新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は札幌の「宮川本店」の鰻重。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

特車隊マーチで体操しよう!♪伊福部昭/子供のための舞踊曲

IfukubeReikoYamada3   教科は“音楽”ではなく“体育”
 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)は、1949年に1管編成の室内オーケストラ作品「子供のための舞踊曲」を書いている。

 この作品、ポリドールが制作した小学生向けの学校教材レコード(SP盤)に録音するために書かれ、伊福部の自身の指揮で録音された。
 ただし、教科は音楽ではなく体育。音楽鑑賞用教材ではないのだ。
 レコードの音楽に合わせて、児童たちは体操や行進をしたのだろう。
 曲には「リズム遊びのための10の小品」という副題がついている。

 これを永瀬博彦がピアノ編曲したもの。それが「子供のためのリズム遊び(Rhythmic Games for Children)」である。

 曲は次の9曲から成る(オリジナルは10曲だが、第1曲は伊福部ではなく下総皖一作曲の文部省唱歌「野菊」)。
 
 1. 阿羅漢さん遊び(「羅漢さん」の編曲)
 2. 羽子つき
 3. マウンテン・マーチ
 4. ギャロップ遊び(「あんたがたどこさ」の編曲)
 5. 木の葉
 6. 運動会行進曲
 7. 楽しい学校(マーチ)
 8. 軽快な二拍子
 9. 場所取り鬼(スキップ→魚→電車→ジャンプ) 

   伊福部ファンなら思わずニヤリ
 第6曲「運動会行進曲」の旋律は、あの有名な「特車隊マーチ」。そして第7曲は「フリゲート・マーチ」のメロディーである。

 が、このように聴くと体操するのにぴったりに感じるのが不思議である(タイトルはマーチとなっているが)。
 朝、全校児童が校庭に集まり、ラジオ体操をする光景とオーバーラップする。
 あるいは、今でもNHK-TVでやっているテレビ体操で、お姉さんがたが腿を大きく上げて足踏みする姿が浮かんでくる。

 そして、この曲で行進するなんて、勇敢に怪獣退治に向かうようで、カッコいい(といっても、ゴジラの誕生まではあと5年、他の東宝特撮映画が制作されるまではさらに待たねばなかったわけで、児童たちは何にも知らなかったわけだが)。

 山田令子のピアノ演奏で聴くことができる。
 2013年録音。ゼール音楽事務所。

 今日は、夕方のJRで札幌へ移動。
 遅れないことを願う。

 久しぶりにスーパーとかちではなく、スーパーおおぞらに乗るが、おおぞらの方が車体が古いので乗り心地は劣る。まっ、いいんだけど……。国鉄時代のことを思えば、ずっとずっと乗り心地は改善されているわけだし……

 で、なんで札幌に行くかというと、バーゲン目的とかじゃなく、明日会議があるのである。

砂漠にバラを咲かせましょう!♪J.シュトラウス/南国のばら

Obesum20140705   足寄にて
 先週は2度、足寄方面に出かけた。

 そして、今日も、足寄方面に行って来る。

 なぜそんなに行くのか?
 用事があるからだ。

 以上、私の行動についての説明および釈明を終わる。

 足寄ってどこにあるのか本州、四国、九州の方ならびに、北海道民でも足寄に興味のない人は知らないかもしれない。

 ざっというと、帯広市と北見市の間に位置する。足寄から東に向かうと阿寒湖がある。また、足寄には雌阿寒岳の登山口がある。町としては面積の広さが日本一である。

 先週の訪問の1回目。道の駅・あしょろ銀河ホール21に立ち寄った。
 ここは売店やレストランがあるが、松山千春に関する展示コーナーもある。
 そしてまた、少しだけだがなぜか鉢花も売っている。

 実は前から目をつけていたのだが、アデニウム・オベスムがここにひっそりと売られていたのだ。
 しかも、どう考えても安い。

 オベスムは昔から欲しかった多肉植物の1つ。その気持ちは、はるか中学生時代にさかのぼる

 山城愛仙園の通販カタログを見て、欲しい、でも高くて買えない、と涙とよだれを垂れ流したほどだ(当時は一般の園芸店にはまず置かれてなかった。多肉植物の定番といえば、アロエ(木立アロエ)やハナキリンだった)。
 “砂漠のバラ”と呼ばれる、東アフリカ原産のキョウチクトウ科のこの木を、ついに私は買った。松山千春の生まれ故郷の道の駅で白花のアデニウム・オベスムを。

 先週の2回目の訪問。
 また買った。
 赤花のアデニウム・オベスムを。

 ほらごらん、紅白に並んだ姿を(まだ花は咲いていないけど)。
 生きている間に、オベスムを買うことができてよかった。って、1鉢1296円だったんだけどね。

JStraussMost   で、安直にこの曲 
 ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strauss Ⅱ 1825-99 オーストリア)のワルツ「南国のばら(Rosen aus dem Suden)」Op.388(1880)。

 この美しいメロディーのワルツは、3幕のオペレッタ「女王のハンカチーフ(Das Spitzentuch der Konigin)」から改編されたメドレー形式の楽曲である。

 1880年にウィーンで初演された「女王のハンカチーフ」の舞台を観たイタリア王のウンベルト1世は、このオペレッタを気に入ったらしいが、それを耳にしたシュトラウスはすぐにワルツに編曲し、王に献上したという。

