリーニ/vc協9

BoccheriniYoYoMa   今ではあまり良く言われなくなったグリュ版
 ザッケローニは日本から消え去った。
 代わりに来たのはアギレ監督だ。
 それはともかくとして、今日はボッケリーニ(Luigi Boccherini 1743-1805 イタリア)のチェロ協奏曲第9番変ロ長調G.482。

 はっきりした作曲年はわかっていない。1785年ころにウィーンで出版されたという説がある。

 優れたチェロ奏者だったボッケリーニは、10数曲のチェロ協奏曲を残している。そのなかでも、この第9番は最もよく知られている作品。しかしながらこの曲、現在2種類の版が存在する。


 残っている正確なこの曲の楽譜は、ドレスデンにある19世紀末の写本のみで、これは1949年に原典版として出版された。

 しかし、原典版出版のずっと前の1895年。同じ写本からチェリストのグリュツマッハーが校訂版を作った。グリュツマッハー版である。これによって、この作品は広く知られるようになった。

 しかし、グリュツマッハー版は第2楽章(ト短調。アダージョ・ノン・トロッポ)でボッケリーニの他のコンチェルトの楽章を転用していたことなどが判明。さらに過度な装飾も施されていることがわかった。

 1949年に原典版(シュトゥルツェッガー版)が出版されてからは、原典版で演奏される機会が多くなってきている(第2楽章は変ホ長調。アンダンテ・グラチオーソ)。
 

 磯山雅氏はグリュツマッハー版のことを、“ボッケリーニの主題によるロマン的幻想曲”だと言っているが、巧みに“編曲”されているグリュツマッハー版の方も、いまでも忘れ去られずに残っている。

 
   でも、この中間の短調が曲の表情を豊かに
 そのちょっと悪者扱いされているグリュツマッハー版による、ヨーヨー・マのチェロ独奏による演奏を。指揮はズッカーマン、管弦楽はセント・ポール室内管弦楽団。

 落ち着いたチェロの語り、陰影の表情がしっかりとしているオーケストラ。決して厚化粧のように感じない、清潔感漂う演奏だ。
  1982録音。ソニークラシカル。

 このコンチェルト、第3楽章がどうも軽い。となると、私としては、短調のアダージョが中央の楽章にあるグリュツマッハー版の方が、実はしっくりくる。まがい物が好きじゃいけませんか?

 なお、チェロ協奏曲第9番とほぼ共通の楽想のチェロ・ソナタ変ロ長調G.565が、1900年代半ば(1962年以前だという)に発見されたそうで、このチェロと通奏低音のためのソナタが協奏曲第9番の原形と考えられているという。
 それがどうしたと言われると、いえ何でもありませんと答えるしかない私だが……

破壊的咆哮と敬虔なる美の効果的対比 ♪ブルックナー/Sym9(by ヨッフム)

BrucknerSym9Jochum   増殖するメン
 先日、滅多に行かないそば屋で昼を食べた。
 滅多に行かないのは、近くながら行くのが面倒な場所にあるからだ。

 しかし、最近阿古屋係長がその店で新発見したことがあるという。

 丼物とそばのセットはそれぞれがハーフサイズであるがゆえ満足感がないが、そばを大盛りで注文すると物足りなさが払拭されるので、「我それを評価したい。ついては皆の者、お試しあれ!」と言うのだった。

 店に行くと、商業施設の中の上の階という場所柄か、サラリーマンの姿などはまったくなく、なかなかのお歳を召した人たちでそこそこ混んでいた。

 それにしても。客の回転が悪い。
 買い物ついでにゆっくりお食事ということもあるのだろうが、ここはそば屋だ。壁に“コーヒーあります”と張り紙があったが、食後のコーヒーをすすりながら粘っている人は誰もいない。

