BartokPconSchiff  白血病のベッドの上で
 昨日はショスタコーヴィチが1933年に書いた“モダンな”ピアノ協奏曲第1番を取り上げたが、今日はその12年後の1945年に書かれたバルトーク(Bartok Bela 1881-1945 ハンガリー)のピアノ協奏曲第3番Sz.119。

 バルトークの“白鳥の歌”であり、白血病の病床で完成を急いだものの、最後の17小節分はスケッチを残したまま亡くなった。そのため、最後は弟子のシェルリー(セアリー)が完成した。

 この曲は第1番第2番に比べはるかに暴力的な振る舞いがなく(ピアノの打楽器的扱いが抑えられている)、彼の3つのピアノ協奏曲のなかではいちばん親しみやすいし、実際人気が高い。

 第2楽章は涙がにじみ出てオロロンしそうになるほど澄んだ美しさ。
 また第1楽章もやはり透明感があり、優しささえ感じさせる。
 第3楽章はバルトークらしい民謡風のメロディーが印象的なパワフルなもの。

  妻のために書いたのだが……
 このコンチェルトは第1,2番とは異なり、ピアニストとしてのバルトークが自ら演奏することを想定したものではない。おそらくは(2番目の)妻でピアニストのディッタが持ちネタとするように書いたと考えられている。

  ただし、伊東信宏著「バルトーク 民謡を「発見」した辺境の作曲家」(中公新書)によると、このころにはバルトークとディッタ夫人との関係には亀裂が入り、2人は別居同然の暮らしを送っていたという。

 シフのピアノ、フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管弦楽団の演奏を。
 美しくまた切れ味が良い清潔感のある演奏だが、録音もいい。

 1996年録音。apex(原盤テルデック)。
 
 ところで“白鳥の歌”って何さってことだが、ハクチョウは死ぬ間際に鳴く(歌う)そうで、そのときの声が最も美しいということだ。転じて、最後の作品をこう呼ぶのである。