常連客のように「いつもの!」と言ってみた
20日の水曜日。
この日は隔週に1度の燃やせないゴミの日だったが、朝、忘れずにゴミステーションに1袋出すことができた。1日のすべてのことをやり終えたような達成感を得た。
が、ここで書きたいのはそのことではない。
この日の昼ご飯のことだ。
秋吉課長、阿古屋係長、河西さんとともに、〇〇楼に行った。
そして、勇気を奮って顔なじみの店員さんに言ってみた。
「いつもの」
それはちゃんと通用した。無事、担担麺+小ライスが注文できた。
なお、課長と係長は「担担麺と小ライス」と一般的な注文のしかたをし、また河西さんは中華ちらしを頼んだ。
この素晴らしき〇〇楼(実は過去に実名を紹介しているが)のお姉さん(実は名前を知らない)に敬意を表し、今日はナンカロウ。
リゲティが絶賛!
ナンカロウ(Conlon Nancarrow 1912-97 アメリカ→メキシコ)の「プレーヤー・ピアノのための習作(Studies for player piano)」。
プレーヤー・ピアノというのは自動ピアノのことである。
井上和男編「クラシック音楽作品名辞典」によると、ナンカロウはシンシナティ音楽院で学んだあとボストンに出て、ピストンらに師事。その後、スペイン内戦で人民戦線派の義勇軍に参加したためアメリカに戻れなくなり、1956年にスペインの国籍を取得した。
ヒトの指では弾けないリズムや速い動きの演奏を可能とするために、ロール・ピアノからの発想で自動ピアノ(Player Piano)を開発した。
「プレーヤー・ピアノのための習作」は第1集から第5集まであり、各集とも50曲ほどからなる。これらは1949年から93年にかけて作曲されている。
ポリリズムや複数のテンポをもつ、この自動演奏ピアノの音楽を知ったリゲティは、ナンカロウについてこう述べている。
この音楽はヴェーベルンとアイヴズ以来最大の発見である……音楽史全体にとって偉大で重要なものである!……私にとっては、現存の作曲家によるもののうち、最高の音楽である。
出典⇒ ロバート.P.モーガン編,長木誠司監訳
「西洋の音楽と社会11 現代Ⅱ 世界音楽の時代」:音楽之友社(1997)
有機と無機との不思議な融合
ナンカロウは人間では演奏不可能なほどの複雑な音楽を書いたが、それを正しく演奏するために間違いなく演奏してくれる自動ピアノを用いた作品を書いたのだった(ヒトが演奏するための曲も書いたが)。
今日は「自動ピアノのための練習曲」を生身の人間が演奏できるようナンカロウ自身が編曲したものをご紹介する。
WERGOレーベルから出ている「As fast as Possible」と題されたCD。
ここにはピアノ演奏用に編曲された、以下の「プレーヤー・ピアノのための習作」作品が収録されている。
・ 第16番「カノン3/5」(1960)(2台のピアノ(8手)版:Erik Ona編*(2003))
・ 第20番(1965)(ピアノ連弾(4手)版:ブガッロ編(2004))
・ 第26番(1988)(4台のピアノ(7手)版):ナンカロウ編)
・ 第32番 (1969) (ピアノ連弾版(4手)版:ブガッロ編(2004))
・ 第44番「偶然性のカノン(エンドレス)」(1981)(2台のピアノ(4手)版:ブガッロ編(2004))
*) 原綴ではnの上に~がある。
何台かのピアノが置いてあるショールームで子供たちが勝手に鍵盤を叩いているような音楽。ただし、ケージの偶然性音楽のように無機質ではなく、また緩急の違いや異なるリズムのぶつかり合いが不思議な音空間を生み出す。それはときに、ユーモラスでもあり、タワレコの紹介ページに書かれているように、確かにちょっぴりクセになる。
演奏は、ヘレナ・ブガッロとエイミー・ウィリアムズ。第16番と第44番ではエイミー・フリッグス(タワレコやHMVの商品紹介ページにはこう書かれているが、CDの表記ではAmy Dissanayakeとなっている……)とイングリード・カルレンが加わる。
2005年録音。レーベルは私の好きなWERGO。
Dissanayakeって、どう転んでもフリッグスって読めませんよね?
なるほど、テツandトモ。気づきませんでした。ナンカロウは、少しばかり好きです、私。