
土曜日の札響定期を聴くためと、インフルエンザの接種を受けるためと、投票するために、金曜日に自宅に戻った。
まずは冷蔵庫の中の食料事情がどうなっているか、どうせ箱の中は空っぽなのは承知の上でも、一応は確認する。
と、そのとき、足元がヒヤッ!次いで、ベちょっとした感触。
水だ。
毛細管現象で靴下に水分がどんどん吸収される。
いったいなんだ?どうしたんだ?
恐る恐る床を見ると、なんと水浸し。
冷蔵庫から溢れているのか?……
何が何だかわからずに茫然としていると、天井からぽたりとしずくが……
登別の湯?
違う、ちがう。
ここはわが家。湯気が天井からぽたりと落ちてくる大浴場ではない。
天井の、以前照明器具を留めてあった1つのビスの穴から水がポタポタと滴り落ちてきている。
ビス穴は他にもう1箇所あるのだが、なぜかこの穴限定である。
これは(雪融け水の)雨漏りか?
おととし、屋根の張り替え工事をしたばかりなのに、欠陥工事だったのか?
びちゃびちゃの靴下のまま、2階に上がる。
各部屋の天井も床も異常はない。私の部屋(正式名称は納戸)も大丈夫だ。
水漏れの真上に当たる2階のトイレの天井もまったく異常なし。
が、足を一歩踏み入れた途端、「ひゃあ~っ!」
原因は屋根ではなく屋内にあった
2階のトイレの床は、キッチンの床以上に、すっかり水浸し。
天井も壁も何ともないのになぜ?
すると床にたまった水に波紋が。
ポタッポタッと水滴が落ちている。トイレの配管から。
それもメインの水道管からではなく、洗浄便座への接続部分。
わが家のはパナソニック製(1階の便座は数年前にすでに交換済み)なので、ウォシュレットと書くと、TOTOから誤解を招くと抗議される恐れがあるので、正確に書くと《ビューティートワレ》の、水道管と本体をつなぐ連結部分から漏れているようだ。
これが老朽化によるものなのか、単にナットが緩んだせいなのか、そしてまたいつから漏れ始めたのかわからない。ナットを締めてみる気も起きない。というのも、ひどく狭くて作業しにくい場所だし、自分でいじってかえって漏れがひどくなったら困る。
とりあえず、トイレの水道管の元を締め漏れを止める。
そのあとハウスメーカーに電話し、このままでは溺れ死ぬかもしれないと切実に訴える。
キッチンの漏れ穴の下にはバケツを置く。
21世紀になって、水漏れを受けるためにバケツを動員するとは予想だにしなかった。
翌朝、キッチン天井からの水漏れは収まっていた。
天井のボードも特に湿った感じはない。
ほどなくしてハウスメーカーの人が来て、まずは週明け(今日だ)に水道業者さんが来てくれるよう手配してくれた。また、水漏れによって天井裏と天井板がどのぐらいダメージを受けているかを近く詳しく調べることとした。
天井から滴り落ちるのが早く収まったので、そんなにひどくないかもしれないと言う。そして、水の逃げ口(漏れ口)がビス穴に集中したおかげで、広範囲に渡ってないかもしれないという。
ただ、天井を張り替えるとなるとけっこうな工事になるらしい。
やれやれである。
が、たまたま漏れ始めて(たぶん)すぐに帰宅したことが不幸中の幸いであった。
いまさら敢えて紹介するCDはないけれど……
土曜日の札響定期で演奏されたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のCDを紹介しておこう。
といっても、この作品、多くの録音があり、また名演も多い。
そこで、以前にも紹介したが、若き日の諏訪内晶子が弾いた、ある意味記録的価値のある演奏を。
キタエンコ指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団。
1990年ライブ録音。テルデック。

この曲は、ラフマニノフが「パガニーニの主題による狂詩曲」で用いていることでも有名だ。
この曲のCDでは、私はミンツの演奏を聴いている。
1981年録音。グラモフォン。
ところで、今回のコンサートは精神的には非常に楽であった。
35分ほどのコンチェルトに、休憩をはさんで45分ほどのシンフォニー。
途中で尿意を感じてしまったらどうしようと、不安にならずにすむプログラムだったわけだ。
そのかわりに、天井から水が漏れたってわけじゃまったくないんだけど……
なんとか大丈夫そうです。