寒そうに見えるのは自分の心が寒いから?
私の心の中は、そして肌に感じる風の感触は、もうすっかり冬だ。
自宅あたりの気候はこの1週間でどう冷え切ったかわからないが、少なくとも冬囲いはまだ時期尚早と思ったのに一気に寒くなった。こうやっていつも冬囲いのタイミングが遅くなるのだ。その反動で早くもタイヤは交換したが(って、きっと平年並みのタイミングのはずだけど)
昨日も触れたが、先週足寄、本別方面に出かけた(そのときにチーズを買ってきた)。
紅葉を見に行ったのではない。仕事である。
が、いやでも赤や黄色に染まった山々、木々が視野に入る。信号と間違えるほどだ。
足寄から本別へ向かう道沿いで一回車を下り、写真を撮った。
が、私が写真を撮ろうとするとなぜ急に雨が降ってくるのだろう。
きれいに撮れないのは、私の腕と道具のせいもあるが、いちばん大きな原因は雨だ。
足元に名もなき小さな花が寒そうに咲いていた。
いや、私が知らないだけで間違いなく名はあるに違いないし、本人は全然寒いと感じてないかもしれないが、が弱々しく見えたというのが私の主張である。
ブルックナーのいちばん地味なシンフォニー
ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第2番ハ短調WAB.102(1871-72/改訂'75-76/小改訂'77,'91-92)。
個人的なことを言わせてもえらえば、第2番はブルックナーの交響曲のなかでいちばんなじみのない作品。また、少なからずの人にとっても第2番は地味で目立たない存在なのではないだろうか?(ブルックナーをまったく聴かない人については、この際対象外とする)。
交響曲第1番が男っぽい曲調なのに対し(なんせ「生意気な悪童」なのだ)、第2番はやや女性的な印象を与える。
ただし、第1番の次に書かれた交響曲が第2番なわけではない。第1番と第2番の間には、のちに第0番とナンバリングされることになるニ短調の交響曲がある。
だからといって第0番が中性的ってことはないが……
目立たぬ道ばたの花のようではあるが、こういう草に限って根が強固に張っているということがある。
この交響曲第2番もそう。女性的で優しさが漂っているし(特に第2楽章)、目立たぬ存在だが、張るところは張っているって感じだ。肩とか……(←つまらんギャグすいません)。いや、だから根です。
ブルックナーのがっちりしたところはちゃんと残っているし、むしろこの曲の構造が、その後の作品に応用されているように思う。ちなみに“ブルックナー開始”と言われる弦の細かな刻みも、この第2番で初めて現れている。
第2楽章には、自作の「ミサ曲第3番ヘ短調(Messe Nr.3)」WAB.28(1867-68,第2稿'76,第3稿'81/改訂1896)の「ベネディクトゥス」の動機と「アヴェ・マリア(Ave Maria)」(ちゃんと確認していないが、WAB.6(1861)の方だろうか?)の動機、第4楽章に「ミサ曲第3番」の「キリエ」の動機を用いている。そのためか、宗教的な雰囲気が濃い。
またこの曲は、主要楽句を大きな休止符で区切って目立たせたために、「休止交響曲(Pausen Symphonie)」とも呼ばれた。
ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデンの演奏は1877年第2稿ノヴァーク版を使っているため、終楽章でブルックナーが“省略可”と指定した箇所が、素直にそのまま省略されている(宇野功芳氏は、このことが残念だとどこかに書いていた)。
が、この美しさは他の演奏ではなかなか聴けないもの。
ただしこの録音、絶賛する声と、そうでもないという感想とが相半ばしているようだ。
私が知る限りの第2番では、最上のものだと思うのだが……
1980年録音。ワーナー(EMI)。