IfukubeMaehashi  オホーツク方面に小旅行
 月曜日は休みをとった。

 そして昨日の朝、私は北見にいた。


 おとといから昨日にかけて、網走と北見を回遊したのだった。小旅行である。なお、せめて“こりょこう”ではなく“しょうりょこう”と読んでほしい。

 日曜日は網走監獄を見たあと、限られた日程なので知床半島に行ったりせず、そしてまたサロマ湖まで行く時間もないので能取湖に立ち寄り、そのあと北見に入った。

 そのころから雨が強くなり、そしてまたフロントガラスのぎらつきがひどくて視界が不良になった。

 「これだから中国製のフロントガラスはだめだわい」と嘆きつつ、でもこれで少しは良くなるかもと淡い期待を抱き北見市内のホーマックへ。新たなワイパーブレードを購入し、駐車場でどしゃ降りのなか交換。

 すると、「なんということでショォ~!」
 拭き取りが悪く、危険な思いをさせられていたガラスは、まるでクリスタルのような透明感を取り戻したではありませんか!
 これでおじさんも安心して運転できるようになりました。

 中国製だからと難くせつけて悪かった。
 淡い期待は濃厚な好結果をもたらせてくれた。

 ところで、北海道で生まれ育った私だが、実はいまだかつて知床に行ったことがない。
 ついでに言うと、天売島・焼尻島、利尻島・礼文島、奥尻島にも行ったことがない。
 妻も同様だが、妻の場合は北見・網走にも来たことがなかったので、今回こちら方面を攻めることにしたのだった。

 私はといえば、網走は新入社員の頃に1ヵ月半ほど研修した地であるので、ほんのり加減で懐かしい。

 その後、出張では網走も北見も何度も訪れている。たとえば、こんな報告もしている。


 帯広から網走というとかなり時間がかかるかなと思ったが、なんのことはない。帯広から札幌へ帰るのとそう大きな差はなかった。と書くと、道外の人は近いと思うだろうが、それでも200km弱はある。


 以前、大阪の取引先の人から「北海道内の取引先を訪問したいのだが、2泊3日で釧路と帯広と旭川と札幌と函館を回るようスケジュールを組んでほしい」と言われたことがあった。やっぱり距離感と交通の不便さがわからないのだろう。


 日曜日は帯広→音更→足寄→陸別→津別→美幌→網走→北見というルート。
 回遊の結果報告は後日あらためて。 

  浜薔薇(はまなす)散ってシレトコは眠る…… 
 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の歌曲「シレトコ半島の漁夫の歌」(1960)。歌詞は北海道弟子屈町出身の、アイヌ文化研究家で詩人の更科源蔵(1904-85)の詩による。
 なお、弟子屈(てしかが)町は釧路市に接する釧路管内の町だが、オホーツク管内とも隣接する。

 伊福部は札幌で更科たちと“五の日の会”を作り、北大に近い場所にあった喫茶“なぎさ”で文化論などを語り合った。

 1941年5月には更科が総合文化雑誌「北方文芸」を発刊、第3号の段階で伊福部が会員に加わったことが知らされ、第4号で「現代音楽のプロパガンダ」を寄稿した。
  (  参考 伊福部昭 音楽家の誕生:新潮社)

 伊福部が更科の詩を用いたのは「シレトコ半島の漁夫の歌」と「オホーツクの海」(1958/88)と「摩周湖」(1992)の3曲。いずれも、原詩は1943年発行の更科の詩集「凍原の歌」のなかの「地理の書」という章にある。

 聴いていて、ひどく歌うのが難しいだろうなと思う作品。
 明るいとか暗いという感情を超越した怒りである。

 

 立川清登のバリトン、是安亨のピアノ伴奏の演奏を。

 1971年録音。NHK(キング)。

 なお、自宅近くのスーパーは、5のつく日は“奥さまGo!Go!デー”と位置づけている。