新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は江別市「らーめん しょう」の味噌ラーメン。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2014/06

なぜか“イタリア”を引きずった日曜日♪クレンペラー/POのメンデルスゾーン/Sym4

MendelsshonSym4Klemperer  演奏会から一夜明け……
 土曜日。
 イタリアの超有名重量級音楽であるヴェルディのレクイエムをKitaraで生で聴いたわけだが、その後帰宅してからはまったくもってイタリア的じゃない時間を過ごした。

 つまり夕食はスパゲティでもピザでもなく、しゃぶしゃぶ。
 昨日の朝食もカプレーゼとかリゾットではなく、たらことか玉子焼きとかなめこのみそ汁。
 昼は都市間高速バスの中でおにぎり。
 夕食は自宅から持ち帰ったおかず類に加え、スーパーで買った韓国産のマグロの刺身。中国産よりはいいだろうとこっちを選んだ。
 刺身はあまり好きではないが、たまにEPAだかDHAだかDHCだかをとらないと身体に悪いと思い、輸入前にどんなことされてるか怪しい気がして、もしかしたら食べるとむしろ身体に悪いかもしれないかと思ったものの、悪さの度合いを天秤にかけた結果、結論が出ないままこの刺身を買ったのだった。

 このように、まぎれもなく非イタリア的な生活だったわけ。少なくとも食に関しては。

 いや、食生活だけではない。
 クラシック音楽鑑賞と並ぶ私のもう一つの趣味。バラの枝で打たれること!、じゃなくてバラを愛おしく育てることも、イタリアとは関わりがない。

 イタリアで品種改良されたバラってあまり聞いたことがないのだ。
 フランスやイギリス、ドイツやアメリカ、そして日本はあるが、イタリア産は少なくとも自分の庭で育てたことはないと思う。

20140629ElidouB このかわいいバラはエリドゥ バビロン。
 2008年にオランダで作出された品種。やっぱりイタリアと関係ない。

 そんなわけで、非イタリア的朝食の前後のガーデニング作業でも非イタリア度100%。
 イタリアなんて行ったことないわと訴える(ように思えなくもない)バラたちの花柄を摘み、悪事を働くご当地生れの虫を殺虫剤で駆除し、体を蝕む感染経路不明の病原菌を消滅させるために殺菌剤をかけた。

 そのあとは昼に札幌を出る高速バスに乗って帯広へと戻ってきたが、確率的に当然の結果として車内にイタリア人観光客はおらず(外人そのものがいない)、じゃあせめて「イタリア」でも聴いてやろうじゃないかと思い立った(かなりウソくさい展開だが……。いや正直に話そう。バスのなかでは伊福部昭とマーラーを聴いた)。

 にしても、なぜここまで自分がイタリア(にこだわる)・モードになっているのか不思議だった。
 唯一考えられるのは、減量のためにここしばらくは大好きなスパゲティ・ボロネーゼを食べてないせいだと思う。

  ドイツ人によるイタリア旅行の思い出

 メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn-Bartholdy 1809-47 ドイツ)の交響曲第4番イ長調Op.90「イタリア(Italian)」(1833/改訂'37.1851出版)。

 でもこの曲、ドイツ人作曲家がイタリアの外からやって来てその印象を音楽にしたものだ。そんなこと、あらためてここで説明されたくないだろうけど。

 メンデルスゾーンはイタリア旅行の印象からこの曲を書いたが、同じく旅の印象から書いた交響曲第3番イ短調「スコットランド」とは曲調がずいぶんと違う。
 そりゃそうだろう。
 「スコットランド」の方は、その昔殺害事件があった場所を見学して着想したのだから。この件については「私は高血圧だが若年ではない♪クレンペラーのメンデルスゾーン/Sym3」を読んでいただけると、私のスコッチの飲みもはかがいくというものだ。


 メンデルスゾーンはユダヤ系ドイツ人だった。

 そして、同じくユダヤ系ドイツ人だったクレンペラーが振った「イタリア」が、またすばらしい演奏だ。
 同じだから共感度が高い!というのは、かなりのこじつけだが……

 第3番「スコットランド」の演奏と同様、スケールの大きな演奏。しかし、決して鈍重にならない。
 快活だ。けど、軽くならない。
 それが、この曲にある種の威厳を与えている。

 「イタリア」も軽けりゃいいってものではない。軽いにこしたことがないのはランドセルと女性の尻だ(←う、うそです!決してそんなこと思ってはおりません!)。

 まさに歴史的名盤。

 にしても、自分が生まれるより前に演奏され録音されたものに、新鮮味と感動を覚えるなんて、なんだか不思議。奇妙な世界。


 オケはもちろんフィルハーモニア管弦楽団。
 ワーナー(原盤EMI)。

 なお、この曲では1833/34改訂稿での演奏が収録されているガーディナー/ウィーン・フィルのCDを聴くこともぜひお薦めしたい(「読後充実度 84ppm のお話」2009年7月14日の記事“野暮ったさが魅力のメンデルスゾーンの「イタリア」改訂稿”で取り上げているので、必要ならご覧いただきたい。えっ?必要ない?そ、そうでしたか……)。

 サッカーのワールドカップ中継。CMの前に必ず入るオフィシャル画像(?)、何て歌ってんだかわかんないんですけど……

札響第570回定期演奏会(B日程)を聴いて

Sakkyo570th 昨日6月28日14:00~。札幌コンサートホールKitara

 プログラムはヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi 1813-1901 イタリア)の「レクイエム(Messa da requiem)」(1874)。

