MozartK605  とにかく効率的に録音したかったので……

 学生のころ、私が音楽を聴くメディアはFM放送をエアチェックした大量のカセットテープであった。
 大量といっても、それぞれのテープは決して贅沢な余裕を持った使い方はできない。
 そこでちょっとした余白にも曲を録音した。作曲家の年代、曲のジャンル問わず。


 例えばC-90、つまり90分テープ。片面は45分。

 チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音。そのあとの余白には後日の放送で、その長さに見合った曲がかかったときにエアチェック。
 その結果、壮大で華々しくチャイコンが終わったあと、モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲が流れるというような、節操のない現象が起こる。

 「フィドル・ファドル」のあとに「そり滑り」が流れるのは同じアンダーソンの曲で何の問題も生じないが、さらにそのあとにネッケの「クシコス・ポスト」が続くと、お部屋は運動会のグラウンドと化した。
 また、モーツァルトの「ジュピター」のあとにバッハの無伴奏フルート・ソナタ(パルティータ)が続くと、ケルンの大聖堂を見学した直後に地下牢に放り込まれたような気になった。

 あるいはベートーヴェンの「運命」のあとに、ブラームスの「悲劇的序曲」。せっかくベートヴェンさまが暗から明へとお導き下さったのに、同じドイツ3大Bグループの1人によって再び暗に戻されてしまう。


 私が行なった最悪ともいえるカップリングの1つはシューベルトの「未完成交響曲」のあとに、柴田南雄の「コンソート・オブ・オーケストラ」を収めたものだった。
 片や1822年作曲、片や1973年作曲。
 「ほほぅ、150年の間に音楽はこんなにも変わったのか」なんて思いながら“馬のマークの参考書”を読んでいる場合じゃない。シューベルトの余韻に酔うことは許されないのであった。

FrancaiseParay  その結果、刷り込まれたもの

 そんなこんなであったが、そのなかでもなぜかわからないが、妙に刷り込まれたものがある。

 この曲を聴いたり、あるいは頭の中で考える。そして最後の音が終わる。毎度同じメロディーが次に浮かぶ。
 そのもはや逃れられないパターンが染みついてしまっているのがある。

 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の「3つのドイツ舞曲(3 Deutsche Tanze)」K.605(1791)の最後の1音が終わると、必ずサン=サーンス(Camille Saint-Saens 1835-1921 フランス)の「フランス軍隊行進曲(Marche militaire francaise)」Op.60-4(1879-90)が頭の中で鳴り響くのだ。
 これも繰り返し聴いたテープのせいなのである。


 モーツァルトの「3つのドイツ舞曲」は、彼が書いたドイツ舞曲のなかで最も有名なもの。
 実はモーツァルトはドイツ舞曲(集)を9作残している。
 それらを次のとおり。

 ・ 6つのドイツ舞曲K.509(1787)
 ・ 6つのドイツ舞曲K.536(1788)
 ・ 6つのドイツ舞曲K.567(1788)
 ・ 6つのドイツ舞曲K.571(1789)
 ・ 12のドイツ舞曲K.586(1789)
 ・ 6つのドイツ舞曲K.600(1791)
 ・ 4つのドイツ舞曲K.602(1791)
 ・ 3つのドイツ舞曲K.605(1791)
 ・ ドイツ舞曲ハ長調「辻音楽師」K.611(1791)(K.602の第3曲と同一)

 これをみると、晩年に集中して書かれていることがわかるが、これらの作品は裕福な貴族のために書いたのだった。つまり、日々の生活に貧窮していたモーツァルトは、こういう作品を立て続けに書いて貴族に買ってもらったのだった。

 「3つのドイツ舞曲」K.605もいずれも楽しい音楽3曲から成っているが、特に鈴とポストホルンが印象的な第3曲「そり遊び(Die Schlittenfahrt)」はその中でも良く知られる。

 私の場合は、最後のポストホルンの音が消えかかるや否や、「フランス軍隊行進曲」の勇ましい音楽が続けて始まるのである。
 サン=サーンスのこの作品は4曲から成る「アルジェリア組曲(Suite algerienne)」Op.60の第4曲である。

 「ドイツ舞曲」についてはヴィルトナー/カペラ・イストロポリターナの演奏(1989年録音。ナクソス)を、「フランス軍隊行進曲」ではパレー/デトロイト交響楽団盤(1959録音。マーキュリー)をお薦めしたい。