 さりげなく観察してみると、みな、食べるのが遅いのだ。
 お歳を召しているのでしょうがないことだが、それにしても遅い。

 なかには、麺が減っていくスピードよりも、麺がのびる方が勝っている人もいる。だからいつまでたっても、丼の中の麺の量は平衡状態。質量保存の法則のごとく、麺が減らない代わりにつゆがなくなり、丼の中は巨大化したモンブラン・ケーキにネギをトッピングした様相。
 もはやそばという食べ物には見えなかった(つまり見出しの意味は、男が増え続けるという気持ちの悪い話ではない。もっとも、これだって気持ちの良い話ではないが)。

   丼セットはなんとか我慢したが
 ところで、このとき私が注文したのはかしわそばの大盛り。
 本当は豚丼か親子丼とのセットにしたかったが、炭水化物の摂り過ぎはよくないとグッとがまん。それでも、誘惑に負けず大盛りにしてしまった。そばは体に良いはず、と自らを暗示にかけて。

 阿古屋係長はマグロ丼セット。ここで係長は麺の大盛りを頼んだ。
 秋吉課長は野菜天丼セット。係長に合わせて麺を大盛りにした。

 最初に運ばれてきたのは私のかしわそばだった。
 が、お盆にはなぜか大小2つの丼がのっている。
 「すいません。ふつうの作っちゃったので、大盛りの分は別な丼に入れてきました」

 なるほど……
 量的にはあっている。
 でも、なんだか言い訳の意味がよくわからない。大小2つあわせて盛り直すことはできなかったのだろうか?
 大小2つの丼を前にしていると(しかも両方とも同じかしわそばで、味の変化はない)、なんだかなぁって気がした。

 てなことだが、セット物を頼んだ2人の会計は、麺を大盛りにしたせいで1000円近くになった。
 ボリュームはあるけど、お得なのかどうかは今後の検討課題である。

   さてその後の体重は
 境界型糖尿病の可能性を宣告されてから1ヵ月半。
 それより前、ブドウ糖負荷試験に備えて炭水化物を摂り過ぎないようにしてから約3か月

 私の体重は現在65kg周辺でほぼ一定している。

 何が何でもホンモノの糖尿病にはなりたくない。なるべきではない。なってはいけない。
 だからこの日も、たぶんたまに食べる分には問題ないのだろうが、セット物をがまんしたわけだ。
  
 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)は、交響曲第9番ニ短調WAB.109(1891-96。未完)の作曲に取りかかったころ、真性の糖尿病を患っていたそうだ。そしてまた、糖尿病も罹患の品ぞろえの1つに過ぎず、他に、動脈硬化、肝硬変、下肢水腫などの症状も悪化していた。

 この作品についてはこちら「バカ者はひたすら神のために…」をご覧いただきたいと思っている、バカ者呼ばわりされた私(←けっこう根に持つタイプ)。

 今日はヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデンによる演奏を取り上げる。

   元気すぎるおじいさん……
 この演奏、オーケストラの音、特に金管は粗暴粗野とも言えるもの。だが、崩れるギリギリ手前で見事にうっちゃる。

 このCDのレビューで、オケのことを下手くそだと書いている意見も見かけるが、たぶん下手なのではなく、奏者はこうやるように指揮者から要求されたのではないか?
 それゆえか、美しいところはとことん美しく響く。つまり、美女と野獣のような対比が効果的。

 粗野で粗暴ということは迫力満点ということでもあるが、シャープでもある。濁らない。切れ味が良い。高齢のヨッフムがこのようにオケをドライブしていることにただただ感心するのみ。

 個人的にはクレンペラーの演奏の方がわずかに好きだが、ヨッフムのピシリとしたアプローチは快感。
 声を張り上げて、これでもか、これでもかと(怖れをあわせもって)神を讃えているようにも聴こえるが、逆に第3楽章になると、まるでヨッフムが神に祈りを捧げているように思えてくる。

 私にとって現時点でのブル9のベストはクレンペラー盤。だが、僅差の2位がこのヨッフム盤である。 
 使用楽譜は1891-94年稿ノヴァーク版。
 1978録音。ワーナークラシックス(原盤EMI)。