 ウェルザー=メスト指揮ロンドン・フィルの優雅な演奏を(1990年録音。EMI)と私は考えたのに、現在廃盤。

 にしても、あのオベスム、ずいぶんと前からあったように思う。
 それが1週間のうちにふた鉢も売れるなんて、園芸店のおばちゃん(あるいはおじちゃん)はあとからびっくりしたんじゃないかと思う。

 園芸店の人がどんな人かわからないのは、陳列している所には誰もいないから。十数歩離れたおみやげ物の売店のレジに持っていかなければならない。
 クールな感じのレジのお姉さんもおったまげたに違いない。

 そして彼女、2度目のときは、同一人物による購入であることに気づいていたような気もする。
 「なんで、いっぺんに買わなかったのかしら?それにこの人、地元の人じゃないみたいだけど、なんでこんなに来るのかしら?」。そう思われているような気がする。
 悪いことをしてるわけじゃないが、何か恥ずかしい思いをした。

引っ越し騒動の間に愛は急冷してしまった…♪リスト/「愛の夢」第3番

PianoEncores   準備してから廃止宣言してほしかった 
 何度かお知らせしているように、OCNのブログサービス“ブログ人”が今年の11月末をもって終了するという、はっきり言って一方的な宣言がなされた。相談されるわけがないが……

 よく見たことはないが、そしてどこにあるのか知らないが、きっとこのサービスの規約には、「いやになったらサービスを終了することがあります」といったことが書かれているのだろうから、感情的にはやるせないものがあるが、しょうがない。
 OCNに対し、個人的には好意をもっている。これまでもTREviewやMy Affiliateといったサービスが終了するという被害にあってきたにもかかわらず、である。
 私の過去のブログ記事の文末には、TREviewに登録していた名残りであるバナーの痕跡がそのまま残っているが、ごめん、1つ1つ取り除くのは無理だと断念した。目障りだけど。

 OCNは同じNTT系列のブログ、gooブログへの引っ越しを勧めている。gooブログへの引っ越しに際して、充実した“引っ越しツール”を用意し、9月上旬から提供するという。
 主な機能は、
 
 ・ブログ単位で「記事・コメント・トラックバック」のエクスポート
 ・gooブログへ「記事・コメント・トラックバック」のインポート
 ・記事内の画像の自動取得とリンク修正
   *OCNブログ人記事内の画像ファイル(jpeg/gif/png)が対象です。
 ・OCNブログ人のURLからgooブログのURLへのリダイレクト設定
   *希望者のみ。2015年2月28日まで提供いたします。
 

ということだが、同系列への引っ越しにはずいぶんと手厚い援助だ(これを読む限りだと)。

 にしても、なんで9月までかかるのかなぁ。すべて準備してから廃止の案内をした方が、その間に他のブログサービスに逃げる人の数も少なくなるのではないかと、逃げた私は思う。

   「最初はgoo!」って心構えだった私
 私も最初はgooブログへ引っ越しし、これからの記事もそこで更新していくつもりでいた。
 が、gooブログを試してみたが、私には使い勝手が悪い。焦っていきなり有料プランに申し込み、といういつもやりがちな悪い癖が、今回はでなくて良かった。

 そして、こんな境遇に置かれると、ブログ人に対する愛着が一気に冷えてしまった。
 じゃあということで、まずは実質6月21日の記事を最後に、以降の記事はライブドア・ブログで新規に開設したページにアップすることにした。それが、神聖なるあなたがいま目にしている、俗っぽいこのブログである。

 それでも、これまでの記事についてははブログ人が用意してくれるであろう引っ越しツールを使って、gooブログに残そうと考えた。このように、私は案外と情が深くて、保守的なのだ。

 しかしである。
 6月27日に、ライブドアブログが衝撃の発表!
 ブログ人からの引っ越しに対応するようにしてくれたのである( OCNブログ人からのお引っ越しに対応しました)。

 半信半疑で、ブログ人で書いてきた記事2431話を移行してみると、どんなカラクリになってるのかさっぱりわからないが、神業のように問題なくできてしまった(ブログ人からエクスポートしたテキストファイルの容量が大きいため、それを20に分けてライブドアにインポートした)。

 過去記事へのリンクは無効となる(まだブログ人で継続している間は、そちらにリンクする)。引っ越しツールを使ってgooブログへ引っ越せば、奇蹟が起きるように過去記事にもリンクできるように修正してくれるようにも読み取れるが、本当にそうなるのか確証がない。
 ただでさえ、毎食何を食べるか考えるのに忙しいのに、趣味である(厳密には趣味の話を紹介する)ブログのことで悩み苦しむのも疲れるので、いっそのことこれまでの「読後充実度 84ppm のお話」もライブドアに引き継ぐことにした。正直にいまの気持ちを白状すると、ライブドアに愛を感じるようになってしまった私である。ホリエモンは好きじゃないけど。

   乱立する激安店、ならぬブログ
 かくして、今は次の3つのブログがある。
 
 1. 新・読後充実度 84ppm のお話
   このブログ。6月22日から本格的に運営開始。

 2. 読後充実度 84ppm のお話(OCNブログ人版)
   2007年8月8日から2014年6月21日まで勤勉忠実、執念深く書きつづけたブログ。
   OCNブログ人のサービスが11月末で終了するので、ぎりぎりまで待たずに今月、7月26日で閉鎖予定。
   なぜ今月末かというと、月をまたぐと続けて料金が発生するため。

 3. 読後充実度 84ppm のお話(ライブドア版)
   ブログ人の記事をそっくり引っ越したもの。
   同名で紛らわしいくて、まったくもって申し訳ない。
   しかし、7月26日以降はOCN版は抹消する予定なので、それまでは辛抱していただきたい。 

