NEC_0187  あるぅ日、森の中……
 坂を下り、もう一度“馬の碑”と向き合う。


 残すは左か右か、だ。
 が、幸いなことに右に道はない。

 そこで左の、車が1台通れるくらいの幅の道を進むことにした。

 ここでふとひらめく。


 「んっ?碑を建てるということは資材類を運ばなければならない。てことは、ピラミッドを建設した人夫でもいない限り、車が入れるような場所に碑は建てられたはずだ。Atsushiさんのコメントにも車が入れるようなことが書いてあった。それは碑のところまで車で行けるという意味だったのだろう。
 それにしても寒い。こんなことならここまで車を乗り入れればよかった。気づかなかった私は愚かだ」と独りごちNEC_0188る。

 ところで、“にんぷ”って“人夫”に変換されないのね。
 使用禁止用語になってしまったのだろうか?
 星飛雄馬は「オレの父ちゃんは日本一の日雇い人夫だ」って自慢していたような記憶があるが……

 とにかく孤独感と焦燥感にかられながら歩みを進める。
 道はカーブとなり、そこからは緩い上り坂となる。

 さらに逆カーブとなる。


 「おいおい、また畑に出ちゃいました、ってことはないだろうな」と、またまた危ない人のように独りごちる。


 なぜ、独りごちるのか?
 あまりに静寂で、ちょいと寂しいのと怖さがあったのだ。
 それを解消するために、小声で「森の熊さん」を歌ってみた、おちゃめなアタシ。

NEC_0189 すると……

  ひ・ら・け・た!視界が
 カーブを登りきると木々が開け、なんと建物らしきものが!

 右側の畑は先ほど行き着いた畑とつながっているものだ。

 足が速まる。
 タイムスリップしてしまったかのような雰囲気の建物が近づいてくる。
 冒険の末、謎の集落に迷い込んだような感じだ。ファロ島で高島忠夫ご一行様が原住民の部落に行きついたように。


 “地音”と書かれた看板が見える。
 “←トイレット”と書かれた札も見える。
NEC_0190 が、記念碑らしきものはない。
 しかし、明らかにある程度金をかけた施設の一群であることは明らかだった。


  ついにたどり着く
 そして、さらに近づくと先ほどは木の陰になっていた左側に、それはあった。

 伊福部昭の記念碑だった。


 立派だが、あたりには人ひとりいないし、実に静か。
 それが伊福部昭という人物にふさわしいような気がした。

 昨日の記事の地図で②と書いた位置に当たる。

 天然色の氏の写真がリアルだ。写真だからリアルなのは当たり前だが、私のようなファンだからいいようなものの、泣く子は絶叫しちゃうかもしれない。
NEC_0192 そして、ファンの私でさえ、夜なら怖くてこの写真に目を向けられないかもしれない。いや、夜なら怖くて絶対にこの森に入れないだろう。

 写真の下には「音更町歌」の楽譜が飾られている。
 音更町歌は伊福部昭が作曲したものだが、そのことについてはこちらの記事をご覧いただければと、われ思ふ。

 また、碑に向かって右側には「シンフォニア・タプカーラ」の楽譜が置かれている。

 ファンの方には今さら申し上げる必要もないだろうが、少年時代を音更ですごした伊福部昭は、アイヌの子どもたちと交流があった。
 タプカーラとはアイヌ語で立って踊るという意味だが、伊福部とアイヌとの関わりの原点がこの地にある。
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 「シンフォニア・タプカーラ」の譜面が選ばれたのは、この場所にぴったり。「交響譚詩」でも「日本狂詩曲」でもなく、「タプカーラ」こそがふさわしい。

  パパ、エリモシャクナゲがあったよ
 碑の裏には建立のいきさつや碑のデザインについて説明した文が掲示されており、横には建立記念植樹が。
 名札に書かれているようにこの木はエリモシャクナゲ(襟裳石楠花)。

 実は私の父は、林務官ではなかったものの林務関係の仕事をしていた。その父がいちばん好きだった樹木がエリモシャクナゲだった。シャクナゲの中でも襟裳岬周辺だけに生える種であるエリモシャクナゲは、父にとって私にはわからない魅力がある樹種だったようだ。
 そのエリモシャクナゲをここで目にするとは意外だった。

NEC_0196 また、この植樹のとき、伊福部昭の代理として伊福部玲さんが参加したことがわかる。

 
毎日、シャアンルルーを目にしてる
 さらに碑の裏手には年譜も建っていた。

 
 このように実に充実した碑(展示物)だ。
 それがこんなにわかりにくいところにひっそりと建っている。

 が、上にも書いたように、伊福部昭にふさわしい場所のような気がする。


 写真の伊福部昭は、いちばん下の写真のように、祠(ほこら)と木の間から見える畑を見つめている。

NEC_0200 シャアンルルー(アイヌ語で十勝平野)の一部を毎日眺めているのだ。


 今年のうちにたどり着くことができてよかった。
 そして雪が積もると簡単には行けない場所だ。さらに真冬になったら完全に行けなくなるのは間違いない。

 このタイミングで教えて下さったAtsushiさんに深く感謝する。

  現実に戻る

 なんだか感動しながら来た道を戻り、砂利道を歩き、車に乗った。

 車を走らせるとすぐに音更の住宅街になる。
 実はすごく近い場所ではあるのだ。

 そのあと私は予定通り用件を済ませ、支社には昼前に戻った。

 そして昼は“荒涼亭”で日替わりの“豚ヒレ定食”を食べた。

 食券を買ったときには、豚ヒレって、ヒレのトンカツかな?、ヒレのソテーかな?、まさか生肉じゃないよな、とか思ったのだが、ごく当たり前にトンカツだった。

 ソース差しから、スムーズにソースが出てこなくてイライラした。
NEC_0199 差し口(注し口)がつまるほど、ソースの回転が悪いのだろう。

 でも、カツはそれなりに美味しかった。

  座りながらも気持ちはタプカーラ  
 高関健/札響による「シンフォニア・タプカーラ」の演奏は、ほんとうにすばらしい。
 音も良いが、以前書いたように左右の広がりがやや狭い。

 が、演奏に引きこまれるとそのことは気にならなくなるのであまり心配はいらない。……って、気にしている人間に言われたくないか……。

 が、血が騒ぐと同時に深い感動をもたらすみごと演奏だ。

 豚ヒレ定食を食べたあとの昼休みの残り時間、ウォークマンでこの演奏を聴き、立って踊りたくなるほどさらに感動を深めた私であった。

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