この人もモーツァルト!
ショスタコーヴィチが交響曲第1番でデビューしたとき、人々は「モーツァルトの再来」と讃えられた。
松田聖子は「ピンクのモーツァルト」という、ワケのわからない歌を歌っていた。
キダ・タローは「浪花のモーツァルト」」と言われている。
そしてプーランクは「フランスのモーツァルト」と呼ばれることがある。その優雅で流れるような音楽からだ。
プーランク(Francis Poulenc 1899-1963 フランス)は“フランス6人組”の1人。
6人組のメンバーはデュレ、オネゲル、ミヨー、タイユフェール、オーリック、そしてプーランクだが、デュレやタイユフェール、そしてオーリックの作品が聴かれる機会は今日あまりない。
オネゲルやミヨーは聴かれることはあるが、プーランクほどでない。
ということで、6人組のなかでいちばん生命力を保っているのはプーランクだろう。
ジキル&ハイド
モーツァルトと同じようにプーランクの最大の魅力はメロディであり、アンリ・エル(プーランクについての著書を残している)は「旋律的思考の優位性」と言っている。
また彼の音楽の特徴は、「修道士と不良(聖職者とガキ大将)」あるいは「躁と鬱」が同居しているといわれる、聖と俗の二重人格的表情である。
「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲(Concerto pour orgue,orchestre a cordes et timbales)」ト短調FP.93(1938)(FP.はシュミットによるプーランク作品目録(1955出版)の番号)。
いわゆるオルガン協奏曲ではあるが6部から成る単一楽章形式(3つの楽章に分けて考えることもできる)。
編成に管楽器が用いられていないのは、“管楽器”でもあるパイプオルガンの表現力を妨げないためである。
この曲はプーランクの躁と鬱が行ったり来たりするのがよくわかる。
力強い暗鬱な冒頭はこの先どうなるんだろうと思わせるが、そのあとは妙に敬虔な雰囲気になったり、暴れまくったり、雲間から陽が射すように明るい兆しが見えたりと、躁と鬱、聖と俗、気難しさと大はしゃぎが交替する。
私が最初に耳にしたのはN響ライヴのFM放送だったが、そのときはなんだか変わった曲だなぁと思ったものだ。
が、何度か聴くうちにオルガンのコンチェルトとしては大傑作だと思うようになった。
不思議な触感。不思議な魅力。
謎の美女っていうわけじゃないが、プーランクの魅力であるメロディも聴き手の心を捉える。
トロッターのオルガン独奏、ハイティンク指揮ECユース・オーケストラの演奏は、“上品にまとめあげた整った演奏”でないのがいい。
ソロは華やかでダイナミックな弾きっぷり。明るめの鬱、やんちゃな躁。
若いオーケストラもそつなくお上手しちゃいましょうっていうのではなく、オルガンに負けじとがんばっていてこの丁々発止が実に刺激的だ。
1993年ライヴ録音。デッカ(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION)。
プーランクで思い出したが、前回歯医者の予約をキャンセルしたが、その後そのままだ。
次回は全体的な歯ぐきのクリーニングをする予定で、そのあとは4カ月間お暇をもらえる。
なんとか12月の前半には行きたいものだ。
なぜ思い出したかって?
プラークから……
そっか、そのころの歌かぁ…