   そんなわけで愛!
 リスト(Liszt,Franz 1811-86 ハンガリー)の「愛の夢(Liebestraume)」S.541(1850頃)の第3番変イ長調。

 第3番ってことは、第1番と第2番もあるわけで、副題には「3つの夜想曲(3 Notturnos)」とつけられてもいる。
 しかし、この第3番が突出して有名。それだけではなく、「愛の夢」第3番はリストのピアノ曲の中でも最もよく知られている作品と言えるだろう。

 第1番変イ長調は歌曲「高貴なる愛(Hohe Liebe)」S.307(1849頃。詞:ウーラント)、第2番ホ長調は「私は死んだ(Gestorben war ich)」S.308(1849頃。詞:ウーラント。それにしても、なんとズバッと潔いタイトルだろう!)、そして第3番「おお、愛しうるかぎり愛せ(O lieb,so lang du lieben kannst)」S.296(1845頃。詞:フライリヒラート)の編曲である。

 今日はウゴルスキの演奏が入っている、ピアノ名曲集のCDをご紹介しておく。
 「愛の夢」第3番の録音は1995年。グラモフォン。

 このCD、アルゲリッチやウゴルスキ、ルイサダ、エッシェンバッハなどが、「エリーゼのために」やら「トロイメライ」、「英雄ポロネーズ」など超人気ピアノ曲を弾いている、オムニバス盤である。
 一家に1枚あってもよろしいんじゃないか、と言えなくもない。

ふつうに上出来って、たいしたこと♪プレヴィンのGM4

Mahler04Previn 歯医者通いも回を重ね、前回は3月にはずれた冠の箇所の治療に入ることになった。
 細かい話はともかく、今回の治療でいったんはずし、仮付けした冠。
 「はずれるかもしれません」と医者に言われたが、その日の夜のうちにはずれてしまった。
 麻婆豆腐を食べているときだった。

 この演奏ははずれではない。
 なにか突出した良いところがあるわけじゃないが、ふつうに良いのだ。
 ふつうに良いって、できそうでできないこと、ありそうでないものだ。

 プレヴィン/ピッツバーグ交響楽団、アメリング(ソプラノ)による、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第4番ト長調(1892、'99-1901/改訂1901-10)。

 プレヴィンのマーラー録音はどうやらこれだけのようである。
 マーラーの交響曲の中でも、プレヴィンには第4番がいちばんぴったりのような気が、勝手にしている。

 プレヴィンは、ここであえてこの作品の裏の世界。本当は怖い……的な面に目を向けない。
 純粋に、マーラーの音響美を追及する。それはマゼールの演奏よりも、さらに徹底している。
 アメリングの歌唱も、やっぱりすばらしい。

 1978録音。EMI(EMI×TOWER RECORDS CLASSICAL TREASURES)

 にしても、こんなに早く歯冠が脱落するなら、接着後にあんなに丁寧にはみでたセメントの除去とかしてくれなくてもよかったのに、と思う。いや、皮肉でもなんでもなく、余計な細かな作業をしていただいて、申し訳ないなって……
 (再度)にしても、歯科医ってあんなこまかな作業をするから、老眼になったらたいへんだろうな。
 外科医だって同じか……

うううう、イラつくぅ~っ!♪シューマン/Sym2(シャイーによるマーラー版)

SchumannChailly  3番目だけど2番
 シューマンの交響曲で最初に書かれたのは第1番である。
 最初に書かれたのだから第1番なのは至極当然、赤子でも納得してくれるだろう。

 が、2番目に書かれたのは第4番である。そして3番目に書かれたのが第2番である。
 どうしてこういうことになったかというと、楽譜の出版順でかようになったのであった。
 以上、めでたしめでたし、である。

 その、シューマン(Robert Schumann 1810-56 ドイツ)の交響曲第2番ハ長調Op.61(1845-46)。

 私はこの曲、好きなのに嫌いだ。イライラするのだ。
 まぁ例えるに、ふつうにいい人なんだけど、相手の心をいらだたせるところがちょっとねぇ。そんな人のよう。あなたの周りにはいません?
 この曲、私にとってはそんな存在。
 第2楽章のスケルツォ。あの、細かいニュララララ、ニュルルルルっていう動きが、なんど追い払っても顔の周りに寄ってくるハエのようで嫌なのだ。

  私の顔は花のよう、私の香りは蜜のよう
 ハエと言えば、ハチの話。
 いや、気が変になったんじゃなく、まとわりつくハエから、かつてまとわりつかれたハチのことを思い出したのだ。
 ハチというのは犬の名ではなく、昆虫のハチのことだ。それでも誤解している人がいると困るので、漢字で蜂と書くことを申し添えておこう。

 大阪に住んでいたときのことだ。
 朝、大きな交差点で信号待ちをしていると、小さなハチが私の周りをグルグルと回転飛行。
 手で追い払っても、何度も何度もしつこくブンブン近寄ってくる。私は蜜臭かったのだろうか?
 やがて私の手の振りも大きくなり、周りの視線が私に向いているのも、気配でわかった。
 そりゃそうだろう。素敵なサラリーマンがハチ・ダンスともタコ・ダンスともつかないような動きをしているのだ。
 早く信号が青に変わらないかなと思っていたが、あたかも時が止まったかのように長い。

