Sakkyo573rd  新発売の伊福部はお預け
 昨日10月25日14:00~、札幌コンサートホールKitara


 予告記事を書いたとおり、尾高忠明の指揮でマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第9番ニ長調(1909-10)。


 キングから伊福部作品のCD3点がリリースされ、木曜日には私の手元にあったのだが、伊福部に溺れるとマラ9鑑賞に支障をきたしそうなので、聴くのはダメよダメダメ。
 コンサートに備え、耳から手が出そうなのをこらえて聴くのををがまん。 マラ9二千年、おやおや、マラ9に千円、おいおい、マラ9に専念した。

 予告記事のときはジュリーニ/シカゴ響の演奏を取り上げたが、その後考え直し、同じシカゴ響でもブーレーズ盤を何回か繰り返して聴いてみた。

 この演奏、グッと心に迫るものではないけれど、以前も書いたようにどこか気になる、そしてややはまりかけるものだ。

 鈴木淳史は「クラシックCD名盤バトル」(洋泉社新書)でこの演奏を推している。

 両端楽章は、その運命を受け入れるかのように、枯れている。主題が最終的に聖化されて高らかに歌われるのではなく、徐々に消滅に向かう作品だから、この方法は理に適っている。室内楽的な書法が美しく響く。それに比べて、中間の2つの楽章は悪魔のダンスのように、やたらに乾いていて細かいのが邪悪。というか、ここまで悪ふざけしたこの楽章を聴いたことがない。

Mahler9Boulez 何もしていない(ってことは、もちろんないのだけれど)、余計な装飾を一切取っ払って裸をさらしているような、曲の実体そのものをピュアに表現しているという感じ。
 ただし、冷めた無感情モードというものでもないし(むしろけっこうタメがあったりする)、いたずらに絶叫しないのが逆にしんみりくる。終楽章のテンポの絶妙な変化のさせ方なんて、それだけでジーンとくる。
 が、正直なところ、も少し感情の渦に巻き込まれたいとも思う。

 1995年録音。グラモフォン。
 
  で、尾高/札響の演奏は
 熱演だった。力演でもあった。
 正直言って、期待を上回る演奏。

 オーケストラはよく鳴っていた。各パートもいずれもが表現力豊かで、ミスもほとんどなかったように思う(その中でも今回特筆すべきはホルンだった)。

 弱音の箇所も美しい。が、その室内楽的に響く箇所でのしんみりした静けさがやや物足りない。深みある味わいが欲しい。微妙な強弱のニュアンスの不足が、一本調子っぽくなった。それが残念だが、尾高のマーラーではこれまでもそう感じることが少なくなかった。

 終演後に飛び交うブラボー・コール。
 それに値する立派な演奏であったが、個人的には深い感動に包まれるまでにはいたらなかった。
 

 今回聴きながらあらためて思ったのは、それにしても札響はすごいオーケストラに成長したなぁということ。
 札幌市民会館であまり大きくない編成の曲中心にやっていたころとは、まさに隔世の感がある。
 保守的なプログラムを岩城宏之が改革し、さらに尾高がここまでに育て上げたことは間違いない。

 その尾高は、今シーズンで札幌交響楽団の音楽監督をおりる。音楽監督としてタクトを振るのも、あとは2月の定期のみとなった(プログラムはシベリウスの交響曲第5~7番)。