
自宅の私の部屋(それは家の設計図では“納戸”と表記されている)の中をゴソゴソやっていたら、1本のカセットテープが出てきた。
“伊福部昭 映画音楽集 Ⅰ”
かつてキングから出ていた伊福部昭の映画音楽(サウンドトラック)のLPをテープに落としたものだ。
当時の先端モデルだったNECのパソコンPC-9801VMと熱転写式プリンタで作ったラベルが時代を感じさせる。ちなみにこれを作るのに使っていたソフトはごく初期の“花子”だったはず。
このシリーズのLPは確か全10枚だったと思うが、私が持っていたのは4枚のみ(このLPはその後CD化されたようだが、いまは廃盤)。
今回発見されたテープには、そのうちの2枚分が収まっている(と思う)。
4枚のLPはよく聴いた。
サウンドトラックだからセリフも入っている。
このテープに入っている曲にかぶっているセリフもどれもが懐かしい。
「銀嶺の果て」(1947年・東宝)
この曲はすでにフル・オーケストラによるテーマ音楽のCDが出ているが(本名盤と斎藤盤)、サウンドトラックにはそこにない音楽も入っている。その場面の「ワンワン、ワンワワン、ワンワンワンワン、ワギャンギャン、ウゥ~ッ」という犬のうるさい鳴き声がいい。
「ジャコ萬と鉄」(1949年・東宝)
ピアノのアルペジオにのって物悲しい幽寂(←この言葉、使ってみたかっただけ)なメロディーが流れる。そこにセリフが。
「おい、忘れ物だぜ」
「余計なおせっかいはやめろ」
「じゃあ、この女、オレが女房にもらうがいいか?」
「……」
「ほれみろ。そのツラなんだ?惚れたら惚れたではっきり言うもんだ。人間、往生際が肝心だぜ」
「女に惚れたらマタギはできねえだ」
「いまどき密漁なんて流行らねえ。このヤマネコ生け捕ったのを潮に、マタギなんざやめるんだな。少ねえがこれで掘っ建て小屋でも建てな」
音楽は続き、突然「ハレルヤ~」という明るい曲が遠くから聴こえてくるように挿入される。
これは結婚に至るという予告なのだろう。
「足摺岬」(1954年・近代映協)
人生に挫折した主人公の男は死ぬことを覚悟で足摺岬へと向かう。そこには昔心を寄せていた女性の叔母が営む旅館があった。男はその宿へ向かうが……
上の曲と同じようにピアノのアルペジオにのって悲しげなメロディが。
音楽が高揚して、息を切らした女性の声。
「おばさん、バスもう出たのかね?」
「なんじゃの?」
「これ、忘れもん」
「こんんあもん、あとから送っちゃったらいいじゃないか」
「けんど……」
他のと同様もちろん私はこの映画を観たことはない。しかしこの場面ではとりわけ悲しい場面のイマジネーションが膨らみ、よくわからないが胸が痛む。
「釈迦」(1961年・大映)
この映画音楽は、のちに交響頌偈「釈迦」(1988-89)へと発展することになる。
逆に、私は“交響頌偈”を聴くと、該当するメロディーのところでこのLPの映画「釈迦」のセリフが頭の中に湧いてくる(下の?はよく聞き取れないところ)。
“頌偈(じゅげ)”の第2楽章の美しい緩徐部分の音楽。
そこに重なるのは次のセリフ。
「立ち去れ悪魔、去れ!」
同じく第2楽章の激動部分。
「修行者よ、立ち去れ」
「我らの土地から去れ!」
「生かしてはおかぬぞ」
「我らは6年間お前につきまとってきた」
「これが最後の機会だ」
「我らの勧めに従って、苦しく無駄な修業はやめろ!」
「立ち去れ!さらば数々の楽しみを与えよう」
釈迦は言う。
「あらゆる欲望の皮を着た者。醜き者たち悪魔よ。お前たちの持つ楽しみに用はない。私はこの場を動かぬぞ。正しき勇気と深い知恵で、お前たちのゴン(?)を打ち破ろう」
シュリシュリと何かが飛び交うような戦闘の音。
「悪魔ども下がれ!」
“頌偈”の第3楽章の下降音階テーマになり、釈迦が語る。
「諸行は無常である。すべて-?-、心を清めて悪しきことをせず、善いことを実践しなければならない。吾は悟りを得た」
ここで、かたせ梨乃っぽい声が、「尊き法(のり)を得られた。仏陀、諸人を導き救わせたまえ」と偉そうに言う。
“頌偈”第3楽章の合唱のメロディー。そして民衆らしき人の声。
「あぁ、仏陀だ。われは仏陀を見た!仏陀はついにこの世に現れたのだ。あぁ!」
「仏陀よ、我らにいと尊き森の道を説きかせたまえ」
冒頭の筝(らしき楽器)の上昇音とそれに続くドラの「ぐぁわぁぁん~」という一打のフレーズも印象深い(“交響頌偈”にはない)。
このテープ、今回パソコンに取り込んだ。
お恥ずかしいことに、カセットテープの音源を“サウンドレコーダー”を使えば簡単にPCに取り込めるとは知らなかった。
ということで、今日はディスクの紹介ができないが、一応Amazonで中古盤が出ていることを導きたまっておこう。
はい、そう思うのですが、何度聴いてもゴンって聞こえちゃいます。