 そのうち、こちらを見ていた1人の女性が笑い始めたのを目撃。
 このままではゆでタコのように、赤面してしまいそうだ。
 そこで私は、追い払うのではなく、追い落とすべく作戦を変更。必殺の思いで、大きく手を振った。

 見事にハチを叩き落とすことに成功したが、チクッとした痛みが。
 刺されたのだ。
 右手人差し指の付け根がみるみる腫れてきた。
 が、一刻も早くその場を立ち去りたかった。
 梅田駅まで通常どおり地下鉄に乗り、降りてすぐに薬局に行った。

 そういう思い出だ。以上。

  編曲し、自作にも応用したマーラー 
 交響曲第2番はシューマンが、頭の調子が悪くなっていた時期に書かれたもの。聴いていて、なんか尋常じゃない倒錯してるなって感じるのは、そのせいもあるのだろう。
 1845年にメンデルスゾーンに宛てた手紙で、シューマンは「少し前から私の耳の中でティンパニとトランペットが響いています」と書いている。私だって二日酔いの朝は眼球の裏側あたりで大太鼓が鳴り響いてるように感じるが……

 ここでは、シャイー/ゲヴァントハウス管弦楽団による演奏をご紹介しておく。シャキシャキした演奏だ。
 第2楽章もシャキシャキとニュルルルルをやってくれている。
 また、ここで用いられている楽譜はマーラーによる編曲版である(今日のタイトルを見ると、シャイーによるマーラー版にイラついている思われそうだが、マーラー版がどうこうって話じゃないです)。
 2006年録音。デッカ。

 許光俊編著「絶対!クラシックのキモ」(青弓社)のなかで、脇田真佐夫氏はこの曲ついて次のように書いている。

 終楽章では第1主題や第3楽章の主題なども織り込んで(のちにマーラーはそれと同じ手法で『交響曲第5番』終楽章でアダージェットの主題を織り込んだ)、見事な主題労作をおこなっている。たぶん、この曲が最近になってにわかに人気が高まっていることには、マーラーの交響曲が受容されたことが大きな要因となっている気がする。

 編曲と自作への応用。
 さすが名指揮者で大作曲家だったマーラーだ。

 なお、同書の中で紹介されているのはバーンスタイン盤。
 バーンスタインはシューマンの第2番を好んでいたそうだが、そういえば第1回目のPMFでバーンスタインがPMFオーケストラを振った演目のなかにもこの曲があった。

めまい?私は大丈夫でしたけど…♪フェルツのGM7

Mahler07Feltz  そんなにゆがんでます?
 この演奏もまたすばらしい!


 フェルツ指揮シュトゥットガルト・フィルによるマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第7番ホ短調「夜の歌(Lied der Nacht)」(1904-06。その後たびたび管弦楽配置を変更)の録音のことだ。


 この演奏の存在。実は前から知っていたんです、アタシ。


 というのも、鈴木淳史氏が「背徳のクラシック・ガイド」(洋泉社新書)で取り上げていたからだ。


 このCDの紹介ページ。タイトルは“ゆがみにはゆがみを!”


 まあ、やたらに主題ごとの表現の落差が激しい。やたらにゴツゴツをリズムを立てたと思えば流麗に歌ったり、あの奇妙すぎるシノーポリ盤のさらに上を行く分裂症演奏を繰り広げる。第1楽章フィナーレ直前の店舗の急激な交代には、冷静沈着なさすがのわたしも眩暈を覚えたほどだ。……
 
 といったようなことが書かれているのだが、ゲテモノ嫌いの私は、これを読むとゲテモノっぽいそんな変な演奏別段聴きたくなんかないもんねぇ~。お値段だって普通だしぃ~、と思い放っておいた。

 が、トイレの中での時間を無駄にしないようにと、そこでこの本をたまたま読み返したときに、たまたま刺激に飢えていた私は果たしていったいどんなものなんだろうと急に気になり出し、でも決して慌てずにお尻を洗ったあと、パソコンでタワレコのページを開き、折り悪くたまたまタワレコのポイント10倍キャンペーンが華々しく行なわれていたので、ボンビーなくせにゲットしてしまった。

 その聴いた感想が「すばらしい!」である(おっと、話が飛んで申し訳ない。聴く前に商品が届いたことを申し添えておく)。

 ただ、私はめまいを覚えなかった。自分で思っている以上に案外と脳が健康なのかもしれない。それとも、私が冷静沈着じゃないということか?

  想うことたくさん。でも、判読不可
  が、確かに緩急の大きな揺らし方など一筋縄ではいかないところはある。が、鈴木氏が書いていることはちょっとオーバーに感じちゃう。
 決して特殊加工された演奏ではない。初心者もベテランも、素人だろうが玄人だろうが、女・子どもや老人も、これを聴いたからといって、「パピーっ!」と意味不明のことを叫んだり、花咲ガニに負けないくらいブクブクと泡を吹くことはないだろう。
 むしろこの指揮者、表情づけが上手で、自分が聴かせたいと考えているところをはっきりと聴き手に押しつける、自己主張の強い、ある種わかりやすい人だと思った。


 最初に聴いたとき詳細な感想メモをとったのだが、それはJRの車中でのこと。振り子特急の揺れに合わせてペン先も振れてしまい、あとから見ても自分でも読み取れない。オカルト好きな人が筆跡鑑定したら、これは悪魔に操られて書いた楔形文字ですと分析するだろう。つまり、安静な状態でペンを口にくわえ、それで字を書いた方がまだマシだと思えるほどなのだ。