 こういう90分近い曲の場合って、途中で尿意をもよおしてしまったらどうしよう。待ったをかけられないおなかゴロゴロに急襲されたらどうしようと、何かと不安材料を抱えてコンサートに臨むことになる。
 変な話、楽しみなんだけど重い気分。私はこれを“楽重モード”と呼ぶ(覚えなくてもよいです。この言葉、二度と出てきませんので)。

 指揮は今シーズンで札響の音楽監督を辞める尾高忠明。
 独唱は、安藤赴美子(S)、加納悦子(Ms)、吉田浩之(T)、福島明也(Br)。
 合唱は札響合唱団、札幌放送合唱団、ウィスティリア アンサンブル、どさんコラリアーズ。どさんコ……ねぇ……

   ヴェルディのオペラを凝縮したPR版的存在
 この曲、もともとは1868年に亡くなったロッシーニのために、13人のイタリアの作曲家がレクイエムを合作するという企画から書かれた。ヴェルディの担当は最後の部分「リベラ・メ」。

 しかし、これは演奏されることなく終わった。そこでヴェルディは、1873年に亡くなった詩人で小説家だったアレッサンドロ・マンゾーニの追悼のためにほかの部分を作曲、全曲完成させ、翌年の1周忌に初演された。

20140628Garden 私はオペラはあまり観ないし聴かない。
 だからヴェルディのオペラもあまり知らない。全曲を通じて聴いたことがあるのは「アイーダ」だけだ。

 このレクイエムは、ヴェルディのオペラのよう、言葉をかえれば、レクイエムらしくないオペラチックな宗教曲、だと言われる。
 ということで、私にとってはこのレクイエム、これ1曲でヴェルディのエキスを堪能できる美味しいとこどりバイキングのような作品なのである。
 オペラはもっとすばらしいのだろう(だって総合芸術ってものですもん)。だから、オペラ・ファンの方には申し訳ないと思っている。こんな言い方をして。

   あなたに青を!
 ここでKitaraに行く前の話を。

 金曜日の夜に自宅に戻り、ビールとハイボールを飲んで寝た。

 翌朝。
 なんと小雨。うなだれる私、激励するサポーター???
 しかし8時過ぎに雨が上がったので、長靴を履いてバラの剪定、誘引、雑草抜きの作業を1時間半ほど強行。

20140628BlueYou4 庭はすっかり雑草天国。しかし、バラが咲き誇り、すっかり花園。

 写真は“ブルー・フォー・ユー”。今年わが庭に仲間入りした品種。
 きれいだ。人さまに自慢したくなる。私が品種を生み出したわけでもないのに……

 これは2006年にイギリスで誕生した品種で、ブルーといっても紫色。ご存知のように真っ青な花を咲かすバラはいまだに品種改良に成功していない。
 名前の意味は、もちろん“あなたにブルーな気分を”ではない。きっと。

 パット・オースティンもオレンジ色(カッパー(銅)系色といわれる)の花で存在感を放っている。

   Kitaraへ向かう
 昼前に家を出て、三省堂書店と島村楽器を覗き、そのあとニッセイビルの地下でホットドッグを食べようかと思20140628PatAustinったが、急に心変わりしてそば屋へ。そこで親子丼を食べ、そのあとKitaraへ。

 来るたびに、ロビーの光景を見て若い人がいないことに札響の将来を心配している私だが、この日はいつもよりは若い人たちの姿が目立った。あっ、合唱団員のお友達とか子供、あるいは遠い親戚とかが集結していたのかもしれない。

 今回は、合唱団も独唱も黒い衣装。
 これは参列者、いや、客も意表を突かれたかも。私は「なんだか慰霊祭みたいだなぁ」って思った。いいんじゃないでしょうか。死者のためのミサ曲をやるわけだから。

 その死者のためにふさわしい衣装の合唱団の後ろのP席で、Tシャツ姿で居眠りしているお兄さんの姿。その対比がこれまた面白かった。

 さて演奏だが、欲をいえばもっと感情の起伏があっても良かったように思うが、それは尾高の指揮にいつも感じること。結論として、水準は高かった。
 独唱陣の声もよく通っていたし、特にソプラノの安藤のドラマティックな歌唱が印象的だった。合唱もよく調教、いや失礼、訓練されており弱音から強音まで乱れるところがなかった。
 声楽のせいであまり気づかれなかったかもしれないが、オーケストラもほぼノーミス(バンダがおイタしたが)。この曲のオーケストラのパートが、これまた魅力的であることにあらためて気づかされた。

 ただ、正直なところ、この日はあまり演奏に集中できなかった。
 おしっことかゴロゴロが原因ではない。

 会場に断続的に騒音が起こったからだ。始まってすぐは3階の方から話し声と金属を打つような音がしたし、始終パンフを落としたようなパンという音や声が混じったような咳が続いた。騒々しいというのはオーバーだが、かすかなざわつきのようなものが収まらず、私としては定期演奏会でこんなにノイズがあるのはそう経験したことがなかった。

VerdiRequiemJordan プログラムには歌詞対訳が載っており、“ご覧の際にはページをめくる音にご注意ください”と書かれていたが、そんななまやさしい音ではなかった。
 金属を打つような音はその後も1度あったが、あれはなんなんだろう?
 ホール出入り口に待機している係員も音の方を見ていたが、わからなかったようだ。

   あら、アルミンさまの息子さんで?
 聴かせどころが多いこの曲には名盤が多々あるが、今日は意表を突いて(ると思ってくれたら、何となくうれしい)フィリップ・ジョルダンがパリ国立オペラ座管弦楽団を指揮したライヴ盤をご紹介する。

