増殖するメン
先日、滅多に行かないそば屋で昼を食べた。
滅多に行かないのは、近くながら行くのが面倒な場所にあるからだ。
しかし、最近阿古屋係長がその店で新発見したことがあるという。
丼物とそばのセットはそれぞれがハーフサイズであるがゆえ満足感がないが、そばを大盛りで注文すると物足りなさが払拭されるので、「我それを評価したい。ついては皆の者、お試しあれ!」と言うのだった。
店に行くと、商業施設の中の上の階という場所柄か、サラリーマンの姿などはまったくなく、なかなかのお歳を召した人たちでそこそこ混んでいた。
それにしても。客の回転が悪い。
買い物ついでにゆっくりお食事ということもあるのだろうが、ここはそば屋だ。壁に“コーヒーあります”と張り紙があったが、食後のコーヒーをすすりながら粘っている人は誰もいない。
さりげなく観察してみると、みな、食べるのが遅いのだ。
お歳を召しているのでしょうがないことだが、それにしても遅い。
なかには、麺が減っていくスピードよりも、麺がのびる方が勝っている人もいる。だからいつまでたっても、丼の中の麺の量は平衡状態。質量保存の法則のごとく、麺が減らない代わりにつゆがなくなり、丼の中は巨大化したモンブラン・ケーキにネギをトッピングした様相。
もはやそばという食べ物には見えなかった(つまり見出しの意味は、男が増え続けるという気持ちの悪い話ではない。もっとも、これだって気持ちの良い話ではないが)。
丼セットはなんとか我慢したが
ところで、このとき私が注文したのはかしわそばの大盛り。
本当は豚丼か親子丼とのセットにしたかったが、炭水化物の摂り過ぎはよくないとグッとがまん。それでも、誘惑に負けず大盛りにしてしまった。そばは体に良いはず、と自らを暗示にかけて。
阿古屋係長はマグロ丼セット。ここで係長は麺の大盛りを頼んだ。
秋吉課長は野菜天丼セット。係長に合わせて麺を大盛りにした。
最初に運ばれてきたのは私のかしわそばだった。
が、お盆にはなぜか大小2つの丼がのっている。
「すいません。ふつうの作っちゃったので、大盛りの分は別な丼に入れてきました」
なるほど……
量的にはあっている。
でも、なんだか言い訳の意味がよくわからない。大小2つあわせて盛り直すことはできなかったのだろうか?
大小2つの丼を前にしていると(しかも両方とも同じかしわそばで、味の変化はない)、なんだかなぁって気がした。
てなことだが、セット物を頼んだ2人の会計は、麺を大盛りにしたせいで1000円近くになった。
ボリュームはあるけど、お得なのかどうかは今後の検討課題である。
さてその後の体重は
境界型糖尿病の可能性を宣告されてから1ヵ月半。
それより前、ブドウ糖負荷試験に備えて炭水化物を摂り過ぎないようにしてから約3か月。
私の体重は現在65kg周辺でほぼ一定している。
何が何でもホンモノの糖尿病にはなりたくない。なるべきではない。なってはいけない。
だからこの日も、たぶんたまに食べる分には問題ないのだろうが、セット物をがまんしたわけだ。
ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)は、交響曲第9番ニ短調WAB.109(1891-96。未完)の作曲に取りかかったころ、真性の糖尿病を患っていたそうだ。そしてまた、糖尿病も罹患の品ぞろえの1つに過ぎず、他に、動脈硬化、肝硬変、下肢水腫などの症状も悪化していた。
この作品についてはこちら「バカ者はひたすら神のために…」をご覧いただきたいと思っている、バカ者呼ばわりされた私(←けっこう根に持つタイプ)。
今日はヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデンによる演奏を取り上げる。
元気すぎるおじいさん……
この演奏、オーケストラの音、特に金管は粗暴粗野とも言えるもの。だが、崩れるギリギリ手前で見事にうっちゃる。
このCDのレビューで、オケのことを下手くそだと書いている意見も見かけるが、たぶん下手なのではなく、奏者はこうやるように指揮者から要求されたのではないか?
それゆえか、美しいところはとことん美しく響く。つまり、美女と野獣のような対比が効果的。
粗野で粗暴ということは迫力満点ということでもあるが、シャープでもある。濁らない。切れ味が良い。高齢のヨッフムがこのようにオケをドライブしていることにただただ感心するのみ。
個人的にはクレンペラーの演奏の方がわずかに好きだが、ヨッフムのピシリとしたアプローチは快感。
声を張り上げて、これでもか、これでもかと(怖れをあわせもって)神を讃えているようにも聴こえるが、逆に第3楽章になると、まるでヨッフムが神に祈りを捧げているように思えてくる。
私にとって現時点でのブル9のベストはクレンペラー盤。だが、僅差の2位がこのヨッフム盤である。
使用楽譜は1891-94年稿ノヴァーク版。
1978録音。ワーナークラシックス(原盤EMI)。
暑さ、お察し申し上げます。クレンペラーのブル9は、確かにテクニカルな面ではハテナでしょうが、ここには深い人間味を感じます。