 申し訳ない。あっ、あなたに謝ることはないか。


 とにかく、全然突拍子のないものでも、変態チックでもない。
 が、上品な私でも。聴いていて何か所かで下品ににやりとさせられる。そんなちょい悪的、パンチラ風の演奏だ。 

 2007年ライヴ。Dreyer Gaido。

センセイがバルトークがお嫌いなワケは……♪バルトーク/p協1

BartokPconSchiff  2人を同じように愛することはできない
 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)は、ストラヴィンスキーやファリャを好んでいたというが、作曲家の上野耕路によると、彼らに近い面もあるバルトークについては嫌いだったという(「文藝別冊 伊福部昭」)。

 さらに同書のなかの“自伝抄”では、片山杜秀のインタビューに伊福部昭は以下のように話している。

 バルトークは、若い頃のものは好きです。ハンガリー民謡をアレンジしたものなんかは。それからあの人の民謡収集とか、そういう作業も好きだし、若いときのものはいいんですが、中頃から好きでないのと、それから彼の伝記を読んで、いつも言いますけど「もし私の銅像を建てるといってもハンガリーには建ててくれるな」と言ってハンガリーを発つところがある。銅像を建てると、まだ誰も言っていないのに、「建ててくれるな」というのは、ずいぶんしょってる人だなあと思って。それ以来ちょっと、この人の心理構造は感心しないな、と思ってしまっております。
 ……不思議なことにバルトークが好きだとストラヴィンスキーが嫌いなんですね。ストラヴィンスキーが好きだとバルトークが嫌いで。両方理解するという人は非常に少ないですけど。そんなこともあって、どっちかというとストラヴィンスキーですけど。 

              
  自作自演のために生まれた協奏曲
 そのバルトーク(Bartok,Bela 1881-1945 ハンガリー)のピアノ協奏曲第1番Sz.83(1926)。

 バルトークは1923年に「舞踏(舞踊)組曲」を発表したあとはピアニストとしての活動が中心となり、作曲活動は中断していた。
 ブランクを破って1926年に書かれたのがピアノ・ソナタやピアノ協奏曲第1番であった。

 ピアノ協奏曲を書いたきっかけは、作曲家兼ピアニストにもかかわらず、自作自演できる協奏曲が「ピアノと管弦楽のためのラプソディ」Sz.27(1904)以外なかったためだという。


 バルトークにはピアノ協奏曲が第3番まである。
 3曲の中では第3番が有名だが、この第1番も魅力的だ。
 ピアノを打楽器のように扱い、強烈なアタックを浴びせてくる。ただならぬ緊張感と高い密度、そして不協和音と無調的な響きは、聴き手に対しなかなか無愛想。でも、だからこそフレンドリーになった暁にはすっかりとりこ。フレンドリーがすぐにラブリーに。

 シフのピアノ、フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管弦楽団の演奏の鋭角的で締まった演奏が私のお気に。
 ピアノの音は明確で美しく、オーケストラも機敏。録音も良い。

 1996年録音。apex(原盤テルデック)。なお、このCDは廃盤となってしまった。


  なんだか似てなくない?
 さて、実はこのピアノ協奏曲第1番の第3楽章に登場するメロディー。伊福部が書いた映画音楽に似ている。

 それは、特撮映画「地球防衛軍」(1957)の「ミステリアン攻撃準備」や、アニメ映画「わんぱく王子の大蛇退治」(1963)の「タイトル」の音楽である。
 前者については「地球防衛軍」組曲(「伊福部昭 百年紀Vol.1」。齊藤一郎/オーケストラ・トリプティーク 2014ライヴ。スリーシェルズ)で、後者については、林友声/上海交響楽団による演奏で、スローテンポ版とアップテンポ版を聴くことができる。

師の音楽の普及に多大な貢献を果たした芥川也寸志♪「交響三章」他

IfukubeTuduru  伊福部先生の家に押しかけて3泊の論談
 
伊福部昭
(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)が東京音楽大学、現在の東京藝術大学の作曲家講師になったのは1946年のことである。

 そのとき在学していた芥川也寸志(Akutagawa,Yasushi 1925-89 東京)は大きな衝撃を受けた。

 芥川也寸志は幼少時から、父・龍之介の遺品のSPレコード・コレクションから、特にストラヴィンスキーを好んで聴いていたという。

 伊福部が最初の講義で、“従来のアカデミックな教程ではあまり登場しなかった近代音楽、ことにストラヴィンスキーを称揚した”ことは、すぐさま生徒たちの間に信者を生んだが、芥川也寸志は2度目の講義の日の夜に日光の伊福部の家を探し当てて、師の家で論争。帰りには「今まで書いた楽譜を全部破っては捨て、泣きながら日光の暗い道を歩いた」という。(相良侑亮編「伊福部昭の宇宙」:音楽之友社)。

 伊福部昭は、そのときの様子を書いている。

 ……探究心の強い芥川君は、それでは飽き足らず、夜になって当時私の住んでいた日光の奥の久次良の山荘にまで訪ねて来られた。山奥に只一軒夜遅くまで灯りのついている家があるので、ここに違いないと思って戸を敲いたと云うことであった。彼は当時、進駐軍関係の演奏をしていた由で、アメリカ産のスパニッシュ・ナッツの大きな缶詰を携えて来られた。
 スコアを調べ、レコードを聴き、ピアノを弾いたりで論談は長引き三泊四日に及んだ。……

    (小林淳編「伊福部昭綴る ― 伊福部昭 論文・随筆集」:ワイズ出版)