あらためてマゼールの死を悼む ♪ロイド・ウェッバー/レクイエム

LloydWebberReqiem   マゼール追悼のために彼の録音が唯一のレクイエムを
 10日前に肺炎による合併症のため84歳で亡くなったロリン・マゼール。

 マゼールの残した録音を、私はすごくたくさん聴いてきたわけではない。
 むしろ氏の演奏に魅かれるようになったのはここ10年ほどのことで、それまでは特に好きな指揮者というわけではなかった。

 そのマゼールの録音で、これまで私がいちばん繰り返し聴いてきたもの。
 それはおそらく、ロイド・ウェッバー(Andrew Lloyd Webber 1948-  イギリス)の「レクイエム(Requiem)」(1984)だ(ロイド=ウェッバーと表記される場合もある)。

 この曲(そして唯一の録音であるマゼール盤)については「現代人のためのレクイエム」というタイトルでここに書いているが、秋山和慶/札響の定期演奏会で最初に耳してすっかり気に入り、ずいぶんとこのCDを聴いてきたのである。
 マゼールの追悼=レクイエムというのも安直だが、そこはご勘弁。

LloydPieJ   作曲動機となった究極の選択の記事
 曲に関してはお手数でも上記リンク先をご覧いただければ幸いだが、ロンドン・ミュージカルの超人気作曲家であるL=ウェッバーが、シリアスな「レクイエム」を作曲したきっかけは、父親の死と、ポルポト政権下のカンボジアでの“手足を失った姉を殺すか、それとも自分が死ぬか”という少年の決断を書いた新聞記事だった。

 極めて美しい“ピエ・イエス”(掲載譜。HAL・LEONARD社刊のヴォーカル・スコア)が特に有名で単独でも演奏されるが、ぜひとも全曲を聴いておきたい傑作だ。
 なお初演は、この録音の方が公開演奏に先行して1984年に発売され、公開初演は翌85年である。

 演奏陣は、マゼール指揮イギリス室内管弦楽団、ウォンチェスター大聖堂聖歌隊、ブライトマン(ソプラノ独唱)、マイルズ=キングストン(ボーイ・ソプラノ独唱)、ドミンゴ(テノール独唱)である。

 1984年録音。EMI。Dvorak SlavonicMaazel 

   これもぜひ聴いておきたい1枚
 マゼールのCDで、まだ聴いたことがなければ是非!、とお薦めしたいのはベルリン・フィルとのドヴォルザークのスラヴ舞曲集。こんなに攻撃的、破壊的なスラヴ舞曲を、私は他に知らない。

  嫌なことがあった日の夜なんぞは、ご近所迷惑にならないよう音量に配慮しつつも、この爆演でストレス発散するのも悪くない。

 

あなたの好みは“ウ”?“ち”?それとも“と”? ♪ストラヴィンスキー/兵士の物語

StravinskySrtBoulez   ソースはご家庭に何種類ありますか?
 バターを利かせたプレーン・オムレツに、サラリとした辛口のウスター・ソースをたっぷりかけて食べるのが好きである。
 塩胡椒をちゃんとすれば、ウスター・ソースなどかけるのは邪道に決まっているのだが笑わば笑えだ。

 向田邦子は「霊長類ヒト科動物図鑑」(文春文庫)のなかの「たっぷり派」というエッセイで、このように書いている。

 一般のご家庭で、とんかつソース、中濃ソース、ウスターソースの3種を用意していて、用途や気分によって使い分けているとしたら、私はすっごく感心してしまう。

 キッチンの棚あたりにブルドックの顔が整然と3つ並んでいる様子は、なかなか壮観だろう。ブルドック・ソースの場合に限るが。
 でも、セブン・アイのソースなら、セブン・アイのロゴが並んで、節約派らしさが伝わって来そうだ。

 ウチの場合はソースをあまり使わない。だから1種類だけしかなくても、一度封を切ると開栓前賞味期限を過ぎたあともまだ残ってる場合がある。だから、3種類なんてとても無理だ。

 ところでこのエッセイを読んで、私は無性にウスターソースをかけたオムレツ(というか、塩コショウのみの味付けの玉子焼き)を食べたくなった。
 実はわが家には(自宅にも、こちらの赴任地のマンションにも)ソースは中濃ソースしか配備されていない。
 なぜ中濃なのか?それもさしたる意味があって選んだわけではない。日本人的に、ちょうど中間が無難かな、くらいの話だ。