 ジョルダンというとスイス・ロマンド管弦楽団の常任を務めていたアルミン・ジョルダンが有名だが、フィリップはアルミンの息子。1974年生まれだから40歳になるわけだが、まだ日本では“アルミンの息子”という説明つきで紹介されることが多い。
 ドイツ各地の歌劇場で経験を積んでいるそうで、ならばこのレクイエムだってお得意なんじゃないだろうか思っちゃう。

 不思議な演奏だ。
 最初に聴いたときは、静かな箇所は腑抜けたように感じたし、パワフルなところはヤケのヤンパチに思えたのだが、何回か聴くうちに「なんか、いいかも……」って感化されつつある私。
 荒削りで、心に浸み入るようなものでもないが、1周忌のお祭り音楽という面から考えれば、こういうのも変ではないのかもしれない。
 2013年ライヴ。エラート。

  Verdi: Requiem

トランプ目的の旅行ですが、何か?♪リャードフ/p小品集

LiadovCoombs リャードフ(Anatoly Konstantinovich Lyadov 1855-1914 ロシア)の「音楽玉手箱(Muzikalnaya tabakerka)」Op.32(1893)は、実に愛らしい曲。私はこれまで管弦楽編曲版しか聴いたことがなかったが、今回ピアノ原曲版のCDを手に入れた。
 この曲はごくごく小さな作品であり、CDには彼のピアノ小品が他にも収められている。

   リャードフっていつごろの人なんじゃい?
 リャードフ……
 彼の作品をあまり聴いたことがないという人も多いと思う。

 ムソルグスキーに才能を見込まれ、ペテルブルク音楽院でリムスキー=コルサコフに作曲を学んだものの、あまりに休むので除籍処分。しかし、そのあと戻ることができ、1878年からはこの音楽院で教鞭をとった。学校に来なくていったんは除籍になった人間が教師になるとはトホホである。

 教え子の1人に反ロマン派だったプロコフィエフがいるが、学生だったプロコフィエフは

 リャードフには私の作品を見せない。もし見せたら、彼はおそらく私をクラスから追い出すだろう。
             (H.C.ショーンバーグ著「大作曲家の生涯」下巻:共同通信社)

と述べている。  

 ところで、なんとかドフやらなんとかスキーだのいろんな名前が出てくるので、ここで一肌脱いでご奉仕。ご親切に、ロシア、ソヴィエトの主な作曲家を生年順に並べてみよう。

 グリンカ        1804-57 近代ロシア音楽の父。
 ボロディン        1833-87 本業は化学者。ロシア5人組の1人。
 バラキレフ       1837-1910 大学では数学専攻。ロシア5人組のまとめ役。
 ムソルグスキー    1839-81 元軍人。ロシア5人組の1人。
 チャイコフスキー    1840-93 最初は法務省に勤務。
 R-コルサコフ     1844-1908 海軍に所属。ロシア5人組の1人。
 リャードフ         1855-1914 ペテルブルク音楽院卒。同音楽院で教鞭をとる。
 S.I.タネーエフ      1856-1915 モスクワ音楽院卒。作曲の師はチャイコフスキー。
 I-イヴァノフ       1859-1935 ペテルブルク音楽院卒。のちにモスクワ音楽院で教鞭をとる。
 グラズノフ        1865-1936 ペテルブルク音楽院の院長を務める。ショスタコーヴィチの師。
 カリンニコフ       1866-1901 モスクワ音楽院中退。
 スクリャービン        1872-1915 モスクワ音楽院卒。作曲では単位をとれず、ピアノの単位で卒業。
 ラフマニノフ       1873-1943 モスクワ音楽院卒。スクリャービンと同級生。
 グリエール       1875-1956 モスクワ音楽院卒。同音楽院で教鞭をとる。プロコフィエフの師。
 ストラヴィンスキー    1882-1971 サンクトペテルブルク大学で法学を学ぶ。R-コルサコフに師事。
 プロコフィエフ      1891-1953 サンクトペテルブルク音楽院卒。
 A.チェレプニン     1899-1977 サンクトペテルブルク音楽院に入学するが、1918年パリへ亡命。
 ハチャトゥリアン     1903-78 モスクワ音楽院卒。
 カバレフスキー     1904-87 モスクワ音楽院卒。
 ショスタコーヴィチ  1906-1975 ペテルブルク音楽院卒。同音楽院やモスクワ音楽院で教鞭をとる。
 ウストヴォリスカヤ   1919-2006 ペテルブルク音楽院(レニングラード音楽院)でショスタコーヴィチに師事。
 グバイドゥーリナ   1931-  カザン音楽院卒業後モスクワ音楽院に進む。
 シュニトケ        1934-98 モスクワ音楽院卒。同音楽院で教鞭をとる。
 シルヴェストロフ     1937-  キエフ音楽院卒。

 はて、この作業に果たして意味があったのだろうか?数字の頭の位置がきちんとそろわないし……

 いずれにせよ、リャードフがチャイコフスキーやロシア5人組よりもあとの世代であり、ラフマニノフよりは前の世代であることがわかってもらえるだろう(最初っからそう書けば事足りたか……)。

 キュイがないって?
 あの人、おもだった人じゃないし…… 

  少なくなかった音楽界への影響度
 リャードフだけでなく、上の一覧には今や数曲でなんとか名を残している、大作曲家とは呼べない人物もいる。しかし、そうなってしまったのには当時のロシア(ソヴィエト)の社会情勢が少なからず影響している。そしてむしろ、彼らはロシア音楽の発展、次世代の育成に大きく寄与している。

