《昨日のあらすじ

 車を運転していて、後ろから猛スピードで追い越して行った車に、私はこういう危険な運転をする人は警察の取り締まりで捕まるべきだと思いつつ、そのあとスープカレーを食べたがその量の多さにおなかの中がスープカレーになりそうになった。カレーを食べたあと家に向かう途中で、警察に捕まっている見ず知らずの車を見かけた。

20140814Koganemushi
  いくら綺麗でも嫌い 
 家に着いたのは14時ころ。
 この日(14日)はもうちょっぴり疲れていたので、近くのコンビニに市指定のゴミ袋のいちばん容量の大きいのを買いに行き、ガーデニング作業はほとんどしなかった。

 ふとみると、庭の片隅に緑色に輝くものが。

 コガネムシの死骸だった。
 こんなに美しいコガネムシはこのあたりでは珍しい。バラの花を食い荒らし、バラの花の中で交尾しているコガネムシはもっと小型で黒い、見るからに害虫ってやつだ。
 だからといって、この緑に輝くコガネムシなら好きかと言われると、全然好きじゃない。

 それにしてもなぜ死んだんだろう。
 自分が気づかないうちに私は幽体離脱して、こいつに殺虫剤を噴霧したのだろうか?
 なぞである。
 でも、この死骸をそのまま置いておくのはいやなので、けど土に葬らず、ゴミ袋に入れた。私は火葬することを選んでやったことになる。

  古楽演奏のパイオニア、ブリュッヘン逝く
 ブリュッヘンが亡くなった。13日のことだという。
 私にとってブリュッヘンはリコーダー奏者としての演奏の方が、指揮者としてよりも多く接している。
 20年ほど前、それまで若い頃の写真しか知らなくて、現状の写真を見たときにはすっかりおじいさんでびっくりした。痩せている人は老いると実年齢以上に歳をとって見えると、このとき思ったものだ。

 ここでは、彼の指揮者としての録音で、シューベルトの交響曲第4番「悲劇的」を取り上げたときの記事を紹介しておこう。
  「幸福な昼休み時間の教室に漂う刺激臭♪Schubert/Sym4

ShostakovichSym10Dohonanyi  決して聴き手をないがしろにしない「葬送音楽」
 そんなこんなで、ルトスワフスキ(Witold Lutoslawski 1913-94 ポーランド)の「葬送音楽(Muzyka zalobna)」(1956-58)。
 楽器編成は4群のヴァイオリン、2群のヴィオラ、2群のチェロ、2群のコントラバス。

 ルトスワフスキはバルトークの影響によって民族主義的作風から出発し、12音音楽、さらには前衛音楽の道を進んだが、調性的な響きを併せ持つ作品を書いた。

 「葬送音楽」はバルトークの追悼のために書かれたが、ルトスワフスキにとって12音技法を本格的に採用した唯一の作品。
 プロローグ/変容/極点/エピローグの4部からなる12分ほどの曲で、バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」を想起させる。
 半透明のような弦の響きが織りなすメロディーは、しかし無機質ではなく確かに調性的に聴こえる。強い緊張感
は聴く者の心を温かくも冷たくもしないが、いわゆるゲンダイ&ゼンエイっていう独りよがりの曲でもない。むしろ繰り返し聴くうちにそのサウンドが心地良くなってくる。少しばかり。

 前に以下の記事で紹介した、ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団によるショスタコーヴィチの交響曲第10番。そこにカップリング収録されているの演奏を。
    「今日も10番……たこじゅう!♪ドホナーニのDSch/Sym10

 1990年録音。デッカ。

20140815LadyEma  2時間はさみを駆使した私
 15日はアサイチで床屋に行く。そのあと2時間ほど、もう面積は少なくなり通路代わりになっている芝の刈り取り。
 通路代わりということで、芝刈り機をあまり使えず、芝刈りばさみを使わざるを得ない。
 はさみで芝を切りながら、床屋さんもこんな気分なのかなぁ。いやんなるだろうなぁ、と思う。

 そのあと、あまりに地下茎ではびこりすぎたミントを引き抜き、少しこぎれいにする。憎きカタバミやスギナもなるべく根ごと抜くようにし、さらにバラの剪定とアロニアの枝の剪定。
 芝刈りと剪定に次ぐ剪定で、右手の握力がほんのわずかながら強くなった気がする。
 作業終了後、気づくと右手中指の第1関節が虫(たぶん)に刺されていた。

 バラの花は散発的に咲いている。
 写真は、レディ・エマ・ハミルトン。とても良い香りが強い品種だ。

 16日~17日の墓参活動等についての話は、また明日。