 そこで買ってみた。ウスターソースを。
 手の人差し指ぐらいの高さの小瓶がないかと思ったが、とんかつソースと中濃ソースにはそれがあるが、ウスターはなかった。そのサイズのニーズがないのか、あるいは粘度の低いウスターだと、そんな小さなサイズだとすぐに底をつくのかもしれない。

 ブルドックはやめ、それより40円ほど安いセブンのPBを選んだ。セブン・アイのウスターソースは、実はカゴメ製だということを、初めて知った。

 その日の夜。
 卵は焼かなかったものの、肉にウスターソースをかけて食べた。う~ん、大人の味だね。
 翌朝はオムレツ(といっても、よく焼いた玉子焼き)にウスターソースをかけて食べた。おぉ~、目が覚める味だね。

   兵隊さんのジープとかとすれ違った
 ところで日曜日、自宅からこちらに戻るとき、国道274号線も道東道も、ずいぶんと札幌方面に向かって自衛隊の車両が走って行った。
 どこに配備された人たちが、どこに向かっているのか知らないが、意外とスピードを出していた。公務中の兵隊さんもスピード違反で警察に捕まることはあるのだろうか?きっとあるんだろうけど。でも、タラタラ走られるよりはいい。

 ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)の「兵士の物語(L'Histoire du soldat)」(1918)。
 本日は、ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団による組曲版(つまり、語り手、兵士、悪魔が登場せず、セリフ無しで音楽のみで構成されている)の録音。

 作品の内容と、同じブーレーズの全曲演奏についてはこちらをご覧いただきたいが、この曲、舞台作品なのでCDで途中のセリフのみの部分をずっと聴かされるのは、はっきり言って辛い。
 かといって、全曲を知っていると組曲版が少々物足りない。

 なんてわがままなことだろうと思いつつも、歳をとるとわがままになっていくものなんだから仕方ない。最初っから組曲版しか知らない方が、そんなジレンマに悩まされることなく、幸せな人生を送れただろうに……

 ブーレーズによる全曲盤(1980年録音。エラート)の方は、悪魔も兵士も語り手も上手くて、そりゃちょっと途中であくびが出ちゃうけど(ただスピーカーから流れる言葉耳にしていて、集中力が足りないと非難される筋合いがあろうか?)、とても見事。そして、長いセリフのあとようやく音楽が鳴り始めると、我慢した甲斐があったわいとも思っちゃう。そして、この録音では、演奏もきりりと締まっていて、すばらしい。

 同じブーレーズのこの組曲の方もとても良い演奏だが、80年録音のものに比べるとややマイルドな仕上がり。

 それにしても、例えば冒頭部分など、セリフと音楽がかぶって進む箇所は、音楽だけだと物足りない感じがする。
 セリフだけの箇所をカットした、不完全全曲盤とかあれば……いえ、なんでもないです。

 1996年録音。グラモフォン。

   コメント4連射
 昨日の昼のことだが、昨日の記事に立て続けに同一人物から4つのコメントが入った。

 コメントの内容は、つまらぬブログを閉鎖しろ、とか、いつまでつまらぬブログを書き続けるのか、といったもの。ワケのわからぬ横文字のスパム・コメントが来たことはあるが、こういうクレームをつけられたのは初めてだ。
 私のブログの読者の方々の中には、自分でもブログをやっている人が少なくないと思うが、同じような経験をしたことがあるだろうか?