 ロバート・P.モーガン編(長木誠司監訳)の「西洋の音楽と社会 11 現代Ⅱ 世界音楽の時代」(音楽之友社)の最初のページにはこう書かれている(リャードフはリャドフと書かれている)。

 ロシアにおける政治の激変は、音楽家の世代交代と時期を同じくしている。ニコライ・リムスキー=コルサコフが1908年に世を去ったのに続き、アナトル・リャドフが1914年に、セルゲイ・タネーエフが1915年に、そして〈力強い仲間〉の最後のひとりであるセザール・キュイが1918年に亡くなっている。アレクサンドル・スクリャビンの後期の作品にその時代の社会的動乱の反映を聴きとった革命家たちは、この作曲家が1915年に早世したことに落胆した。尊敬を集めていた年長の2人の作曲家、アレクサンドル・グラズノフとミハイル・イッポリトフ=イヴァノフは、世代の隔たりを埋め、それぞれペテログラード音楽院、モスクワ音楽院の高い水準を維持し、教育の伝統を守ることに貢献したが、彼らの作曲家としての活動とその影響力はすでに頂点を過ぎていた。

Vorkov_mini  トランプに夢中
 ところで、いまではすっかり偽書のレッテルを貼られているS.ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」(水野忠夫訳:中央公論社)。

 この本の中で、ショスタコーヴィチの師であったグラズノフがたびたび登場するのは理解するにしても、グラズノフと同時代のリャードフが出てくるのはたったの2か所しかない。

 ……音楽院で、ときどき、フーガを書いてくるようにと、リャードフに宿題が出された。宿題などやっていかないのを彼は自分でもあらかじめ知っていた。そこで同居していた姉に言った。「フーガを書かないうちは食事をしなくてもいいよ」。食事の時間となったが、フーガは依然としてできあがらなかった。「食事はあげませんよ、だって、あんたは宿題をしていないのだから。自分でそう頼んだでしょう」とやさしく姉はリャードフに言った。「それなら、それでもいいよ。ぼくは伯母さんのところにご馳走になりに行くから」とこの魅力的な若者は姉に答えて、出て行った。(ハードカバー版80p)

 ここはショスタコーヴィチが、自分はフーガの課題を真面目に書いていった、という話の場面で引き合いに出されている。腹を抱えて笑うほどの話じゃないな……

 また、ショスタコーヴィチは一時期トランプに熱中し、“あまり立派とはいえぬトランプのゲームのとりことなって喜んでいた”そうだが、そこでまたリャードフがの話が引き合いに出されている。

 リャードフは外出嫌いで、そのうえトランプ気ちがいときていた。どこにも出かけず、なにも見物せず、家に閉じこもっては、トランプばかりしていた。あるとき、すばらしい自然でも見に行こうと、ベリャーエフがリャードフをなんとか説得して、コーカサスに連れ出した。音楽のパトロンと作曲家はコーカサスに到着し、高級ホテルに宿をとったが、三日間というもの、朝から晩までトランプをしつづけていた。ベリャーエフもリャードフも自然のことなど思い出しもせず、ホテルの部屋から一歩も出なかった。それから列車に乗ってペテルブルグに戻ってきた。こういうわけで、リャードフはすばらしい自然を眺めもしなかったので、あとになってから、いつも不思議そうに、「本当に、ぼくはコーカサスに行ったのだったかな?」とたずねるのだった。(同379p)

 誘う方も誘う方だ。
 「ショスタコーヴィチの証言」におけるリャードフの扱い。それが彼の地位がどんなものだったかを示しているように思える。

  とはいえ、地味ながら心地よい小品の数々
 才能はあるのにだらしない。度胸がないから大きな作品に挑まない(ディアギレフは最初、バレエ「火の鳥」の音楽をリャードフに依頼した。しかし、いつまでも煮え切らないのでストラヴィンスキーに依頼した)。

 ここで紹介するクームズの独奏によるピアノ作品集に収められている曲も、もちろん小品ばかり。
 ショパンのような響きも聴こえるし、特にBGMとしては悪くない。

 1997年録音。Helios。

 これから庭の雑草とりとバラの剪定作業。
 午後は札響の定期演奏会を聴きに行って来る。

日本情緒が心に浸みわたる演奏♪本名/日フィルの伊福部/日本組曲他

IfukubeSai 本名徹次/日本フィルハーモニー交響楽団による伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「日本組曲(Japanese Suite)」(1933/管弦楽編曲'91)。

 この作品については、2009年10月17日付の「読後充実度 84ppm のお話」の「盆踊りのあとのお楽しみといえば……」で詳しく触れているが、簡単な説明を。

  そそのかされて書いた「ピアノ組曲」
 「日本組曲」は1933年に「ピアノ組曲」という名で作曲された。三浦淳史にそそのかされて、アメリカのピアニストのジョージ・コープランドに送る作品を書かねばならなくなったのだ。
 それが1991年に「管絃楽のための日本組曲」として3管編成オーケストラ用に編曲されたのだった。

 盆踊/七夕/演伶(ながし)/佞武多(ねぶた)の4曲からなる。

 管弦楽版の初演は井上道義/新日本フィルによって行なわれ、そのライヴ盤が出ている。
 とにかくガンガンやってくれている、血が騒ぐものだ。
 今は残念なことに廃盤となっており、聴いたことがなくて「あぁ、どうしても数日以内に聴いてみたい!でなきゃ、がまんできない」という人は、値は張るが中古品を手に入れるしかない↓。