  異なる音楽の流れを器用に融合
 その芥川は、伊福部と出会う前には橋本國彦(Hashimoto,Kunihiko 1904-1949 神奈川)や下総皖一、細川碧に師事している。
 橋本はモダニズム路線の人。伊福部とはまったく反対の路線の人物だ。
 

Akutagawa交響管弦楽2Score しかし芥川のすごいところは、自作に土俗的、民族主義的な伊福部路線と、小粋で甘い橋本の路線を見事に融合、共存させたことにある。界面活性剤のように。
 
 1948年、卒業の翌年に芥川が発表した「交響三章(Trinita Sinfonia)」(1948)。そしてNHKが放送25周年記念事業で公募した作品の管弦楽曲の部で特選に入選した「交響管弦楽のための音楽(Musica per Orchestra Sinfonica)」(1950)は、いずれも伊福部の影響を強く受けながらも都会的な横顔を見せる。骨太と繊細(というか、言葉は悪いが“か弱さ”)の心地よい共存。
 この2曲、どちらももっともっと聴かれるべき傑作である。


 芥川はその後、前衛の分野へと近づく。1957年から'67年の期間である。
 しかし、1968年以降は最初の作風へと回帰した。“音楽はみんなのもの”と言って。芥川が一度は向かった音楽は“みんなのもの”のようなものではなかったということだ。


 「交響三章」はその名の通り3つの楽章からなるが、小粋でユーモラスな第1楽章、心に休息を与えるような優しい第2楽章、リズミカルでエキサイティングな第3楽章と、芥川の才能が存分に発揮されている。

  シンバルはなぜ3回も鳴らされたのか?

 「交響管弦楽のための音楽」は2つの楽章からなり、第2楽章はシンバルの一打で始まるが、初演(近衛秀麿指揮)のときは3回鳴ったという。

 そのハプニングについて、芥川はこう語っている。

AkutagawaTrinica ほんとは1発なんだけど、アタッカ・スピードと書いてあるので、近衛さんがすぐやったらシンバルは鳴ったけどトロンボーンが出ない、ページめくりが間に合わなくて。2度目は弱音器を取るのが間に合わなくて、3発目でやっと出たわけ。私の先生の伊福部昭さんが放送聴いてて、「先生いかがでしょうか?」って聞いたら「あそこのシンバル、3発はちょっと多いんじゃないか」
 (札響第283回定期演奏会プログラムに掲載された芥川と岩城宏之の対談から)


 掲載したスコアが第2楽章の最初の部分である(全音楽譜出版社)。

 この曲もシャレいて都会的な第1楽章と、オーケストラが炸裂するジェットコースターのような第2楽章のいずれもが聴き手を魅了する。

 「交響三章」については芥川/新交響楽団による1979年ライヴが、「交響管弦楽のための音楽」は同じく芥川/新響による1986年ライヴがお薦めである。

AkutagawaMusica  ピアニスト・芥川也寸志
 ところで1947年に公開された映画「銀嶺の果て」(谷口千吉監督、黒澤明脚本:東宝)。
 この映画の音楽こそが、伊福部昭が手がけた映画音楽第1号である。そしてここでピアノ奏者を務めているのが芥川也寸志である。

 芥川は、じぶんで弾いた音がスクリーンから流れたのは、後にも先にもこれ1本と語っている。

 「銀嶺の果て」も、サウンドトラック以外で、オーケストラによる復元演奏が録音されている(もちろん映画全体の中の一部である)。
 先日紹介した「伊福部昭 百年紀Vol.1」にも収録されているがややコンパクトにまとまっている。本名徹次指揮によるCD「伊福部昭の芸術 9 祭」の演奏は、よりスケールが大きく迫力のある重厚なオーケストラ・サウンドを味わうことができる。

 芥川也寸志は、自らが育成してきたアマチュア・オーケストラの新交響楽団を振って、1980年に伊福部作品の個展を開いた。、あた、その前から師の作品を取り上げ、紹介してきた。
 芥川の活動がなかったら、伊福部昭がこれほどまで知られ、作品が演奏される機会はなかったかもしれない。
 その功績は極めて大きい。

なぜか“イタリア”を引きずった日曜日♪クレンペラー/POのメンデルスゾーン/Sym4

MendelsshonSym4Klemperer  演奏会から一夜明け……
 土曜日。
 イタリアの超有名重量級音楽であるヴェルディのレクイエムをKitaraで生で聴いたわけだが、その後帰宅してからはまったくもってイタリア的じゃない時間を過ごした。

 つまり夕食はスパゲティでもピザでもなく、しゃぶしゃぶ。
 昨日の朝食もカプレーゼとかリゾットではなく、たらことか玉子焼きとかなめこのみそ汁。
 昼は都市間高速バスの中でおにぎり。
 夕食は自宅から持ち帰ったおかず類に加え、スーパーで買った韓国産のマグロの刺身。中国産よりはいいだろうとこっちを選んだ。
 刺身はあまり好きではないが、たまにEPAだかDHAだかDHCだかをとらないと身体に悪いと思い、輸入前にどんなことされてるか怪しい気がして、もしかしたら食べるとむしろ身体に悪いかもしれないかと思ったものの、悪さの度合いを天秤にかけた結果、結論が出ないままこの刺身を買ったのだった。

 このように、まぎれもなく非イタリア的な生活だったわけ。少なくとも食に関しては。

 いや、食生活だけではない。
 クラシック音楽鑑賞と並ぶ私のもう一つの趣味。バラの枝で打たれること!、じゃなくてバラを愛おしく育てることも、イタリアとは関わりがない。

