DoshinIfukubeOtowa  「た、た、たんたたたん」と係長の喜びの声(うそ)
 「さて、今日の昼は何を食べようか……」

 話しかけたとも、ひとりごちたともつかない言い方を、私はした。

 隣にいたのは、いつものランチ・フレンドの一員、阿古屋係長だ。

 「そうですね、何にしましょうか……」

 このように、彼は私に何の指針も示してくれなかった。
 外は雨だった。関係ないが。

 「よし!特に夢や希望がないなら、美〇〇のラーメンか、〇〇楼の担担麺にしようか?」

 私は思いつきのように言ったが、実はその数分前から、密かにこのどちらかに行こうと思っていた。
 親ガメと子ガメのような丼Wのかしわそばを食べた翌日のことである(つまり先週のことだ)。

 係長は言った。
 「い、いぃ、いいですねっ!実はボク、今日は〇〇楼の担担麺が食べたいなってすっごく思ってたんです。〇〇楼の担担麺、美味しいですよね。いいなぁ。ホント、食べたいと思ってたんす」

 何もどもらなくてもいいのに……
 タンスにゴンじゃないんだから、焦って“で”をとばしちゃうし……

 そんなに思っていたのなら、係長も最初っからそう言ってくれればよかったのに……
 前日、そば屋を提案したのが自分だったから、今日の店の選択は自分の担当じゃない、しゃしゃり出てはいけないと思ったのだろうか。

 
店員さんは担がないでお盆にのせて来るけれど

 担……
 タンタン麺のことを坦坦麺(坦々麺)と書いていることがあるが、あれは正しくない。
 担担麺(担々麺)が正しい。
 もともとは天秤棒である“担担”に道具をぶら下げ、担いで売り歩いたソバだから担担麺なのだ。


 この日の私は、担担麺に小ライスをつける不退転の決意だった。

 顔なじみの店員に「担担麺と小ライス」と告げる。
 店員さんは笑いながら言う。
 「きっちり言わなくても、『いつもの』って言ってくれていいんですよ」

 いや、いつもこうじゃ、本当はダメなのだ。本当は担担麺単品にとどめなくてはならないのだ。
 でも、これからは「いつもの」って言っちゃうかもしれない。

Eikyoku  多々は良いこと、とも読める?
 タンタン……
 
尻取りをしているわけじゃないが、尻取りでは禁句のンを除くとタタ……

 “多”という字を連想する。
 加えて、こじつけでライスのラ……
 
 タタラ……

 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の16の和楽器合奏のための作品、郢曲「鬢多々良(Bintatara)」(1973)。

 作品についての詳細はこちらをご覧いただきたいが、この優雅な響きは伊福部特有の土俗性とはまた異なるもの。
 とはいえ、伊福部でなければ書き得なかっただろう楽曲だ。
 これもまた、私の心を捉えて離さない曲。
 曲の最後、小鼓の音にいつも心が高ぶり、鼓動がポンポンと激しくなってしまう。

 田村拓男/日本音楽集団のすばらしい演奏で。
 1981年録音。カメラータ。

P7260067  記念碑の記の気配すら感じずに……
 デンティ・ベスというバラ苗が売り切れていたために心が枯れかけた私だったが、音更に来たついでにいつか行ってみようと考えていた、伊福部昭の記念碑を目指した。

 掲載した記事は2か月ほど前の北海道新聞(十勝版)のものだが、私はこれによって記念碑の存在を知ったのだった。

 場所は音和の森というところ。

 地図で見ると、この森、縦長(あるいは横長)にやたら広い。
 行ってみたが、予想通り、記念碑がどこにあるのかさっぱりわからない。

 森への入り口もいくつもある。
 この案内板が建っていた場所には3台分くらいのスペースの空き地(すなわちこれが駐車場)があったものの、他の入り口には駐車場もなく、私は道ばたに車を停めて何カ所かから徒労を覚悟して入ってみたが、いずれもホントに森の中の散策路で、やっぱり徒労に終わった。

 この看板を見たまえ。
 私は何を頼りにして記念碑を探せば良いというのだろう。

 誰かに尋ねようとも、誰もいない。
 この森に来る人がいるのだろうかというくらい、ひとけがない。
 伊福部が子どものころ、音更にはこういう森がもっともっとあったと思うが、こういう場所で遊んだのだろうか?私は今回、その環境に触れたような気がする、とでも思わないと、しゃくに障る。

 結局見つけられず、帰って来た。
 心が折れたとともに、不気味に静かな森の中で虫にあごを刺された。

 そして、かゆさに耐えながら月曜日は東京に出張したわけ。