  深い日本的味わいの本名徹次盤。「タプカーラ」も名演
 私の愛聴盤も長らく井上盤だったが、本名徹次の演奏は井上よりはパワーはコントロールされているものの、井上には不足気味の日本情緒のようなものが全編に色濃く漂っており、なんだかよくわからないうちにジーンとさせられてしまう。

 私はほかに小林研一郎/新交響楽団によるCDも聴いているが、3種のうちいちばん、文字通り日本的かつ伊福部パワーも十分に表現されているのは本名盤だと思う。

 このCDには「シンフォニア・タプカーラ(Sinfonia Tapkaara)」(1954/改訂'79)も収められている。

Minnon19860223 第1楽章の序奏はひじょうにゆっくりしており、すすり泣きのようにさえ聴こえる。
 第2楽章のテンポもほかの演奏に比べると遅め。「文藝別冊 伊福部昭」のなかで、井上道義は伊福部作品を演奏する場合に「いつももっと遅くと(伊福部先生)に指示された」と語っているが、本名がここでとっているようなテンポこそが作曲者の望むものだったのかもしれない。
 第1楽章や第3楽章の、テンポが速くオケ全体が鳴り響くところは大爆発の連続。最後は狂乱の舞。が、「日本組曲」の演奏と共通して、ただ音量が大きいだけではなく味わい深さがある。

 2007年ライヴ。キング。

 本名のタプカーラでは、第3楽章しか収録されていないが、その第3楽章について言えば、2004年ライヴ(今月15日の「読後充実度 84ppm のお話」をご覧ください)の狂おしさが、このライヴ以上にすばらしい。

 私が本名の指揮を初めて聴いたのは彼がデビューしたてのとき。
 良い指揮者になったなぁ。
 でも、かわいそうに。
 このチラシに書かれてる名前、字が間違っている……

幸福気分になりたいならこれ♪マゼール/ベルリンRSOのWAM/Sym38,39

Mozart38Maazel きのう会議があったのだが、そこに小見田さんも出席していた。
 小見田氏に会うのは久しぶりだ。
 そして私は電撃的にひらめいた。
 ブログの本文に小見出しをつけてみようかと……

  37番が6大交響曲に入らないワケ
 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲のうち、第35~36番と第38~41番の6曲を“後期6大交響曲”と呼ぶ。

 なぜ第37番が入っていないのか?大きくないからか?
 そうじゃない。そういう問題じゃない。

 交響曲第37番ト長調K.444(425a)(1783)は3楽章構成だが、第1楽章の序奏のみがモーツァルトの作で、他はM.ハイドン(“交響曲の父”と小学校で教えられるF.J.ハイドンの弟)の手による。
 だから、仲間入りさせてもらえないのだ。
 果汁10%の飲料がジュースの仲間に入れてもらえないのと同じだ。

 そんな事情もあって(あまり関係ないが)、今日取り上げるのはその後期6大交響曲なかから、交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ(Prag)」(1786)と交響曲第39番変ホ長調K.543(1788)。

  メヌエット楽章を欠く38番  
 第38番はプラハで初演されたことからこの名で呼ばれるが、メヌエットを欠く3楽章構成であることから「メヌエットなし」という、ひざの力が抜けるような名で呼ばれることもある。とはいえ、「モーツァルトのプラハ」っていう表現は目にするものの、「モーツァルトのメヌエットなし」という記述や発言に、私はこれまでの人生経験の中で出くわしたことがないことを、ここに申し添えておく。

 第1楽章の緩やかな序奏がこれまでになく長大かつ緊張感をもっており、メヌエット楽章を加えると構成的に合わなくなると、モーツァルトは考えたのだろう(と、ある本に書いてあった)。
 3楽章ながら演奏時間は25分以上と規模は大きく、内容も充実した作品である。

  オーボエの代わりにクラを起用した39番
 また第39番は、同じ年に書かれた第40番、第41番の2曲とあわせて“3大交響曲”と呼ばれるもので、この3つの傑作は驚くべきことに2か月足らずのうちに一気に書き上げられている。
 第39番は4楽章構成だが編成にはオーボエが入っておらず、代わりにクラリネットが用いられている。そのために全体に明るい響きになっている。第1楽章の「美しく青きドナウ」を思わせるメロディーや、有名な第3楽章「メヌエット」(クラリネットがあってこその傑作だ)が特に印象的だ。

 ちなみに第40番には、クラリネットが加わる版と加わらない版の2種がある(いずれの版にもオーボエは入る)。また、第41番「ジュピター」の編成にはクラリネットが入らない。

  もうお年寄りのマゼールだが
 マゼールがベルリン放送交響楽団を指揮した演奏を。
 これは今回世界初CD化されたもの。
 すごいですね、CDの写真。典型的な昔の若者って感じ。

 若き日のマゼールは、速い楽章でははつらつ、かつ、重厚感たっぷりにオーケストラを鳴らし、また緩徐楽章では過度な甘さに陥ることなく、バランスのとれたしっとり感のある音楽づくりをしている。
 聴いていて幸せな気分に浸ることができる演奏だ。スケールも大きい。

 1966年録音。TOWER RECORDS VINTAGE COKKECTION +plus(原盤フィリップス)