 私の記事がつまらないと思うなら、そっと無視しておいて欲しいんですけど……

 これらのコメントの公開は、迷ったものの、やっぱりしないことにした。
 4連射のうちの1つに、“このコメントは、馬鹿な管理者による確認後、くだらぬブログに反映されます”とあったからだ。
 くだらぬブログに反映させられちゃ不名誉なことだろうと、馬鹿なりに配慮した結果だ。

 ただ、このコメント寄稿者のURLをクリックすると“民主党の内幕”というサイトに飛ぶ。
 ますますもって、私のブログには縁のない世界だが……
 もしかして、と思うのは(4つのコメントの中の1つにも、中国がらみで触れられてはいるが)、村上春樹がキーワードになっているのかもしれないということだ。

「アラシよりカレシ」と娘は言った ♪R.シュトラウス/影のない女

StraussRZara   あまりに魅惑的なメロディーなので……
 リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949 ドイツ)の交響的幻想曲「影のない女(Die Frau ohne Schatten)」(1946)。

 同名の歌劇(Op.65。1914-17。3幕。台本=H.v.ホーフマンスタール)から単独のオーケストラ曲として作られた。

 というのも、このオペラにあるメロディーの数々がたいへんに美しく、周囲からこれをもとに管弦楽曲を書くようシュトラウスが求めれたからであった。

 オペラの筋は、霊界の王と人間の間に生まれた女が影を失い子どもを産めなくなる。皇帝の后となりながらも、乳母とともに影を求める、というもの。

   僕の影は監禁中
 これで私が思い浮かべるのは、村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」(新潮文庫)。

 “世界の終り”の人びとは、影を引きはがされ、それまでの記憶を失う。
 主人公の“僕”も影を引きはがされ、この世界にやって来る前の記憶をほとんど失ってしまう。
 “僕”の影は、この世界から脱出することを企てるが……
                           
 さて、交響幻想曲「影のない女」は実に官能美に溢れた作品。
 色彩豊かで、さすがR.シュトラウスという感じ。
 ラヴェルが管弦楽の魔術師なら、R.シュトラウスは官能の魔術師……なんてことを言うと、「この、変態エロじじいめ!」みたいに思われるか……。何かの魔術師にしたいんだけどなぁ。なんて言ったらいいのでしょ?
 とにかく、シュトラウスらしいサウンドにどっぷり浸ることができる(シュトラウスが書いたんだから、そうでなきゃマズイことではある)。

 ドラティ指揮デトロイト交響楽団の華麗かつ流麗な響きの演奏がお薦め。
 1983年録音。デッカ(TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION)。

   たまに日向山課長の話
 先週末、久しぶりに日向山課長とゆっくり話す機会があった。
 お酒の席である。

 そこにはヤマダ課長もいたし、まだ私が命名していない課長2人もいた。
 この2人の今後の登場頻度は未知数だが、1人は羽衣(はごろも)課長、1人は米茸(よねたけ)課長ということにしよう。

20140719Meroad ところで、日向山課長や阿古屋係長、そして橘皮課長と並べると、ヤマダ課長の名前はあまりにも手抜き命名だった。彼が誘惑に負けておなかを壊したのも、私のつけた名前が悪かったことに由来するのかもしれない。

 そこで、今後はヤマダ改め“秋吉”にすることといたしたい。
 名の由来?それは秘密だ。
 なお、読者の方におかれましては、今回の名称変更に伴う事務手続き等、面倒なことは一切発生しないので胸をなでおろして結構だ。

 日向山課長の中学生の娘さんは、嵐のファンだというが、近ごろは交際相手=彼氏がいらっしゃるようで、お父様である日向山課長も相手のことは良く知っているという。
 親公認の仲という言い方が当てはまるのかどうかわからないが、とにかく娘さんがお父さんに言った最近のポリシーが、本日のブログ・タイトルの言葉。
 なかなかおじょうずだわいと思いながら、辛子茄子を頬張った私。

 ところで、単身赴任の身である日向山課長。最近、家に電話をかけると子供が出るケースが多く、かつ、それで終り、奥さんとはなかなか電話で話せないという。
 だからといって、そんなこと言われたって、私は困るだけである。
 
 そのこととは特に関係ないが、土曜日に“夕張メロード”に立ち寄ったとき、テナントで入っている菓子店の前で、目を引くPOPを見つけたので載せておく。
 これを見た私の妻は、けっこうウケテいた。
 が、私にはこの絵の夫婦、顔がなんかいやだなぁ。

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