「もっと焼いて」。その一言が言えない雰囲気
浅田次郎のエッセイ集「つばさよつばさ」(小学館文庫)。
JAL機内誌“SKYWARD”に連載されたものをまとめ、著者が加筆・修正したものの第1弾である。
私はANA派であまりJALに乗ることはないが、もちろんANA便が就航していない空港へ行かねばならないこともあるわけで、この連載の存在は知っていた。
が、文庫化されていたのは知らなかった。
きちんと書店でめぼしそうな本を熱心に探さない私が悪いのだが、あまり小学館文庫の棚には近づかないのだ。特に理由はないけど。だから見落としていた。浅田氏を読むようになったのは近年になってからではあるが、浅田ファンとして面目ない。
そのなかの“ステキなステーキ”という話に、次のようなくだりがある。
ちなみに、肉の焼きかげんについて日本でいう「ミディアム」を指定すると、アメリカでは「ウェルダン」が登場し、「ウェルダン」と言えば炭となる。刺身で育った日本人には生肉信仰があるので、焼き具合の尺度は大きくずれるのである。
以前ベルリンに行ったとき、肉厚のステーキが出された。日本のように平べったい肉ではなく、レンガを半分にしたような立方体風のもの。それなのに中心まできちんと火が通っていた。しかも実に柔らかい。
あれこそが本来のステーキの調理法であり、正統的な姿なのだろう。
日本でステーキを頼むとき、私はミディアムと指定する。
本当はウェルダンと言いたいのだが、ウェルダンなんて「こいつ肉のことをわかってない貧乏人だな。馬鹿じゃないかって」っていう目で見られる向きがある。貧乏人なのは間違いないが、肉についてはそれなりの知識をもっているつもりである。
焼きすぎは肉が硬くなるとか、肉本来のうま味が死んでしまう、みたいな無言の圧力を感じ、ウェルダンと言う勇気がない。
庶民的な店なら、「ミディアム。でも強めに焼いて」と言うようにはしているが……
生焼けどころか冷たいままのがありがたいのか?
が、浅田氏も書いているように、本場では芯まできちんと火を通すのだ。
日本でミディアムと頼んでも、私からすればほとんどレアじゃないのってのもある。ミディアム・レアが好きな人はそれでいいが、私にとっては中が真っ赤なままのものに肉本来の美味さとかジューシーさなんて感じないし、焼き過ぎとは逆の噛みにくさもある。はっきり言って皿に血がたまっていくのを見ると、気持が悪い。食欲が一気に失せてしまう。
ましてや、その生の部分がまだ冷たかったりすると、これを肉本来のうま味を生かした本格的なステーキと言えるのかい?と言いたくなる。
それに、確率は高くないが牛肉にだって無鉤条虫がいるのだ。牛は無鉤条虫(サナダムシとか)の中間宿主。
-5℃以下で冷凍すると死滅するのでそれほど心配する必要はないが(加熱では56℃以上で死滅)、アフリカとかフィリピンなどでよく見られるそう。なお、無鉤条虫に寄生されても、たいていは無症状だそうだ。
下手したら虫がわくよ、おなかのなかで
また、同書の“とっておきの料理”という話では、カナダのケベック州に行った際、招待された晩餐で主催者側の理事が大好きだという豚肉のソテー、それも理事お勧めでレアで出されたときのことが書いてある。
五百グラムは優にありそうな巨大なレアの肉塊の上に、あろうことかテンコ盛りのジャムがのっていた。「さあ、どうぞお召し上がりください」と、理事。いっせいに口に入れたとたん、十数名の顎の動きがピタリと止まった。
まずい。ものすごくまずい。祖父母の教えからすると、猛毒にちがいなかった。レアの豚肉はプリプリとした怪しい舌ざわりで、一口噛むと血と消毒液が混ざったような、たとえば歯医者におけるうがいの味がした。しかもソースは、卒倒するほど甘いラズベリージャムである。
想像するだけで、オェッってくる。
豚の生は絶対に危ない。寄生虫がいるからだ。もちろんSPFなど衛生的な豚の肉も流通しているが、そもそも豚は生で食べて美味しいものとは思えないし、その必然性もまったくわからない。
去年、昼ご飯を食べに行った、あるレストランのポークソテー。表面に玉のような血の汗を吹いていて、見た目にもキモいまだら模様。つまりポークなのにミディアム・レア。
目の前に皿が置かれた段階で、見た目も気分も損なわれた。調理ミスに違いないと思ったほどだ。
店主に言わせると、この豚肉は誰だかさんだかが育てた豚で、生食でも大丈夫(生産者名がはっきりしているから間違いないとは言い切れないだろう。少なくとも私に対しての説得力はない)。レアがいちばん美味しいのでそのように出していると言っていたが、イノシシに食らいつく大蛇じゃあるまいし、全然美味しくなかった。いまにも筋の間から小さい生物が這い出してくるのではと、気が気でなかった。
店主の自信に満ちた目が光っている手前、なるべく火が多めに通っている部分をなんとか口にしたが、半分は残した。そのあとは長い間、自分の体内に得体の知れない線虫が繁殖してはいないかと、不安な日々を過ごした。こんなことなら白飯だけを食えばよかったと後悔した。
浅田氏に自信をもってレアのポークソテーを勧めた理事は、その後もご健在なのだろうか?
気になるところである。
浅田氏は別な章で、ヒトがヒトになりえた素因の1つに火の支配をあげている。
そこでまだらの蛇
メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn[-Bartholdy] 1809-47 ドイツ)の劇音楽「真夏の夜の夢(Ein Sommernachtstraum)」Op.61(1842。ただし序曲Op.21は1826)。
これから冬になろうというときに、実に季節感のない選曲で申し訳ない。が、帯広では今週の土曜日に花火大会がある。いや、花火大会=夏、というのも個人的な固定観念だが……
なぜ今日この曲を取り上げたかというと、この劇音楽のなかに「まだら模様のお蛇さん」って曲があるから。
ちなみに、シェイクスピアの劇のために書いたこの曲の構成は以下の通り。
1.序曲Op.21(1826)
2.スケルツォOp.61-1
3.メロドラマと妖精の行進Op.61-2
4.まだら模様のお蛇さん(舌先裂けたまだら蛇)Op.61-3
5.メロドラマOp.61-4
6.間奏曲Op.61-5
7.メロドラマOp.61-6
8.夜想曲Op61-7
9.メロドラマOp.61-8
10.結婚行進曲Op.61-9
11.メロドラマと葬送行進曲Op.61-10
12.道化役者たちの踊りOp.61-11
13.メロドラマOp.61-12
14.終曲Op.61-13
前に一度取り上げているが、この曲では私はレヴァインの演奏を聴くことが多い。
シカゴ交響楽団の緻密で切れ味の良い響きが心地よい。ただしロマン性という点では、ちょいとスッキリしすぎかも。
独唱はブレーゲン(S)とクイヴァー(A)、合唱はシカゴ交響合唱団。
序曲と6曲の抜粋。
1984年録音。グラモフォン。
私が持っているCDは廃盤となっているが、現在ベルリン・フィルを振った交響曲第4番「イタリア」とのカップリングで、この演奏を聴くことができる。
挽き肉は菌に汚染されやすいので、これまた半生は危険かと……