 そのマゼールだが、今年のPMFで首席指揮者を務める予定だった。
 しかし健康上の理由から来日できなくなってしまった。

 マゼールは1930年生まれ。
 この録音のときは36歳、いま84歳。
 そりゃ体調崩してもおかしくないわな……

期待しないで聴くとかなり裏切られちゃう♪若杉/都響のGM7

Mahler07Wakasugi 私は東京都交響楽団のカラーというか、キャラクターがけっこう好きだ。どんなキャラかと言われれば、あっけなく口ごもってしまうけど。

 東京に住んでいた2年の間に、何度か都響のコンサートに出向いた。オケの雰囲気がどこか札響に似たところもあって、私はほとんど抵抗感や違和感をおぼえなかった。そして、すばらしい演奏を聴かせてもらった。

  初めての生マラ7はインバル/都響
 2007年12月14日に行なわれた都響第654回定期演奏会。
 指揮はインバル。プログラムはマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第7番ホ短調「夜の歌(Lied der Nacht)」(1904-06。その後たびたび管弦楽配置を変更)。

 私にとって初めてGM7を生で聴く機会が与えられたのだった。。

 この日は、家に帰って討ち入りのスペシャル・ドラマを観るのを楽しみにしている人も多いのだろうが、私としてはそんな場合じゃない(そんなドラマ一度も観たことないけど)。
 前売りチケットを懐に忍ばせ、仕事が終わるとすぐに上野に向かった(そのせいで開場まで時間を持て余してしまった)。

 そのときの感想は、同年12月17日の「読後充実度 84ppm のお話」に書いてあるので、ひどく面倒だろうが勤勉かつ我慢強い人はそこにたどり着いてくれることを信じたい。いや、無理しなくていいですけど……

  まことちゃん、ごめんなさい
 さて、その都響を若杉弘が振ったマラ7。
 私がインバルの演奏を聴いた日からさかのぼること18.5年前、1989年6月のライヴ録音である。

 この演奏はすばらしい!
 第3番や第6番で若杉につまらなさを感じた私は、いくつもの爆発をともなう第7番にもあまり期待していなかった。
 ところがどっこい、春雨スープだと決めつけて口にしたら実はふかひれスープだった、というぐらい期待していなかった期待が裏切られた。

 なんといっても表情が豊かでオケが生きいきしている。抑圧されている集団って感じがない。
 かといって、力まかせの集団と化すわけではなく、絶妙のコントロール。

 この曲は第2楽章が「夜曲」、第4楽章が「夜の歌」ということで、全曲が「夜の歌」の通称で呼ばれるが、この演奏ではすべての楽章が、つまり5つの楽章が5つの夜の世界を描いているように聴こえる。
 本当に見事な棒さばき。
 ちょっと楳図かずおに似てるかもなんて、むかし思ったことがありました。ごめんなさい、若杉さん。

ゴジラもまた文明の犠牲者である♪伊福部/「ゴジラ」組曲

KibeIfukube  伊福部の平和への願い
 『ゴジラ』(54・本多猪四郎)を見るたびに、私は『ビルマの竪琴』(56・市川崑)を思い出す。戦争という抗いがたい運命の前に、人間がいかにはかなく、哀れなものであるかという、存在することの哀しみを感じる。ゴジラの襲撃から一夜明けた東京で、女子高校生たちが平和を願って歌うコーラスの、何と清らかで、深いことか。「やすらぎよ、ひかりよ、とくかえれかし。いのちこめて、いのるわれらの、このひとふしの、あわれにめでて……」。『ビルマの竪琴』のテーマ曲には、その女子高生のコーラスと同じ旋律が使われている。『ゴジラ』と『ビルマの竪琴』に共通するのは、伊福部自身の、平和への祈りだ。

 木部与巴仁は「伊福部昭 音楽家の誕生」(新潮社)のなかでこのように書いている。

 映画「ゴジラ」の音楽では、あの有名な「ダダダ、ダダダ、ダダダダダダダダダ」のメロディーばかりが話題となっているが(さっ、ダがいくつあったか瞬時に答えなさい!)、エンディングの女子高生たちのこの歌は美しくて切なく、胸がしめつけられるような感動を与えてくれる。ゴジラ音楽が持つもう1つの顔、静の表情である。

 戦争で日本は原爆を落とされた。
 そしてまた、ゴジラは水爆実験の犠牲者である。

Ifukube100Ura 木部が指摘しているように、これは伊福部昭の平和へのメッセージだろう。
 反戦映画である「ビルマの竪琴」。そこにも同じメロディーが使われていることから、それは間違いない。

  ホントに女子高生?……違います
 「伊福部昭 百年紀」(齊藤一郎/オーケストラ・トリプティーク。2014年ライヴ。スリーシェルズ)に収められている「ゴジラ組曲」では、この曲が合唱入りで演奏されている(写真はCDブックレット裏面)。
 ちょっと女子高生の声っぽくはないけれど、この曲をステレオ録音で聴けることはとてもありがたい。

 日曜日の北海道新聞。集団的自衛権の記事。

 戦後の平和憲法が、世間の関心がワールドカップに向いている隙に覆されてしまうかもしれない。
 そう書いてあった。

 これが戦術なら、あまりにひどいと思う。

  賞味期限切れの炭酸水は泡を吹くのか?
 その日曜日。
 散歩がてら近くのスーパーに行くと、レジそばのワゴンに在庫処分品が寂しげに置かれていた。
 そこに大手メーカーの炭酸水が半額で売られていた。
 賞味期限が7月5日と迫っているのだ。