 イタリアで品種改良されたバラってあまり聞いたことがないのだ。
 フランスやイギリス、ドイツやアメリカ、そして日本はあるが、イタリア産は少なくとも自分の庭で育てたことはないと思う。

20140629ElidouB このかわいいバラはエリドゥ バビロン。
 2008年にオランダで作出された品種。やっぱりイタリアと関係ない。

 そんなわけで、非イタリア的朝食の前後のガーデニング作業でも非イタリア度100%。
 イタリアなんて行ったことないわと訴える(ように思えなくもない)バラたちの花柄を摘み、悪事を働くご当地生れの虫を殺虫剤で駆除し、体を蝕む感染経路不明の病原菌を消滅させるために殺菌剤をかけた。

 そのあとは昼に札幌を出る高速バスに乗って帯広へと戻ってきたが、確率的に当然の結果として車内にイタリア人観光客はおらず(外人そのものがいない)、じゃあせめて「イタリア」でも聴いてやろうじゃないかと思い立った(かなりウソくさい展開だが……。いや正直に話そう。バスのなかでは伊福部昭とマーラーを聴いた)。

 にしても、なぜここまで自分がイタリア(にこだわる)・モードになっているのか不思議だった。
 唯一考えられるのは、減量のためにここしばらくは大好きなスパゲティ・ボロネーゼを食べてないせいだと思う。

  ドイツ人によるイタリア旅行の思い出

 メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn-Bartholdy 1809-47 ドイツ)の交響曲第4番イ長調Op.90「イタリア(Italian)」(1833/改訂'37.1851出版)。

 でもこの曲、ドイツ人作曲家がイタリアの外からやって来てその印象を音楽にしたものだ。そんなこと、あらためてここで説明されたくないだろうけど。

 メンデルスゾーンはイタリア旅行の印象からこの曲を書いたが、同じく旅の印象から書いた交響曲第3番イ短調「スコットランド」とは曲調がずいぶんと違う。
 そりゃそうだろう。
 「スコットランド」の方は、その昔殺害事件があった場所を見学して着想したのだから。この件については「私は高血圧だが若年ではない♪クレンペラーのメンデルスゾーン/Sym3」を読んでいただけると、私のスコッチの飲みもはかがいくというものだ。


 メンデルスゾーンはユダヤ系ドイツ人だった。

 そして、同じくユダヤ系ドイツ人だったクレンペラーが振った「イタリア」が、またすばらしい演奏だ。
 同じだから共感度が高い!というのは、かなりのこじつけだが……

 第3番「スコットランド」の演奏と同様、スケールの大きな演奏。しかし、決して鈍重にならない。
 快活だ。けど、軽くならない。
 それが、この曲にある種の威厳を与えている。

 「イタリア」も軽けりゃいいってものではない。軽いにこしたことがないのはランドセルと女性の尻だ(←う、うそです!決してそんなこと思ってはおりません!)。

 まさに歴史的名盤。

 にしても、自分が生まれるより前に演奏され録音されたものに、新鮮味と感動を覚えるなんて、なんだか不思議。奇妙な世界。


 オケはもちろんフィルハーモニア管弦楽団。
 ワーナー(原盤EMI)。

 なお、この曲では1833/34改訂稿での演奏が収録されているガーディナー/ウィーン・フィルのCDを聴くこともぜひお薦めしたい(「読後充実度 84ppm のお話」2009年7月14日の記事“野暮ったさが魅力のメンデルスゾーンの「イタリア」改訂稿”で取り上げているので、必要ならご覧いただきたい。えっ?必要ない?そ、そうでしたか……)。

 サッカーのワールドカップ中継。CMの前に必ず入るオフィシャル画像(?)、何て歌ってんだかわかんないんですけど……

札響第570回定期演奏会(B日程)を聴いて

Sakkyo570th 昨日6月28日14:00~。札幌コンサートホールKitara

 プログラムはヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi 1813-1901 イタリア)の「レクイエム(Messa da requiem)」(1874)。

 こういう90分近い曲の場合って、途中で尿意をもよおしてしまったらどうしよう。待ったをかけられないおなかゴロゴロに急襲されたらどうしようと、何かと不安材料を抱えてコンサートに臨むことになる。
 変な話、楽しみなんだけど重い気分。私はこれを“楽重モード”と呼ぶ(覚えなくてもよいです。この言葉、二度と出てきませんので)。

 指揮は今シーズンで札響の音楽監督を辞める尾高忠明。
 独唱は、安藤赴美子(S)、加納悦子(Ms)、吉田浩之(T)、福島明也(Br)。
 合唱は札響合唱団、札幌放送合唱団、ウィスティリア アンサンブル、どさんコラリアーズ。どさんコ……ねぇ……

   ヴェルディのオペラを凝縮したPR版的存在
 この曲、もともとは1868年に亡くなったロッシーニのために、13人のイタリアの作曲家がレクイエムを合作するという企画から書かれた。ヴェルディの担当は最後の部分「リベラ・メ」。

 しかし、これは演奏されることなく終わった。そこでヴェルディは、1873年に亡くなった詩人で小説家だったアレッサンドロ・マンゾーニの追悼のためにほかの部分を作曲、全曲完成させ、翌年の1周忌に初演された。

20140628Garden 私はオペラはあまり観ないし聴かない。
 だからヴェルディのオペラもあまり知らない。全曲を通じて聴いたことがあるのは「アイーダ」だけだ。

