コスモスかっ!?
オータムなう、ではない。
確かに今はもう秋。なんせ今日は、彼岸であり、秋分の日なのだ。変換して一発目に出たのは“醜聞の日”という漢字だったが……。おぉ、怖っ!
オータムナルというのは“秋咲き風”ということであり、ブラームスの後期の作品がこう形容される。
知らないって?少なくともハロルド.C.ショーンバーグはそう書いている。
そのブラームス(Johannes Brahms 1833-1897 ドイツ)の交響曲第4番ホ短調Op.98(1884-85)。
彼の最後の交響曲であり、古典への逆行傾向が強い、ある意味赤ちゃん返りをした作品である。そして、この曲以降、ブラームスの様式は一層温和で内省的になっていく。
第4交響曲が作曲されていたころのブラームスはすでに(遅ればせながら)音楽界の大御所になっていた。
1877年にケンブリッジ大学から名誉博士の称号を贈られる。
以後、ブレスラウ大学の名誉博士号、ベルリンおよびパリの学士院会員への推選、プロシア宮廷の騎士の称号、オーストリア皇帝から金の勲章、ハンブルク市名誉市民といった栄光ビームの照射が続いたのだった。
孤独感にさいなまれるのは自業自得
しかし、一方で持ち前の性格の悪さからか、友人との軋轢なども続いた。
そのため第4交響曲を書いていたころは、精神的にはけっこう孤独な状況にあったようだ。また、肉体的のも体力の限界を感じてもいたらしい(まだ52歳なのに)。
これらの事情を踏まえ、この交響曲にはそういう孤独な感情が反映しているといわれている。昔の様式に返って、心の安らぎを求めようとしたのかもしれない。
前途有望だったロットの心を破壊したことに象徴されるように、とにかくブラームスは気難しく皮肉屋だった。
第4交響曲のハンブルク初演に際しても、ブラームスはひどいことをしている。
ハンブルク初演はビューロー指揮マイニンゲン管弦楽団によって準備されていた。
ところが、ブラームスはその数日前にハンブルクに赴き、地元のオーケストラを振って初演をすましてしまったのだ。当然、ビューローは怒り、ハンブルクでの演奏旅行に行くことを拒否しただけではなく、マイニンゲン管弦楽団も辞めてしまった。当然、2人の友人関係は、つまり亀が裂けたわけだ。
古典様式への回帰という点で顕著なのは、終楽章でバロック時代の変奏曲の形式であるシャコンヌを用いていることである。なお、ショスタコーヴィチは交響曲第15番などでシャコンヌと同様の形式であるパッサカリアを用いている。
ブラームスはJ.S.バッハの作品をこよなく愛したが、バッハの「シャコンヌ」についてクララ・シューマン宛てに、自分がこのような名曲を書けたならきっと感激と喜びのあまり発狂してしまうでしょう、と書いたことがある。
この手紙のころ、クララの夫であるロベルト・シューマンの精神病が発症していたかどうかわからないが、もし兆候が表れていたとすると、「発狂してしまうでしょう」とはあまりにデリカシーがない。いや、ひそかにクララに想いを寄せていたブラームスの皮肉あるいは屈折した意地悪か?
やれやれ……
当のブラームスは、ロットを発狂させはしたが、自分はそうならずにすんだが……
古典傾向ということでは、シャコンヌだけではなく、第2楽章には教会旋法のフリギア旋法が用いられていることもあげられる。
しっかりしたワイヤ入りのブラのよう
今日はハイティンク指揮ボストン交響楽団の演奏。
小細工しない真正面から取り組んだ正統派だ。
妙に女々しくなることもなく(女の人のことを悪く言っているのではありません)、強音の厚みは心地良い。
ハイティンクの職人技的誠実さが伝わってくる。
このように毅然としたしっかりした演奏が、あまり評価されていないのが不思議でならない。これぞブラームスと、私なんかはビシビシ感じちゃうんだけど。
この曲の第1楽章には「マルティン兄貴」のメロディーが潜んでいると、私は決めつけている。マーラーが交響曲第1番の第3楽章でカノン主題に使ったのと同じものだ。
ヴァイオリンのメロディーの下に潜り込んでいるような存在のこの裏メロディーを、ハイティンクはさりげなく、しかし確固なるものとして弾かせている。こういう些細なことが私に無上の喜びを与える。ヘンですかね?
そしてまたハイティンクのような(地味かもしれないがいい仕事してる)演奏こそ、日本人の感性をツンツンと刺激しそうに思うのだが……
でも、華々しさがないとダメですかね?
タコおやじみたいな見た目はイヤですかね?
ほんと、活き〆したようにキシっとした演奏なのだが……
1992年録音。デッカ(TOWER RECORDS PREMIUM CLASSICS)
私はいつも早起きです。寝続ける体力がないようです。でも、その反動で、休日は必ず昼寝します。ビューロー、歴史的に有名になって、それまたかわいそうです。