 炭酸水って賞味期限が過ぎるとどうなるのだろう?
 一気に気が抜けるってことはないにせよ、放っておくと徐々に水へと変化していくのだろうか?
 期限まで2週間。もしかしたらすでに少し炭酸が弱っている恐れもある。が、これを買わねば少なくとも半日は気になり続けるだろう。
 私はそこにあった6本すべてを買った。
 夜、その炭酸水を使ってハイボール作った。
 ちゃんと、ふつうにシュワ~っとした。
 かなりうれしかった。
 作っただけではない。もちろん飲んだ。
 ふつうに美味しかった。
 うれしさは二重になった。

私は高血圧だが若年ではない♪クレンペラーのメンデルスゾーン/Sym3

MendelsshonSym4Klemperer 上あごが痛い。

 先週焼き肉を食べる機会があったのだが、そのときの焼き手(自ら積極的に行動し仕切っていた)が、「もう、焼けたよ。早く取って食べて」と催促するものだから(と言いながらも、勝手に私の皿にのっけやがった)、私としてはもう少し火が通っていた方が好きだし、安全度も増すと確信していたが、しょうがないから食べた。

  ジュウジュウに焼けた脂身の威力
 しかし、赤味の部分はレア状態だったものの、端の脂身はむしろ焦げ気味で(これだから火力にムラのある網焼きは厄介なのだが)、脂身だから当然のことながら脂じゅうじゅうなわけで、それで上あごをやけどしてしまったのだ。
 最初の1枚でこんな状態だったから、いじけてしまった私はあとはビールを飲むことに専念した。

 そのことは、でも、もうどうでもいい。

  糖尿病予防になるはずが……
 こういうことをしてくれては困る。
 武田薬品の降圧剤問題である。

 土曜日の北海道新聞の記事によると、タケダは降圧剤ブロプレスの広告に不適切なグラフを載せていたという。
 コトの成り行きは、

20140621Bropres ① 武田薬品は1999年発売のブロプレスの売り上げを伸ばすため、研究者側に多額の寄付をして実質的なスポンサーとなり支援した。
 ② 2004年、脳や心臓の病気などの発症に、ブロプレスとそれ以外の降圧剤では差がなく、ブロプレスが有利とはならないことが研究の結果わかった。
 ③ そこで、脳や心臓がだめなら糖尿病の発症には有利になるかもしれないと、その試験研究を追加した。 
 ④ 糖尿病の項目でも結果は差がなかったため、武田薬品は解釈の修正を求め、有利な結果を導いた。
 ⑤ そして、長く服用した場合に、ブロプレスの方が病気の発症を抑えるかのようなグラフを使っていた。
 ⑥ しかし、意図的な修正はなく、薬事法違反の誇大広告はなかったと判断された。

 私が困るのにはワケがある。
 ブロプレスを服用しているからだ。
 自分が飲んでいる薬が他より劣っているとか、ただの甘みのないラムネだったとかじゃないので文句を言う気はないが、なんだかホントに効くのかなぁとちょっぴり疑念が。

 そういえば私が初めて医師からブロプレスを処方されたとき、「この薬は糖尿病になるのを防ぐ効果もあると言われている」と言っていた。医者は騙されたのだ。グラフに。
 そしてまた、私はこのとき医者から言われたことをしっかりと忘れていたのだ。この記事を読むまで。

 それから数年。

 ブロプレスを服用し続けている私が、なぜか境界型糖尿病の疑いと言われたのは今月のあたまのことである。
 誇大表現するなら、ブロプレスを服用しても、糖尿病発症抑制の効果はほかの降圧剤と比べ優位とはいえないということが、人体実験でわかったようなものだ。ただ、他の降圧剤なら正真正銘型糖尿病になってしまっていたかもという可能性も捨てきれないが……

  糖尿でもできたんです、彼は
 大作曲家の中で高血圧だった人。その数は知らないが有名どころで何人か取り上げると、おそらくJ.S.バッハは高血圧だったと考えられている。またバッハは、大食漢であり、肥満で白内障だったことから、糖尿病も患っていた疑いが強い。でも糖尿病だとしたら、あんなにたくさんの子どもがつくれるほど精力絶倫なのは腑に落ちない。もっとも糖尿病で不能になるのは、糖尿病を発症するのは歳をとってからが多く、歳のせいで不能になっているのでは、という説もある。
 知りたくもないだろうが、私はあくまで境界型であるのでそこらへんは関係ない。ねっ、やっぱり知りたくもなかったでしょ?
 ドヴォルザークも高血圧症で、晩年には尿毒症と動脈硬化症を患っていた。死因は脳卒中である。

 今日は若年性高血圧だったのではないかという説があるメンデルスゾーン(Felix Mendelssohn(-Bartholdy) 1809-47 ドイツ)。作品は交響曲第3番イ短調「スコットランド(Scottish)」Op.56(1830,'42)。

  若年性高血圧の人が書いた曲の変人による名演
 メンデルスゾーンは1829年にスコットランドを旅行したが、そのときに見たエディンバラのホリルード宮廷にまつまる事件を思いだしこの曲を着想したという。
 16世紀にホリルード宮廷で、イタリア人音楽師リジオが殺されるという事件があったのである。リジオはメアリー女王に気に入られていたが、それに乗じて政治に口をはさむようになった。そのため愛国的な貴族たちがこのイタリア人音楽師を殺害したのだった。

 クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏は、この不気味な背景を感じさせる厳しくも幻想的なもの。そしてまた、これがメンデルスゾーンか?というくらいスケールが大きい。

 メンデルスゾーンの交響曲はメロディーは美しいが、よいところのお坊ちゃんが無難にうまく書き上げた感があるし、女性っぽさもある。“よいところ”で酔っぱらっているおやじとは正反対だ(“よいところ”は札幌にある居酒屋です)。
 どうも刺激が足りない。