 このレクイエムは、ヴェルディのオペラのよう、言葉をかえれば、レクイエムらしくないオペラチックな宗教曲、だと言われる。
 ということで、私にとってはこのレクイエム、これ1曲でヴェルディのエキスを堪能できる美味しいとこどりバイキングのような作品なのである。
 オペラはもっとすばらしいのだろう(だって総合芸術ってものですもん)。だから、オペラ・ファンの方には申し訳ないと思っている。こんな言い方をして。

   あなたに青を!
 ここでKitaraに行く前の話を。

 金曜日の夜に自宅に戻り、ビールとハイボールを飲んで寝た。

 翌朝。
 なんと小雨。うなだれる私、激励するサポーター???
 しかし8時過ぎに雨が上がったので、長靴を履いてバラの剪定、誘引、雑草抜きの作業を1時間半ほど強行。

20140628BlueYou4 庭はすっかり雑草天国。しかし、バラが咲き誇り、すっかり花園。

 写真は“ブルー・フォー・ユー”。今年わが庭に仲間入りした品種。
 きれいだ。人さまに自慢したくなる。私が品種を生み出したわけでもないのに……

 これは2006年にイギリスで誕生した品種で、ブルーといっても紫色。ご存知のように真っ青な花を咲かすバラはいまだに品種改良に成功していない。
 名前の意味は、もちろん“あなたにブルーな気分を”ではない。きっと。

 パット・オースティンもオレンジ色(カッパー(銅)系色といわれる)の花で存在感を放っている。

   Kitaraへ向かう
 昼前に家を出て、三省堂書店と島村楽器を覗き、そのあとニッセイビルの地下でホットドッグを食べようかと思20140628PatAustinったが、急に心変わりしてそば屋へ。そこで親子丼を食べ、そのあとKitaraへ。

 来るたびに、ロビーの光景を見て若い人がいないことに札響の将来を心配している私だが、この日はいつもよりは若い人たちの姿が目立った。あっ、合唱団員のお友達とか子供、あるいは遠い親戚とかが集結していたのかもしれない。

 今回は、合唱団も独唱も黒い衣装。
 これは参列者、いや、客も意表を突かれたかも。私は「なんだか慰霊祭みたいだなぁ」って思った。いいんじゃないでしょうか。死者のためのミサ曲をやるわけだから。

 その死者のためにふさわしい衣装の合唱団の後ろのP席で、Tシャツ姿で居眠りしているお兄さんの姿。その対比がこれまた面白かった。

 さて演奏だが、欲をいえばもっと感情の起伏があっても良かったように思うが、それは尾高の指揮にいつも感じること。結論として、水準は高かった。
 独唱陣の声もよく通っていたし、特にソプラノの安藤のドラマティックな歌唱が印象的だった。合唱もよく調教、いや失礼、訓練されており弱音から強音まで乱れるところがなかった。
 声楽のせいであまり気づかれなかったかもしれないが、オーケストラもほぼノーミス(バンダがおイタしたが)。この曲のオーケストラのパートが、これまた魅力的であることにあらためて気づかされた。

 ただ、正直なところ、この日はあまり演奏に集中できなかった。
 おしっことかゴロゴロが原因ではない。

 会場に断続的に騒音が起こったからだ。始まってすぐは3階の方から話し声と金属を打つような音がしたし、始終パンフを落としたようなパンという音や声が混じったような咳が続いた。騒々しいというのはオーバーだが、かすかなざわつきのようなものが収まらず、私としては定期演奏会でこんなにノイズがあるのはそう経験したことがなかった。

VerdiRequiemJordan プログラムには歌詞対訳が載っており、“ご覧の際にはページをめくる音にご注意ください”と書かれていたが、そんななまやさしい音ではなかった。
 金属を打つような音はその後も1度あったが、あれはなんなんだろう?
 ホール出入り口に待機している係員も音の方を見ていたが、わからなかったようだ。

   あら、アルミンさまの息子さんで?
 聴かせどころが多いこの曲には名盤が多々あるが、今日は意表を突いて(ると思ってくれたら、何となくうれしい)フィリップ・ジョルダンがパリ国立オペラ座管弦楽団を指揮したライヴ盤をご紹介する。

 ジョルダンというとスイス・ロマンド管弦楽団の常任を務めていたアルミン・ジョルダンが有名だが、フィリップはアルミンの息子。1974年生まれだから40歳になるわけだが、まだ日本では“アルミンの息子”という説明つきで紹介されることが多い。
 ドイツ各地の歌劇場で経験を積んでいるそうで、ならばこのレクイエムだってお得意なんじゃないだろうか思っちゃう。

 不思議な演奏だ。
 最初に聴いたときは、静かな箇所は腑抜けたように感じたし、パワフルなところはヤケのヤンパチに思えたのだが、何回か聴くうちに「なんか、いいかも……」って感化されつつある私。
 荒削りで、心に浸み入るようなものでもないが、1周忌のお祭り音楽という面から考えれば、こういうのも変ではないのかもしれない。
 2013年ライヴ。エラート。

  Verdi: Requiem

プロフィール

MUUSAN

 クラシック音楽、バラ、そして60歳代の平凡ながらもちょっぴり刺激的な日々について、「読後充実度 84ppm のお話」と「新・読後充実度 84ppm のお話」の2つのサイトで北海道江別市から発信している日記的ブログ。どの記事も内容の薄さと乏しさという点ではひそかな自信あり。

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