【凛】
 ①さむい②すさまじい。ぞっとする③きりっとひきしまったさま。りりしい。

IfukubeRIN  ぞっとはしないでしょうよ
 私が中学の時に買った小学館の「新選 漢和辞典」にはこう書かれている。
 にしても、中学の時の辞書だから、新選とはいえ、とうに新鮮ではなくなっている。

 考えてみれば、私は国語辞典も漢和辞典も古語辞典も小学館で統一していた。国語辞典の表紙カバーは白色、漢和辞典は黄色、古語辞典は黄緑色だった。

 国語辞典はともかく、漢和辞典や古語辞典まで揃えたのは国語教師から指示されたからではない。
 だいたいにして、勉強をしないやつに限ってこういうふうに揃えたがるのだ。で、形が整うとそれで満足してまず使わないのだ。自分のことだから、自分のことのようによくわかる。

 それにしても古語辞典は手元に残っていない。色的には3つの中で黄緑色がいちばん好きだったが、そもそも一度でも開いたことがあっただろうか?そしてどこに行ってしまったのだろう?

 先日キングレコードから発売された「伊福部昭の芸術」のVol.10~12。
 Vol.10は「」と題されている。

 上の意味からすれば、①か②か大いに悩むところだが、それは③がない場合であって、それがある以上、③の意味を込めているとしか考えられない。

20130710Rin3 ちなみにこのバラの名も“凛”。
 わが家のガーデンで咲いたものだ。で、私に似ているような気がする(トゲがあるところではなく、凛としたところだ)。

 バラの名も、やっぱり③の意味でつけられた可能性が極めて高いと思わざるを得ない。
 なに?私の庭はぞっとするスポットだって?ほっとけや!
 
 収録曲は、

 ・ 音詩「寒帯林(Arctic Forest)」(1945)
 ・ 日本狂詩曲(Japanese Rhapsody)(1935)
 ・ 土俗的三連画(Triptyque Aborigene)(1937)

である。

 指揮は高関健。「寒帯林」のオケは東京交響楽団(セッション録音)。ほかは札幌交響楽団(定期演奏会のライヴ)。

 この中から、今日は札響による2曲について。

  日本情緒あふれる狂詩曲のテンポ
 「日本狂詩曲」はコンサートで接したときに感じた以上に、実際のテンポが遅かったことがわかった。
 第1楽章「夜想曲」が8'20",第2楽章「祭り」は9'02"。

 先日私が一方的に話題にした、山田盤が6'51"+6'56"、岩城盤が7'25"+8'37"だから、岩城盤よりも遅い。
 が、これこそ“日本的情緒にあふれる夜を想ふ歌”に、そして“ゆっくりと歩みながら進む祭りの行列”にふさわしい。あるいは、祭りでの何かの舞にしたって、そんなに速くはないだろう。
 勝手な想像だが、作曲者の頭には北海道神宮祭なんかの山車の行列の印象があったんじゃないかと思う。横笛を吹きながら速く歩くことはできないし。

 録音の良さもあって、第1楽章は艶っぽいしっとり感があるし、第2楽章は大編成なのに実に見通しが良い。パワーで“伊福部っぽさ”を示すのではなく、この作品の音楽としての本質を聴かせてくれた。ひいき目ではなく、「日本狂詩曲」の現時点での決定盤と言える。

  小編成から飛び出る多彩な響き
 「土俗的三連画」も、各楽器が空間を飛び交う、たぶん伊福部の意図がきちんと再現されたすばらしい演奏。各奏者の演奏も見事で、こちらも今ある録音の中のベストだろう。
 演奏会での視覚的な面白さ、特に1人の奏者による打楽器の多様な扱い方が、コンサートでは非常に印象的だったが、その情景が頭に蘇る。

 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の生誕100年にあたる今年も、残すところあと2カ月余り。
 年が明けたあと、この余波はどこまで続くのだろう?
 急に冷めるのか?氏の音楽がこれまで以上に定着するのか?

 それにしても、かつては楽壇から軽蔑視された伊福部の音楽がこんなに脚光を浴び多くの人の魂を揺さぶるのは、人間臭さゆえ。現代音楽の中でも、理屈っぽい前衛音楽は結局は定着しないままだ。
 だって聴くのは「にんげんだもの」。