 これは交響曲である。
 しかし、お邪魔した先で、「お昼、お寿司を用意してありますので、召し上がってください」と言われ、生々したニギニギを期待していたら、甘い具が混ぜ込まれた酢飯に錦糸玉子に桜でんぶがトッピングされた、お嬢ちゃまが喜ぶちらし寿司だった、というのに似ている(と思っていただければ幸いである)。同じ寿司は寿司でも違う。同じ交響曲とはいえ、「うぉ~、しんふぉにぃっ!」って感じじゃない。

 しかしである。
 クレンペラーのこの第3番を聴くと、それって必ずしも作品自体の問題だけじゃないと考えさせられる。
 そしてまた、「スコットランド」はこの1枚があれば他はいらないかな、とさえ思う(でも、そうはならない貧乏消費者の私)。
 テンポを遅めにとった、骨太でコクのある、ラーメンに喩えるなら濃厚とんこつだ(そのまんまじゃん……)。
 この演奏を聴いて、実は私は初めて「スコットランド」という曲に感動した。これ、ホント!

 メンデルスゾーンの交響曲第3番について、耳触りはいいんだけどなんかねぇって感じている人には強くお薦めしたい。個人的には、これが名演という評判を知りながら、これまで聴いてこなかったことを反省している。
 1960年録音。ワーナー(原盤EMI)。
 カップリングは交響曲第4番「イタリア」。これまたいい!そちらの感想は非をあらためて。いや、日をあらためて。

 なお、宮下誠氏は「カラヤンがクラシックを殺した」(光文社新書)で次のように書いている。

 貴族主義的な取り澄ましたところは完全に無視し、またロマン主義的憧れの表情もどこ吹く風で、ガシガシと音を連ねてゆく。標題的なものにも関心がないから「スコットランド」と言われなければタイトルなしのロマン派交響曲で通る。それでもなお浮かび上がる抒情的な表情や心優しい心情がなんともチャーミングで、心惹かれる。

 なになに?なんか頭が痛い感じがするって?
 月曜日だから“行きたくない病”でしょ、それは。

美人じゃないかもしれないが、惚れた!♪ストラヴィンスキー/パストラール

IfukubeMook これまで何度か取り上げ、私としてもこのような本が発刊されて大変喜ばしく思っている。そう、文藝別冊「伊福部昭」である。

  magazin+book=mook
 発刊といってもムック(雑誌のようでいて、定期的な発行を前提としていない)なので、在庫は少なくなってきているよう。

 私は買ってしまったのでいいが、買おうかどうか迷っている人は、迷っているうちになくなってしまい、迷っている場合じゃなかったと後悔しないように、余計なこと、生意気なこと、お節介なことだと煽るようなことを書くのを迷ったが、あくまで親切心の自然の発露として忠告させていただく次第である。


 同書の中の、作曲家の上野耕路氏と片山杜秀氏との対談で、上野氏が次のようなことを話している。


 マーチを作るときに《パストラール》というのは、と思うと、ものすごい皮肉な感じ。伊福部さんらしい。でも、実際、どこまで意識なさっていたのか。


 ここのマーチとは、伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)が東宝の特撮映画のために書いた「自衛隊のマーチ」のこと。

 このマーチは、のちに書かれた「倭太鼓とオーケストラのための『ロンド・イン・ブーレスク(Rondo in Burlesque)』」(1972/改訂'83)の、冒頭から現われる第1主題でも使われている。

 なお、オーケストラ版「ロンド・イン・ブーレスク」の元となっている作品は「倭太鼓と吹奏楽のための『ブーレスク風ロンド』」(1972/77)である。


  不思議な感じがする“牧歌
 上野氏が語っているパストラールというのは、ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア)の「パストラール(Pastorale)」Op.1(1908/改訂1923)。日本でも“牧歌”ではなく、そのまま「パストラール」の曲名で呼ばれている。


 ストラヴィンスキーは1902年から1908年までリムスキー=コルサコフに師事したが、この曲はR=コルサコフの指導の下で作曲されたソプラノ独唱とピアノのための小品。歌詞を持たない歌である。
 1923年に編曲され、編成はソプラノ独唱とオーボエ、コーラングレ、クラリネット、ファゴットとなった。


 さらに1933年にも改訂されたが、それにはヴァイオリンとピアノのための版と、ヴァイオリン、オーボエ、コーラングレ、クラリネット、ファゴットのための版の2種類がある。どちらも原曲よりも長く、拡張編曲というべきものである。
 
 素朴だがシンプルだが、味わい深く、そしてまたちょっと毒気も感じられるこの作品。そして実際、確かに伊福部のマーチに似ている。

  美人には近寄れないけど……

 伊福部はこう語っている。


 ストラヴィンスキーを聴いて、ヨーロッパにもこういう音楽があるのなら私も音楽を書いてみようかという気になったんです


 (ドビュッシーやラベルといった)ラテンは立派だけれども壁がある。美人だが近づきにくいというタイプです。ストラヴィンスキーの方は、美人かどうかわからないが、ぞっこんになってしまうというようなところがあって
                 (以上、相良侑亮編「伊福部昭の宇宙」(音楽之友社)より)

 伊福部が「パストラーレ」を意識して使ったのだとしたら、それは自分をぞっこんにさせた相手への愛情がこもった追憶ということになるだろう。


トラブルではありません。

 昨日までの記事が表示されないのは、私が消したからです。

 だって、きれいな体で明日を迎えたいから……

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